007

 翌日マユリが昼休みに化学部部室へ行くと、トゥートルズがまたやきそばを食べていた。言うまでもなく、愛刀の切腹竹光もすぐそばに立てかけてある。

「――すごかったです。昨日のノロちゃんセンパイ」

「惚れた?」

「いや、そこまでではないです」

「あ、そ。そいつはザンネン」

 マユリは意を決して、昨日のうちに尋ねられたなかった疑問を口にする。「センパイはどうして、剣道部へ入部しないんですか? せっかくそんな強いのに……」

 トゥートルズはせつなげに、「あいにく試合向きじゃないのさ」

「あれだけ隔絶した実力なら、向き不向きとか関係ないと思いますけど」

「……ある大会の個人戦でのコトだ。おれは試合開始してものの数秒も経たず、対戦相手から面を二本先取で圧勝した。だけど試合終了のあと、審判のひとりがおれのところへ来て、こう尋ねたんだ――旗はチャント挙がってたかって」

「ハァ? 何ですかその質問」

 剣道では一本入ると、審判の指示で仕切りなおしてから二本目を始める。面あり二本先取で試合を終えておいて、旗が挙がっていたかなんて愚問だろう。

「それで、センパイはなんて答えたんですか?」

「おれは試合になると、無我の境地なんて大層なレベルじゃないけど、アタマのなか真っ白になって何も考えられなくなるタチなんだ。反射神経だけで戦ってる。それは一本目のあと仕切りなおすときも同じ。面ありの声を聞いて、有効の旗が挙がったからこそ、おれは開始位置に戻って構えたハズだし、二本目も取れたと思った。だけど意識して反応してたワケじゃない。だからおれは、審判の質問に対して、正直にこう答えたよ――よく憶えてないって」

 そういう経験は確かにマユリにもある。気がつくと試合が終わって、チームメイトに言われてようやく勝敗を知るなんてコトはザラだった。

「バカだったよ。一応試合に勝ったコトは確信してたんだ。ただ旗が挙がっていたか、そこまで厳密に気にしてなかっただけで。そしてどういうワケか、再試合になった」

 なんだそれは? 意味不明だ。選手に自分の行動を訊ねて、判断をくつがえす審判がどこにいる?

「チャントした試合だったから、大人の審判が3人もいた。あとでたまたまビデオ撮ってたひとに映像を見せてもらったけど、おれの面に対して二本とも、3人そろって自信マンマンに旗を挙げてた。だっていうのに試合が終わってから3人そろって、自分が旗を挙げたかどうか自信が持てなくなったらしい」

「わたしには悪い冗談にしか聞こえません。どうしてそんなありえない事態が――」

 その理由にマユリは心当たりがあった。まさしく、昨日この目で見た光景がソレではないか。

「どうも審判たちは、おれがあんまり弱そうに見えたもんで、あっという間に面を二本先取して勝ち越したのが、現実の出来事に思えなかったみたいだ。そのせいでおれは再試合させられ、ヤル気もなくアッサリ負けた。それが中3の引退試合だった。いいかげん剣道を続ける気もなくなるさ」

「そんな事情が――ご、ごめんなさい。わたしったら無神経で」

「べつに気にしてないからいいよ。剣道はあきらめたけど、警備班ではおれの剣を最大限役立てられるから」

「……あの、無神経ついでに、ひとつおねがいしたいコトが」

「なんだい?」

「切腹竹光に触らせてもらっても?」

「いいよ。よく切れるから気をつけて」

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