第二十六話 弊害


 お食事会? は無事お開きとなった。

 だが、終わるまで常に微妙な雰囲気だったことは否めない。みんな俺と母ちゃんのやり取りがあまりにも衝撃的だったようだ。

 千尋と一ノ瀬と長谷川が帰る際、母ちゃんに「夜遅いから送っていきなさい」と言われたが、一ノ瀬が「大丈夫です。皆さんはうちの者が送りますので」と言ってスマホを取り出しどこかに電話をかけた。


 五分後――


 リムジンが来た。そう、あのリムジンである。後部座席がえらく長いあの……。

 何故リムジンなんだ。一ノ瀬が良いとこのお嬢さんなのは知っている。言動、仕草、弁当を見ても一目瞭然だ。

 しかし何もリムジンじゃなくてもいいじゃないか。5人乗りくらいの高級車で良いだろう。まったく金持ちの感覚が分からないぜ(庶民の意見)


 とまあ軽く衝撃を受けた訳なんだが……、


「なあ沙彩……ごめんってば」


「ふんっ、お兄ちゃんの嘘つき。もうやらないって言ったのに」


 妹は絶賛ご機嫌斜めである。俺は今まで事あるごとに秘技を使って母ちゃんを静めてきたのだが、沙彩が小学校の高学年になった辺りから急に不機嫌になるようになった。最初は何故不機嫌になるのか分からかったが、今になれば分かる気がする。


「ごめんな沙彩。これやると兄ちゃんがキモくて不愉快にもなるよな。今時母親にあんな事言う奴いないし。居心地悪くして本当にごめん!」


「……はぁ。お兄ちゃんはどこまで鈍感なの」


「え?」


 呆れ顔でため息を吐く沙彩。ツインテールもそれに合わせて垂れ下がる。

 鈍感? 俺が? そんなバカな。俺はどこぞの鈍感系主人公とは違う。割と相手の気持ちを読み取れる自信だってある。今だって、キモイ兄を見て不快になったから不機嫌なんだろ?


「……キモイなんて、一度も思ったことないよ……」


「え、何? 聞こえない」


「もう! お兄ちゃんは黙って私の頭を撫でればいいの! 早くやる!」


「え、お、おう。分かった」


 なんだ!? 沙彩の感情がさっぱり分からない。読心マスターの俺が分からないなんて……。

 まあ取り敢えず、頭を撫でろと要求してきたので撫でることにしよう。それで満足するならいくらでもやってやる。これもお兄ちゃん特権だもんな。


 沙彩の背中に手を回し、体を密着させる。そして右手で優しく沙彩の頭を撫で撫でし、抱きしめる力をさらに強くした。

 がっちりホールドしたところで沙彩の耳元にそっと、


「……気持ちいか?」


 吐息交じりの声で、ふっと囁く。


「ひゃんっ! き、気持ちいよぉ……お兄ちゃん……」


 沙彩がぎゅっと力強く抱きしめ返してくる。そしてツインテールがパタパタと動く。

 沙彩は昔から頭を撫でられることが好きだった。いつも『落ち着く』、『気持ちがいい』と言っていた。なら今回はガッチリと抱きしめて『安心感』を追加で与えてみようと思ったわけだ。


『正汰殿……それはまずいでござるよ……』


 どうして? 沙彩が満足するなら良いじゃないか。この前もそうだったが、ケンシローは沙彩絡みの時は何故か控えめになる。いつも興奮するだの襲えだのあれこれ不埒なこと言ってくる癖して沙彩の時だけ割と普通なのだ。


「お兄ちゃん……もっとぎゅってしてぇ……」


「はいはい分かったよ。甘えん坊だな沙彩は」


「お兄ちゃんにだけなんだからぁ……」


「そうか。それは嬉しいな」


 兄冥利の尽きるな。妹に甘えられるのもあと数年、いやもっと早くに終わることだろう。下着は別々で洗うとか言い出すだろうな。少し悲しい気もするが、それは順調に成長している証であって決して悪いことではない。

 俺もだが、沙彩は幼い内に父親を亡くしている。今思えば、父ちゃんが死んでからかな、沙彩が俺に甘えてくるようになったのは。父ちゃん好きだったもんなあいつ……、調理だって、きっと父ちゃんを……。


「はい。お終い。風呂入ってこいよ」


「えー、もっとして欲しかったのに……だったら、それだったら、今日は一緒に寝」


「ません」


「ぶー」


 沙彩のツインテールが斜め上にピーンと伸びる。

 いや寝るのはいかん。それだけはちゃんと線引きしなくてはならない。だって、俺達は兄妹なんだから。


 沙彩は諦めたようで、渋々と風呂場へと向かった。


「はぁ……お次は……」


「正汰……その、お母さんも抱きしめて欲しいなぁ、なんて」


 秘技による弊害。母ちゃんは死んだ父ちゃんを俺に重ねてるのかは知らないが、めっちゃ甘えてくる。気を抜くと本当に親子として危ないとこまでいこうとするので、


「こめん、宿題しなきゃいけないから」


「えー、正汰のいけずぅ……」


 こういうとこ、沙彩は母ちゃんに似てしまったんだろう。


『いや、ここは攻めるでござるよ正汰殿! 母上殿も女、女でござる! 禁断の壁など飛び越えるのが武士道でござるよ!』


 なんで母ちゃんの時はそんなノリノリなの? 妹よりもヤバいだろ!? てかお前の武士道精神には失望したわ! 最初はカッコいいと思ったけど撤回だ撤回。


 俺はため息を一つ吐いて、二階の自室へと向かった。




 ♢♦♢♦♢♦♢




「お兄……ちゃん……」


「あなた……」


「ん、んー……っ!? か、母ちゃん!? 沙彩!? なんで俺のベッドで寝てるんだよ!」


 時刻は夜中の二時。

 喉が渇いたので目を覚ますと、俺を挟むように母ちゃんと沙彩が寝ていた。沙彩はまだ、まだ分かるとして、母ちゃん、あんたはアウトだ。

 こんなこと今まで一度も無かった。秘技によってしおらしくなり、俺に甘えてくる今の母ちゃんの状態でさえ、布団に潜ってくるなんてことは無かったのだ。

 沙彩が潜ってきたのは数年振りだ。本当に小っちゃい時に、怖い夢を見たかなんかで一緒に寝た以来だ。


『この家族やべぇでござるな』


「……だよな」


 俺は仕方なしに、一階のリビングにあるソファーで夜を過ごした。




 ♢♦♢♦♢♦♢




「お兄ちゃん起きて! 朝だよ!」


「んーもう朝か……」


 夜中に寝がえりをうった際にソファーから落ちてしまい腰が痛い。ったく女性の部屋には極力入らないという俺のスタンスがあだとなったな。次こんなことがあったら、沙彩の部屋で寝てやる。入るなと言われているが構わず入ってベッドを使わせてもらう。

 母ちゃんの部屋は生理的に無理。だって親だもん。


「もお! お兄ちゃんなんでソファーで寝てるの! せっかく私が添い寝しに来たのに!」


「一緒に寝るのはダメだって言っただろ? 次こんなことがあったら沙彩のベッドで寝てやるからな。いいのか? 兄ちゃんの匂いが染みついちゃうぞ? 嫌だろ?」


「はぅ!? お兄ちゃんの……匂い!? ……い、いいかも」


「だろ? そうだろ嫌だろ、分かったらちゃんと自分の部屋で……え? いいかも……だと?」


 何を言っているんだうちの妹は。頭おかしくなったのか?


「……私の匂いにお兄ちゃんの匂いが強引に染みついて……はぁん……」


「ど、どうしたんだよいきなり床に座りだして」


 沙彩は何かボソボソと呟くと、へなへなと力なく床に座った。顔が少し赤い、熱でもあるのかもしれない。

 体勢を沙彩に合わせて、おでこに手を当てる。……熱い。やっぱり熱があるな。


「沙彩、今日は学校休め」


「だ、大丈夫! 大丈夫だから……き、着替えてくる!!」


「あ、おい!」


 俺の制止を待たずして、内股でぎこちなく立ち上がり、二階の自室へと向かって行った。なんだったんだ一体。


「んー? なんでもう着替えてるのに、また着替えに行ったんだろう」


『拙者、正汰殿が怖いでござる』


「何言ってんだお前の変態具合の方が怖いわ」


 何故俺のことが怖いのかは知らないが、俺が怖いなら世界中の人間は皆怖いということになるぞ。俺の怖く無さを舐めてもらっちゃぁ困るぜ。


 俺はふっ、と軽い笑みを浮かべて食卓へむかった。

 さすが沙彩、既に朝ごはんを作っていた。朝から一流ホテルの飯を食ってる気になるんだよなぁ、一流ホテルの飯食ったことないけど。

 

 今日はオムレツ(ハートケチャップ)に食べやすいサイズにカットされたトースト、蒸したブロッコリーと人参が一枚の皿に綺麗に盛り付けられている。

 テーブルの真ん中には、クロワッサンが入った小さなバスケットがあり、その横に手作りと思われるプリンとゼリー、そして淹れたてのコーヒーがあった。


 ――見れば分かる、美味い奴やん。


 頬っぺたが落ちそうになるのを堪え、朝食を無我夢中で食していると沙彩が二階から降りてきた。特別変わったとこは何もない。さっきまでと同じ、普通のセーラー服だ。着替えた形跡なんてどこにもない。


「どうお兄ちゃん、美味しい?」


「ああ美味しいよ。俺は幸せ者だな」


 ありがとうの気持ちを込めて沙彩の頭を撫でる。ツイテルさん(ツインテール)も元気いっぱいパタパタしている。沙彩の感情と連動して動くので見てて面白い。どうやって動かしているのかは未だに分からないのだが。


「ずーっとお兄ちゃんが私の作った朝ごはんを食べられる方法があるんだけど……知りたい?」


「おう! 是非とも教えてくれ!」


「ふふっ、それはねぇ……私とケッコ」


 ――ピンポーン


 沙彩が言いかけたところでインターホンが鳴った。千尋が来たのかな。


「沙彩悪い、また今度教えてくれ」


「むぅ……」


 ツイテルさんは元気なくしな垂れ、沙彩はリスの様に頬を膨らませた。


 玄関を開けると、やはり千尋だった。なんかいつもと違ってひきつった笑みを浮かべているけどどうしたんだろうか。因みにひきつってても滅茶苦茶可愛い。


「千尋、今日は早いじゃん。うち上がってけよ」


「……うん。ありがとう……」


 まだひきつってるなぁ。取り敢えずお茶でも出して、ソファーにでも座ってて貰おう。


「千尋悪い、ちょっと待ってて。今急いでご飯食って着替えるから」


「ううん。ゆっくりでいいからね」


 とは言え気持ち早めに食べる。この美味い朝食をじっくる味わいたいところだが、待たせる訳にもいかない。

 朝食を食べ終わり、自室で寝間着替わりのジャージを脱ぎ、ワイシャツ着用。ネクタイを結び、ブレザーに袖を通す。最後にズボンを穿きベルトを締め完了。ここまで30秒かかってない。


「おまたせ、あれ、まだ時間あるな」


「正汰くんご飯食べ終わってから着替え終わるまで30秒たってないよ! すごい!」


 千尋もカウントしてたらしい。まあでも、いつもの笑顔に戻ってるな、良かった良かった。


「それじゃあお兄ちゃん! 千尋お姉ちゃん! 私もう行くね! 行ってきまーす!」


「気を付けてな」


「行ってらっしゃーい!!」


 沙彩の登校時間は俺らよりも少し早い。いつも沙彩は、途中までお兄ちゃんと一緒に登校したいと言っているが、こればかりはしょうがない。てか兄と登校しているとこを同級生とかに見られても恥ずかしくないのかな。


 沙彩を見送り、俺と千尋はソファーに座った。……会話がない。


「あっ、そうだ千尋。宿題見せてくれない? やってみたけど全然解けなかった」


「だーめっ! それじゃあ正汰くんのためにならないでしょ? 分からないところは私が教えてあげるから」


「そっか。ありがとう、千尋」


 うーん、ザ・幼馴染って感じ。最高だよ。


「ねぇ……正汰くん……」


「ん? 何? 麦茶のお代わり? よし分かった今」


「違うの。昨日のことなんだけど……」


「あっ……」


 そういうことか。何故千尋の顔が引きつっていたのか今分かった。俺が母ちゃんに行った秘技の所為だなこりゃ。

 そう言えば弁明の一つもしていなかった。あの時は母ちゃんもいたし。


「せ、正汰くんは……おばさんの事が好きなの?」


「いや、あれは訳があってだな……っ!」


 千尋の目から一滴の雫がつたった。そして、そこから次々と、ポロポロと雫が零れだす。不安そうな顔で、声を出すことなく、俺のことを見つめながら。

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