幕間 元老院


 王の諮問機関である元老院は、『王の助言者』と評されている。国家政策の多くがこの機関で決定され、ナルシャ国において絶大な権力を持つ。その主城であるサロレインカルロ城に設置された広大な議場の中、向かって対峙するのは、一人の老人であった。


「……どういうおつもりかな? ライオール理事長」


 元老院議長であるゼルフ=ロールファンは、厳しい目を向ける。


「はて……なにか、ありましたかな?」


 老人は、朗らかな表情でとぼけてみせるが、場の雰囲気を和ませるには至らない。


「あなたは、こともあろうにあの『闇喰い』をホグナー魔法学校に飼っているとのことではないですか?」


 ゼルフの言葉で一斉に場がざわつく。


「ああ、アシュ=ダール先生のことですか。彼が元老院から追放されたのは約170年前。我が国の法律上は問題ないかと。法律家にも命文検証を依頼し、追放令が効力をなさないことを確認済です」


 3代目国王カール=ナルシャは、国外追放の憂き目を受けた英雄シルヴァを同じ理由で呼び戻したとの記録が残っていた。国王が代替われば、その命令は無効になるという慣例。これは、ナルシャ国が滅びぬ限り、覆されることはないだろう。


「……そういう問題ではないだろう?」


「法律上の問題でないなら、私には皆目見当もつきませんな」


 その答えに、ゼルフは表情を歪める。ホグナー学校理事長にして、国民的人気を持つライオールは世論においても十分に勝算があることを知っている。


「他の皆さまはどう思われますかな?」


 ゼルフは、他の元老院メンバーに意見を求める。


「法律上の問題ではなく人道的な問題だ!」「だいたい、なぜあのような者を採用する?」「なにかあの者と裏取引があるのではないか!?」「だいたい、その態度が気に入らん」


 一斉に矢のような批判が(一部ただの悪口が)ライオールに集中する。元々、議長であるゼルフの子飼いばかりが集まった元老院である。彼の援護こそすれ、反対などは頭にも浮かばないだろう。


「……ふぅ。あなた方は、彼が『闇喰い』と呼ばれているのはご存知かな?」


 ライオールは、元老院議長に問いかける。


「それがどうした?」


 ゼルフが苛立ちを見せる。55歳である彼は、ライオールよりかなり若い。最年少で元老院議長に就任した彼にとって、目の前の老人は、目の上のたんこぶ以外の何物でもない。


「闇を喰らうほどの闇……それは、聖信主義者であるあなた方には都合がよいでしょう。泳がせてやればいいのです。あなた方に、


 老人は白く曲がった髭を引き伸ばしながら答える。


「なっ!?」


「なんだ、それは我々を侮辱しているのか!?」「都合がよければ黙認などと、そんな卑怯な真似ができるか」「貴様、まさか背信主義者ではあるまいな!?」「だいたい、その態度が気に入らん」


 またしても元老院メンバーから辛辣な野次が飛ぶ。


 元老院は光魔法を重視する『聖信主義者』の集まりである。彼らは闇魔法を重視する『背信主義者』を迫害する政策を長年打ち立て続けていた。


「……失礼ですが、発言がある時は手を挙げて名前をおっしゃって頂ければと思いますが。私も、


「……」


 ライオールが静かにそう言い放つと、一斉に静寂が訪れる。ゼルフ以外で面と向かって発言できるような者がいないことを、彼は当然承知している。


「ふぅ……では、私は亡霊の声を聞いたとでも? あなたたちが『闇喰い』と評すアシュ先生ならば、そう尋ねたでしょうな。ホグナー初等院の一年生でも、発言したいときは自ら名乗り出ることを知っておりますよ」


 それは、至極丁寧であったが、烈火のごとき激しさを持ち合わせた口調だった。


「……」


「……沈黙は回答と思ってよろしいですね? では、もうこれ以上声をあげずに黙っていてもらえたらと」


 朗らかな表情とは裏腹に、氷のような冷たい一瞥。元老院メンバーは一同それに震え上がる。


「ライオール理事長……あまり、我々若輩者をいじめないでください」


 声をあげたのはゼルフだった。


「若輩と卑怯は別物かと思いますよ」


 あくまで無感情に、事実だけを淡々と述べるライオール。


「……肝に銘じます」


「さて……こんな老いぼれが意見させていただくとすれば、今はたった1つの学校人事より、亡き大司教の後任を決めることの方が先決ではと」


 アリスト教最高権力者であるサモンが、先日アシュとの戦いに敗れてこの世を去った。事後の処理はすべてライオールが揉み消し事なきを得たが、彼の後継者問題は未だ決着がついていない。


「……彼の死に『闇喰い』が関わっていたと噂もありますが」


「噂でしょう? 元老院は噂話で盛り上がる寄り合いですかな?」


 証拠がないことを確信し、ゼルフの投げかけを躊躇なくとぼける老人。


「……サモン大司教の後任をあなたにと声があります」


 苦々し気に元老院議長は言う。


「それは、光栄なことですな。アリスト教徒たちが望むなら、前向きに検討させていただきましょう。今日呼び出した案件は以上ですか?」


「……はい」


「では、失礼させていただきます」


 ライオールは深々とお辞儀をし、悠々と部屋を後にした。


「くそっ! 老害め」


 ゼルフは苛立ちのままに机を叩く。


「しかし、本当にライオールは大司教を!?」「あり得ん! 奴はバランス主義者だぞ」「そうだ、そもそもアリスト教徒たちが認めないだろう」「だいたい、あの態度が気に入らん」


 ライオールが退出するや否や、罵倒と議論を繰り返す元老院メンバー。そんな彼らに辟易するゼルフだったが、議長として、この数合わせの無能どもをまとめなくてはいけない立場にある。


「落ち着いてください。彼にそんな気はありませんよ。我々を翻弄させているだけです。先ほどのような発言をすれば、我々が断固阻止に回ると思っている」


 もし、仮にライオールがアリスト教大司教の地位につけば、国王並みの権力を持つことになる。王の諮問機関である元老院にとって、是が非でも阻止したいという想いを、見定めた上での発言だ。


 しかし、どれだけ『問題なし』と説明したところで、権力の権化である元老院メンバーは無駄な工作に時間を割くこともゼルフにはわかっていた。


「ここは、静観し、あの老人の動きを待つべきだと、私は思いますがどうでしょうか?」


「「「……」」」」


 ゼルフの求める同意に、答えるものはいない。元老院議長の意見に逆らってまで、自らの持論を主張するものは、ここにはいない。逆に、元老院議長の発言に同意して、失敗を分かち合おうという者も、ここにはいない。ただ、物事の結果を見て、ピーチクパーチクと囀るのみ。『寄り合い』の方がよっぽどマシだと、忌々しげに、心の中で吐き捨てる。


「では、決まりということで閉会にしましょうか」


 不機嫌そうに、半ば強引に打ち切りメンバーを退出させた。


 ぜルフ一人が取り残された議場に、黒髪の青年が入ってきた。一片の染み、汚れのない白衣を纏い、端正過ぎる輪郭、目、口、鼻に加え、皺一つない肌。それは、あまりにも不自然で、すべて作り物なのでないかという疑念すら抱かせる。


 デルタ=ラプラス。20年前にゼルフに登用された研究者である。


「どうでした?」


「ライオール=セルゲイ……さすがに老獪だよ。奴らでは話にならん。だが、私は、踊らされるばかりじゃないぞ」


「しかし、彼の言うことも一理あります」


「……見ていたのか?」


「ええ。少々もいましたので、その監視も兼ねて」


「ふん……まあ、いい。それで?」


「アシュ=ダールという男は、権力の類には見向きもしません。興味があるのは、知的好奇心と女だけ。しばらく様子を見ておいてもいいかと思います。彼の性格上、ライオール理事長に肩入れもしないでしょうし」


「……随分詳しいのだな」


「かつて彼に師事しておりました」


 その笑顔は、若々しくはつらつとしたものだった。彼の歳は100を遥かに超えているが、数度にわたる若返り手術で、その風貌は20歳ほどだ。


「あの背信主義者に?」


 ゼルフの表情がにわかに曇る。


「遥か昔のことですよ。それに、彼とは考えが合わないので袂を分かっております」


「なるほど……それで、あのような大悪を放っておいていいと言うのが、貴様の考えか?」


と言う意味です。彼はその特性上、よからぬ者を惹き付ける。ちょうど、もいることですし」


「……なるほど」


 この天才研究者さえ我が手の内に入れば、全ての物事が意のままだ。全ての悪しき者が排除され、正しい者のみが住まう世界に。


 ゼルフは不敵な笑みを浮べた。


          *


 一方、部屋から退出したライオールの側に、エステリーゼが心配そうに駆け寄る。


「お疲れ様でした。随分、元老院の方々を刺激したようですね」


「ほっほっ……盗み聞きを指示した覚えはないが?」


「情報収集です」


 きっぱりと言い切る美女に、ライオールはむしろ清々しさを感じた。 


「若さとはいいものだな……エステリーゼ、よく覚えておきなさい。あの者たちを、老害と呼ぶのだよ」


「……失礼ですが、あなたの方が数段年上かと思いますが」


「年老いていることが問題ではないよ。己の保身のため、地位の高い者に寄り添い、他者を貶めることのみに執念を燃やす。そんな生き方を長年送り、自身の生き方を一分も疑わぬ者のことだ」


 ライオールの物言いは穏やかであったが、やはりどこか苛烈であった。


「……肝に銘じます」


「そうしなさい。では、行こうか」


「はい」


 二人は廊下を歩き始めた。


「……ところで、いつ私が覗いていると気づいたのですか? 気づかれない自信があったのに」


「フフ……簡単だよ。君のような好奇心旺盛な子なら、必ず話を聞くと思っていただけだよ。しかし、気をつけなさい。見るということは、同時に可能性もあるということを」


「……やはり、あなたは恐ろしい人です。なんでもわかってしまうのですね」


「いやぁ、まだまだ。この年になっても、女性の気持ちを察するのはどうにも苦手でね。申し訳なかったね」


「なにがですか?」


「急に仕事を頼んでしまって。せっかくのデートをすっぽかさせてしまったね」


「……いえ、最初から待ちぼうけ喰らわせる気だったからちょうどよかったです」


「それにしては、あの時の君は非常に可憐な恰好をしておられたが?」


「っ……」


 途端に彼女の顔が真っ赤に染まる。


「一つだけ年寄りの老婆心として助言させてもらうが、アシュ先生にはあまり心を寄せぬ方がいい」


「なっ……わ、私はあんな男っ……」


「その様子だと、もう遅いかもしれないがね」


 ライオールは快活に笑ったが、その後、顔をリンゴのようにしたエステリーゼが、どのくらい彼を嫌いかを丸々2時間聞く羽目になった。

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