005

 伝統的に三高の体育では全学年、1学期の始めは持久走がおこなわれる。しかも、クラスの平均タイムが目標タイムをクリアするまで、次のカリキュラムに移れない決まりだ。極端な話、1年じゅう持久走をやり続けるコトもありえる。もっとも夏休みまでにクリアできなかったクラスはいまだ存在しないらしいが。

 校庭のトラックを走りながら、マユリは昨日のコトを考えていた。

 駄菓子屋から学校へ戻ったあと、「おいトゥートルズ、なんだって今週中なんて言ったんだ? その気になりゃア今日じゅうにだって解決できるだろうが」

「そーだねー。おれもそう思うよ」

「だったら――」

「だからこそ、イイ機会だしここはカーリーにまかせてみない?」

「エッ? わたし、ですか」

「ナルホドな。確かに初仕事にはちょうどいいかもしれねえ。言い換えれば、この程度の事件もひとりで解決できねえようじゃア、これから先、警備班は務まらねえだろうぜ」

 マユリは仰天した。「そんなムリです! 今週中っていったら、今日を入れてあと四日しかないじゃないですか。犯人の特徴らしい特徴なんて、ギターケースだけ。例の口笛だって何の曲かサッパリわからないのに。まさか犯人が口笛吹くまで待てと?」

「不安がらなくてもダイジョーブだよカーリー」トゥートルズはやさしげな声音で告げる。「断言してもいいけど、遅くても今週中には、キミも真相へたどりつけるハズさ。ただし、キミが三高生としてふさわしい人間ならね」

「それは、どういう……」

「ひとつアドバイスしとくよー。いくら時間がかぎられているからといって、学生の本分をおろそかにはしないように。授業にはかならず出席するコト。もちろん授業以外の行事にも」

 クギを刺されてしまった。とはいえ、授業中なのはつまりほかの生徒も同じなので、サボったところで聞き込みする相手もいないが。

 ニブズは嬉々として、「最初に言っただろ? 警備班は女子には向かねえ仕事だってな。いいかげん認める気になったか?」

 この発言にはマユリもアタマにキた。「誰が? この程度の事件、わたしひとりで充分! パパッと解決してみせますから!」

「言ったな? ――トゥートルズ! 俺様はコイツが泣きべそかいて助けを求めるほうに、てんこもりラーメン1杯を賭けるぜ」

「いいよノった。じゃあおれは、カーリーが見事犯人を追い詰めるほうに賭ける。だけどニブズ、それじゃチップが安すぎるんじゃない? もしかして自信ないの? 篠崎家の若様ともあろう者が」

「あァン? バカ言ってんじゃねえ。そこまで言うならいいぜ。俺様が負けたら、東屋の特うな重おごってやるよ」

「オトコに二言はないだろうね?」

「トーゼンだぜ! おまえこそ負けたらチャント払えるのか?」

「ふだんはムダづかいしないタチだからね。問題ないさ」

「チョット! ひとを勝手に賭けの対象にしないでください!」

「まァまァ。そうカタいコト言わずに。事件を無事に解決できたら、ニブズがうな重おごってくれるってさ」

「ハァ? なんでコイツの分まで俺様がおごらなきゃならねえんだ」

「だって、おれが賭けに負けたばあい、彼女も負けたってコトなんだから、おれがおごるのも筋違いでしょ」

「うん? まァそれはそうだな。……いや、なんかヤッパリその理屈はおかしい気がするぞ?」

「疑り深いなァ。おれに勝つ自信がないの?」

「んなワケねえだろ。俺様は負けねえ」

「なら、べつに何の問題もないじゃないか」

 トゥートルズのほほえみに、マユリは揺るがぬ自信を見て取った。彼は今週中にマユリが真相を暴き出せると、どうやら確信しているらしい。おそらく、ニブズが失念している決定的な要素があるのだろう。しかし、それがいったい何なのか、今のマユリには皆目見当もつかなかった。

 そして、何ひとつ名案がひらめくコトなく、今日も放課後を迎えてしまった。こうなれば、とにかく足を使うしかない。ひとまずゆいいつの手掛かりである、ギターケースを追うしかないだろう。

 犯人はギターを使う部活に所属している可能性が高い。文化祭直前ならともかく、今の時期に部活と関係なくギターを学校へ持ち込むとは考えにくい。またおばあさんの証言からすると、あれは魔が差した犯行であるため、カモフラージュのためにダミーのギターケースを持ち歩いていたというコトもないだろう。

 三高でギターを使う部といえば、軽音楽部と古典ギター部ぐらいだ。犯人はきっとそのふたつのどちらかにいるハズ――だが、もしいなかったらどうしよう? 何だかイヤな予感がする。

 不安にさいなまれつつも、まずは古典ギター部へ。

 古典ギター部とは、ようするにクラシックギターを合奏する部活だ。部員はだいたい一クラスと同じくらいの人数がいる。

 部長を廊下に呼び出して、さっそく話を聞く。

「オヤ、もしかして入部希望者かな? 合同部活動見学の前に来るとは熱心だね。すばらしい」

「いえ、すみません。警備班の者です」

「うちは警備班でもカンゲイ。ほかに実委のヤツもわりといるし」

「あの、そうじゃなくて、少々お訊きしたいコトが……」

「――ああ、捜査協力? いいよいいよ。なんでも訊いて」

 いざ質問をうながされてみると、マユリはどう切り出せばいいかわからなくなってしまった。万引き事件が起きたコトをあまりおおやけにすべきではないし、何より同じ部の仲間が疑われているとなれば、イイ気分のハズがない。

 とりあえず事情は告げず、おばあさんの証言にあった犯人の特徴に心当たりがないか、尋ねてみたが――「オイオイ、うちの部員たちを見てごらんなさいよ。9割方そんなカンジじゃん」

「ですよねー……」

「まァ何にせよ、うちの部員は無関係だと思うけど? みんな基本的にギターは学校置きっぱだしさ。イチイチ持って帰るの重いし、近所迷惑だから家で音は出せない」

「そうですか……。でも一応確認しておきたいんですが、本当におとといギターを持ち帰った部員はいませんでした?」

「いなかったな。いたら気付いたと思う。たとえ持って帰るときには見逃したとしても、翌日の部活にギターケース背負って来たヤツがいたらわかるさ。オレはいつも一番に来るから。――ところでさ、キミが捜してるソイツって、いったい何やらかしたワケ?」

「えっと、そのゥ、アレです。そのひとの忘れ物をあずかってて」

「忘れ物って、何?」

「とてもプラベートな品なので、具体的に何かは秘密ってコトで」

「フーン……。オナホとか?」

 マユリは思わず顔を紅潮させて、「オナっ――ち、違います!」

「へえ、オナホがどういうモノなのかは知ってるんだァ。高1女子なのにヤラシー。警備班は成績優秀者ばっかって聞いてたけど、そっち方面の知識も優秀だとは」

「な、何のコトやらわたしにはサッパリ――そんなコトより、この曲に聞き覚えは?」マユリは例の曲を口ずさんでみた。

 古典ギター部部長はしかめ面で、「知らないな。というか、ホントにそれで合ってるのか? オレにはなんだか、ひどく調子っぱずれに聴こえるんだが」

「自分でもそう思います……」

 おばあさんが再現してくれた鼻唄は、チャント耳に残っている。だが、それを自分で歌ってみようとすると、どうにも上手くいかない。まったく違う曲になってしまう。白状すると、マユリは極度のオンチなのだ! 自覚があるだけマシではあるが。

「さすがにそのレベルでギターは難しいかもしれないな……いや、もちろんキミが本気で望むなら全力で指導するけども」

「選択科目は音楽を選んだんです。少しでもオンチを直したくて」

 部長は憐れみの目で、「その心意気は買うけどさ、決断を早まったと思うよ。音楽の成績は実技試験のみで評価される。それも、ほかのみんなの前でひとりずつ歌わされるんだけど、知らなかった?」

「うぐゥ……」

「まァ、そう気を落とさないでさ。授業でミュージカル映画とか観られるし、けっこう楽しいよ? うん」

「……もし駄菓子屋に忘れ物をした覚えのあるひとがいたら、警備班のところへ顔を出すよう伝えてください」

 重い足取りで、マユリは古典ギター部をあとにした。まったく成果が得られなかった上に、よけいな精神的ダメージまで負ってしまった。だがしかし、しらみをつぶせただけヨシとしておくべきか。

 次は軽音部へと足を運ぶ。今度こそ犯人が見つかるといいのだが。

「やあカーリー。そろそろ来るころだと思っていたよ」軽音部では、ピーターがノリノリでエレキギターをかき鳴らしていた。

 マユリはおそるおそる、「あのゥ、こんなところでいったい何をやっているんですか? ピーター」

「見てのとおりさ。僕も軽音部の一員だからね」まるで美女の脚をいやらしくなでるような手つきで、ギターの弦を爪弾く。「ウィンウィンウィン」

「実委会長でいそがしいですよね?」

「だから文化祭のステージに備えて、今から猛練習しなくちゃア」

 3年生の9月なら、とっくに部活を引退してもおかしくない時期なのだが、ピーターは意地でも出演するつもりらしい。何というか、思い切り青春を謳歌しているようだ。

 ドラマーのパンクロッカー風が苦笑して、「オイオイ、文化祭の前に今週末の定期ライブがあるだろ?」

「もちろん憶えているとも。しかし高校生にとってやはり本番は、文化祭ステージだろう」

 ベーシストのビジュアル系は得意げに、「オレはわりとガチで武道館目指してるけどな」

「うん、応援しているよ。――さて、ここに来た用件はわかっているよカーリー。さっきも言ったとおり、そろそろ来るころだと思っていた。仕事熱心で大変結構! けれどカンのいいキミなら、すでに察しがついているんじゃアないかな? キミの捜し人は、ここにはいない――と」

「――まさか」

「そう! そのまさかさ! なぜなら! われらが三高軽音部バンド〈クラップ・ユア・ハンズ〉のギタリストは! この僕! 小林芳阿ただひとりだからだァーッ!」

 ギュゥゥウィィィィィィイイイイイインンンン――ッ!!!

「ちなみにボーカルも僕だ」

「ホントにほかのギタリストはいないんですか?」

「残念ながら、三高軽音部のメンバーはここにいる3名のみだ」

 犯人が背負っていたのがギターでなくベースという可能性も残されているが、軽音部のベーシストは外見からして該当しない。

「もっとも、キミが4人めに名乗りを上げるというのならハナシはべつだ。うちは基本クリームのコピーだが、3人にこだわるつもりはない」

「ドサクサにまぎれてスカウトしないでください……」

 それにしても、厄介なコトになった。見事に悪い予感が的中してしまったではないか。万引き犯がギターを演奏する部活に所属しているという推理は間違いだったらしい。これで完全に振り出しだ。

 外見的特徴は三高生としては平凡すぎて、アテにならない。となると残る手がかりは、口笛で吹いていたという例の曲だけ。軽音部の面々にも鼻唄で一応聴かせてみたが、やはりマユリがオンチすぎてチャント伝わらなかった。そしてそのオンチぶりを心底同情された。

 ピーターは気づかわしげに、「どうやら行き詰っているようだね。だがなに、焦るコトはない。キミならきっと真相にたどりつけるとも。僕はそう信じている」

「……ピーターも犯人が何者か、もう全部わかっているんですか?」

「ああ。トゥートルズたちと同じさ。だいたい目星はついているよ。ギターケースと、口笛の曲――これだけヒントそろえば、もはや答えが出ているようなものだ」

「でも、わたしにはまったくわかりません」

「それはキミが――いや、これはしゃべりすぎだな」

 マユリはピーターの脚にすがりついて続きを訊ねたくなるのを、必死でこらえた。先輩たちはみな、カンタンな事件だと言っている。ニブズの言葉通り、この程度の試練もクリアできないようでは、警備班の人間としてふさわしくない。

 こうなったら、なりふりかまってはいられない。たとえ校内じゅうを駆けずりまわってでも、あの口笛を吹いている人間を見つけ出してやる。

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