目撃者


 サラは寝静まった家族を確認すると、静かに起き上がった。ときどき、家を抜け出して夜空を眺めるのが、彼女の密かな楽しみだ。外はかなり寒くなっているが、そのおかげで満面の星空が拡がっている。


「……はぁ」


 これでよかったのだろうか。家族が言う通りなにもしない方がよかったのだろうか。


 そんな疑念を、首を振って否定する。


 何度もあの光景を忘れようとした。しかし、どうしても脳裏に焼き付いて離れない。


 思い起こすのは一週間前。その日は、いつものような朝だった。いつものように麦を耕した。妹たちと笑い合って、母が昼ご飯を持ってきて、父親が小言を言う。そんな毎日がずっと続くと思っていた。そんな毎日が続けばいいと思っていた。


 休憩中に話すのは、夢のような妄想話。お金持ちに見染められたらどうするかという話題で妹たちと盛り上がっていた。


「うーん……私は別にいいな。このままここでいいよ」


「えー、お姉ちゃん綺麗だからもったいないよー」


 妹たちはそう言うけれど。気の合わない有力な豪商に嫁いであくせく働くことも、どこぞのロクでなし貴族の妾となって肩身の狭い想いをすることも自分の性分には合っていない。家がとうとうお金に困り、そう言った事情があれば別だが、今のところ食うには困っていない。そして、なにより家族は彼女を愛して、彼女も家族を愛していた。


 麦の耕作作業が終わったサラは、デルサス山に向かった。陽が落ちる前に暖炉用の薪木を拾って帰るのは彼女の仕事。その日は、たまたま1時間ほど農作業が早く終わり、山頂へと向かった。頂上から見る夕陽を眺めるのが、1日の大好きな時間だった。


 付近まで着くと、突如として周囲に霧が発生しあたりを包んだ。そんなことは未だかつてない。驚いて周りを見渡すと、ある男が瞳に飛び込んできた。


「……うん、ここがいいな」


 その声は、酷く上機嫌な声だった。


 黒髪で痩せ細った男。その鋭い目は、ギラギラと不気味な光を放つ。


 思わず木陰に隠れた。なぜかはわからないが、本能的に対峙してはいけないと感じた。


 霧が明けると、幾千の人間が至る所で動いていた。虚ろな表情を浮かべ、紫色に変色した肌で働きだす。それは、常人を超えるほどのスピードで、会話もなく淡々と。サラの横を通っても、彼女に気づくことすらなく。


 その奇妙な人間たちよりも、その男は明らかな異常だった。そこには、テーブルが用意されており、そこに並べ立てられているにナイフを入れていた。


「う、うえええええええええっ……」


 その異様な光景に。


 その場でサラは嘔吐した。


 喰らっていた。


 まるで、ディナーを楽しむかのように。


 人が人を喰らっていたのだ。


 そして。


 気がついたら全力で走っていた。


 誰もいない森の中を。


 その捕食を拒絶するかのように。


 目に焼き付いたその光景を振り払うかのように。


 家に帰った後も、その恐怖は消えることはなかった。


 夢だ……あれは、悪夢だったのだと何度も何度も言い聞かせた。しかし、サラの本能は告げていた。その瞳に焼きついていた。あの男はサラを見て笑ったのだ。


 それは、まるで好物を見るかのように。


 人としてではなく。


 食事として。


 朝、起きて家族と食事をするときも、いつものように笑顔を浮かべているはずなのに、どうしても頭にあの男が離れない。激しい嘔吐に襲われ、食事が喉を通らない。


「どうしたの、サラ?」


 とうとう家族からも心配されて、彼女も仕方なく打ち明けた。


 が、帰ってきた言葉は『心配ない』だった。見たものは気のせいだったんじゃないか。大げさなんじゃないのか。ウチの村に限ってそんなことはない。そんな、他人事めいた答えで諭された。


 思えば、初めて家族に反発したのかもしれない。父も母も妹たちも、あの光景を見ていないからそんなことが言える。起こってからじゃ遅いのに、起こってからじゃないと行動しないなんて。


 すぐに教会に助けを求めた。家族の……特に父の反対にあうことはわかっていたが、それでもなにかせずにはいられなかった。結果としてその場ではいい返事は得られずに、サラの不安はますます大きくなった。


 今まで貯めたお金は、いざという時のため。すべては家族を守るために、今の生活を守るためのお金。小さい頃からコツコツと蓄え、今の幸せを守るためのお金。それを費やすことは全然惜しくはなかった。


 これで、家族が救われるのなら。


 これで、この日々が守れるのなら。


 そんな風にして費やしたお金で雇えたのは変わった魔法使いだけれど、幸運にもアリスト教徒の聖女にも助力を得ることができた。これで、家族は救われる。


 これで。


 やっと、これで。


 


             ・・・


「連れてきました」


「よくやったよ、サラ」












 死者の王ハイ・キングは彼女の頭を撫でて笑った。

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