第三十一話 悪代官


「もう体調は良いのか?」


「うん! もうすっかりだよ!」


 俺の家の玄関の前で、千尋は太陽のように明るい笑顔で俺に微笑んだ。数日会えなかっただけで、旧友との何年越しの再会のような錯覚に陥った。


 いつもと変わらない千尋の様子に、安心したがやはり心配だ。熱であそこまで人が変わったんだ、心配するなという方がおかしい。

 

 千尋は自分の弱みを表には出そうとしない。その、太陽のように明るい笑顔を振りまき、悟らせないようにする。

 亮の時の一件では、流石に応えたのか、俺に気持ちを曝け出してくれたがあれは稀だろう。大抵のことなら、その笑顔の裏に隠してしまう。


「突然意識失うからびっくりしたよ。まあ、千尋が元気そうで良かった」


「うん。ごめんね? 私その時のことをあまり覚えてないんだけど……正汰くんに迷惑かけちゃったね。ほんと、私って正汰くんに助けてもらってばかりだなぁ」


 何言ってんだ。それは俺の名詞だ。


「謝んなよ千尋。俺は当たり前のことをしただけだ。今も、これからも、気にすることはないよ」


「……ふふっ。正汰くんは優しいね。昔から、私たちが小さかった時から、正汰くんは優しかった。私が困った時はいつも話聞いてくれたし。やっぱり正汰くんは私のヒーローだね!」


「ヒーローなんて、そんな大それたもんじゃないよ。……ほら、ここでくっちゃべってると学校に遅刻するぞ」


「うん! そうだね! 行こっか、正汰くん!」


 千尋は満面の笑みを浮かべると、俺の手をとり、駆け出した。


 複雑だ。千尋は俺を過大評価し過ぎている。

 俺は、本当になにもヒーローらしいことなんて一つもしていないし、したとしてもそれはアイツがやった事だ。


 その小さな体で俺の手を取り走る千尋を、俺は黙って眺めていた。




 ♦︎




「でさ、どうすんだよ。明日だぞ体育祭」


「……知るか」


 昼休み。俺は千尋が作ってきてくれた弁当を食べながら、長谷川に言う。

 さぞ興味がないと言った風に、長谷川は俺の顔すら見ずに黙々と菓子パンを食べている。


「菓子パンばっか食ってると体に悪いぞ? ちゃんと栄養ある物を食べろ」


「少し前の正汰くんが聞いたらびっくりしちゃう台詞だね」


 千尋がくすっと笑う。


「どうしてびっくりしてしまうのですか?」


 長谷川が不思議そうな顔をして俺と千尋を交互に見た。


「それはねー、正汰くんも菓子パンばっかり——」


「そこまでだ千尋。俺の威厳が損なわれてしまう」


「何が威厳だ。お前に威厳なんてこれっぽっちもないだろう」


 長谷川が横槍を入れた。


「あのなぁ長谷川。さすがの俺でも傷つくぞ。泣いちゃうよ?」


 長谷川のヤツ、こういう時だけ話しやがって。

 その澄ました顔を今に変えてやる。こっちにもカードはあるんだ。

 お前を倒す最強のカードがな。


「……ペットショップ」


 俺はボソッと呟くように言った。


 ビクンと長谷川の肩が動いた。

 ふふふふ。こちらも反撃させてもらいますかね。


 長谷川がキイッと鋭い目で俺を睨みつけてくる。ただ、俺には照れ隠しの睨みにか見えないため、ただ可愛いだけだ。


「あの時見た犬可愛かったなぁ」


「そうだね! 正汰くんにそっくりなワンちゃんすっごく可愛かった! もう売れちゃったかな……」


 千尋が悲しそうな、名残惜しいような声で言う。


 ああ、あのパッとしない薄そうな犬か。あれは売れてないんじゃないかな。可愛そうだけど、うん。だって俺に似てるんだもん。

 千尋に「まだ売れてないと思うよ」と言うと、パァっと明るい笑みを浮かべた。可愛い。


「犬も可愛かったけど、猫も可愛かったよなぁ〜。あっ、そういえば長谷川もいたよな。確か猫の前でなんか言ってたよなぁ、えーっとなんだったけー」


 俺がニヤリとした顔で言うと、長谷川がプルプルと体を震わせる。睨みに加え、顔の紅潮が追加されたので、その可愛さは一層跳ね上がる。


『正汰殿、いい趣味してるでござるな! いいぞ! もっとやれぇい!』


 アイツの性格が俺の性格を侵食している説が温厚になってきたんだが。


「正汰くん! 長谷川さん何を言ってたの?」


「私も気になります!」


 千尋と一ノ瀬は興味津々といった様子で、目をキラキラと輝かしている。


「うぅ……」


 長谷川がなお恥ずかしそうに顔を赤らめ、震える。


『気の強い娘と恥辱は表裏一体。この娘は今、最高に輝いているでござる』


 専門家がこう言っているのだから、長谷川は今、最高に輝いているのだろう。


「えーっとな、確か……にゃ——」


 あの時の長谷川の猫語を再現しようとしたその時、長谷川が机をバンと強く叩いた。

 周りの奴らがなんだなんだとこちらを見る。


 まずいな。流石に怒ったか。


「……にが……」


「え?」


「なにが望みだ……」


 おっ、おもしれー。長谷川おもしろすぎる。

 ここにきてその台詞は卑怯ですよ。


 薄ら涙を浮かべる長谷川に、それはもうナニですよ! とバカなことを言おうかと一瞬思ったが、それは流石にふざけ過ぎだな。まるでアイツが言いそうな台詞だし。


『それはもうナニでござるよ!』


 ほら。


 まあここは一つ、この機会を無駄にするのはあまりにもったいない。

 望みを叶えてくれるっぽいし。


「そうだな……どうしてやろうかな……」


「くっ……!!」


 長谷川は悔しそうに歯を食いしばる。


『ああ良い! 良いでござるよ!』


 にやにやと笑みを浮かべて俺は言った。


「今日もうちに来て、一緒に練習してくれ」


 曇りのない笑みで言った。


 予想だにしていない俺からの言葉だったのか、長谷川はポカンと口を開けている。


「嫌なら別にいいんだぞ? でも、それはどう言う意味か、分かってるよな?」


「……え? あ、行けばいいんだろ、行けば」


 どこか長谷川はほっとしたようだった。一体俺に何を言われると思ったのやら。


「一応聞くけどさ、長谷川、俺になんて言われる思ったの?」


「えっ!? そ、それは……別にいいだろ!」


 長谷川の顔が急速に赤くなる。


「ん? んー? 気になるなぁ〜怪しいなぁ〜」


 俺はニヤリと笑みを浮かべながら、ねちっこく言った。


「あ、あぅ……」


『そうやって正汰殿はいつも拙者を喜ばせる!! 最高でござるか!! 』


 1人俺の中で喜んでいる変態がいるが、あまり俺も人のことが言えなくなってきた。いや、大丈夫だ。俺は健全。どこにでもいる普通の憑依されちゃった高校生。

 自分を信じろ。


「……う、うぅ……ばっ、バカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」


 そう言って、長谷川は一目散に教室を飛び出した。


「月城君と長谷川さんって、仲がよろしいんですね」


「すっごく楽しそう!」


「まあな」


 彼女らが天使である由縁はこういうところだろう。

 周りの目線がいつになく鋭く厳しいが、今更だ。


 さて、ちょっくら長谷川を連れ戻しに行きやすかね。


「悪い、長谷川連れ戻してくる。ちょっとからかい過ぎた」


「もう。正汰くんの悪いクセだよ? ちゃんと連れもどしてきてね」


「分かってるって」


 以前千尋をからかい過ぎて泣かしたことがある。子どもながらに大分反省したものだ。

 二度と千尋をからかわない。そう胸に誓ったっけ。


 しかし、それは千尋限定の誓いであり、その他は当然対象外。一ノ瀬とて対象外だ。


 俺は一度ハマると口が止まらないのだ。


 俺は不敵な笑みを浮かべ教室を後にした。


『旦那、次はどんな手で?』


「フハハ、見てのお楽しみだ」


『敵わないでござるな』


「『はっはっはっはっはっ!」』


 後日——この学校には悪代官のような高笑いをする男子生徒がいるという噂が流れた。

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ウィズ・ア・サムライ 五巻マキ @Onia730

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