「ふむ……久しぶりで僕にも扱えぬシールだから、美しさが今一つだね。まあ、速さならば別にいいか」


 アシュが指先を見つめながらつぶやく。


「……」


 リリーは忌々し気に睨みつける。


 先ほど性悪魔法使いが描いたシールは、『聖闇魔法』と呼ばれる特殊なシールである。扱えたものは、常に『史上最高の魔法使い』に挙げられるヘーゼン=ハイムのみ。リリーは彼に憧れて何千回、何万回とこのシールの練習をしたが、それでも一度としてアシュほどの美しいシールを描いたことはない。


「じゃあ、次はリリー君だね」


 ライオールが2枚のタロットをめくる。


 魔術師×杖(Ⅴ)


「……6秒」


 無情にも時間が告げられる。自身の中では早い方だが、性悪魔法使いとは比べるまでもないほど遅い。


「クク……」


「しょ、勝負はこれからよ!」


「では、次はアシュ先生」


 正義×金貨(Ⅲ)


「……3秒」


 アシュは全く同じ速度で、息が止まるほど美しいシールを描きだす。


「な、なんで……」


 あり得ないことが展開されていた。先の2つのシールは最短でも3秒はかかる。それを考慮するとカードがめくれた瞬間、ゼロ思考でシールを描いていることになる。そんなことは、決め打ちでもしなければ成り立たないが、確率的には1232分の1。実質的に不可能である。現に印結ゼール年間王者の平均タイムが4秒31で、アシュのタイムはそれを遥かに凌駕する。


「ふぅ……君たちは考え違いをしているんだよ。印結ゼールで『速さ』を競っている時点で、製作者の意図をはき違えている。そもそも、速いなんて最低条件であって競うほどのものじゃない」


 こともなげにアシュは答える。


「次、リリー君」


 戦車×剣(Ⅹ)


「……10秒」


 ヤマを張ったが、見事に外して逆に遅くなった。


「ククク……リリー君。君は机に向かって魔法を放つのかね?」


 もはやシールを描くのに必死になって、タロットを凝視しながらシールを描いていることに気づき、顔が真っ赤になる。しかし、もはや見た目を気にしている場合ではない。


「次、アシュ先生」


 審判×聖杯(Ⅰ)


「……3秒」


 もはや、驚かなかった。目の前の男は明らかにゼロ思考でシールを描いている。残り2回……2回で、せめて『速さ』だけでも追いつかなければいかない。


「次、リリー君」


 星×金貨(Ⅶ)


「……5秒」


 遅い……もっと集中しなければ。


 集中……集中……集中……集中……


「クク……あと、一回だね」


「……」


「最後、アシュ先生」


 悪魔×聖杯(Ⅵ)


「……4秒」


「サービスだよ」


「……」


 集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中……


「最後、リリー君」


 運命の輪×金貨(XIII)


「……」


「ぷはっ! 何秒でした? 何秒?」


「……失格だ」


「えっ?」


「失格だよ、リリー君。シールは結べていなかった」


 ライオールは静かに答えた。


             ・・・


 失格を宣言されて、頭の中が真っ白になった。


「ククク……残念だったね。リリー=シュバルツ君」


 アシュの声が静かに響き渡った。


「……」


 リリーは下を向いたまま、なにも言えなかった。この男に反論したいのに、負け惜しみの言葉すら出てこない。


「僕の記憶が確かならば君は、退学ということになるのかな?」


「アシュ先生、彼女は非常に優秀な生徒です。今まで彼女は常に絶え間ない努力を積み重ねてきました。なにとぞ、その点ご配慮いただければと」


 ライオールが、見かねて口を開く。それを、すがるような想いで祈る情けない自分をリリーは自覚した。


「ふむ……確か、『私はこのホグナー魔法学校で筆記も実技も学年1位だ』と言っていたかな。ライオールの言う通り、素晴らしいね。過去の実績を鑑みるに、退学は少し重たい罰かもしれないね」


「……えっ」


 リリーがアシュの方を見る。


「おっと……しかし、君の考えは違ったんだったね」


 性悪魔法使いは思い出したように歪んだ笑みを浮かべる。


「……なにが」


「いや、僕は君の意見に感心をしたわけだよ。僕が先ほど、自己紹介をした時に君は言ったね。『肩書きなどどうだっていい』と。僕はなるべく自分の能力を深く知ってもらおうとした配慮だったわけだが、君は現実にここにいるそのままの僕を見て評価したかったわけだ。新鮮な意見だった」


「だから……何が言いたいのよ!?」


「わからないかい? 僕も君の意見を取り入れてみようと思ったのだ。まあ、君風に言うのなら、こうかな。


「……」


 リリーの青ざめた表情を確認し、心底嬉しそうな表情を浮かべるアシュ。彼の得意としているのは、解剖。それは、生物の身体だけじゃなく心の解剖もまた。今、彼女の心の表層を1つ取り払った、このまま、ゆっくり。しかもなぶるように。


「素晴らしいじゃないか。過去の努力や栄光を『どうでもいい』と斬り捨て、『現在の私を見ろ』と君は言ったわけだ。だから、僕は現在の君を見たわけだよ。君の言ったとおりにね」


「……そんなつもりじゃ」


 リリーの瞳から涙が溢れてきた。アシュの言葉を聞くまいと必死に心を塞いでいたが、言葉のナイフは容易にそれを剥ぎ取っていく。


「僕の前にいる現在の君は、みじめな敗北者であり、愚か者だよ」 


「……だって」


 リリーがボソッとつぶやいた。


「なんだい? 反論があったら、どうぞ? このままでは君は退学になってしまうからね」


 笑顔を浮かべてアシュが発言を促す。


 幸せだった。この小生意気な美少女が苦痛に歪む表情を浮かべるのが。もっと、もっとあがけ。もっと、もがいて反論して自らを追いつめろ。僕はそれを全て論破して君の苦痛を引き出してやる。


「あなただって……あなただって失礼なことを言ったじゃない!」


「ふむ……失礼な発言? それは、申し訳なかった。しかし、僕は何と言ったかな? 差し支えなければ教えていただきたい。場合によっては退学を撤回させて頂く」


 その発言で、少しリリーに力が戻った。


「ライオール理事長に向かって『老いたな』って! 理事長は全然気にしないでって言ってくださったけど、すごく失礼だと……思います」


 後に付け足した敬語に、彼女の気おくれが見て取れる。論点がずれてるのはわかっている。でも、なにか言わずにはいられなかった。


「その発言の何が失礼なんだい?」


「……え?」


 アシュの問いに思わず聞き返すリリー。


「ライオールに老化現象が見られた。だから、僕はそれを口にした。それのどこが失礼だというんだ?」


 サディスト魔法使いの物言いは批判するでもなく、純粋なる疑問だった。


 もちろん、演技である。


 そうした方が、リリーがより傷つくことを理解していた。潔癖で高潔であろう彼女に自ら背けたくなるような穢れを見せる。


 さあ、見せておくれ。君の表情かおを。

 

「……」


 なぜ……なぜ……リリーの脳内でぐるぐるぐるぐる、何度も何度もそれは回った。なぜ失礼だと思ったのか。そして、たどり着く答えが自身の望むものではないことはわかっていた。


「……まあ、積極的な姿勢はいいことだ。たとえ、それが無考慮な発言であっても。さて、続けよう。君が放った感情的な一言を僕が倫理的に説明してあげよう」


「……」


 リリーは冷や汗が止まらなかった。もし、自分の出した回答と同じであったら……もう、反論などしようもない。


「僕は先ほどの発言について考えていたんだよ。なぜ、君が僕を失礼だと非難したのか。そして、一つの結論にたどり着いたんだ。ああ、君は老いを『衰え』だと見なしているんだなと」


「……」


「老いは変化だ。万人に起こる現象だ。それを衰えだと捉え、起こっている事実に関して失礼だと。生きていることは、老いるということ。生きていることが失礼だと。そんな凄く傲慢で、歪んだ、醜い考えを本能的に考えたわけだ。そうではないかな、リリー=シュバルツ君?」


 もう反論する力が残っていなかった。でも……こんな奴にだけは絶対に涙など。そうやって、何とかそれを堪えるので精一杯のリリーだった。しかし、そんな自分の傲慢さと卑しさを自覚し、恥ずかしさ、悔しさ、情けなさが体中からこみ上げる。


 見かねたライオールがリリーの両肩を抱いて背を向けさせた。


 せめてもの幕引きである。


「リリー君。もう、今日は帰りなさい。君の処遇に関しては追って連絡する」


「……ぁい」


 力を振り絞った返事は声にもならない。リリーは、肩を震わせながら教室から出て行った。


「おっと、もうこんな時間だね。じゃあ、ごきげんよう」


 心底スッキリした表情を浮かべてアシュは教室を後にした。


 廊下を満足げに歩きながら、


「ミラ、どうだったかね?」


 と、尋ねる。


「……大陸史上最悪の授業でした、とだけ言わさせていただきます」


 執事は、淡々と、答えた。


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