006

 運よく口笛を吹いているところを捕まえられると思うのは、さすがに希望的観測だろう。そこでマユリは駄菓子屋のおばあさんに頼み、例の曲を歌ってもらって録音するコトにした。自分がオンチならば、ほかのひとに頼めばよいのだ。「わたしって賢いかも!」

 しかしおばあさんは持ち前の忘れっぽさで、すでにあの曲をまったく憶えていなかった。「わたしって、もしかしたら無能なのかもしれない……きっと出来損ないなんだわ……」

 ならば当初の決意どおり、あの口笛を吹いている人間を見つけるだけだ。もしくはあの日あの時間、駄菓子屋付近で犯人を目撃した者がいればいいのだが。

 とりあえず学校に戻って、まだ残っている生徒に聞き込みしてみたが、めぼしい成果は得られなかった。

 明日で木曜日だから、タイムリミットまであと2日しかない。しかも間の悪いコトに、明日明後日は合同部活動見学がある。クラスごとに2日間かけて、三高の部活動をすべて見学してまわるのだ。無秩序な入部勧誘を防ぐためのものだそうだが、今のマユリにとっては、ありがた迷惑以外のなにものでもない。とはいえ、トゥートルズにあらかじめクギを刺されている以上、サボるワケにもいかなかった。思えば、彼が言っていた授業以外のイベントとは、直接的にこのコトを指していたのだろう。

 1日目、マユリたちのクラスは運動部を見てまわった。陸上部、水泳部、蹴球部、野球部、ソフトボール部、軟式庭球部、硬式テニス同好会、籠球部、排球部、バトミントン部、ラグビー部、卓球部、柔道部、剣道部、空手部、弓道部、山岳部――一応マジメに見学してみたが、どこもイマイチしっくりこなかった。そもそも男子のみの部が多い上、みなハードな活動内容で警備班との両立が難しそうなところばかり。やはり入部するなら、ピーターと同じく文化部系にしておいたほうがよさそうだ。

 見学が終わったころには、もうスッカリ時間が遅くなっていた。聞き込みする対象の生徒たちも、ほとんど下校してしまった。だがまだ校内に残っている者も少なからずいる。マユリは彼らにかたっぱしから聞き込みする。

 壁新聞の最新号を貼っていた新聞部がいた。「うわさは聞いてるよ。大変だねェ。もしよかったら手伝わせてくれないかい? 新聞部の情報網を使えば、捜査も格段に進むと思うなァ。その代わり事件のコトを記事に――」

「おことわりします」

 新聞部員は舌打ちして、「ルーキーならいけるかと思ったんだけどな。おまえら警備班はいつもそうだ。伝統を守るって大義名分のもと、コソコソ暗躍する秘密主義者。ジェームズ・ボンドにでもなったつもりかよ?」

「チョットだまってくれませんか?」

「図星か? 反論したけりゃアしてみ――」「いいからだまって!」

 マユリは新聞部員の口を手でムリヤリふさぎ、耳を澄ます。

 かすかに、ホントにかすかだが、誰かが校舎内で口笛を吹いているのだが聞こえる――間違いない。万引き犯が吹いていた、あの曲だ。「キタキタキターッ!」

 マユリは音の聞こえるほうへ駆け出した。おそらく理科棟からだ。

 徐々に音が近づいている。ターゲットは動いていない。これならきっと追いつける。

 もし犯人ならば、その場で捕まえる。たとえ人違いだったとしても、そのときは口笛で吹いていた曲が何なのか訊き出せる。どちらに転んでも悪くない。

 渡り廊下を走り抜け、階段を2段飛ばしで駆け降り、たどり着いたのは化学実験室。

 出入り口の前で、彼は軽快に口笛を吹いていた。

 彼の正体に気付き、マユリは心底落胆する。「そこで何をやってるんですか? ニブズ」

「よォカーリー、思ったより来るのが早かったじゃねえか。ちょいとばかし見直したぜ」ニブズはひとをバカにしたようなニヤケ顔で言った。

「一応訊いておきますが、今の口笛は何の曲です?」

「捜査に苦戦してるみてえだな。そりゃアそうだ。ゆいいつの手がかりである曲が何なのかわからねえうえ、オンチすぎてひとに伝えるコトもできねえ。だが曲名さえわかれば、この状況を打開できるだろうになァ。――だが断る。ゼッタイ教えてやらねえ」

「つまり、わたしをコケにするためだけに、遅くまで校舎に残ってこんなふざけたマネを?」

「そうカッカするなよ。今のはチョットしたお遊びってヤツだぜ。おまえに用があったんだが、フツーに呼び出したんじゃおもしろくねえからな。粋な趣向だろ?」

「そうですかわかりました死んでください」

「まァとにかく俺様の話を聞け。カンチガイされちゃア心外だが、べつに俺様だって、好きこのんでおまえにイジワルしてるワケじゃねえんだぜ? 言い出しっぺはトゥートルズだし、あとからおまえを手助けするなって正式に指示したのはピーターだ」

「だから、センパイを恨むのは筋違いだと?」

「そんなのはどうだっていいさ。ただ、このままだとさすがにフェアじゃねえと思ってな」

「フェア?」

「タイムリミットが残り少ないってのに、部活動見学なんてよけいなコトに時間を使わされちまってる。それで課題をクリアできなかったとして、おまえは納得できるのか? その結果を受け入れられると?」

「それは――」

 確かにニブズの指摘通りだ。現に今もおのれの無力さを痛感する一方、情けないコトに、せめてあと少し時間があれば――と思ってしまっている。そんな自分を見透かされたようで、マユリはある意味ハダカを見られるよりも恥ずかしかった。

 そんな心中さえ見抜いてるように、ニブズは下卑た笑みを浮かべて、「なァに、これはおまえを気づかってるワケじゃねえ。単に、あとで未練がましく言い訳されるくらいなら、フェアな条件で完膚なきまでに敗北してほしいだけさ」

「……お気づかいありがとうございます」マユリは仏頂面で心にもないコトを言った。「だけどそうは言っても、ピーターから手助けは禁じられてるんですよね?」

「ああ、犯人につながるような情報を教えるのはNGだ。だからその代わり、タイムリミットのほうをどうにかしてやる。具体的には、明日の部活動見学に参加しなくてもいいようにしてやるよ」

「でも、トゥートルズがサボっちゃダメだって」

「アイツが言ったのは、おまえがまだ所属する部活を決めてなかったからだ。だが、さっさと入部先を決めちまえば事情は変わる。わざわざ全部活を見学してまわる必要はねえ。実際そういうヤツは例年いる」

「……だけど、入部先がそうカンタンに決まるなら苦労はしません」

「だからこそ、俺様がオススメの部活を紹介してやろうっていうのさ。警備班の活動に差しさわりのねえ部を」

「ホントですか」

「ああ。つってもコイツはどちらにせよ、おまえが部活動見学後にまだ入部先を決めてなかったとき、ピーターから紹介される手筈だったんだけどな。まァこのくらいのフライングはかまわねえだろ」

「で、その部活というのは」

「何を隠そう、化学部だ」

 意外な答えにマユリはおどろいた。化学部といえば、とても精力的に活動しているイメージだからだ。おととし文化祭で見に来たときも、実に多種多様な実験を見せてくれたものだ。

「さて、ここで問題だ。化学部の部員は何名だと思う?」

「エッ? せいぜい2、3名じゃないですか? 実際この前パトロールで見かけたときも、そのくらいの人数しかいなかったような」

「ハズレ。正解は47名だ」

 マユリは絶句した。それでは1クラスの人数より多い。今日見学した運動部と比べても、トップレベルの規模だ。

「ただし、そのほとんどが幽霊部員だけどな」

「そんなコトが許されるんですか?」

「三高が部活動原則加入なのはごぞんじのとおり。だが、現実にそれを遵守するのはむずかしい。向き不向きとか人間関係とか、いろんな事情で退部せざるをえなくなるヤツは出てくるし、そのタイミングが遅くなればなるほど厄介だ。上下関係が徹底された部で、上級生の新人はあつかいづらいし本人も肩身が狭い。たとえそうでなくとも、すでに形成された人間関係へ割って入るコトに違いはねえ。だがそんなとき、部員不足で存続すら危うい部があれば?」

「……つまり、数合わせに名義だけ貸した、実質的な帰宅部?」

「そういうこった。教師側も退部した生徒に入部をうながすのが面倒らしくてな、本人も知らねえまま化学部へ異動させられてる例もあるらしいぜ」

「それは、なんていうか……」マユリは言いよどんだ。

「決まりが形骸化してるって? ああ、そのとおりだ。もっとも俺様は、そういう現実に合わせた柔軟さがなけりゃア、伝統なんて生き残れねえと思うがね。必要から生まれるからこそ意味がある。必要とされねえ伝統には、一片の価値もねえ。守るコトと過保護になるのは違うのさ」

「…………」

「話を戻すが、現警備班のメンバーはおまえを除いて全員が、化学部に所属してるんだぜ」

「エッ? ピーターは軽音部だけじゃないんですか!」

「つーか、アイツは化学部部長だぜ。あと、スライトリーもほかに物理部、生物部、地学部を兼部してる。三高で兼部はめずらしくねえが、あのふたりはチョット異常だ。いやホント、土壇場で倒れたりしねえだろうな……」

 上には上がいる、なんてコトはアタリマエにわきまえているつもりだったが、マユリはあらためて実感した。このどうしようもない敗北感と劣等感。はるか彼方の背中に追いつける気がしない。

「まァそういうワケで、俺様は化学部をオススメするぜ。実質帰宅部とは言ったが、みんな最低週一は顔を出して実験したりだべったりしてる。息抜きにはちょうどいい。もし警備班をやめるコトになったら、マジメに部活動するにも向いてるし」

「ニブズっていつも一言多いですよね」

「何が?」

「わからないならいいです」

「それでどうする? べつにこの場で決めろとは言わねえが、遅くても明日の部活動見学までには決断しろよ。じゃねえと意味がねえからな」

「……考えておきます」

「今日はもう遅いし帰れ。明日に備えてメシ食って寝ろ。何なら駅まで送ってやろうか? お嬢ちゃん」

「けっこうです」

 ニブズからの提案は、今のマユリにとってけっして悪くない。彼にしては妙にやさしい気もするが、あくまでマユリの言い訳を封じるためらしいし、受けておいて損はないだろう。

 けれども、なぜだろう? 小骨がノドに引っかかっているような違和感をぬぐいされないのは。

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