リアナ=ハイム編

プロローグ



「退屈だな……」


 木漏れ日すら届かぬ暗闇の部屋で、囚われの魔法使いは、つぶやく。


 両手を鎖で繋がれ。


 幾年も水すら飲まず。


 老いることも。


 死ぬこともなく。


 巡る思考の中で。


 時折、昔などを思い出す。


 いつの頃だったのか。


 正確には忘れてしまったけれど。


 願うことなら。


 もう一度、君を抱き締めて。


 そんなことを思い浮かべながら。


 闇魔法使いは静かに瞳を閉じた。


           *

           *

           *


 「ふぅ……これでよしっと」


 一仕事を終えた職人のように、黒髪の少年が屈託のない笑顔を見せる。額には汗が流れ出ており、薄手のローブは煤と埃で真っ黒。頬にも汚れが付着して灰色染みていているが、幼さが残る端正な顔立ちは、一筋の陰りも見せない。


「おっと……すっかり遅くなってしまったな」


 日もすっかり暮れ、闇梟の鳴き声が不気味に響く。誰もいない校舎の下駄箱前で、せっせと帰り支度をしていた時、


「なにしてんのアシュ=ダール―――――!?」


 壮絶なツッコミと共に。亜麻色ロングヘアの美少女が、胸ぐらを掴み掛かってきた。蒼色の瞳は、その怒りを示すように爛々と輝いている。


「リ、リアナ! なんで君がここに……あっ!」


 下駄箱へ叩きつけられた反動で、靴が数足落ち、


 ……中から大量の画鋲が地面に撒き散らされる。


「ああっ! せっかく……」


 シュン。


「な、なんでアナタはこんな陰険な嫌がらせに、そんなに純粋に残念そうな顔ができるのよ!」


「ふっ……僕の信条は、やられたらやり返す」


 得意気に、一点の曇りなき眼で、真っ直ぐに、アシュはリアナを見つめる。


「……普通、やり返すなら正面からでしょう? 卑怯者にもほどがあるでしょうが……はぁ。手伝うから、一緒に片付けるよ」


 大きくため息をつき、靴を一足一足、裏返しにしていく。


 ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……ザァー……


               ・・・


「どんだけ画鋲ギッシリ入れてるのよ!」


「……頑張ったんだ」


「頑張る方向が限りなく真逆!」


 そう嗜めながらも、一生懸命に画鋲を取り出す。そんな彼女の姿を見て、アシュも渋々、片づけを始める。


「だいたい、こんなに画鋲入ってたら履く人いないわよ」


「大丈夫! これ見て」


 アシュは嬉しそうに校門を指差すと、複雑な紋様が黒い光を発し出した。


「……なに、これ?」


「魔法陣を張って、強制的に靴を履くように呪いを掛けたから。だから、大丈夫!」


「あなたの大丈夫の使い方が全然大丈夫じゃないの! これ終わったら、すぐにそっちも片付けるわよ!」


「ええっ! アレを張るためにせっかく土まみれになったのに。絶対に嫌だよ」


「片付けるの!」


「嫌だ!」


「言うこと聞きなさい!」


「嫌だ!」


「……あんまり、駄々こねるとに言うわよ」


「な……卑怯だ!」


「……アシュだけは言われたくない」


 しかし、その脅し文句が効いたのか、さきほどより数倍の機敏さで片付け始める。よほど、が怖いのかと少し面白く感じながらも、


「でも……なんとかしなきゃね」


 リアナはボソッとつぶやく。名門レッサーナ魔法学校中の嫌われ者、アシュ=ダール。その嫌われっぷりは、生徒だけに留まらない。残らずこぞって、教師すらも彼を嫌っている。


「ふっ……容姿、魔法、頭脳も兼ね備えた才能を妬む嫉妬ゆえさ。全く、彼らは顔だけでなく心まで醜い」


「……」


 なんともならないかもな、と心の中で思う。


「と・に・か・く! もっと普段から笑顔で! 人に優しく! いい?」


「偽りの優しさになにか意味があるのかい?」


「もう!」


「わっ、びっくりした!?」


 距離が近すぎて、思わずのけぞってしまうが、その分、彼女は顔を近づけてくる。


「あなたはどうしてそうなの、アシュ!?」


 非難がましいジト目を受けながら、その可愛らしい唇を尖らす。


「わ、わかったから」


 その華奢な肩をソーっと触れ、とにかく顔を遠ざける。本人は全く気付いていないが、その小さく可愛らしい顔は、いつまでも直視すると危険だ。


「ホント―に、わかったんでしょうね?」


 そのクリッとした瞳で、心配そうな表情で見つめられると、どうにも心がざわめいてしまう。


「わかった! もう、わかったから」


「……本当に? 約束?」


 リアナは、小指をアシュの指に近づける。


「……うん」


 そう小さくつぶやいて。少しその小指に触れると、リアナは満足気に両手を組んで笑顔を見せる。


「なら、よろしい」


「……」


 無表情に、下を向いて画鋲を拾い出す、シャイ魔法使い。


「……あっ、アシュ。上見て!」


 指のさす方を見ると。夜空に満月が輝いていた。


「ふむ……3ヘルツだね」


「……素直に綺麗とか言えないのかな君は?」


「ところで、満月がなぜ光っているのか知っているかい? 一般的には月の表面に備わる魔力が放っていると言われているが、僕は違うと思うな。この仮説は、僕のオリジナルなんだけど――」


「……」


 アシュの論証を呆れ顔で聞きながら、リアナは月を見つめる。


           ・・・


「でね、ここからの考察が非常に興味深くてーー」


 話の途中で、アシュの肩が突然重くなる。「スーッ……スーッ」っと彼女の寝息が聞こえる。


「……」


 途端に喋らなくなって。硬直し身動きが取れなくなるシャイ性悪魔法使いだった。

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