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 まずは屋外ステージでオープニングセレモニーが開かれた。マユリは校庭の立入禁止エリアの境界線を警備しながら、それを眺める。文化祭当日だというのに、弱小野球部が練習に精を出しているため、来場者が近づかないよう注意しなければならない。

 セレモニーは実委会長小林芳阿のアイサツもそこそこに、さっさと終わった。すぐにオープニングライブへと移る。一番手を務めるのは〈クラップ・ユア・ハンズ〉、ピーター率いる軽音部バンドだ。

 ピーターはいったんステージから姿を消し、1分ほど経ってからバンドメンバーを引き連れて、ふたたびステージ上へ。現れた彼の姿を見て、なぜわざわざ一度ステージから降りたのか理解した。

「こちらカーリー。どなたか応答してくださいっ」

『こちらニブズ。どうしたカーリー? 不審物か何か見つけたか? どうぞ』トランシーバー越しからでも、彼が笑いをこらえているのがわかる。

「こちらカーリー。不審物どころかむしろ自然すぎてヤバイです。何がヤバイって女子としてのプライドが粉々に砕け散りそう。何なんですかアレ? おかしいですよ……絶対おかしい……」

 ステージにでギターを抱えて立つピーターは、なんとセーラー服姿だった。念のため付け加えると水兵ではなく、女子高生のほうである。スカートはかなりのミニで、スラリとした生脚を惜しげもなくさらしている。下着は見えそうで見えないが、いったい何をはいているのだろうか。髪はウィッグでツインテールになっていて、胸には特に何も仕込んでいないようだ。

 どこからどう見ても、貧乳の女子にしか見えない見事な女装。むしろ女子よりも女子らしい。何かイケナイモノのような、えも言われぬ妖しい色気がある。

『おどろいたか? 彼女こそ三高がほこるアイドル、宇宙のはるか彼方クラプトン星からやって来たエレキの妖精、謎の美少女ギタープレイヤーティンカー・ベル略して謎のティンクだ』

「とりあえず宇宙人なのか妖精なのかハッキリしてください」

 謎のティンクはマイクに向かって叫ぶ。「みんなー! 今日はあたしのライブに集まってくれて、どうもありがとーッ! 精いっぱい歌わせてもらうからァ、応援よろしくゥーッ!」

 観客から絶大な声援が巻き起こる。校庭に響きわたるティンクコール。文化祭は始まったばかりだというのに、盛り上がりは最高潮。テンションマックスだ。

「いいよォ、熱くなってきたよォ! じゃアさっそく一曲目いってみよーッ! クリームで『ローリン・アンド・タンブリン』!」

 素人のバンドというのは往々にして、楽器の演奏はそれなりに上手いのだが、ボーカルの声量が足りず負けがちだ。その点、エリック・クラプトンポジションのピーターと、ジャック・ブルースポジションのベーシストはなかなかのものだった。むろん楽器がヘタクソというワケでもなく、高水準で安定している。ジンジャー・ベイカーポジションのドラマーもすばらしい腕前。

 ライブを最後まで聴いていきたいのはヤマヤマだったが、開場直後の混乱も落ち着いてきたようだし、この場は他班の警備スタッフにまかせて、マユリはパトロールへ移るコトにした。

 パトロールでおもに警戒するのは、女性来場者を狙った盗撮や痴漢だ。混雑しているとカメラが隠れて見つかりにくいし、すし詰め状態だと不可抗力を装って触ろうとする不届き者が出てくる。あまり頻発して防げないようだと入場制限や、チケット制を導入するコトになりかねない。来場者数3万人という目標を保てなくなる。

 それ以外にもあらゆるトラブルに対処するのが、警備班の役目だ。

『こちらトゥートルズ。軟式テニス部のたこ焼き屋で、イチャモンつけて暴れたチンピラを撃退。身柄は総務班へ引きわたしたよ。似たような連中がほかにも湧いてくるかもしれないから気を付けて』

『こちらスライトリー。迷子の女の子を保護した。保護者には校内放送でも呼びかけるけど、それらしき人物を見かけたら、総務班の迷子センターを教えてあげてくれ」

『こちらニブズ。管理棟1階の男子トイレで、忘れ物とおぼしきスマートフォンを発見。落とし主が戻って来るかもしれねえからしばらく待機する』

『こちらツインズ』『たいへんだ!』『理科棟二階で硫黄臭のする煙が』『化学実験室から発生』『廊下に充満してきた』『チョットしたパニックが起こりかけてる』『至急応援よろしく』『どうぞ』

「こちらカーリー。現在、特別教室棟の3階です。ツインズ、今からそちらへ向かいます」

 9割がたが幽霊部員の化学部だが、数少ないマジメに活動している部員は、かなりの変人ぞろいだ。1に爆発、2に爆発、芸術は爆発だと言わんばかりに、とにかく爆発する実験しかやろうとしない。ペットボトルロケットを飛ばすなら、空気ではなくアセチレンガスを充填して点火するアセチレンロケット。砂糖に硫酸を加えて煙を発生させるお手軽な砂糖爆弾。三ヨウ化窒素を用いたハエが止まる程度の衝撃で破裂するハエ爆弾。塩素酸カリウムに種々の化学物質を加えるとハデな火を噴く、花火の火薬にも利用される炎色反応。液体窒素で凍らせた軟式テニスボールを、壁のターゲットに投げつけて破裂させるテニスボール爆弾。ちなみにこれらの薬品を購入する際は、部費ではなく授業の予算を流用しているらしい。顧問いわく、授業でも使う名目なら問題ないそうだ。

 現場に到着すると、廊下には硫黄くさい煙がただよっていた。しかし幸いというべきか、窓際でプールのシンクロを覗き見ていた人々が窓を開けていたので、すでにだいぶ煙が外へ抜け出たようだった。見物客はふたたびシンクロに夢中だ。

 化学実験室のほうにツインズの姿が見えたので、マユリはそちらへ向かった。入り口に『KEEP OUT』の黄色いテープが貼られていたが、その下をくぐり抜ける。

「どうやら応援は必要なかったみたいですね」

 するとツインズはあわてた様子で、「いけない!」「そこで止まって!」「なかに入っちゃダメだ!」

「エッ?」一歩足を踏み入れたとたん、上履きの裏で小規模な爆発が起きた。衝撃は比較的小さかったが、爆発音はそれなりのもので、マユリはびっくりして危うくひっくり返りそうになる。

「動かないほうがいいよカーリー」「ハエ爆弾だ」「さっきの砂糖爆弾で予想以上の煙にあわてた部員が」「うっかりハエ爆弾を床にぶちまけちゃったらしいんだ」

 ハエ爆弾は弾けると小さなカケラが飛び散って、それがさらに破裂してカケラをどんどん飛び散らせる。完全に反応を終わらせるには、徹底的に破裂させ続けるしかない。うっかり踏んづけて上履きに付着させようものなら、歩くたびに破裂して、そこらじゅうにハエ爆弾のカケラをバラまき、あちらこちらで2次被害を引き起こすコトになる。つい先日も、授業中の教室でイスに座った瞬間ハエ爆弾が炸裂する事件が発生、新手のイジメかと騒ぎになったばかりだ。

 こんな状態の実験室へ来場者を入れるワケにはいかないので、爆弾処理が完了するまでは封鎖せざるをえないだろう。素手に付着して爆発したばあいヤケドの危険もある。マユリは自分の上履きに付いたハエ爆弾を残らず破裂させるため、その場で何度も靴底を床にたたきつけた。これだけやれば大丈夫なハズだ。あとのコトはツインズにまかせて、校内のパトロールへ戻る。

 昇降口のあたりへ来たところで、篠崎萌芽に出くわした。「あ、マユリお姉さま。見ィつけたァ」

「ヒッ――ハジメちゃん、受験勉強はいいのっ?」

「今日は息抜きです。志望校の文化祭を見てヤル気アップも兼ねて」

「そ、そうなんだ。――あ、お兄さん呼んであげようか? こちらカーリー。ニブズ、応答してください」

「ああ、おかまいなく。あのトーヘンボクに用はないので。今日はマユリお姉さまに会いに来たんですから」

「相手してあげたいのはヤマヤマだけど、仕事がいそがしくって」

『こちらスライトリー。いいじゃないか、案内してあげるといい。パトロールしながらだったら問題ない。どうぞ』

「なに盗聴してるんですか!」

『人聞きが悪い。トランシーバー越しに会話が聞こえてるんだ。スイッチ押しっぱなしなんじゃないか? どうぞ』

 言われて気付いたが、無意識にトランシーバーを握りしめていて、スイッチが押されたままだった。あわててスイッチから指を離す。

「案内とか、べつに気づかっていただかなくてもけっこうですよ。ただ警備班のお仕事を見学させていただいても? お姉さまのうしろをついて歩くだけでかまいません」

「……まァそれでハジメちゃんが満足ならいいけど」

 拒絶したところで、きっとこちらの言うコトを聞いてはくれないだろう。だったらさっさと折れておいたほうが得だ。よけいな労力を使わずに済む。

「もしかしたら危険に巻き込まれるかもしれないけど、そのときはわたしのうしろへ隠れてね。万が一ケガでもさせたら、お兄さんに顔向けできなくなるから」

「またまたァ、そんなおおげさな。しょせんは高校の文化祭でしょう? いったいどんな危険が起こるっていうんです?」

『こちらトゥートルズ。出店通りでラグビー部のたこ焼き屋とサッカー部のやきそば屋が、客引きでもめて一触即発のフンイキだ。どうしよう? コトが起こる前に制圧すべき? 助言求む。どうぞ』

「こちらカーリー。サッカー部の連中っていつもスカしててチョーシ乗ってるんで、やっちゃっていいと思います。どうぞ」

『こちらスライトリー。カーリーに同意する。あと乱闘が起きるとケガ人がどれだけ出るか予想もつかない。来場者も巻き込まれる可能性がある。だったら先にノしちゃうのも手だ。どうぞ』

『こちらトゥートルズ。了解。これより制圧行動に移る。以上』

「――高校の文化祭がなんだって? ハジメちゃん」

 萌芽はうろたえた様子で、「いえ、なんでもありませんわ」

「しばらく出店通りには近づかないほうがよさそうだね。行っても足手まといになるだけだし」

 人混みをかき分けながら廊下を進む。硬式テニス同好会のオバケ屋敷前で、無秩序な列が通行を阻害していたので、手が空いている警備スタッフを呼んで列整理をさせた。体育館の屋内ステージで、演劇部がエーリヒ・ケストナー『飛ぶ教室』が上演されていた。なんとピーターがサプライズで出演し、シュテッカー役を演じていた。出番は少ないがクライマックスで見せ場があり、それがシャレにならないくらいハマリ役だった。続けて応援部の演舞を観たがすごい迫力で、新入生には応援部が校歌および応援歌の指導をおこなうのだが、マユリの脳裏にそのときの恐怖がよみがえった。図書館でリサイクル本がたくさん置いてあり、マユリはジョージ・オーウェル『一九八四年』を、萌芽はレイ・ブラッドベリ『華氏451度』を取っていった。三年H組の団子屋がおいしそうだったので、1本ずつ買って萌芽と食べながら歩く。ゲート前へ来たところで、またルナと遭遇した。競泳水着にウサミミのバニーガール姿のままだ。

「あら、マユリちゃん。また会ったわね。そっちのかわいらしいお嬢さんは誰? マユリちゃんのカノジョ?」

「違います。ニブズ――篠崎センパイの妹さんです」

「ああ、言われてみれば確かに似てるかもだわ」

 萌芽は威嚇するようにルナをにらみつけながら、「マユリお姉さま。こちらのヘンタイはお知り合いですか?」

「ヘンタイって――」バニーガール姿に否定はできない。「いちおう警備班の仲間、かな?」

 ルナはあくどいほほ笑みを浮かべ、「アタシとマユリちゃんは、実のところただならぬカンケイなのよ」

 マユリはあわてふためく。「チョット何言ってるんですか! そんな誤解をまねくようなコトを!」

「マユリちゃんは、アタシのカラダの文字通り隅から隅まで知ってるの。足の指先から頭のてっぺんまで。マユリちゃんに見られてないところなんか、どこにもない」

「わ、わたしだって、お姉さまといっしょにお風呂入りましたし」

「あ、そ。でもお風呂でハダカって、べつにフツーよね」

 萌芽はわなわなと総身をふるわせて、歯を食いしばり拳を握りしめる。「お姉さま? どうやら悪い虫がついているようですのね? ここはわたしが駆除してさしあげますわ」

「いや落ち着こうハジメちゃん! そんなこわい顔してないでさ、ほら見て! 向こうにバスケ部のクレープ屋があるよ!」

「お姉さまは下がっていてください」萌芽はまったく聞く耳を持ってくれない。せめて団子の串だけは危ないのでムリヤリ奪い取った。

 年上が大人になってくれればいいものを、ルナも何だか悪ノリして――というか下心ミエミエで、「おお? アタシとヤル気? だったら屋上へ行こう。そこなら誰のジャマも入らないわ」

「いいでしょう。望むところですわ。どうやら篠崎家の女に代々伝わる護身殺法を披露する日が来たようですわね」

「アタシはタックルからの寝技が得意なの。どうしてそれを親切に教えるかっていうと、絶対にかわされない自信があるから、押し倒してから、タップリかわいがってアゲル」

 ふたりはマユリを放置して、人混みのなかへ消えてしまった。

「……こちらカーリー。わたしを争って美少女ふたりが、夕焼けの屋上で決闘しようとしてるんですが。どうぞ」

『こちらニブズ。なんつーうらやましいシチュエーションだそりゃア? リア充爆死しろ! どうぞ』

『こちらツインズ』『いっそカーリーもキャットファイトに交ざったら?』『きっと楽しいよ』『どうぞ』

『こちらトゥートルズ。ケガする前におれが止めとくよ。どうぞ』

「こちらカーリー。しばらくおネンネさせちゃってください。以上」

 なんでこんなコトになっているのだろう――マユリは深々とため息をついて、仕事しようと気を取り直した。

 その前に、手に持っていた串をゴミ箱へ捨てよう。設営班があちこちに備え付けてくれたおかげで、ゴミ捨てには困らない。これまでパトロールしてきたあいだも、ポイ捨ては発見していなかった。

 ――と、ゴミ箱に串を放り投げたところで、何か視界に気になるものが映った。ゴミ箱のなかに、不自然なものが捨てられている。手が汚れないよう気を付けつつ、手を突っ込んでソレを拾った。

「……サイフ? でもなんで捨てられて……」

 中身を確認してみると、小銭もお札もカラだった。ポイントカードやなんかが入れっぱなしだから、サイフがいらなくなったとは考えにくい。PASMOに印字された名前を確認すると、どうやらクラスメイトの男子の持ち物らしかった。確か実委の宣伝班に所属しているハズだ。

「こちらカーリー。ゲート付近のゴミ箱にサイフが捨てられているのを発見しました。PASMO、ポイントカード類は残っていますが、現金が1円もありません。これはもしかして――」

「ふむ、これはスリのしわざか」背後から耳の近くでささやかれて、マユリは心臓が飛び出しそうになった。「イキナリおどろかさないでくださいよ」

 振り返ると、もとの学ラン姿に戻ったピーターがいた。その凛々しく真剣なまなざしに、さきほどまでの女装とのギャップでマユリは思わずめまいがした。

「スリがカネだけを抜き取って、いらなくなったサイフを捨てたのかもしれない。それにサイフは物的証拠になってしまうし」

「…………」

「カーリー? 聞いているのかね?」

「あ、すみません。スリのしわざって話でしたね――って、エッ? スリ? スリってあのスリですかっ?」

「スリと言ったらスリに決まっているだろう。ひとのふところからサイフを拝借する不届き者さ」

 そこへ通信が入った。『こちらトゥートルズ。管理棟3階廊下のゴミ箱でサイフを発見。ポイントカード類はそのままで、現金だけが抜き取られてる。どうもスリの可能性が高い。どうぞ』

「こちらカーリー。実はこっちも似たようなサイフを」

『なんだって?』

『こちらスライトリー。話を聞いて目の前ゴミ箱をあらためてみたら、案の定だ。現金の入ってないサイフをふたつ発見』

『こちらツインズ』『こっちにもひとつあったよ』

『……こちらニブズ。やられたぜ。俺様のサイフが盗まれた』

 マユリは思わずギョッとした。今起きている事態よりも、ピーターのかつてないほど凄絶なほほ笑みに。

「三高を狩場に選ぶだけではあきたらず、実委を標的にするとはイイ度胸だ。われわれが教育してやろうじゃアないか」

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