優秀な魔法使いが大陸中から集まる学術都市ザグレブ。さまざまな教育機関、研究機関が集中するこの場所は、歴史的な魔法使いを幾人も輩出してきた。階級制度も、王、貴族、平民、奴隷などのいわゆるカースト制度ではなく、魔法使いとしての功績が高ければ高いほどこの都市では地位が高い。


 そんなこの場所で、最も中心に位置する屋敷が、ヘーゼン=ハイムと呼ばれる魔法使いの邸宅である。その庭の広さは学術都市全体の10分の1を占め、邸宅の格式は他国の王族のそれとひけをとらない。そんな中、端の離れにポツンと一軒。非常に味のあるボロの長屋が、弟子たちの住まいである。


「……アシュ……アシュ」


 声が聞こえて瞳を開けると、陽の光と一緒に、スラリと細く長い足が視界に入る。動きやすさを重視したホットパンツは、思春期には目に毒で、急いで視線を横にズラす。


「アシュ、起きた? 大丈夫?」


 更に下を見ると、反転したリアナが心配そうな表情を浮かべている。


「……帰ったら、君のお父さんの魔法で身動きを封じられて、当然のようにロープで吊るされて、一晩中過ごして、頭に全身の血液が集中しているこの状態を仮に『大丈夫』と定義するのなら、ああ、大丈夫さ」


「……」


 なんか、大丈夫そうだ、とお姉さん美少女は思った。


「だいたい、君はなんで逆さ吊りの刑に合わないんだい? 親子とは言えど、君も弟子の1人なんだから、同じく門限を破った罰は受けるだろう?」


「そ、それは――「相変わらず往生際の悪いやつだ」


 その声と共に。黒髪の男が部屋のドアを開けて入ってきた。眼光が鋭く、あまりも整い過ぎた顔立ちは、どこか冷たい印象を抱かせる。すでに40歳を超えているが、その顔には皺一つなく、初対面であったら10代と言われても誰も疑う者はいないだろう。


 ヘーゼン=ハイム。


 アシュ=ダールの師匠であり、リアナの父親であり、名実共に大陸最強の魔法使いである。


「娘が門限を破ったのは、お前の悪行を阻止しようとしたからだろう? それに、仮にリアナも逆さ吊りにしたら、他ならぬお前が、娘の減罪を求めるんだから、こうして手間を省いてやったまでのことだ」


 全てを見透かしたように……いや、全てを見透かして、ヘーゼンは笑う。


「……なにしに来たんですか?」


 性格最悪弟子は、憮然とした表情で、逆さで、師匠を見つめる。


「なに……たまには弟子と共に、朝食を共にしようと思ってな」


 パチッ。


 指を鳴らすと、数人の執事がご馳走料理の数々をアシュの下に並べ立てる。全て出来上がったばかりで、七面鳥、豚の丸焼き、ビーフステーキのこうばしい香りが、鼻腔を大いに刺激する。


「さあて、たまには親子水入らずで食べるか、リアナ」


 そう口火を切ったヘーゼンは、アシュの前でバクバクご馳走を頬張り始める。


「……あ、あのお父さん。アシュは?」


「おお、もちろん食ってもいいぞ」


 その答えに胸を撫で下ろした美少女は、いそいそとロープを外そうと――


「おい。娘よ、なにをしている?」


「えっ、だって食べていいって」


「もちろん食べてもいい。しかし、罰はまだ2時間ある。ロープを外すのも、お前が手助けするのも許可はできないな。まあ、自力で魔法を解いて、ロープを解けば別だが」


「……それじゃあ、食べれないんじゃ」


「ああ、食べれないな……クククク……ククククク……ハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハッ」


 心底愉快そうに、食べ物を口に入れながら、笑い続ける性格最悪師匠。


 アシュは悔しそうにもがく。もがくのだが、もちろん最強魔法使いの魔法は解けず、ただロープと身体が揺れるのみ。


「くっ……なんて性格の悪い男なんだ。こんな最悪な男は見たことがない」


「……」


 目の前に、似たような男が一人いる、と性格最悪父の娘は密かに感想を抱く。


「ほーれ、ほーれ……」


 嬉しそうに、チキンをアシュの口元に近づけては自らの口に入れ、チキンを近づけては、自らの口元に入れ続ける。そんな父親を見て、アシュの性格が曲がった理由の一旦が、彼にあるのではないだろうかと、娘は疑念を抱く。


 一通り弟子をからかい終えた最強師匠は、満足した様子でお腹に手を当てる。


「ふぅ……美味かった。まあ、お前もこれで懲りただろう。おい、料理をもってきてくれ」


「お、お父さん」


 なんだかんだ言って、最後には優しいのね、と娘は胸を撫でおろす。


「まあ、な。授業中にグゥグゥ腹の虫を鳴らされでもしたら、我が家でご飯も食べさせていないのかと思われるからな……おっ、きたきた」


 頭を少しかいて、照れ隠しをしながら、持ってきた料理をアシュの口元に運ぶ。


 !?


「へ、ヘーゼン先生……まさかそれは……ぐわあああああああああああああああああああああああっ!」


 強制的に食わされているのは、ニンジン料理。アシュが、悶えるのは、もちろん彼がニンジンをこよなく大っ嫌いだからである。


「クククク……どうだ、美味しいか、アシュ。クククク……クククク……フハハハハハハハッフハハハハハハハッフハハハハハハハッフハハハハハハハッ」


「……」


 父親の至福な表情を見て、アシュの性格が捻じ曲がった原因は、やっぱり、ここにあると確信した娘だった。


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