幕間 デルタ


          *


 ああ、またこの夢だ。


 デルタは、心の中でそうつぶやく。5歳の頃から見続けてきた夢。また、この夢かと辟易しながらも、目を覚ますことはない。いや、目を逸らしてはいけない、決して忘れることはできない、忘れてはいけない、そして忘れたい夢。ただ、淡々と走馬灯のように映像が流れ、愚かで弱い自分を見つめ続けるだけの夢。


 嬉々として、村人を殺しまわり、快楽を覚える兵隊。女を犯し、悦に浸る兵隊。宅へ侵入し、私腹を肥やす兵隊。村が、家が、人がその業火に焼かれ。家族は、燃えさかる家から出た。そこには、無数の魔法使いと、衛兵がいた。


<<闇の存在を 敵に 示せ>>ーー闇の矢ゼノ・エンブレム


 曲がったことの嫌いな優しい父だった。震える手で剣を持って、家族を守るように立った彼を無残に突き刺したのは闇魔法。


「くっはははははは、俺はこういう奴を殺すのが一番楽しいんだよ」


 グサッグサッ。


 覆いかぶさる母を、嬉々として短剣を打ち込む、この魔法使いの表情は、死んでも忘れることはない。


 それでも、残った妹だけは守ろうと思った。


「逃げるよ」


 強引に手を引いて、泣きながら母と父を見ている妹を見て、走りだす。


<<火の存在を 敵に 示せ>>ーー炎の矢ファイア・エンブレム


 背後から見舞われた刃は、いとも簡単に、妹の身体を貫く。


「ひゃははははは、逃すと思ったのか?」


 その狂った闇魔法使いの声を。


 うめき声をあげて倒れる妹の姿を。


 ただ、放心状態で、見送った。


「くくく……いい表情かおだ」


 闇魔法使いは、すぐ側まで近づいてきて、短剣を高々と振り降ろした。


 ザシュ。


 切り裂く音と共に、巻き起こる鮮血。しかし、その飛沫しぶきはデルタにではなく、突如として現れた少女の背中から飛び散った。


<<光の存在を 敵に 示せ>>ーー光の矢サン・エンブレム


 彼女の掌から発した光は、男の身体を貫いた。


「ぎゃああああああああああっ」


「お……お姉ちゃん」


「しっ……声を出しちゃダメ」


「でも……」


 血がでている。おびただしいほどの血が。


「静かに……静かにしてるの。きっと……助けに来てくれるから」


 そう言いながら、自身が覆いかぶさるように、ずっと優しく抱きしめてくれた。彼女の顔は最後まで見えなかった。ただ。肩越しに見える黒褐色セピアの髪が今でも印象に残っている。体温は温かく、段々冷たくなっていくのが、それでも、なにも出来ずに震えている自分が哀しかった。


「運が悪かった」と、後につぶやいたのは、誰だったか。


 それは、冒涜であるような気がした。その時、命を懸けて守ってくれたその女性に対して。 


 家族の亡骸を眺め、その場に座り込み、やがて、そのまま横たわった。


「いつまでそうしているのかね? まあ、僕には関係がないがね」


 霞んだ瞳に映ったのは、デルタを助けた白髪の男。月を仰ぐ光景は、異様なこの場においてもとりわけ異質であった。やがて彼は、褐色セピアの髪の女性を抱える。


「……」


 もはや感情めいたものはなかった。


「そうやって寝転んでいるのはお薦めはしないよ。まあ、死体として僕に暴かれたいというのなら別だがね」


 男は、大きく目を見開きながら少年を観察する。


 それでも、力が入らない。心は空虚そのものだった。


「……君には二つの道がある。一つ目は、このまま野垂れ死ぬ道。もう一つは、僕と共に生きる道」


「……」


「まあ、僕にとっては、どちらでもいい。しかし、前者を選んだとしたら……君を助けた彼女は……無駄死にだな」


「……」


 そうつぶやいた男は、歩きだす。


 なぜ、自分が弱いのか。なぜ、こんな戦争が起きてしまったのか。なぜ、家族や恩人を守れるほど強くなかったのか。なぜ……生きているのか。


 その闇魔法使いの背中を追ったところで、いつも夢は覚める。



                *


「……」


 ベッドの上で瞳を開け、つぶやいた。もう、何度同じ光景を……同じ悪夢を見たかわからない。


 その時、快活なノック音が響く。


「入るぞ」


 入ってきたのは騎士団団長のレインズだった。


「……やあ」


「昨日はご苦労だったな」


「すまなかったね……私の失態だ」


「仕方ないさ。生徒たちが来てしまった。どちらかが引かなければ、奴以外にも死者が出たことだろう」


「……」


 レインズは、女子供を傷つけることを良しとはしない。それは、クローゼ騎士団というより彼の性格によるものだ。


「しかし……凄まじい魔法使いだったな」


「ああ……」


 デルタが計算外であったことは、ヘーゼン=ハイムの召喚する悪魔をアシュが取り込んでいたという事実。そしてそれは、事実上あの闇魔法使いと正攻法で渡り合える魔法使いはいないことを示していた。


「しかし……クク………」


 レインズは不意に笑いを浮かべる。


「どうした?」


「なかなか面白い魔法使いでもあったな。おおよそ人間ぽいと言うのか、貴様がいうような非情な魔法使いには見えなかったが」


「……」


 確かに以前とは、かなり印象が違うことは否定できない。ふざけた男ではあったが、少なくとも、彼はあんなに生き生きと振る舞う魔法使いではなかった。


「しかし、あの方は闇魔法使いだ。誰もがよりよく生きていこうとするこの社会にとっては、悪以外の何者でもない」


「……俺はお前のそういう所を心配している。なぜ、そこまでして闇魔法使いを憎む?」


 レインズはデルタを年上扱いせずに、親愛を示し、デルタもまた、相当に年下ながら、レインズが友と呼べる唯一の存在だった。


「理由などないさ。奴ら闇魔法使いは全て悪だ。全ての存在を抹消しなければ、真の平和は訪れない」


「……」


「全てだ……でなければ、再び犠牲者が出る。見知らぬところで、見知らぬ場所で、名もなき子どもが、名もなき家族が。そんなことは、決して許さない……決して……」


 デルタの言葉は悲痛に響いた。

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