ミラ=エストハイム編
出会い
「やぁ……可愛いお嬢さん」
陽が沈もうとする時刻。
まるで、知人と挨拶するかのような陽気で、男は少女に声を掛けた。
「……っ」
少女――ミラ=エストハイムは、思わず口を押えて唸った。
深い森の中をさまよっていた彼女だったが、抜けた先は見知らぬ光景。庭を埋め尽くす程の墓標があり、その中心に無機質な黒鉄で建てられた、まるで要塞とも言える巨大な建造物。
あまりにも奇妙なその場所は、短い少女の人生において指折り数えるほどの驚愕だったが、それすら一瞬にして消え去るほどの衝撃を彼女に与えた。
その場に倒れて朗らかに微笑んでいる男が、異常なほど異質であったからだ。
シルクハットに黒いテールコート。なによりも印象的なのはその漆黒の瞳と真っ白に染まった髪。道を歩いていれば、まず誰もが振り返るだろうその風貌に加え、
手も
足も
バラバラであったからだ。
……いや、全てが離れているというわけではない。右腕は付け根まで、右足が根こそぎ切断され、左足は辛うじて膝上まで。唯一、血で塗れた左手だけは小指と薬指以外は無事であった。
「……」
ミラは震えながらも、すぐに側に駆け寄り、彼の顔についた血をハンカチで拭う。
しかし一瞬にして、布は赤黒く、染まる。
少女は、自分の上着を脱ぎ、切断面に当てて止血を試みる。
「君は……怖くないのかい」
「……」
「そんな訳はないよね……ありがとう。君は優しいんだね」
白髪の男が震える指先で少女の額に触れると、ほのかに温かい光が彼女を包み込み、たちどころにして霧散した。
ミラがにわかに硬直していると、男は柔らかい微笑みを浮かべる。
「怖がらなくていい……おまじないさ」
「……血を止めないと」
なんとか声を発した少女が、男の両脇を抱えこもうとした時、
「アシュ=ダール!」
遠くから、声が聞こえた。
振り返ると、黒髪で鋭い眼光の老人が立っていた。
「……君はもう離れるといい。僕はもう大丈夫だから」
優しい声で、唯一残った左手で、白髪の男はミラを突き放す。
黒髪の老人が側に来て、男の胸倉を掴んで凄む。
「貴様……この子になにをした!?」
「なにもしていませんよ、へ―ゼン先生」
アシュと呼ばれた男は、心底愉快そうに、へ―ゼンと呼んだ男を眺める。
「クッ……君は! 『不審な者には近づくな』と教わらなかったのか!?」
苛立った表情で、黒髪の老人がミラを一瞥する。
「へ―ゼン先生……怖がっているじゃないですか。彼女はいいことをしたのに。そんなに責めないであげてください」
たしなめるようなその言い草は、老人の苛立ちを殊更に強める。
「貴様っ……」
激昂して拳を振り上げた瞬間、ミラが老人の腕に絡みついた。
「……くっ」
粗雑そうに睨むが、必死に暴力を止めようとする少女に、やむなく拳をおろした。
「やはり、君は優しいね。ありがとう」
アシュは少女を漆黒の瞳で見つめる。
「……ふぅ。いいかい。二度とここへ来てはいけない。ここへ来れば、君は必ず不幸になる」
気を静めたへ―ゼンは少女を優しく撫でる。
「この人のこと……殺すの?」
震える声で尋ねる。
「……死なないよ。決してね」
忌々し気に黒髪の老人は答える。
「へ―ゼン先生の言う通りだ。僕は大丈夫だから。でないと、君は先生に殺されてしまうからね」
「貴様は黙っていろ!」
アシュの言葉を怒号で遮り、老人は少女の両手を強く握る。
「覚えておきなさい。本物の悪とは、さも、君を導く救世主のように。さも、唯一の理解者のように、寄り添い、優しく語りかけてくるんだ」
「フフフ……無駄ですよ、ヘーゼン先生。彼女は、あなたがお嫌いのようだ」
「……」
少女の眼差しには不信感が見てとれる。忌々しげに老人はアシュを睨みつける。
「可愛いお嬢さん。助けが必要だったら、ここへ来るといい。僕が力になるよ」
「……もう、貴様は喋るな」
ヘーゼンは、アシュがそうしたように、少女の額を指で触れた。
「あっ……」
ミラは、急な眠気に襲われ、倒れこんだ。
「いいかい? もう一度言うよ。今日見たことは忘れて、ここには来てはいけない。そして、この場所を誰にも教えてはいけない」
老人は立ち上がり、アシュの奥襟を掴んで歩き出す。
少女の意識は今にも途絶えようとしていたが、最後に瞳に焼きついたのは、白髪の男が見せた優しい表情だった。
その日の出来事は、記憶の深層に封じられ、再び少女がアシュと再会したのは、それから8年が経過した14歳の冬だった。
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