君は
とにかく、ドキツイ官能小説のタイトルを極力見ないようにして。店主のエロールは、値札だけを見て計算を始める。そんな中、アシュはギュスター連合国紙幣『マレル札』を3枚机に置く。
「あっ、おつりはいい。僕にとっては、はした金だからね」
「いえ、そういう訳にはいきません」
断固として断るエロール。断じて、こんな嫌な奴の施しなど受けたくはない眼鏡美少女である。一方で、ソワソワしながら、一刻も早くここを立ち去りたいエロ魔法使い。
「本当に構わない。チップだよ――ああ、この国にはそういう概念はなかったか。このお金をどう使っても自由だ。自分の洋服を買っても、美味しい食事を食べてもいい。本当に不要だったら慈善団体に寄付しても構わない」
「いや、でも」
「なんだい?」
「なんというか――」
そんなにおつり、ない。
果たして、この男は物価というものを理解しているのか? 計算はできているのだろうか? だいたい、マレル札1枚で本が2冊変える程度。5冊買ったので、あまりはせいぜい、余分に本が1冊変える程度である。洋服はおろか、美味しい食事すら買えない。慈善団体に寄付しようとしても、送料の方が高い。もちろん、寄付は額ではない。気持ちだ。
ただ、その気持ちが、気持ち悪い。
「本当にいいんだ。いわゆるコストパフォーマンスという奴だね。僕の時間当たり生産性は大陸の誰よりも高いのだよ。このような、はした金で、このような無駄な問答をしていると、どんどんそれが失われてしまう。僕も、そこまで暇じゃないのでね」
「……っ」
しかし、目の前のお金無頓着魔法使いは、そんな意図には気づかない。
「わ、わかりました。では、こうしたらどうでしょうか?」
エロールは本棚から本を取り出して、一冊の本を手渡す。
「これは、『スワンダ側のワルツ』という小説です。私の好きな小説ですからぜひ読んでみてください」
この純愛小説を読んで、己を一度見直して欲しい。名前も知らない。身分も知らない。だが、恐らく誰からも嫌われて、誰からも愛されていないであろう、可哀想な男であると勝手に結論づけて、ほぼ事実に辿り着いている眼鏡美少女は、そう彼に願った。
一方で、本を受け取りながら、アシュは思った。
もしかして、この子、僕のこと好きなのでは、と。
純愛小説を読め→純愛を感じろ→私の気持ちを感じろ→私の純愛を受け取ってください→私、あなたのこと、好きです
イカれた、思考回路である。
えっ、ちょっと待って。一回落ち着こう。一旦落ち着こう。
アシュは速やかに自己分析に入る。これは、あくまで彼自身が感じた主観で、客観視して検証しなければならない。
「ちょっと、お手洗いを借りたい」
「え、ええ。そこの右に曲がったところです」
そそくさと、トイレの中に入って、洗面所の鏡をジッと見つめる。
「……誰だ、このイケメンは?」
アシュは自分の容姿に驚く。こんなに格好のいい紳士に見つめられれば、誰だって虜になってしまうではないか。加えてお金持ちぶりも示し、互いの価値観のすり合わせも行った。主観的に見ても、客観的に見ても、モテない要素はない。
「落ち着け……誰だ、君は?」
もう一度、彼は問う。誰もいない鏡に向かって、自身の存在を問う。それは、イケメン。それは、金持ち。それは、天才魔法使い。アシュ=ダール。
気持ちが固まったところで、彼はフッと微笑んだ。まるで、すべてを見透かすかのように。なにも見えていない魔法使いは不敵な笑みを浮かべた。
*
一方で、暗殺者のリーダーはライナスは震えていた。
暗殺者である彼が30年を費やし開発した
他の暗殺者たちは、すでに撤退し、
もはや、間違いなく、気づかれているとライナスは確信した。
所詮、自分などに手に負える魔法使いではなかったのだ。相手は真なる闇。暗殺者風情とは、比べものにならないほど、その暗黒は濃かったということだろう。もはや、抵抗する気も起きない。
観念したような絶望した表情で。
「よく、見破ったな」
ライナスは答えた。
「……」
アシュはその光景を見つめながら、少し考え。
ボソッとつぶやく。
「君は……僕なのか?」
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