第4話 イエスタデイ・ネバー・ダイ
001
9月の第1土曜日。ついにこの日がやって来た。三芳野高校文化祭初日。前日の準備合宿から一夜明け、開場まで残すところあと3時間を切っている。
正門前では、ゲート班が血走った眼をしながら、朝っぱらからカナヅチとノコギリのオーケストラ。ゲートの完成が開場ギリギリになるのは、毎年恒例だ。とはいえ夏休み前から作り始めているのだから、もう少し何とかならないものかと思う。もっとも、眠気をこらえるためにミントタブレットをジャンキーのごとく頬張るゲート班の面々を見ていたら、それが正論だろうと言葉に詰まる。実際ゲートを作り上げてきたのは彼らだ。部外者が口を出すコトではない。
寝不足という点は実委のどの班にも言えるコトだが、準備の進行具合にかかわらず眠れないのは、警備班くらいのものだ。なにせ合宿夜のパトロールこそが、彼らの発足理由なのだから。若い男女がひとつ屋根の下で一夜、どころか3泊4日過ごすとなると、どんな間違いが起きるかわかったものではない。そのため、警備班は夜通しで校内をパトロールする。
交代で仮眠するようにはなっているが、今年は例年よりもメンバーの数が少ないので、どうしても睡眠時間は少なくなる。特に、初体験でまだ慣れていないマユリにとってはかなり過酷だ。文化祭が始まる前から、すでに
だがこうして夜が明けたからには、ひとまず不純異性交友の危機は去ったというコトだ。開場したら会場警備でまたいそがしくなるだろうが、それまではひと息つけるハズ――。
そこへスライトリーがやって来て、「カーリー、パンフレット班から人間を数名適当に集めて、向かいの三芳野小学校の校庭へ行ってくれ。そこで30分後からシンクロの入場整理券の配布がある。配布は水泳部のスタッフがやるから、列整理のほうを頼む」
「……サーイエッサー」
「それと、今のうちにこれを渡しておく」
マユリはトランシーバーを手に入れた!
「開場したら人混みがすごくて、イチイチ合流してられない。今後はこれで連絡を取り合うように」
「サーイエッサー」
「使い方は知ってるかい? ここのスイッチを押しながら話すんだ。語尾に『どうぞ』を付けるのを忘れずに」
「サーイエッサー」
「オッパイさわっていい?」
「サーイエッサー――じゃなくてサーノーサー! ダメですダメ!」
スライトリーは苦笑して、「ずいぶんひどい顔してるぞ。サッと顔を洗って来たら? それと早めにカフェイン錠を1粒飲んでおくといい。アタマがスッキリする。いいかい? そのハッピを着ているかぎり、ボクらは文化祭の顔なんだ。それが半死人みたいな形相じゃア、来場者が心おきなく楽しめないだろう?」
「――スライトリー」
「なんだい?」
「わたし、汗臭くないですかね?」
スライトリーからほんのりすっぱい臭いが漂ってきたので、必死に意識の奥底へ抑えつけていた疑問がとうとう噴出した。9月に入ってもまだまだ残暑は厳しい上、昨夜は仮眠時間を少しでも多く確保するため、シャワーも浴びている余裕がなかった。せっかく女子には合宿所の大浴場が開放されているのだが。
「中途半端ななぐさめは聞きたくないだろうから、ここはハッキリ言おう。なんかケモノみたいな臭いがする」
「うへえ……」
「整理券の配布が終わったら、開場まで少し休憩を取るといい。シャワーくらい浴びる時間はあるさ」
「すみません。気をつかわせて」
「いいってコトさ。せっかく女子メンバーが加わって華やいだと思ったのに、その花がラフレシアってのはチョット――おっと、今のは失言だったか。聞かなかったコトにして」
マユリは満面の笑みで、「あとでやきそばおごってくださいね」
合宿所へ戻って手早くシャワーを浴び、汗で汚れた服を着替えた。それからパンフレット班で手が空いている人員を数人徴収し、小学校の校庭へ向かった。
校庭では、先に水泳部のスタッフが待機していた。整理券目当ての人間もすでにいくらか集まり出している。
シンクロを披露するのは男子部員だけで、女子部員は裏方に徹する。この場にいる水泳部のスタッフも全員女子だった。
「アラ、マユリちゃんじゃない。アタシに会いに来てくれたの?」
「違います」
そのスタッフのなかに、井上ルナがいた。なぜか競泳水着姿で、頭にウサミミカチューシャを着けている。何とも雑なバニーガールだ。
「そんなカッコで恥ずかしくないんですか?」
「愚問ね。恥ずかしいに決まってるわ。でもそれがいいんじゃない」
「……まァ、客寄せパンダにはちょうどいいかもですね」
整理券の配布を始めるころには、かなりひとが集まっていた。チャント1列に並んでもらえるよう誘導して、混乱が起きないように努める。
この暑さのなかわざわざ行列に並ばなくても、理科棟2階より上の窓からプールを一望できる。むしろ泳ぎながらおこなうマスゲームを見るなら、上から眺めたほうがいい。実際、例年理科棟の窓際はシンクロを覗き見する来場者で混雑し、夢中になって警戒心が薄れたスカートのなかを盗撮する不届き者が現れるまでがセットだ。
しかし、三高水泳部が誇るオトコのシンクロの醍醐味は、むしろプールサイドに上がっておこなう陸ダンスにこそある。半裸の男子高校生たちが観客の目前まで迫り、プールの水だか汗だかわからないものを飛ばしながら、若干エロチックに激しく踊り狂う――あの興奮は、遠くから眺めるだけではけっして味わえない。
無事に整理券を配り終えて学校へ戻ると、ゲートの前でゲート班がバンザイ三唱していた。どうやら開場前に完成へこぎつけられたようだ。しばらく狂ったようにバンザイをくりかえしていたが、そのうちバタバタ倒れて眠りはじめてしまった。
マユリはさっそくトランシーバーを使った。「こちらカーリー、ゲート班が正門前で爆睡中。もうすぐ開場なのにまずいです。運び出すのに応援を要請します。どうぞ」
『こちらニブズ。そんなんテキトーにたたき起こせばいいだろ。水でもぶっかけろ。以上』
『こちらトゥートルズ。今からそっちへ、吹奏楽部から七人のトランペット奏者が行くよ。以上』
「こちらカーリー〝七つのラッパを持っている七人の天使たち〟ってワケですね。どうぞ」
『こちらトゥートルズ。自覚ないだろうけど、寝不足で相当テンションおかしくなってるよカーリー。以上』
到着した七人のトランペット奏者が起床ラッパを吹くと、ゲート班の面々は死人が生き返るように起き上がり、休憩所の空き教室へゾンビのようにノロノロと歩いて行った。
そうこうしているうちに、いよいよ開場のカウントダウンが始まった。校内放送で、実委会長であるピーターの声が流れる。
「それじゃアみんな、準備はいいかァ? じゅー、きゅー、はーち、ななー、ろーく、ごー、よん、さん、にー、いち――第70回三芳野高校文化祭、開場ォ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます