009

 今夜、井上ルナを校舎の屋上へ呼び出した。校舎の屋上は立入禁止で常に施錠されているが、侵入した形跡がないか調べる名目で、警備班は合鍵を管理しており、自由に使える。また学校付近はほかに高い建物がない。夏休みの夜中ともなれば誰に見とがめられるコトもなく、会話を聞かれる心配もない。密談にはもってこいだ。

 約束の時間通り、ルナは姿を現した。ちょうど雲から出た青白い満月が、スポットライトのように彼女を照らす。

 雰囲気にあてられたか、ルナは芝居がかった口調で、「〝不思議な月だな、今宵の月は。さうであらう、不思議な月ではないか? どう見ても、狂女だな、行くさきざき男を探し求めて歩く狂つた女のやうな。それも素肌のまゝ。一糸もまとうてはをらぬ。さきほどから雲が衣をかけようとしてゐるのだが、月はそれを避けてゐる〟」

 ピーターは神妙な面持ちで、「井上ルナさん。呼び出された理由は、すでに察してると思うが」

「……最近、アップした動画がやたら削除されると思ったら、ヤッパリ警備班が裏で手をまわしてたのね」

「単刀直入に言おう。自撮り動画をアップするのを、金輪際やめてくれたまえ。キミの軽率な行動が、三高の長きにわたる伝統を、途絶の危機にさらしている」

「ことわる、と言ったら?」

 ニブズは苛立ちもあらわに、「何言ってやがるクソアマ。てめえに選択肢があるとでも――」

「少しだまっていてくれニブズ。井上さん、理由を訊いても?」

「悪いコトだっていうのはわかってる。だけど、露出はアタシのストレス発散法なの。うちの両親は厳しくて、成績にうるさいのよ。以前一度だけ日本史でヤマを外して、見たこともないヒドイ点数を取ったコトがあるんだけど、そのとき両親がどんな反応をしたと?」

「こっぴどく叱られたかね?」

「むしろその逆。やさしく慰められて、励まされたわ。何かの間違い、きっと調子が悪かったんだろう、たまにはそういうときもある、次で取り返せばいい、ダイジョーブ、あなたはやれば出来る子なんだから――少し違う。アタシはやらなければ出来ない子なのよ。そんなアタシが三高でイイ成績を取り続けるのは、ホントに大変だしツラい。もしも露出ができなくなると、きっとアタシは耐えられなくなる。こわれちゃう。その確信があるわ。だったらいっそのこと、ここから飛び降りて自殺してみるのもいいかもね。ああ、何なら文化祭の夜のほうがいい?」

 マユリはアタマをかかえたくなった。ピーターが言っていた面倒とは、このコトだった。考えてみれば当然だ。あれだけ熱心に、病的なまでに自撮り動画をアップロードし続けていたのだ。もはや依存症に近い状態なのだろう。どんなに悪いコトだと自覚していても、ひとに言われたからといって、やめられるワケがない。

「水泳部に入ったのは、露出の延長線上かね?」

「ええ。勉強時間を削るだけの価値はあるわ。一番ハダカに近い姿で、合法的に見られるコトができるなんて。シーズン中なら授業も水着で受けられるし。――ああ、そうそう。そっちの女子、花崎さんよね? うわさには聞いてるわ。水着で授業受ける同志。もしかして、あなたもお仲間?」

「ち、違いますっ。わたしはただ暑さをしのぎたいだけで」

「あ、そ。それはザンネン。でも、実は興味があったりして」

「ありません!」

「そうは言うけど、だったらノーパンノーブラなのはなぜ?」

 驚愕した男子たちの視線が一斉に集まる。

 マユリはしどろもどろになりながら、「い、いったい何をおっしゃられているのやら? わたしにはサッパリです」

「ときどきほかの部員が帰ってから、コッソリ全裸でプールを泳いでいるのだけど、よければ花崎さん、あなたもいっしょにどう?」

「けっこうです。おひとりでどうぞごゆっくり」

「話を戻してもいいかね? キミは露出をやめる気はないと。そこは理解した。しかたがない。だがああいう盗撮仕立てで、被写体が三高生だと特定できるような動画を上げるのは?」

「以前にただハダカになった画像とか動画をアップしてみたコトもあるのだけれど、イマイチ反応が薄いのよね。あれなら隠れながら外で露出するほうがマシ。それが今のやりかたにしてから、再生数がうなぎのぼりになったの。あと盗撮風にしたほうが、疑似的に直接見られてる気分になれて、すごく興奮する」

 ルナは荒い息を吐いて、小刻みにカラダを震わせた。

「ふむ。ちなみに、見られる相手は異性でないとダメなのかな?」

「そういうワケでもないわ。本来ハダカになるべきじゃない場所で見られるなら、べつにオトコじゃなくてもかまわない。トイレも同じ。フツーはひとに見せる場面じゃないし」

 マユリはなぜだか、急にイヤな予感がした。背筋を怖気が走る。

「ナルホドナルホド。だいたいわかった。だったら、こういうのはどうかね? 交換条件だ」

「ピーター?」

「キミが盗撮風動画をアップロードするのをやめてくれたら、代わりに屋上の合鍵をプレゼントしよう。放課後、日が暮れてからなら、この場所でハダカになってもかまわない」

 その予想だにしたなかった発言に、ピーター以外の警備班メンバーはみなあっけにとられた。

「屋上の出入りが学校側に許されているのは警備班だけだから、名目上キミも一員になってもらうコトになるが」

「話聞いてた? アタシが超多忙な警備班でやってけるとでも?」

「あくまで名目上だ。もしかしたらたまに協力を要請するかもしれないが、実際受けるかはそのときの都合でいい。言わば別動隊だ。コードネームはそうだな……〈マーメイド〉とでもしておこうか」

「オイオイ……いいんスか? どうなっても知らねえッスよ俺様は」

「背に腹は代えられないさ」

「魅力的な提案だけど、暖かいうちしか使えないのがチョットね」

「提案はもうひとつある。時間の許すかぎり、うちのカーリーを貸し出そう。思う存分見られてくれ」

 唐突におのれの名を出され、マユリはおどろきのあまり絶句した。

 ルナは幼女のようにハシャいで、「いいわねそれ。何なら彼女をこちら側へ引き込んでも?」

「やれるものなら。キミが上級生だ。後輩を教え導きたまえ」

 ようやく言葉を取り戻したマユリは、「チョ、チョット待ってくださいピーター! なんてコトを勝手に約束してるんですかっ」

「カーリー、これも三高の伝統を守るためだ。さすがに男子がその役目を引き受けるワケにはいかないだろう? 何かあったら困る」

「いやいや、オンナ同士だってヤバイですから!」

 ニブズは遠い目で、「おまえホントそういう人種に好かれるよな」

 ルナは嬉々とした声色で、「さっそくだけど、今からでも?」

「もちろんだ。そのためにこの場所へ来てもらったんだから」

 マユリは絶叫した。「最初からそのつもりで! わたしをイケニエにする気だったんですね! どうして事前に一言――」

「だって、言ったらキミ逃げそうだったから」

「この鬼畜ゥ! 悪魔ァ!」

 もはやピーターは視線を合わせようとさえしない。「さて男子一同、興味津々なのはわかるが、われわれはここいらでおいとましよう。あとはふたりでごゆっくり」

 それだけ言い残して、男連中はそそくさと立ち去ってしまった。

 出入り口の前にはルナが立ちふさがっている。逃げ道はない。

「今このとき、ここはエデンの園よ。服なんて野暮」ルナはまず手始めに、スカートをおろした。「見て。アタシを見て。そしてあなたも脱いで。アタシが見てあげる」

「ヒィ――ッ! やめて! こないで! あっち行ってよォ!」

 蛇の誘惑に、イヴは禁断の果実を――

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