天井に張り付いていた暗殺者たちは、ターゲットの一挙一動を見逃さぬよう教育されていた。一秒……いや、一瞬の変化でも状況は大きく変わる得る。『まばたきすらも惜しめ』と彼らは常日頃から師匠に言われていた。そんな彼らが見てしまった。


 さりげなく、ドキツイ官能小説を紛れ込ませた、アシュ=ダールを。


 その指先はかなり洗練されていた。暗殺者たちですら気を抜けば見逃してしまうほど鮮やかな手口。間違いなく、手慣れた犯行であることは間違いない。


「「「……」」」


 こんなことのために、培った技術ではないのにと、暗殺者たちは全員考えさせれた。闇に生きる彼らは、日々厳しい修行に耐えている。幼い頃から暗殺術のみを叩き込まれ、そのためだけに生かされている存在。彼らのターゲットは当然、それに値する人物であるべきで、そうであって欲しかった。


『隙だらけだ。行くか?』


 気を取り直して、暗殺者部隊の副リーダー、アストロはリーダーのライナスに尋ねる。もちろん、仕事は仕事だ。どれほどの愚物でも、ターゲットには変わりない。さっさと捕獲して作戦を済ませ、今日はブランデーを一気飲みして酔っ払いたいという想いに駆られる。


『いや、もう少し待て……あまりにも隙だらけだ』


 しかし、ライナスはあくまで慎重だった。


 彼は目の前のアシュ=ダールの行動に違和感しか感じない。ドキツイ官能小説を紛れ込ませた彼は、安堵したような表情を浮かべながら、さも高尚なタイトルの本を物色している。その無警戒さたるや、まるで、一般人……いや、5歳児の子どものようだ。


 果たして、そんなことがあり得るだろうか?


 最強の護衛であるミラと別れ、敢えてこの男は一人きりになった。まるで『襲ってくれ』とも言わんばかりの行動に、熟練した暗殺者は疑念を抱く。アシュ=ダールといえば、大陸一危険な魔法使いである。当然、闇の世界では知らぬ者はいない。


 ヘーゼン=ハイムから命を狙われ、唯一生き残った魔法使い。数万の人間を贄とし、滅悪魔と契約を交わした唯一の魔法使い。大陸のあらゆる情報を網羅しており、どの闇取引にも彼の目が監視しているとさえ言われている。


 まさか、誘っている? そんな想いが拭いきれない。


 その時、アシュの視線が再び手元へと向いた。そして、先ほど紛れ込ませたドキツイ官能小説をパラパラと確認する。その速度は、まるでパラパラ漫画のごとく。だが、その漆黒の瞳は全ての文字を捉え、瞳孔はせわしなく動いていた。


 中身チェック。


 暗殺者たちの1人、ダルシャは超常的な視覚を有していた。それこそ、動いている物体に対して自然と目で追い、捕捉してしまうほどの優秀な動体視力を持つ。その異常な視力、動体視力によって、ドキツイ官能小説のドキツイ表現の数々が脳裏に浮かびあがる。なぜ? なぜ? なぜ? 思わずそんな疑問すら浮かびあがる男女のアレコレ。云々。


「……ぁあ」

『ば、ばか! 声を出すな』


 慌てて口を塞いだライナスが、瞬時にアシュを確認する。天井から声。そんな不自然な事象に気づかぬ人間などいない。魔法で姿を消してはいるが、結構な音量を発してしまった。こちらに視線が向句ことはまず間違いがない。そう、確信した。


 しかし。


 アシュ=ダールは、まったく、なんの警戒も示さない。それどころか、こちらに視線すら送らない。


「……なんか、聞こえましたけど」


 そんな中、遠くで書物の整理をしていたエロールが不審そうな視線を天井に向ける。もちろん、魔法で姿を消しているので視認はされていないが、バレるのは時間の問題かに思われた。しかし――


「そ、そんな訳ないじゃないか! 僕が声をあげたとでも!? 失敬な。失敬だよ!」


 なぜか――いや、まさかアシュが慌てて否定する。自分はそんなにはしたない男ではない。まさに、そんな剣幕で、必死に、必死に否定する。


「いや、あなたじゃなくて。天井から聞こえたような――」

「だが、僕には聞こえなかったな。幻聴じゃないかな?」

「いや、でも結構な音量でしたよ?」

「ククク……遠くにいる君に聞こえたと言って、近くにいる僕が聞こえないと言う。どちらの証言に信憑性があるのかは、あきらかだろう?」

「……そうですか、失礼しました」


「「「……」」」


 頑なな否定。それによって、急死に一生を得た刺客たちは思った。
























 隙だらけ過ぎて、隙が見えない、と。


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