知りません


 一方、アシュ。全力で走って、サン・リザベス聖堂から脱出すること数十メートル。振り返って、あたりを見渡して気づく――あれ……シスがいない。


「ミラ……シスは?」


「知りません」


「……人形が職務放棄するとは。もしかしたら嫉妬かね? 僕がシスばかり可愛がるから。人形を嫉妬させるほどの僕の魅力も素晴らしいとは思うが少しやりすぎではないかね」


「……アシュ様。今の私の状態が見えませんか? 私はリリー様をおぶってロイドと魔法の応酬を繰り広げながらもここまで来ました。自分ではシス様を気配る余裕がありませんでしたので私はあなたに言いました『シス様を頼みました』と。覚えていますか?」


「……」


 超必死に全力で走って逃げてきたアシュである。いざという時は周りが見えない一点集中型のアシュである。必死に己の身を守るべく脇目もふらず走り抜けてきた。


「そういう意味で言うならば申し訳ありません。私はアシュ様はもう少し周りを気にかけるお方だと見誤っておりました。さすがに大切な生徒。保身だけを考えずに逃げるような愚行はしないだろうと。そういう意味ならば、私の能力不足でした」


「……僕は聞いていない。君は嘘をついたんじゃないか?」


 この後に及んでミラのせいにするアシュ。ミラは大きくため息をついた。


 この最低魔法使い、と。


「私はあなたに聞こえるような声で言いました。あなたから命令されぬ限り嘘をつけぬ私です。そんなことより、今はシス様のことを心配するべきでは?」


「お、おお。そうだった。を責めるより、今はシスのことだ」


「……」


 サラッとミラのせいにするアシュ。ミラは思う。


 超最低魔法使い、と。


 一方、サモン側。ロイドは未だミラと交戦中だったが、アリスト教徒の面々がシスの不在に気づいた。


「おい! 貴様、彼女をどこに隠した?」


 アリスト教徒の1人が叫ぶ。まさか、アシュがシスを置いてけぼりにして逃げてきたなど、夢にも思わない……いや、そんな発想すらない彼らである。彼らの脳はアシュが魔力で彼女をどこかに隠したと判断した。


「……ふはははは。どこだと思う?」


 反射的に出るアシュの強がり。


「いっそ、素直に『サン・リザベス聖堂に置いてきぼりにしちゃいましたぁ。そうだ、君たち探してきてくれないか』と提案してみては? 案外救出に行ってくれるかもしれませんよ」


 ミラがボソッと皮肉り、アシュがボソッと「うるさい」と答える。


 しかし、内心マズイことになったと思うアシュ。助けに行こうにも、アリスト教徒たちに無防備を晒すことになる。そうなれば彼女の元にたどり着く前に、重傷を負うのは必至。しかし……考えている時間は……


 ドンッ


 その時、物々しい音がサン・リザベス聖堂を突き抜けた。それと共に、上空に巨大な物体が浮かび上がる。太陽の反射で見えないが、その大きさと形状からケルベロスと判断した。


 しかし、一点見慣れた魔獣のシルエットの背中に人間のそれがあった。


「ケルちゃん、お願い」


「グオオオオオオオオオオオオオオオッ」


 咆哮と共に、3つの頭がアリスト教徒に向かって火炎、氷塵、雷塊を吐き出す。


 1人のアリスト教徒が火炎を避けられず、火だるまになった。


「ぐあああああああああっ」


 すぐに、消火がされたが明らかに瀕死級の重傷である。サモンは仕方なく、自らの治癒魔法でそのアリスト教徒の治療を始める。


 ケルベロスは、アシュの方に飛び地面へと着地。背中に乗っていた少女ーーシス=クローゼは速やかに魔獣から降りてリリーの方に駆け寄る。


「みんあ、大丈夫ですか?」


「あ、ああ。それより……これは一体……」


 アシュが戸惑った表情を見せていると、シスの背中からひょっこりベルシウスが顔を出した。


「シス、凄かったんだ。このケルベロスがすっかり懐いちゃって」


 その言葉にアシュは驚愕の表情を見せる。確かにシスが動物と心を通わせられる能力を持つことは知っていた。しかし、相手は獰猛な野獣を掛け合わせて作り出した魔獣だ。その本能的な部分も通常の野獣とは比べ物にならない。


 しかし、そのアシュの考えとは裏腹にケルベロスは飼いならされた犬のようにシスの顔を舐めて、彼女に対して愛情を示す。


「これは……驚いた」


 素直にアシュの口から賞賛が漏れる。そして、それは同時にアシュ側に形勢が傾いたことを示していた。


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