第二十五話 秘技
ニコニコと俺らの様子を窺っている母ちゃん。これ程までに母ちゃんのことを憎たらしいと思ったことはない。
何が本命だ、そんなの千尋に決まってんだろ。
お願いだからさ、ね? 早くご飯食べよ? せっかく沙彩が作ったご飯冷めちゃうよ、ねぇ沙彩? お前もそう思うだろう? と思いながら沙彩を見ると我が妹は真剣な眼差しで俺のことを見つめていた。あぁ、別にそんなことないってか。
『正汰殿、ここは母上殿のことが大好きぃ! 愛してるぅ! と言って場を微妙な空気にするのが得策でござる。ただ拙者が見てみたいだけでござるが』
バカなのこいつ!? 「気まずい雰囲気」から「微妙な雰囲気」にシフトチェンジするだけじゃねーか。何でわざわざみんなの前でマザコン宣言しなきゃいけないんだよ。てか俺マザコンじゃねーし!
「いやぁ……その……俺は……」
「「「「「……」」」」」
どうすればいい。親と友達がいる前で「千尋の事が好きだ」と本当に言ってしまうのか? なんの羞恥プレイだよ。
今は
「俺は……みんな大好きだ!!」
どうだ見たかこれぞ模範回答だ!
「正汰……。あなたってほんと……はぁ……」
「そ、そうだよね。正汰くん……らしいね!」
「月城くんは……そういう方ですものね」
「……ふんっ」
「お兄ちゃんの……すけこまし……」
え、なにこの反応。女性陣が呆れた雰囲気を醸し出しているのは一体どうしてだ!? あと沙彩の目の光が逝ってしまわれたんだが、すごく怖いんだか。
「な、なんだよ! 人がせっかく答えて――」
カチン。
突如視界が真っ暗になった。これは……もしや完全憑依か!?
「きゃーっ!!」
一つの甲高い悲鳴がリビング中を駆け巡る。
「あら、停電だわ。みんな大丈夫?」
「はい。驚きましたが大丈夫です」
「急に真っ暗になったからびっくりしたよ~」
「お兄ちゃんこわいっ!」
「よしよし大丈夫大丈夫」
あれ、沙彩って小さい頃から暗いの全然平気だったよな。お化け屋敷とか一人で行けちゃうぜこの子。あれぇ?
「長谷川さん? 大丈夫? 怖いの? 私が傍にいるから大丈夫だよ!」
「こ、子ども扱いするなぁ……うぅ……ぅ……」
どうやら悲鳴の主は長谷川だったようだ。あまりに乙女チックな悲鳴だったもんで最初は千尋か一ノ瀬、沙彩の内の誰か(母ちゃんは除外)だと思ったのだが、まさか長谷川だとは。
ペットショップの時といい、実は長谷川ってかなり女の子しているのではないか? 普段はツンツンして周りに人を寄せ付けないような素振りを見せてはいるが、その実中身はかなりピュアなのではないだろか。
『この娘に下な話をしてみたらどうなるか、試してみたいでござるなぁ……』
その気持ちは分かるが後だ後。
「俺ブレーカー見てくるよ。母ちゃん達はスマホのライトとかで手元照らしてさ、先にご飯食べててよ」
「優しいわねぇ正汰は。そういうところ、お父さんそっくりね……」
母ちゃん……そういう発言は空気が重くなるってドラマで覚えなかった?
♢♦♢♦♢♦♢
「やっぱブレーカー落ちてたか……よいしょっと」
スマホのライトで照らしながら、玄関に設置されているブレーカを上げた。
カチン。
「おーついたついた」
視界は明るくなり、リビングから「ついたー」と千尋の元気な声が聞こえる。
急に真っ暗になったから完全憑依されたのかと思ったが、ただの停電だったので一先ず安心した。今完全憑依されたら普通に詰む。
ま、取り敢えず電気はついたし、これで一件落着かな。だけど……なんか忘れているような……ま、いっか。
リビングに戻ると、女性陣は楽しそうに食事を開始していた。余程電気がついたことが嬉しかったのか、長谷川は安堵の表情を浮かべている。
「正汰、ありがとう。あなたのお肉多めによそっておいたわよ」
「ありがとう母ちゃん」
労働の対価なのか、俺の皿にはかなり多めに肉が盛り付けられていた。
それじゃあ俺も食べますかね。いい加減お腹すいたわ。
「正汰くんおつかれさま!」
「月城くんありがとうございます!」
「お兄ちゃんありがとっ!」
「……明るい……良かったぁ……暗くないよぉ……」
「おう。てか長谷川……お前大丈夫か?」
まるで、「戦争が終わったの? ……うそっ……うぅ……終わったんだ……戦争が終わったんだ!!」って顔してるわ。見ていて清々しい。
「なんだ……月城……」
「いや、なんでも」
そんな涙ぐんだ顔で言われてもねぇ。可愛いだけである。
さて、ようやくご飯を食べることが出来るな。まずはお肉を……っ!?
「美味しい? お兄ちゃん?」
「ウッマ! なにこれ!? なんなのこの肉!?」
すき焼きであるからして牛肉なのは確か、てかさっき俺と沙彩がスーパーで買った特売の牛肉だよこれ。
口内に入れてまず驚くのがその柔らかさだ。噛まなくてもいい……というのは言い過ぎだが、そう言ってしまいたい程に柔らかいのだ。咀嚼する毎に牛肉の芳醇な香り、しつこくないうま味が口の中にこれでもかという程に広がり、いつの間にか胃の中へと消えていく。
「何って、さっきお兄ちゃんと二人で買った特売の牛肉だよ?」
「沙彩……もうお前料理人になれ」
「お母さんもそれ思った」
既に沙彩の料理スキルは中学生レベルを優に超えている。どっかの名門料理学校で
「本当に美味しいですよ沙彩さん。うちのシェフでもここまでの品は作れません」
「えへへ、そうですか?」
うちの妹がプロの料理人を超えた件について。
「……これで……お兄ちゃんのお嫁さんに……」
「沙彩、何か言ったか?」
「ううん! 何も言ってないよ!」
「そうか」
沙彩がこっちをじーっと見て、何か呟いたように見えたんだが気のせいだったか。
それにしても美味いなぁ。中華の方も安定して美味いわ。この間作ってくれたやつも美味かったけどさらにパワーアップしてやがるなこりゃ。
「そう言えば正汰? さっきの本命は誰かって質問なんだけどね、やっぱり取り消しまーす。ちょっと可哀想だったしね。あ、でも、好みの女の子はどんな子なのかお母さん知りたいなぁ」
おい、首傾けてお目々パチクリさせるの止めろ。いくら見た目が20代後半で美人とはいえ、40代で二児の母であるという事実は変わらないんだぞ。
「……好みの? それくらいだったら別にいいけど」
本命の子を言うよりかは断然ましだな。
「「「「「……」」」」」
おやおや? 再び女性陣から無言の注目が集まったぞ。どうして女というのは色恋沙汰が好きなのかねぇ。俺の好みなんて知ってもなんも面白くないだろうに。
『俺は、エッチで、スケベで、淫乱な女の子が大好きでーす! って言うのが妥当でござろうな。さぁ!』
さぁ! じゃねぇよ。 それだったら「母ちゃんが好みの女性です!」って言った方が全然マシだよ! 俺マザコンじゃないけど!
「えーと。……よく笑う子かな。俺笑顔好きだし。あとは……料理も人並みに出来て家庭的であればなお良し……かな?」
「あら、それってお母さんのことじゃない」
「正汰くんそれって私のことだよね!?」
「もう~お兄ちゃんみんなの前で恥ずかしいよぉ」
今何が起こっている。母ちゃんは何故俺のことを照れながらチラッチラっと見ているのか、千尋は何故目をキラキラと輝かせて前のめりになっているのか、沙彩は何故頬を手で押さえくねくねと体を揺すっているのか。
「はい。もう言ったからな。この話は終了」
「ちょっと正汰! 逃げるの!?」
「ああそうだよ逃げるんだよ! 悪いかよ! あぁ!?」
「なっ! お母さんに向かって何て口のきき方してるの!」
「知るか! 俺は母ちゃんに聞かれたことに答えた。それでいいじゃんかよ!」
「正汰っ!! あなたって子は……!!」
実は母ちゃんを静めることの出来る秘技が存在し、そしてその効果は約24時間持続する。そのためにはまず母ちゃんを怒らせる必要がある。あともう一つ条件があるが、一先ず第一条件はクリアだ。
「あ、あの、どうか落ち着いて……!」
「あ、あたし、トイレ借ります」
お、長谷川逃げやがったな。今から直ぐにこの状況が収まるというのに。
沙彩は今から俺がやろうとしていることに気づいている様子だ。これをやると何故か沙彩は不機嫌になる。
そう言えば千尋はこれ見るの初めてか。あまり見せたくなかったがやむ負えん。ご飯を落ち着いて食うためならなんだってやってやる。
「……」
「なんとか言いなさいよ!」
「母ちゃん」
「何よ!」
母ちゃんを静める第二の条件とは――
「母ちゃん。そんなに怒ったら、母ちゃんの綺麗な顔が台無しじゃないか。俺はそんな母ちゃんを見たくないよ。だって……こんなにも美しく、可憐で、魅力的なのに! くっ……」
――俺の精神ゲージをごっそりと削り、母ちゃんを褒めちぎることだ。
「え? あ……えと、そう? もう何言ってんのよ正汰は……! ごめんね。お母さんカァっとなっちゃって」
「こっちこそごめん母ちゃん。少しの間とはいえ、俺のせいで母ちゃんの綺麗な顔を……歪ませてしまって」
「まぁ……正汰ったら……」
母ちゃんがしおらしくなり、そして頬を赤く染めていることを確認。これは秘技成功の合図である。
これで今から約24時間は大人しくなるだろう。母ちゃんはこういう人が多い時に俺へのちょっかいが止まらなくなる。このままいけば、幼馴染で小さい頃からいつも一緒だった千尋でさえ知らない俺の恥ずかしい秘話が暴露されかねない。
母ちゃんを怒らせるのは胸が痛むし、褒めちぎるのも精神的にキツイし、代償は小さくないが早めにこの秘技を使えて良かった。
この秘技は今は亡き父ちゃんが母ちゃんと喧嘩した時に使っていた技で、俺はそれを見て育ってきた。父ちゃん……父ちゃんの意志は、確実に受け継がれているぜ!
「お兄ちゃんのばか……それはもうやらないでって言ったのに……」
「あ、あの……今、何が起こったのでしょうか……」
「私も分からないよ……一ノ瀬さん……」
沙彩は頬をぷくぅと膨らませてご機嫌斜めだし、一ノ瀬と千尋はただただ唖然としている。それもそうだろう。同級生の男子、かたや幼馴染が母親に対して歯の浮くような甘い言葉を囁いたのだから。
「えっ!? なに、この雰囲気……」
トイレから戻ってきた長谷川はこの食卓に漂う異常な雰囲気に動揺していた。
お前はまだいい。肝心なところを見ていなかったのだからな。
『おったまげぇ……』
どこで覚えたそんな言葉。
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