第二十九話 側面


「触るな!」


 長谷川の手を握ろうとしたら手を払われた。


「あの、長谷川さん? 手を繋がないと練習できないんだけど」


「う、うるさい! この変態!」


 うん。こうなるの、知ってた。

 

 学校から二人を連れて俺の家に到着すると、何事も無かったように普通に口を聞いてくれた。謎の切り替えの早さだ。

 

 練習場所は木刀があった倉庫がある庭だ。

 取り敢えず二人にジュースとお菓子を出して、一服したところで練習を始めた。

 だが、さあ練習を始めようと長谷川の手を取った瞬間にこれだ。

 一ノ瀬も苦笑いををしている。


「長谷川さん。月城君の言う通り、手を繋がなくては練習が出来ませんよ? 早く手を繋いでください」


「で、でも……」


 ちくしょう! そこまで拒否んなくてもいいだろ! 俺の精神ゲージが絶賛ゴリゴリ消費中だクソ! 


 すると、一ノ瀬が「長谷川さん」と言って長谷川に一歩詰め寄った。どうしたんだろう。


「でもじゃ……ありませんよ?」


「ひっ」


 一ノ瀬のあの温厚なタレ目が光を失った。

 出た。俺に尋問した時の顔だ。

 長谷川は初めて見る一ノ瀬の顔にビビっているみたいだ。ちょっと子犬みたいで可愛い。


『やはり良いでござるなぁ。うん。すごく良いでござる』


 中にはこういうのが好きな特殊な人もいる。


「……分かった。ん」


 一ノ瀬の威圧により観念したのか、俺にそっぽを向きながら左手と右手を構える。これはオクラ・ホマ・ミキサーの構えだ。俺は長谷川の背中に正面から寄り添い、この手を握らなくてはならない。

 しかし、このままじゃ面白くない。あんなに手を握ることを拒絶したんだ、一つからかってやろうか。


「ん、じゃ分かんないぞ? この手をどうして欲しいんだ? 言ってみろよ」


「っ!? お、お前、何を言って!?」


 おーおー困惑してる。

「あたしの手を繋いでください!」なんて長谷川が言えるわけないから当然の反応だ。


 ん? なんだろう。背後に禍々しい威圧の気配を感じる。


「つ・き・し・ろ・く・ん? 何を……言っているんですか?」


「はいすいませんでしたぁぁあ!!! さ、さあ長谷川さん。僕と練習を始めましょうか」


「なんだよその喋り方……ひゃっ! い、いきなり握るな!」


 こっえぇぇぇ。まじでちびりそうになったわ。

 一ノ瀬って実は憑依されているんじゃないかと思うくらいの威圧だった。

 なんだろうな、心臓を掴まれるようなイメージ。それもひと思いにではなく、じわじわとゆっくり、いたぶるようにだ。


『いつもこの顔なら良いでござるなぁ』


 いつもとかそんな恐ろしいこと言うな! ほんとに怖いんだぞ!




 ♢♦♢♦♢♦♢




「そうです。はいそこ、同時に足を出して下さい」


「こ、こうか?」


「バカっ、そっちは逆だ! きゃあっ!」


 こんなことを続けてそろそろ一時間になる。一向に上達しない。

 長谷川と俺にとってちゃんと練習したのは実質これが第一回目であり、周りとの上達の差は悪い意味で歴然だ。

 この時間の差を埋めるには練習あるのみ。


「どうしてでしょうか……お二人とも全くと言っていい程に息が合いません」


 困り果てたように手を頬に当てて首を傾げる一ノ瀬。

 ごめんなさいね、多分長谷川の方に問題があるんですよ。俺は悪くないっ! わ、悪くないぞっ!


「一ノ瀬。ちょっと長谷川と作戦会議してくるわ。ジュースでも飲んで休憩しててくれ。あ、お菓子も適当に摘んじゃって」


「? 分かりました」


 そう言って一ノ瀬から少し離れたところに長谷川を手招きで呼ぶ。

 これから長谷川と話す事は一ノ瀬に聞かれたくはない内容だからな。



「なんだ」


 いかにも不服といった様子で俺に尋ねる。何もそんな睨まなくたっていいじゃんよ。


「お前さ、まだ俺の事恨んでる?」


「……ああ」


 なんだまだ恨んでんのかこのブラコンめ。

 だけどそれは俺に仇打ちをしに来るほど大好きなお兄ちゃんだったって事だもんな。わざわざ転校までしてさ。

 でも、長谷川は亮が一体何をして自主退学をしたかを知らないんだよな、あの様子だと。まあ真実を言うつもりはないけど。それを言ったら俺たちの関係がギクシャクするだけだしな。

 俺はいいとして、せっかく千尋や一ノ瀬ともそれなりに仲良くなったところでギクシャクするのは頂けない。


「……そっか。まあそれはいいんだけどさ。それよりお前ちょくちょく殺気出すの止めてくんない? そして地味にサムライの力引き出すのも止めろ。手が痛い」


 長谷川は練習中に俺の手を強く握ったり緩く握ったりする。特に強く握る時は半端なく、まるで握りつぶしにかかろうかと言う程だ。今も手が痺れて感覚が薄れてきている。

 逆に緩い時は本当に緩く握ってくれる。優しく握る、の方が正しいのかもしれない。


「ふんっ、知るか」


「プリンあげるからさ、ね? 良い子だから、ね? 普通にやってくれ」


「あたしの事をなんだと思っているんだ!」


「猫とプリンが大好きなツンツンしてる美人な女の子」


「なっ! お、お前、はぁ!?」


 顔を真っ赤にしてたじろぐ長谷川。その状態で睨んだって効果半減だぜ。寧ろただ可愛いだけという。

 てかはぁ!? ってなんだよ。せっかく素直に言ってやったのに。美人って言われたら嬉しいだろ普通。

 千尋とか一ノ瀬には素直に言えないけど、何故か長谷川になら言えるんだよなぁ。なんでだろ。あと沙彩にも言える。


『出たでござる。正汰殿の無意識天然誑し込み』


 これが誑し込みの内に入るのか? 分からん。


「ほらっ、兄ちゃんと練習の続きをやるぞ……あ……」


「……」


 長谷川が呆然とした顔で俺を見て固まっている。

 なんで兄ちゃんって言ったんだ俺!? ほんと無意識だった。当たり前のように兄ちゃんって自分で言ったぞ。


『つ、ついには兄弟ぷれいまで強要を……末恐ろしいでござるな』


「ち、違うんだ! 今のは偶然というか、たまたまというか……。と、とにかく言い間違いなんだ!」


「そ、そうか……」


「おう……」


 なんだこの微妙な空気は。学校の先生に間違えて母ちゃんって呼んじゃった時みたなこの感じ。

 あっ、いかん。思い出しちゃった。あー恥ずい。


「お二人とも、もうよろしいですか? そろそろ練習の続きを始めたいのですが」


 そう言うと一ノ瀬はオレンジジュースをストローでちゅーっと吸う。可愛い。

 一ノ瀬はわざわざ時間を割いてまで練習に突き合ってくれている。絶対に上達してやるぞ。


「よしやるぞ長谷川! 今日でマスターしよう!」


「ふんっ」


 顔は合わせてくれなかったが、了解の意志は感じた。

 俺と長谷川は再び一ノ瀬のもとへ向かった。




「それじゃ次は音楽に合わせてみましょうか」


 一ノ瀬はスカートのポケットからスマホを取り出し、何回かタップすると、オクラ・ホマ・ミキサーが流れだした。

 曲に合わせて踊るのは初めてだが、なんだかいける気がする!

 

 長谷川と両手を繋ぎ、踊り出しの瞬間を待つ。

 大丈夫。一ノ瀬に教わった通りにやればいいんだ——


「ちょ、うわぁ!」


「きゃあっ!」


 開始数秒でこけた。


「わ、悪りぃ長谷川……ん? なんだこの柔らかい感触は……」


「っ!? お、お前!」


「え? ……あっ……おっぱ」


 パチーン


 乾いた音が近所中に響き渡った。そして、『ぐふふ』と耳障りな声が俺にのみ聞こえた。

 

 

 この日、結局俺達は満足に練習が出来なかった。よって上達も出来なかった。

 俺の頬に真っ赤な紅葉が出来ただけというなんとも悲しい結果だ。

 

 一ノ瀬には、練習がグダグダになってしまったことを謝った。だが彼女は天使だった。

「また明日もよろしければ見てあげましょうか?」と言ったんだ。鳥肌が立ったわ。

 

 俺は長谷川の胸を事故で、勿論故意じゃない。事故で揉んでしまった後、長谷川の俺の手を握る力が今までの比じゃない位強かった。

 おかげ様で手の感覚がなくなって、今は沙彩に身の回りの世話をしてもらっている。

 ごめんよ。よく怪我する兄ちゃんで。




 ♢♦♢♦♢♦♢




「おはようございます。月城君」


「ああ、おはよう」


 手の感覚は元に戻った。

 手の感覚が無くなるとか初めての経験だったわ。


 今日も俺の家に千尋は来なかった。安静第一だし仕方のないことだが、やはり寂しいし、悲しい。

 俺の楽しみである千尋と駄弁りながらの登校というかけがえのない時間が、たったの2日無かっただけで精神的に参りそうだ。


「よお長谷川。おはよう」


「……変態」


「おいおい俺が変態だって誤解されるから止めろ」


「変態じゃないか! あたしの胸を揉んでおきながら!」


 長谷川が割と大きな声で言った。

 そして悟った。

 これはアカン。


 既に登校していた男子からは凄まじい殺気のこもった視線が、女子はひそひそと俺の方を見ながら何かを話している。

 止めてっ! 男子の視線はまだ良いとして、女子のこしょこしょ話はほんと怖いから止めてっ!


「まだ幼少期の出来事で怒っているのですか? 良いじゃないですか。お互いまだ子供だったのですから」


「は? 幼少期? ち、ちが、昨日こいつは!」


「……ね? 長谷川さん?」


「ひっ」


 お、おお。またあのデストロイモードの一ノ瀬だ。

 まあ何にせよ助かった。ナイス起点だぜ!


「いやーあの時はほんとごめんな。と言っても、昔のことだから俺あんまり覚えてないんだけどさ」


 俺も便乗してみる。


「う、うぅっ! もういい!」


 悔しそうに涙目で言うと、長谷川は机に突っ伏してしまった。

 あれ、これ長谷川悪くなくね? これは……アカンな。

 プリンあげなきゃ。


「一ノ瀬。助かったけど、いいのか?」


「良くないですね」


 なんちゅう笑顔で言いやがる。


『と、とんでもない才能を秘めいているでござるよ……この娘は……! ゾクゾクが……止まらねぇでござる!!』


 冗談抜きに、一ノ瀬はSっ気が強いのかもしれない。

 一見温厚そうに見えるがそれは裏の顔。本性は人に意地悪するのが堪らなく大好きな女の子なのだろうと、勝手に推察。あくまでも推察だ。


「後で二人で謝るか」


「……はい。でも、あの場はああでもしないと月城君の今後の学校生活が大変な事になってしまうと思って……」


 なんだただの天使だったか。

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