第二十八話 不透明
「学校……遅刻だな」
「そうだね……」
沈黙が訪れる。非常に気不味い。
ところで、千尋は制服を着直したのだろうか。着直すには十分な時間はあったはずだしこのまま背を向け合うのもあれだな。
意を決して、千尋が既に着直していることを信じて俺は戸惑いなく振り返った。
そして振り向いた先には制服を着た千尋がいるはずだった。いるはずだったんだ。
「ちひ……ろぉぉぉお!?」
目の前にいたのは制服美少女などではなかった。
きめ細やかなシミ一つないすべすべな肌をした半裸の美少女だった。
手で胸を押さえてはいるが、紅潮した顔、恥ずかしそうな表情、手では隠せない露見した肌。男子高校生を悩殺するには十分すぎるほどだった。
「ふ、ふふ服着ろよっ!」
「……」
千尋が紅潮した顔のまま黙る。
ほんと沈黙だけは止めてほしい。対応に物凄く困るんだよ。
ずっと見ていたいという欲は男として勿論あるが俺は倫理で抑え込む。
その倫理が崩壊し、千尋の体を視姦してしまう前に俺は素早く背を向けた。
『これはもうおーけぇいの合図でござるよ正汰殿。据え膳食わぬは男の恥。ここで男を見せつけてやるでござる』
俺はお前が何を言いたいのかほんとに分からなくなってきた。
さっきの説教はなんだったんだ? そんで今度は据え膳食わぬは男の恥だと? お前は何が言いたくて、何を俺に求めているんだ。
再び背を向けて既に数分は経っただろうか。さすがにもう着直しているはず。
「千尋。服、着たか?」
「……」
返答は無かった。
気不味い雰囲気がリビングを包み込んでいるのが分かる。じっとしていることすらもどかしい。
「振り向くぞ、いいな? ……っ!?」
振り向こうと体を捻ろうとした瞬間、突如背中に温かい……と言うよりは熱く、そして二つの柔らかな弾力のある感触が制服越しに伝わった。
そして俺のお腹に二本の腕が回されてがっちりとホールドされる。
何が起こったのか、それは……考えるまでもなかった。
『青春でござるなぁ』
青春って、いきなりこれは飛級し過ぎだろ!
「正汰くん。私……いいよ」
「いいよって……何が」
「分かるでしょ?」
千尋がさっきより強く抱きしめてくる。それと同時に、二つの柔らかな感触もより一層強く感じる。それに千尋から伝わる熱。それがどんどん上昇しているのが分かる。
千尋の心音と俺の心音が太鼓のようにドンドンと鼓動し、煩いと思うほどに体の中で大きな音を立てていた。
「さっきと逆だね」
「えっ、ああ、そうだな」
さっきと逆とは、つまり
この現状を作り上げた
「正汰くん……」
俺の耳元で息を吹きかけるように言う千尋。ゾクッとした。
だけど、
「ごめん千尋。それはだめだよ」
「どうして? どうして正汰くん。私は大丈夫だから」
「大丈夫なわけないだろ! なんだよこの高熱は! いつからだ!」
さっきからおかしいとは思っていた。普段千尋がこんなこと言う筈がないんだ。それをこうもペラペラと言うもんだからこれが本当の、千尋の素なのかと一瞬疑ったが、やはりそれは考えられない。人の性格なんてそんな簡単には変わらない。勿論、今までのが全て演技だとしたら話は別だが……。
「大丈夫……だってば。いつも……通り……だよ?」
「息も絶え絶えじゃないか……。千尋、悪い。後ろ振り返るぞ。そしてベッドに連れて行くからな。変な意味じゃないぞ」
バッと振り返り、極力体を見ないようにして強引に千尋を俺の背におぶった。ここは華麗にお姫様抱っこにしようと思ったのだが、結構力がいるんだよあれ。おんぶに比べて腕で持ち上げるわけだからな。千尋は軽いけど万が一落としたりするのは嫌だ。
それと、単純におんぶは体を見なくて済む。
ソファーに脱いだままになっている千尋のインナーとブラジャー、ブラウス、ブレザーを全て脇に挟み込み、俺の部屋へと向かった。
沙彩の部屋にしようと思ったのだが、沙彩の許可無しに部屋に入れるのはどうかと思ったので止めた。沙彩はあんまり自分の部屋には入ってほしくないようだし。
俺の部屋に着いた。おんぶでも階段は結構しんどいな。俺の筋力不足なだけだけど。
千尋を寝かせる時、どうしても体が見えてしまうからベッドの位置だけ確認して、目を瞑って千尋をベッドに寝かせた。そして手探りで毛布を探し、そっと掛けた。
「スポドリ持ってくるから、大人しく寝てろよ」
「はぁ……はぁ……うん」
返事をするのも大変そうだった。なんだってこんな高熱に……。千尋は高熱が出ると性格が変わるタイプなのかな。実際にそういう人がいるとは思わなかった。でも、あれが千尋の素だったら……いや、全然OKだな。
階段を降り、キッチンに向かった。確か水に溶かして飲むタイプのスポドリがあったはずだ。
コップにスポドリのパウダーを少な目に入れて常温の水をそそぐ。そして飲みやすいようにストローを持っていく。
ついでに脱衣所からタオルと水を入れた桶を持って、俺の部屋へ小走りで向かった。
ドアを開けると千尋が苦しそうに呼吸をして、汗を沢山掻いているのが伺えた。早く拭いてあげないと。
「取り合えず顔周りの汗を拭くからな」
タオルでやさしく撫でるように汗を拭きとっていく。
今は体は後回しだ。
「ほら千尋、スポドリだ。飲めるか?」
「はぁ……はぁ……飲めるよ」
「ごくごく飲むなよ。少しずつだぞ」
スポドリの入ったコップにストローを差し込み、千尋の口元にストローの飲み口をそっと入れる。
俺に言われた通り、千尋はちびちびと少しずつ飲んでくれている。
「……薄い」
「薄いやつを少しずつ飲むと水分が吸収されやすいってテレビで言ってたからな。我慢してくれ」
「うん……分かった……」
千尋は苦しそうな表情の中で、渋り顔を見せた。ココアといい、ほんと千尋は濃い味が好きなんだな。
さて、これからどうしようか。勿論看病を続けるが、俺としては千尋の親に連絡した方が良いと思ってる。
一ノ瀬の時は保健室で朝比奈先生もいたから良かったけど、やっぱりこのままうちでというのは……。
「千尋。千尋の親に連絡するからな」
「私は……全然……平気だから……。家に……連絡しなくても……大丈夫だよ」
「分かった。連絡するわ」
今の返答で連絡することを決めた。
早いとこ病院連れて行った方がいいぞ絶対。
スマホの電話帳には千尋の
家が近所だし、用とかがあっても直接向かうことが多かったため千尋のお母さんに電話なんて一回もしたことがなかった。
「千尋のお母さん……っと」
電話帳から【千尋のお母さん】をタップした。
――プルルルルルルルル
「もしもし。あれっ、正汰君?」
千尋のお母さんもワンコールで電話に出るのか。千尋の電話に出る速さはあ母さんの遺伝だったんだな。
俺は取り敢えず今起こっている現状を手短に伝えた。
「分かったわ。すぐに車飛ばすから」
「事故らないでくださいね。最近交通事故多いですから」
よし、無事千尋のお母さんに要件を伝えられた。後は待つだけだな。
ふと千尋を見ると汗がすごいことになっていた。
俺の理性が保てる範囲だけ汗を拭きとり、それ以外のところはパスした。布団を捲ればそこには半裸があるわけで、必然的にそうなった。
「はぁ……はぁ……」
「すぐお母さん来るからな」
部屋の中は千尋の喘ぎ声にも似た苦しそうな声だけが聞こえる。見てるだけで心苦しい。
――ピンポーン
来たみたいだ。
急いで階下に降りて、玄関のドアを開ける。そこには身長が低く胸が大きい可愛い系の女性が立っていた。
千尋のお母さん……ほんと千尋にそっくりだよなぁ。胸も。
「正汰君! 千尋はどこにいるの!?」
「二階の俺の部屋で寝かせています。こっちです」
千尋のお母さんを誘導し、階段を駆け上がる。
俺の部屋に入ると千尋のお母さんはすぐさま千尋のもとへ駆け寄った。
「千尋! お母さんだよ! 今からお家行くからね!」
「お母……さん? どうして……はぁ……はぁ……」
話すことすらままならない千尋の様子に、千尋のお母さんはこれ以上話し掛けることを止めた。
あとは俺が千尋を一階まで下ろして車に乗せるだけだな……あっ、まずい。今千尋半裸だった。
千尋のお母さんはベッド脇に畳まれて置いてある千尋の下着類を見て固まっていた。そして、ゆっくりと俺の方を向く。
「……今は詳しい事情は聞かないけど、後でみっちり聞かせてもらうからね。正汰君」
「は、はい」
千尋のお母さんは真顔で言った。
前に千尋が「私のお母さん怒るとすっごく怖いんだよー」って言っていたけど、その時は千尋の親なんだからそんな事は絶対にありえないと思っていた。まさかこんなにも怖いとは。
千尋のあ母さんは俺に見えないように素早く下着類を千尋に着せると、俺に手招きをした。
「正汰君、千尋をおぶって頂戴。どさくさに紛れて変なとこ触っちゃだめよ」
「わ、分かってますって!」
こんな状態で誰が触るか! てかどんな状態でも触らないわ!
俺は言われた通り千尋をおんぶした。そして千尋のお母さんの監視下のもと部屋を出て、階段を降り、玄関のドアを開け、車の助手席へと乗せた。終始目が怖かったです。
千尋のお母さんが運転席に座り、ウィンドーを開いた。
「正汰君、連絡ありがとね。看病もしてくれてたみたいだし」
「いえいえ、幼馴染ですから」
何も感謝されることはしていない。当たり前のことをしただけだ。
逆にあの状態の千尋を見てほっとける人間が果たしているのだろうか。いや、いない。
「でもね正汰君。いくら幼馴染でもやっていいことと悪いことがあるの。分かるよね?」
「……はい。肝に銘じます」
「さっきも言ったけど、千尋があんな格好だった理由……後でちゃんと説明してね。せ・い・た・く・ん?」
「はぃぃぃぃ!!」
『ゾクゾクするでござるぁ!!』
目の輝きがワントーン落ちた千尋のお母さんは、その目で俺の事を見続けたままウィンドーを上げた。それがめっちゃ怖い。
車が発進するのを見届けて、俺は家に戻った。
♢♦♢♦♢♦♢
「おはようございます、月城君。昨日はお休みでしたけど、風邪でも引きましたか?」
「おう……まあそんなとこだ」
隣の席の一ノ瀬が笑顔で挨拶をしてくる。
当然だが、今日は家に千尋が来なかった。
「黛さんは今日もお休みなのでしょうか」
「あー、なんか高熱でたみたいでさ。明日も来ないんじゃないかな」
「こ、高熱!? 高熱ですか。そそそうですか。それは大変ですね。早く良くなって欲しいです」
高熱にやけに反応するな。しかも顔が赤くなってるし。
まあでも、一ノ瀬にとって千尋はこの学校で初めて出来た女友達だもんな。やっぱり寂しいのかな。
『やはりこの娘、覚えてるでござるな』
何がだよ。
「よーしホームルーム始めるぞー」
朝っぱらから野獣のようにけたましい声を出す竹やん。
もっと小さい声で話して欲しい。耳がぎんぎんする。
「昨日の体育で見た限りでは、お前らかなりフォークダンス仕上がってたな! 他の種目にも手を抜くんじゃねーぞ! んじゃ、ホームルーム終わり」
竹やんは颯爽と教室を出て行った。
ちょっと待って、フォークダンスが仕上がってる? 俺まだ長谷川と一回も練習してないんですが。どうすんのこれ。
「なあ一ノ瀬」
「なんでしょうか」
ニコニコとこちらを向く一ノ瀬。うむ、可愛い。
「フォークダンスが仕上がってるってほんと?」
「はい。昨日の体育の授業で、皆さんかなり上達していましたよ」
「まじか。一ノ瀬は? 千尋昨日休んだろ』
千尋が休み、ペアが不在となった一ノ瀬はまだ仕上がってはいないはず。俺は今、同志がほしい気分なんだ。
「いえ、私達のペアは初回の練習で一通り出来たので、問題はありません」
「……そっすか」
このチーターが! 一回練習しただけで出来るか普通。どんだけ要領がいいんだよ!
千尋と一ノ瀬がチーターなのは一先ずいいとして……長谷川よ。
唯一の同志は案外近くにいた。てか後ろに。
俺は後ろを振り返る。
「よお長谷川。おはよう」
「……ふんっ」
今日も朝からツンツンしてるねぇ。目つきも鋭いし。
俺だけになんだよな、ツンツンするのも鋭い目つきになるのも。
確かに俺は亮の仇かもしれないけど、あれは俺だけど俺じゃないから。ケンシローだから。
今も怒ってんのかな。どうしたら許してくれるかな。
「あのさ長谷川。放課後、うちに来てくれないか?」
「は、はぁ!? 何を言っているんだお前は! ば、バカじゃないのか!?」
おおう。今までに慌てた顔は見た事があったが、こんな驚いた顔は初めて見た。なかなか可愛いな。
『……有り』
ケンシローの太鼓判を頂いた。これはすごい。
「月城君! それは一体どういうことですか!?」
何故一ノ瀬も驚いている。そして可愛い。
「ああ、一ノ瀬も来てくれない? 放課後空いてたらでいいけど」
「わ、私もですか!? 月城君は私達に何をしようと……」
ん、ん? 何故一ノ瀬が顔を赤くしたのか分からん。また俺が変な事でも言ったのか?
そんな様子の一ノ瀬に戸惑っていると、
バンッ!
長谷川は机を両手で叩き、前傾姿勢で俺に攻め寄ってきた。そして、目つきはより一層鋭くなっている。
「ど、どうしたんだよ長谷川」
「お前は! 見境なく女を家に連れ込む奴だったのか! こんな奴に兄貴は……」
「は? ちょっと待て、なんかおかしい」
憤慨している長谷川に顔を赤くして俯いている一ノ瀬。
なんだ、一体何が起こっている。思い出せ。最初から今までの俺の行動、言動を。
――分からない。
『正汰殿……はぁ。こういうところでござるよ』
だから俺にはその『そういうところ』が分からない。分かってるなら教えてくれよ。
取り敢えず今は、二人が誤った見解をしているようなので正すことにする。
「あのー二人とも? 何か誤解をしてらっしゃるようですが……」
「放課後に女を、しかも二人家に連れ込むことの何が誤解だって言うんだ! この変態!」
「そうです月城君! へ、変態ですっ!」
まさか一ノ瀬の口から変態という言葉が出てくるとは。ちょっと意外。いや、かなりの衝撃だった。
「お嬢さま! そんなはしたない言葉を使ってはいけません!」と言ってあげたい。
「はぁ……あのなぁ。二人を家に誘うのは事実だ」
「ほ、ほらみろ! やっぱり——」
「フォークダンス」
「え?」
さっきの竹やんの話聞いてねーなこりゃ。
ポカンとこちらを見る長谷川に俺は言う。
「俺ら一回も練習してないだろ? さすがにマズイって。だからうちの庭で練習でもどうかなって思って誘ったんだ。飲み物とお菓子も出すぞ。で、俺ら二人で練習しても埒があかないと思うから講師として一ノ瀬も誘ったわけなんだが?」
「「……」」
「あっれれぇ〜お二人さん」
「「っ!」」
ニヤニヤと二人に笑う俺。キモい。
『きもいでござるなぁ……』
うっせーぞコラ。
学校が終わるまで一ノ瀬と長谷川が口を聞いてくれなかった。目を合わせても二人ともすぐにプイって顔を背けしまう。これがですね……すっごく可愛いかった。
昼は一緒に食べることが出来た。まぁ、終始無言だったけど。
――そして放課後
「さあ行くか。我が家へ!」
「「……」」
「いい加減機嫌直せよぉ!」
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