第二十四話 退院
「正汰君」
「……はい」
顔にしわを寄せ、深刻そうな顔をする主治医。
俺の身体に何かあったのだろうか。もしや後遺症が残ったとか? なんにしろこの雰囲気はただ事ではないな。
「今朝行った精密検査の結果なんだが……君の身体ね、ほとんど完治していたよ」
「え、本当ですか?」
「本当なのかどうか疑いたいのは寧ろこちら側でね。奇跡……としか言いようがないんだ。全治一か月以上掛かる重傷を負っていた君が、たった三日で完治したのだから」
主治医は「はぁ」と呆れがちにため息をつき、俺の身体を足から頭にかけて
良かった。後遺症とかじゃなかったんだ。
「てことは俺って……」
「ああ。退院だよ。一先ずはまぁ、おめでとう。本当なら様子見でもう少し入院して欲しいところなんだが、君の身体は健常者そのものだ。健康な状態で入院は辛いだろう? 入院費だってただではないからね」
「あ、ありがとうございます」
「それじゃあ、支度して、早く元気な姿をご家族の方やお友達に見せてあげなさい」
ニコリと微笑みながら言うと、主治医は病室を出て行った。
今思えば、胸の痛みは感じないし、腕の痛もない。てか動かせる。
全身が強張るような筋肉痛は残っているが、それ以外はなんともない。
始めて完全憑依の状態で闘った時も、動けない程の筋肉痛でベッド生活だったっけ。ってあれ? あの時も確か三日で普通の筋肉痛レベルにまで回復したよな。今回も三日で完治……もしかして……。
『良かったでござるな』
「……え? ああ。そうだな」
この三日間の入院生活。母ちゃんや沙彩、千尋達に世話になったもんだ。
特に沙彩と千尋。この二人はあまりにも献身的過ぎた。その献身ぶりはナースが若干引き気味になる程だった。同室の入院患者は爆発しろだとかなんとか小さい声でずっと言ってたし。
俺は目立つ事が嫌いなんだよ。だからそこは勘弁して欲しかった。でも、看病自体は嬉しかったです。はい。
ベッドわきに置いてある俺のカバンからスマホを取り出し、電話帳から【沙彩】を選択しタップする。
もう学校から帰ってきている時間帯のはずだ。
——プルルルルルルルル
『お兄ちゃん! どうしたの!? 体調悪いの!? わ、私今すぐ行くから! 待っててね!』
「ちょ待て待て待て! 落ち着け! 兄ちゃん全然大丈夫だから」
たったのワンコールで電話に出た沙彩は、酷く焦っている様子だった。
それに声量もやけに大きく、スマホのスピーカーから聞こえる沙彩の声で鼓膜が破けるかと思った。
その声は隣の入院患者さんにも聴こえていたらしく、わざとらしい咳払いをされた。本当すいませんね、うちの妹が大きな声だして……。
俺は無言で、カーテンに
『そうなの? なら良かったよぉ。……それでどうしたのお兄ちゃん?』
「兄ちゃん、今日退院することになったんだよ。久しぶりに沙彩が作ったご飯食べたいなぁ。久しぶりって言ってもたったの三日だけどな」
『ええっ!? 本当に本当なの!? 退院おめでとうお兄ちゃん! ご飯なんてお兄ちゃんのためならいつでも作っちゃうよ! あ、私すぐに病院に迎えに行くからね!』
「ああ、ありがとう。待ってる」
スピーカー越しにドタバタガッシャンと音が聞こえて、沙彩が慌てている様子が容易に分かってしまう。可愛い奴め。
本当、なんでか沙彩は俺の事となると騒がしくなるんだよなぁ。
以前千尋に、中学校での沙彩はどんな感じなのか教えてもらったことがある。これは千尋の膨大な人脈によって成せた業なんだが、話によれば沙彩は女子同士では愛想良く誰とでも仲良くなれる人気者であると。だが、男子に対しては素っ気なく、中々に冷酷な態度を取るらしい。だがそれがかえって男子にはクールビューティーに見えてしまい、人気や好意は絶えることはないのだそうだ。
この話を千尋から聞いた時、すぐには信じられなかった。家での沙彩を知っているから、沙彩が男子に対して冷酷な態度を取るなんてことを、全く想像ができなかったんだ。
別に男が苦手って訳ではないはずだ。現に俺と普通に接してるし、喧嘩した日の夜に「私が将来男の人と付き合った時の予行練習」とか言って俺に大胆なことしてきたしな。
好きな男の一人や二人いたって全然おかしくない。
兄として、お節介かもしれないが最近の沙彩を見ていると色々と不安だ。
「……そこんとこ、探り入れとして沙彩と少し話すか」
『なんの話をでござるか?』
「いやちょっと、沙彩に学校のこと聞こうと思ってな」
『そうでござるか』
♢♦♢♦♢♦♢
沙彩は俺が電話をした十分後くらいに病院に到着した。
俺の顔を見るなり泣きながら抱き着いてきて、可愛いなぁと思いつつ、抱き着かれても痛みを感じない程に身体が回復している事を実感する。
そのまま帰りは晩御飯の食材を購入する為に二人でスーパーに寄った。
食材を選んでいる時に同じコーナーを見ていたオバサンに「夫婦でお買い物ですか? いいですねぇ」とニヤニヤとした顔で言われた。
ウぜぇなぁと思いながら俺は速攻で否定したのだが、沙彩が顔を真っ赤にしながらも「そうなんです!」とか言いやがった
普通に考えてさ、こんな若い夫婦いるわけないでしょ……。片方13才だぜ? まあ確かに俺と沙彩は顔は全然似ていないし兄妹には見えないかもしれないけど、よくてカップルだろうよ。
長い長いおばさんのいらん話から解放され、ようやく自宅の門までたどり着いた。
「おおー我が家だ」
「ふふっ、何言ってるのお兄ちゃん。早く中に入ろ!」
家に帰るのが三日振りという短い期間ではあったが、長旅から帰還したような気持ちになる。スーパーで会ったオバサンから解放された喜びがなお、その様な気持ちにさせる。
自宅の玄関のドアを開け、両手にそれぞれ握っている山積みの具材が入ったスーパーの袋を下ろす。筋肉痛はまだあるので実は結構辛い。
「あー重かったぁ。ちょっと買いすぎたんじゃないか?」
「いいの! 今日は退院祝いなんだから!」
せかせかと台所へ向かう沙彩。俺は再びスーパーの袋を両手それぞれに持ち、沙彩の後を追う。
さっき買った具材からして、今日の晩御飯はすき焼きかな? 後は中華系の料理が何品か、といったところか。前に沙彩は中華の練習をしていると言っていたからな。
あいつ、中華鍋で作るから意外と本格的なんだよなぁ。中華鍋って火の通りが早いから扱いが難しいはずなんだけど普通に扱うからな。そこら辺は父ちゃんの遺伝子なんだろう。
「お母さんもうすぐお仕事終わるって。今日は早く帰って来れるみたい」
「そっか。……なあ沙彩。母ちゃんが何の仕事してるか知ってる? 兄ちゃん全然知らないんだけど」
いつも帰る時間がバラバラなもんだから気にはなっていた。
「私も知らないよ。すごく気になるけど……なんだか聞いちゃだめな雰囲気がして……」
「ああ分かるわ。そんな感じするよな。まあでも、家に帰ってくる時間帯的に夜のお店では働いてなさそうだけどな」
「よ、よよよ夜のお店って……おに、おお兄ちゃん!? 何言ってるの!?」
沙彩の顔がポッと赤く染まり、目がぐるぐると回りだした。
取り敢えず無言で沙彩の頭を撫でてやると、気の抜けた笑みをこぼし、嬉しそうに目を瞑っている。まぁ……多分落ち着いたんだろう。
てか夜のお店の意味知ってんのか。兄ちゃんちょっとショックだわ……。
父ちゃんが死んでから、俺達兄妹は母ちゃんによって養われてきた。
父ちゃんの生命保険で降りた金、母子家庭の援助金だけじゃ当然のことながら食ってくことは出来ない。必然的に母ちゃんは働き始めた。
だが未だに収入源がなんなのか謎のままなのだ。自分で言うのもなんだが、うちは何不自由なく生活が送れる程に裕福だと思う。スマホだって俺と沙彩に持たせてくれているし、旅行だって普通に行く。今思えば電化製品も最新の物ばかりだ。
だけど、母ちゃんには仕事の事は聞けない。本人が言わないということは、言いたくないような仕事なんだろう。あくまでも憶測だけど。
「んじゃあ俺部屋行ってるわ。ご飯出来たら呼んで」
「うん分かった! 飛び切り美味しいの作るからね!」
エプロン姿の沙彩が、おたまをふりふりと振ってバイバイをする。
うん。あれだな。やっぱ俺の妹可愛すぎるわ。
階段を上り自室に入る。
当然だが、三日じゃ何も変わってない。あたりまえか。
千尋に電話でもするかな。まだ退院したこと言ってなかったし、お見舞いとか看病をしてくれたお礼も兼ねてな。
スマホの電話帳から【黛千尋】を選択し、タップする。
——プルルルルルルルル
『正汰くん!? 何かあった!? わ、私今すぐに行くから!』
「大丈夫だよ千尋。別になんともないよ。ただ、俺が退院したことを伝えようと思って」
これ系の反応には二度目だからかさすがに慣れた。
千尋も沙彩と同じ様なことを言ってくると思ってはいたが、まさか沙彩と同じようにワンコールで出るとは思わなかったなぁ。あの二人はワンコールで出る訓練でもしているのだろうか。
『そうなの!? 良かったぁ本当に良かったよ! 何かあったかと思っちゃったじゃない! 正汰くん普段電話なんかしないから……。でもあれ? 正汰くん……両腕と肋骨骨折してたよね? あれれ?』
流石に怪しがるか。あの重傷が三日で治るなんて普通ないもんな。
そう言えば、沙彩は疑問に思わなかったのか?
「あーそれなんだけど……奇跡的に完治したみたい」
『えっ……そうなの!? すごいね! そんなことってあるんだ! さすが正汰くんだね!』
「お、おう。まあな」
俺だったら絶対信じないけどなぁ。ほんと、悪い奴には騙されるなよ千尋……。
しばらく雑談した後、電話を切った。
『純粋って良いでござるなぁ。いじめたくなっちゃうでござるよ~グフフ』
「おいてめぇ! もし完全憑依した時に変な真似したら許さねぇからな」
『冗談でござるよ。その変な真似を、実際に行うのは正汰殿でござるからな。はっはっはっこりゃ失敬』
「くっ……こいつ」
忘れるな俺。こっちがケンシローの素だ。真面目モードは
俺が退院した途端にかましてきやがって。余計に
「お兄ちゃんー! ご飯できたよー!」
階下から沙彩の元気な声が聞こえてきた。
さて食いに行きますかね。病院食じゃない料理が食べたくて食べたくてしょうがなかったんだ。
♢♦♢♦♢♦♢
「どうしてこうなった……」
食卓の中央には、鍋の中でぐつぐつと煮えているすき焼きが、その周りには麻婆豆腐やチャーハン、春巻にチンジャオロースなど、その他数品の中華料理がずらっと並べられている。そこまではいい。実に美味しそうである。
だがしかし……。
「今日は来てくれてありがとう。おばさん正汰にこんな可愛らしいお友達がいたなんて、病院で会うまで知らなかったわよ」
「こ、こちらこそ、お招き下さり、あ、ありがとうございます!」
「ど……どうも」
「千尋ちゃんのお料理食べるの久しぶりー!」
千尋はまだ分かるが、なんで一ノ瀬と長谷川が来ているんだ?
母ちゃんが帰って来るやいなや、「随分沢山作ったわねー」と言いながら誰かに電話を掛けていた。それから間もなくして家のインターホンが鳴り、このメンツがいきなり勢ぞろいしたわけなんだが……。
「この量はさすがに私達三人じゃ食べきれないのよ。千尋ちゃんに電話して良かったわ!」
「一ノ瀬さんと長谷川さんも来れて良かったよー」
「お、おい待て! あたしは無理や、」
「ほらみんな! お料理が冷めちゃうわ! 早く食べましょ!」
長谷川は何か講義しようとしていたが、母ちゃんによって遮られた。
ああ、長谷川は強制参加させられたわけっすね。お疲れ様です。
そう言えば、一ノ瀬の私服初めて見たな。お嬢様らしいお淑やかな服装かと思いきやこれまた以外、白のハイネックに黒のサロペットスカートだった。すごく……良いっす。
長谷川は紺のショートパンツに白のフード付きトレーナーとかなりラフな格好だった。前にペットショップで会った時も水色のショートパンツにグレーのパーカー、あとツバのある帽子をかぶってたっけか。どうやらラフな服装が好みなんだな。スタイルの良さとつり目の所為か、違和感がない。きっと可愛い系の服でも似合うんだろうなぁ。いや、似合ってしまうんだろう。
千尋は随分と大人っぽいネイビーのワンピースを着ていた。日頃から大人っぽさを心がけているみたいだか、別に心がけなくたって全然いいのにな。そのままで十分可愛い。てか逆に普段の言動はかなり子供っぽいよな……なんて本人には絶対に言えないけど。
「あ、美味しい……」
「そうでしょ伊月ちゃん! 沙彩ったら私よりも料理が出来るのよ。もう毎日ご飯が美味しくてしょうがないわ!」
「もう! やめてよお母さん!」
母ちゃんの娘自慢に長谷川は困った様子で苦笑いをして、沙彩は照れくさそうに嫌がった。
でも本当、沙彩の作るご飯本当に美味しいんだよなぁ。ていうか長谷川、その苦笑い止めれ。不気味な笑み過ぎる。笑うならペットショップで猫を相手にしていた時の可愛い笑顔をしてくれ。あの時は可愛いかった。「にゃー、そうにゃー。プリンかえなかったのにゃー」だっけか。いやー録音したかったわ。
「なんだ月城」
「いえ、なんでもありません」
長谷川が俺の方を向いて睨んでいた。
おうおうおっかないぜこの子。間違いなく殺気向けて来たな。俺にしか分からないからいいものを、まったく。
「あ、そう言えば正汰。 あなたはこの四人の中で一体誰が本命の子なの?」
「「「「……」」」」
「ちょ、何言ってんの母ちゃん!?」
あっれれー。おっかしーぞー。俺と母ちゃん以外みんな黙って箸を止めちゃったぞー。
母ちゃんが余計な事言うから変な空気になっちゃったじゃんか! ……え? あれあれ? なんでみんな俺のことそんな真剣な目で見てるの? ちょ、え?
『ああ、修羅場……いいでござるなぁ。たまらん。ちゃっかり実妹である沙彩殿もカウントされているのもなかなかにナイスでござるな』
もしかして俺、絶体絶命のピンチ!?
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