女帝


          *


 陽が出るより早く、野鳥の鳴き声でリリー=シュバルツは目が覚めた。


 ベッドからそのスラリと細い足を出し、腕を大きく伸ばして伸びをすること数回。それからパシッと強めに頬を叩き、意識をハッキリとさせる。鏡台の前に到着するまでに陽光に照らされ輝く金髪を手櫛で直し、冷水を入れた桶に躊躇なく顔を入れる。


「……ぷはっ! 準備完了」


 タオルでぬれた顔を拭き、大きく深呼吸をした。ここまでで要した時間は30秒を軽くきるタイム。同じ15歳の女の子と比べると異常ともいえる行為が、リリーにとってのルーティーンであった。


 その後も、手早くバランスの取れた食事を済ませ、入念に歯を磨き、通学準備完了。


 ナルシャ王国のホグナー魔法学校は、国の発展を担う優秀な魔法使いを育てるべく設立された超名門養成所である。各地から有力な貴族が英才教育を施した子どもたちを送り込み、全寮制で集中的な魔法教育を行う。リリーが入学して一年。すでに、彼女の首席卒業を疑う者はいない。


 時計の針は5時ジャスト。授業の開始時間は8時30分。この寮から、ホグナー魔法学校までは徒歩5分。


 圧倒的なせっかちである。


 余った時間で、2か月後のカリキュラムの予習の復習。さらに、2か月後明日の授業の予習の予習。時間が余って2か月後明後日の予習。学校に入学して1年。授業と彼女の勉強の差は、日々拡がっていく一方だった。


 コンコンコン。


 優等生美少女が洋筆で一心不乱に魔法理論の証明を書き込んでいる中、部屋にノック音が鳴り響く。


「リリー、起きてる?」


 決して音量は大きくないが、透き通るような深い声が耳を捉えた。リリーがドアを開けると、少女が申し訳なさそうな表情を浮かべて立っていた。


 シス=クローゼ。一点の曇りもない湖の色を映し出したような藍色のロングヘアがそれより深く彩る同色の瞳と見事にマッチしている。その肌は、雪のように白く滑らかであり対峙するものは必ず目を見張るほどの美少女である。


「シス? どうしたの」


「……あの……ごめんなさい、風邪ひいちゃったみたいで」


「ええっ!?」


 すぐに駆け寄って額に手を当てると、平熱よりかなり熱い。リリーはすぐに向かいにあるシスの部屋に入って彼女をベッドに入れた。それから部屋にある毛布をすべて掛けて、バタバタと自分の部屋に戻って持ってきた毛布を更に数枚被せる。


「お……重いよリリー」


「風邪は冷やしちゃダメなの! それから、ええっと……ええっと……う゛――っ。ジュリア先生は融通が利かないからなぁ……」


 さっき整えた髪をぐしゃぐしゃにしながら、リリーは冷水につけたタオルを思いきり絞る。重病、重傷以外の治癒魔法は、校則で禁止されている。当然単なる風邪などはNG。新任魔法医であるジュリア曰く、『治癒魔法で治すと身体の抵抗力が弱くなるのであまり使わない方がいい』とのことだった。


 しかし、彼女自身納得しておらず、半年前風邪をひいた時に、寝込みながらも200枚分の反論原稿を徹夜で書きあげて提出したが、「あなたは阿呆ですか! 安静にしなさい!」と酷く怒られるという結果に終わっている。


「ゴホッ……リリー、悪いんだけど先生に欠席連絡してくれる?」


「それはもちろんだけど……私もいようか?」


「い、いい! 移っちゃうと悪いし、今日は初授業じゃない」


「……そうだけど」


 1年次の成績、適性からが選抜される2年次特別クラス。この二人も選抜されており、昨日リリーは例年担任を受け持つライオール=セルゲイがいかに素晴らしいかをシスに4時間ほど熱弁するほどの入れ込みようだった。


「行ってね。ねっ、絶対」


 シスはほんのり赤みがかった顔で微笑み、リリーの手を強く握る。


「……わかった。絶対安静ね、昼休みには一回戻ってくるから、あっジュリア先生後で呼んでくるから、今から病人食作るからちょっと待ってて、着替えはこまめに替えなきゃ駄目よ」


 しゃべりながら、手を動かしながら、走りながら、忙しくせわしく落ち着きなく着々と準備をする超せっかち美少女に、シスは思わず笑みをこぼす。


「まったく……もう少し早く言ってくれれば。ああ、もう時間が」


 時計の針はすでに8時25分を回っていた。


「リリー、行って。私はもう大丈夫だから」


「……わかった。じゃあ、行ってき……ああっ、忘れてた!」


 思い出したように叫び、一回深呼吸し息を整える。胸に手を押さえながらひざまずき、アリスト教徒の証である十字をきって祈る。


 数十秒沈黙を保ち、やがて翠玉エメラルド色の瞳を開く。


 毎日、どれだけ忙しくとも、朝の祈りだけは欠かしたことがない。シュバルツ家はアリスト教に所属しているが、リリー自身はそこまで信心深い方ではなかった。しかし、なぜか彼女自身その祈りに不思議と温かいものを感じていた。


「じゃあ、行ってきます」


 シスの方へ振り向き、一瞬にも満たぬ速さでそのまま背中を見せて全力で走り去って行った。





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