第二十七話 自覚


「おい……千尋?」


「あれ? どうしてだろう、涙が……ご、ごめんね」


 千尋自身、次々と零れ落ちる涙に戸惑っている様子だった。俺だって戸惑っている。急に泣き出すなんて思ってもみなかったし、どうして泣いているのかも分からない。

 亮の時のことを思い出したのか、それとも他に理由があるのか。

 千尋が制服の袖で涙を拭っていたので慌ててポケットに入っていたハンカチを渡した。


「ありがとう……正汰くん……」


「今、ココア淹れてくるから」


「うん……」


 千尋はココアが好きだ。「甘くてあったかくて、すっごく落ち着くんだ」と前に言っていたの思い出す。

 今自分に出来ることは何かと考えた時、恥ずかしながらこれぐらいしか思いつかなかった。むやみやたらと話しかけてはいけない気がしたのだ。


 キッチンでミルクココアのパウダーをマグカップの中に多めに入れ、牛乳を注ぎ、電子レンジで温めた。

 千尋が家に来た時に良く作っていたから、好みの分量はお把握済みだ。千尋は濃いココアが好きなのだ。


『拙者の分は?』


「ないよ」


 作ったとしてもお前は飲めないだろう。完全憑依でもしない限りは。


『冗談はさておき、正汰殿……あんたバカぁ!?』


「うぉっ! どうしたんだよ急にデカい声出して」


『黙って見ておれば……千尋殿が如何にして涙を流したか、分からないわけではなかろう?』


「……分からない」


 本当に分からない。千尋は「正汰くんはおばさんのことが好きなの?」と言ってから泣きだし始めた。しかしそれが泣く理由になるのだろうか。

 考えられるのは、幼馴染が実はマザコンで生理的に無理過ぎて泣いたんじゃないかってことだ。もう一つあるとしたら……いや、それはゼロに等しいだろう。


『呆れたでござる。次、完全憑依する機会があれば、拙者は容赦なく千尋殿をたぶらかすことにするでござる』


「はぁ!? それは関係ないだろ! なんでたぶらかす必要があるんだよ! 最低だなお前は!」


『人の事言えないでござるよ? 正汰殿」


「えっ……」


 ――ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ


 丁度電子レンジのアラームが鳴った。それはケンシローとの話しの終了を告げるアラームでもあった。


 人の事言えないだと? 何を知ったような口を聞いているんだ。俺はたぶらかしたことなんてないし、する度胸もない。自分で言うのもなんだが、俺は自分のことをチキンだと思っている。

 ケンシローに完全憑依されて、俺が普段言わないようなことを言った時、超人的な身体能力で決闘に勝ったり、野球でスーパープレイをした時、実は嫌悪感があった。それは何故か、俺自身がチキンだったから。チキンじゃない、可能性を見せつけられて、嬉しさもあるなか虚しさが残るのだ。

 全ては俺がチキン故だから。ケンシローは何も分かっていない。


 電子レンジからココアを取り出し、スプーンでかき混ぜる。ケンシローに言われたことに苛立っていたのか、かき混ぜる力が強すぎて少し零してしまった。

 いけないいけない。ココアは無関係だ。

 さっと布巾で拭いて、リビングのソファーで座っている千尋のもとへココアを持っていった。

 キッチンでの会話はかなり小さめの声で話していたし聞こえてはいないだろう。テレビもついているし。


「お待たせ。熱いから気をつけろよ」


「うん、ありがとう! 正汰くん!」


 千尋は既に泣き止んでいた。それと、いつも通りの声と笑顔だ。


「うーん! さすが正汰君! 私の好きな濃さだね!」


「俺はそれ、甘ったるくて無理だけどな」


 普通に会話出来てる。ならさっきの涙は一体なんだったんだ? 

 あー、そう言えば肝心の千尋の質問に答えてなかったな。早く俺もマザコン疑惑を晴らしたいところだ。


「なあ千尋、さっきの……俺がおばさん、母ちゃんのことを好きなのかって質問だけど……」


「っ! いいのいいの。言わなくて大丈夫だよ。ただ、気になっただけ。だって正汰くんが昨日あんなこと言うから……」


「あれは訳があってだな」


「正汰くん、そろそろ学校行こ? 遅刻しちゃうよ?」


 無感情の笑顔と表現するのが正しいのかもしれない。一見笑顔に見えるが、目が、口が、頬が、全てがぎこちなく、感情の色がない。

 何故俺の話を拒否する。何故そんな笑顔をする。

 やっぱり今日の千尋は正常じゃない。


「千尋」


「どうしたの……きゃあっ!? せ、正汰くん!?」


 俺は何を思ったのか、ソファーの上で千尋を押し倒していた。千尋の上に覆いかぶさり、手首をがっしりと押さえつけている。

 千尋は抵抗はせず、驚きの表情に満ち溢れていた。


「嫌か?」


「えっ? えと、嫌じゃな……って、本当にどうしちゃったの!?」


 思ってもないことが勝ってに口から飛びだした。


「俺は嫌かどうかを聞いてるんだ」


「……嫌じゃないよ。だって……正汰くんだもん」


 え、嫌じゃないってどういうことだ。そんな期待させるようなこと言うなよ。ってそんなこと思ってる場合じゃない! 早く千尋から離れないと。


『ご、ごめんな千尋。ちょっとしたおふざけで……っ!?』


 声が体の中だけで反響した。耳栓して話しているような感覚。そして千尋から離れようとしても体が動かない。

 俺が知っている中で、この状況はただ一つ。


『完全憑依……』


 何故かは知らないが、どうやら俺は完全憑依されている様だ。でなければ千尋を押し倒したり「嫌か?」なんて口にしたりしないはず。俺にはそんな、度胸はない。

 必然的に今俺の体を支配しているのは……ケンシローか。さっきたぶらかすとか言っていたからこの行動にも頷ける。頷けるが……だからと言ってこのままさせるわけにはいかないだろう。


『おいッ! 止めろケンシロー!!』


「そうか。じゃあ……いいよな」


「ええっ!? 良いって、何が……」


「分かってるだろ、この状況化で、まだ分からない?」


 俺の意思に反し、ケンシローは千尋のブレザーのボタンを一個ずつ外していく。

 千尋は呆然とそのボタンが外されるさまを眺め、今自分に何が起こっているのか分からないといった感じだった。


 されるがまま、着々と千尋の制服が脱がされていく。


『止めろって言ってんだろぉッ!!』


 止めない。ケンシローの手は止まらなかった。

 既にブラウスまだ脱がされいて、ブラだけとなった。そのブラのホックにケンシローの手がかかった。

 その時、


「ま、待って正汰くん! どうしたの? なんでこんなことするの?」


「……」


 御構いなしにケンシローがブラのホックをカチッと外した。

 ここでようやく千尋が抵抗を見せる。ブラを両手で抑え、取られないように。


 ケンシロー……なんでこんなことするんだ。今までこんな行きすぎたことしなかっただろ。何故今になってこんな……、俺が……悪いのか?


『なんで……こんな……』


「正汰殿はまだ分かってないでござるな」


「正汰……くん?」


 ケンシローが千尋に御構いなしに応答した。

 独り言のように話すケンシローに千尋はまたしても呆然としている。


『分からねぇよ。分かんねぇもんは分かんねぇよ!』


「真性の鈍感でござるな。正汰殿の行動、言動で、みなが笑顔になるならまだしも、女に涙を流させるのは男としてあってはならない。今の拙者の不貞な行為、見ていて不快だったでござろう? 怒りがこみ上げたでござろう? 身をもって体験できたでござろう?」


「っ……何が言いたいんだよ」


「その気持ちを、正汰殿の言動や行動によって感じている娘がいるということでござるよ。もうこれ以上言うことはないでござる」


 その時、視界が揺らぎ暗転する。

 四肢に感覚が戻っていき生を実感した。


「……あっ、ご、ごめんっ! すぐにどくから!」


「う、うん……」


 素早く千尋から離れた。

 お互いに背を向け、座り直し、沈黙が訪れた。

 着衣している音が後ろから聞こえる。くそっ、こんなこと、したくなかったのに。亮のこともあるからトラウマが蘇る可能性だってある。なんてことしてくれたんだあいつは。


「せ、正汰くん……」


「……何?」


「……ううん。なんでもない……」


 きっ不味い! 猛烈に気不味い! 何この雰囲気、空間は!?


『なんだか、事後みたいでござるな』


 おいお前、さっきと態度全然違うんですけど、何なのこの急激な落差は。

 てかこの状況作ったのお前だよね!?


 時計を見ると、今から学校へ行っても遅刻確定な時刻となっていた。

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