第十八話 デリケート

 

 背後から鋭く鋭利な視線を感じる中、朝のホームルームが始まった。


「お前らいいか? いよいよ体育祭が近づいている。今の内に体動かしとけよ」


「うぉぉ!」 と盛り上がる奴もいれば、「えぇぇ……」と嫌そうな顔をする奴とに別れた。

 当然俺は後者である。

 そもそも運動が得意では無いということもあるが、何より集団でワーワーやるのをあまり好まない。

 剣高つるこうの体育祭は以前、俺と千尋と亮の三人で見に行った事がある。

 校門から校舎までを繋ぐ花のアーチがある広い敷地内に、売店などのブースが展開し、ここだけでも大変な賑わいを見せる。

 俺と千尋は食ってばっかで体育祭自体はあまり見てなかったんだよなぁ。亮は一人で盛り上がってたけど。


「でだ。もう分かってる奴もいると思うが、体育祭のめには剣高つるこう伝統のフォークダンスがある。よって今からペア決めを行う」


 教室中がざわざわし始める。

 竹やんは自前で作ったと思われるくじ引き用の立方体の箱を教卓の上に置いた。

 あれ、今どこから出した!?

 箱を出した瞬間、ざわざわとしていた教室内がしんと静まる。


「ペアはくじ引きで決める。うちのクラスは40人だから、1から20までの番号が書かれた紙がそれぞれ2枚ずつこの箱の中に入れてある。同じ数字同士になった奴がペアだ! 右の席から順に引いていけ」


 くじ引きか。「好きな奴同士でペアを組め」という地獄の司令よりは断然マシだ。

 どうせだったら千尋とがいいなぁ。


 一人一人、慎重な面持ちでくじを引いていく。

 

「正汰くん。一緒のペアになれるといいね!」


 後ろを振り返り、微笑みながら千尋は言った。

 この子はどうして恥ずかしげもなくそんな事を言えるの。勘違いしちゃうよ? 良いの? 良いのね!?


「お、おう。そうだな」


『グフフ』


 皆、順にくじを引き終わり、窓際の列にまで順番が回って来た。

 俺の隣の席である一ノ瀬も引き終わり、順調に進んで千尋の前の席の奴もくじを引き終わった。次は千尋が引く番だ。

 ちなみに一ノ瀬は「6」だった。


「なんだか緊張するー」


 そう言い残して箱が置いてある教卓へと向かい、恐る恐る慎重にくじを引く千尋。

 番号を確認したのち、スタスタと席へもどる。


「何番だった?」


「6番だったよ! 一ノ瀬さんと一緒だね!」


「本当ですね! 黛さん、よろしくお願いします」


 千尋のペアになったのは一ノ瀬だった。

 悔しいが二人は仲が良いし良かったと言えよう。

 飢えた男子共と千尋がペアになるのを避けれた事は大きい。


「次は正汰くんの番だよ!」


「……ああ。行ってくる……」


 正直かなりショックを受けている。

 これで俺とペアになるのは、一ノ瀬と千尋を除いた男子女子の誰か。この際男子の方が俺としては嬉しい。

 俺にそっちの気があるという訳ではなく、ただ単純に女子と踊るのが恥ずかしいだけだ。

 頼みの千尋も、あと一ノ瀬も、既に決まっているため絶望的。

 こうなったら意地でも男子を引き当ててやる!


「1番……」


 くじを引くと、紙には「1」と書かれていた。

 さて、男子に「1」はいるのかな。頼む。男子カモーン。


「おい、次お前だぞ」


 次でラスト。長谷川が最後だ。

 長谷川は無言で席を立ち、しれっとくじ引いて、しれっと席に着いた。

 ほんとに興味ねぇって感じだな。


「みんな引いたな! それじゃ同じ番号の奴探して挨拶しとけよ! はい、これでホームルーム終わり!」


 竹やんは箱を抱え、早急に教室から出て行った。

 教室内は、「13番の奴いるー?」とか「やった! 同じペアだね!」とか「お前とかよ……」と、様々な感想が飛び交っている。

 同じ番号の奴探せって言ってもなぁ、なんか恥ずいな。

 無いとは思うが一応長谷川の番号を確認しとくか。絶対に無いだろうけど。


「なぁ長谷川。お前何番?」


「……1番」


 長谷川は俺を睨みつけ、ボソッと答えた。

 そんなに眉間にしわを寄せちゃって、疲れないのかな。

 ……ん? ちょっと待って!?


「俺と一緒じゃん」


「なっ! 誰がお前なんかと組むかっ! この破廉恥変態男!」


 うわーお。辛辣。

 ま、何もかもケンシローの所為なんだけどな。

 なーにが「良い匂いがする」だ! 最後に余計な事言いやがって。 ほんとふざけんなよマジで。

 確かに、長谷川めっちゃ良い匂いしたけどさ……って俺のアホっ!


「長谷川、破廉恥変態男は止めろ。変態破廉恥男だと語呂が悪いから破廉恥変態男にした気持ちは分かるし殊勝な心がけなんだが、それでも、破廉恥変態男は止めろ」


「さっきから破廉恥変態男破廉恥変態男ってうるさいわよ! この破廉恥変態男!」


「なんだと!? この、こ、このぉ、」


『睨んでいても可愛い奴め!』


「睨んでいても可愛い奴め!」


 あっ……。


「なっ! か、可愛い!? なな何を言っているんだ! こ、この変態破廉恥男!」


 長谷川は顔を朱に染め、蒸気している。

 まずい。ケンシローの呟いた台詞をそのままつられて言ってしまった。

 それになんだよ! 「睨んでいても可愛い奴め!」って。 俺が言うのもあれだが、もっと良い言葉のチョイスがあっただろ!? 太ってる子に対して、「君は太ってるけど可愛いね!」って言ってる様なもんだ。


「悪い、つい、」


『本音が……』


「本音が……」


 あー! まただよ、またやっちゃったよ! 頼むから大人しくしててくれ!


「えっ……。まっ、またそう言って! あたしはお前とは絶対に組まないからな! 納豆の海で5キロ遠泳した方がまだマシだ!」


『おやこれは! グフフ』


 納豆で遠泳って……俺の事嫌いすぎだろ。さすがにちょっと凹む。

 数ある「〜の方がマシ」シリーズの中で納豆の海で遠泳を選択するとは……しかも5キロ。

 ふっ、やばい、個人的にツボ。


「なあ長谷川……」


「な、なんだ」


「いや、なんでもない」


「なんなんだ!」


 あぶね。「長谷川、お前面白いな! あっはっはっは!」って言う所だったわ。絶対キレられる。てかもうキレてる。

 長谷川は一層睨みを強くし、怒っているからか顔も赤い。


「ほら、次体育だろ? 早く更衣室行けよ。男子は教室で着替えだし……あっ、もしかして男子の着替え見たいの? 長谷川のスケベ」


「なっ! な、何馬鹿な事を言っているんだ!」


 長谷川の顔は一層赤みを増し、慌てて教室から出て行った。

 ……勝った。

 散々言われて来たんだ、これくらいしてもバチは当たらん。

 そう言えば長谷川の睨んだ顔……確かに可愛いかもな。


『そうでござろう?』


「勝手に心読むな」


 おいおい、心は読めないって設定だっただろ!? たまたま……たまたまだよな!?




 ♢♦♢♦♢♦♢




 空は快晴。絶好の体育日和。


「いいだろ、別に練習なんだから」


「うるさい! 誰がお前なんかとやるか!」


『ここだけ切り取るとエロい会話に聞こえるでござるな』

 

 眩い太陽の日差しが照りつける校庭のグラウンドには、今朝決まったペアが各々で練習を始めていた。

 そう。今日の体育はフォークダンスの練習だ。ペアが決まった日にいきなりで驚いた。

 千尋・一ノ瀬ペアの練習を観ると、ぎこちなくだがもう既に形になってきている。


『正汰殿。最高な組み合わせでござるな……』


「ああ……そうだな……」


 こいつと意見が合うだなんて癪だが、事実なのだから仕方がない。

 だってなにあれ、見てて眩しいよ。

 美少女と美少女が手を取り合って踊ってるんだぜ? 最高以外の何があるってんだ。


「も、物分かりがいいじゃない」


「あ、え? なんの話?」


「ああ、そうだな……って言ったじゃない!」


 ケンシローと話す時は最善の注意を払わなければならない。

 声に出さなければ会話不可というめんどくさい設定の所為で、はたから見れば俺はぶつぶつと独りで何か言ってる痛い奴だ。

 今回はすっかり気を抜いていた。

 ケンシローがあまりに的を得た発言をしたもんだから思わず賛同の声を上げてしまったではないか。


「悪いな。ただの独り言だ」


「ふんっ、紛らわしい」


 次からは気をつけなければな。

 ……あれ?


「なあ長谷川、よく俺の独り言が聞こえたな。自分でも結構、いやかなり小さめの声だったと思ってたんだけど」


「なっ!  いや、それはその……あれだ! あたしは耳が凄く良いんだ!」


「へぇ、耳が凄く良いのか」


 長谷川は急に慌てだし、顔を赤くした。

 なんか変な事でも聞いたか? ただ疑問に思った事聞いただけなんだけどな。

 んー。なんだろうな。思えば長谷川との会話はワンパターンなんだよな。

 俺が話す。

 長谷川が反抗する。

 俺が話す。

 長谷川が反抗する。

 この繰り返しの様な気がしてきた。

 練習しようと言っても拒否られるのは明らか。これではいつまで経っても練習のれの字も出来やしない。


『正汰殿! ここは無理矢理でござるよ。む・り・や・り☆ 時に、強引さが必要な事もあるでござる』


 強引ねぇ。それも一つの手なんだろうけど、やっぱり女の子に強引は良くないよな。それをしてしまったら男として終わってしまう気がする。


『いざ! 決戦の火蓋ひぶたが——』


 うん。取り敢えず無視の方向で。


 さてどうしたもんかね。

 ……あっ! そうだ物で釣ろう。

 好きな食べ物とか聞いて奢ってやるとか言えば練習してくれるかもしれない。

 沙彩にもこのり口で俺の言うことを聞かせた事がある。


「なあ長谷川。お前好きな食べ物ってあるか?」


「……別に、これといって無い。急にそんな事聞いて何が目的だ?」


 長谷川は腕を組んで俺を睨む。

 可愛い怖いなこれ。新ジャンル築けそうだ。

 しかし思いのほかガードが堅いな。

 まあいい。実は長谷川の好きな食べ物は既に知っている。

 例の決闘があった昨日、俺の隣で眠っていた長谷川が「プリンー……プリンだぁ……ふふふ」と寝言を言っていたのだ。


「プリンでも奢ってやろうかと思ったんだけどさ、ま、別にいいか。忘れてくれ」


「っ! ……」


 今ピクって動いた。


「ち、ちなみに、ちなみにだぞ。そのプリンはどこのプリンだ? コンビニか?」


「いや違うぜ。今流行りのプリン専門店【スイート・グランデ】の濃厚カラメルプリンだ」


「っ!? ……」


 またピクって動いた。

 めっちゃ分かりやすい反応を見せるな。明らかに目の色が変わった。

 長谷川はもじもじと身体を動かしてちらっちらっと睨んでくる。睨んでるのかよ。


「あれ? 食べたいの?」


「……べ、別に……」


 やべ、弄るの楽しい。俺にこんな趣向があったとは。


『正汰殿……良い性格してるでござるな……』


 お前が言うな。


 ああだこうだしている内にチャイムが鳴り響き、授業の終わりを告げた。

 ……結局、長谷川を弄るだけで練習は出来なかった。




 ♢♦♢♦♢♦♢




「千尋ー、長谷川が俺の事嫌い過ぎて練習してくれない。助けてくれ」


「えー、そうかなぁ? 長谷川さん、正汰くんと一緒にいて楽しそうに見えたけど」


「ない、断じてそれはない。俺と組むくらいなら納豆の海で遠泳した方がマシだって言ったんだぞ! しかも5キロ!」


「ぷっ、長谷川さん面白いね!」


「だろ」


 俺は今日あった事について千尋に愚痴をこぼした。

 俺達の登下校は基本、朝は世間話、帰りは今日あった事などを話す。

 もっぱら帰りは俺の愚痴ばかりになってしまうのだが、千尋はちゃんと聞いてくれるし会話を続けてくれる。ほんと良く出来た子ですよ。


「ねえ正汰くん!」


「ん? なんだ?」


 足を止め、じーっと千尋が俺の事を見つめる。

 どうしたんだ急に立ち止まって。しかも見つめてくるなんて……はっ! まさか、この流れは……こ、告白をされるのではないか!?

 背景はまだ日が完全に沈み切っていない夕暮れ時。

 なんの偶然か周りには俺達以外に通行人がいない。

 ついに、俺にも春が訪れ――


「商店街に寄っていかない?」


 ――なかった。


「えっ、商店街? 別にいいけど……」


 お、思わせ振りな事しないでっ! 男子の心はもろいのよっ!


「正汰くん。なんだか顔が暗いよ? 嫌、だった?」


「違う違う、違うよ。全然そんな事ない。むしろ超嬉しい」


「本当? 良かった!」


 なんでい、この無邪気な笑顔は。ずるいよ畜生。


『自然に男性の心を弄ぶとは……。天然が故にかなりたちが悪いでござるな。……拙者も心を弄ばれたいっ!』


 おう! もっと言ってやれ! 最後のはどうでもいいけど。

 しかしそれくらいの事、わざわざ足を止めてまで言うなよなぁ。そりゃ期待もしちゃうわ。


「じゃあ行こうぜ」


 俺は歩き出し、千尋も俺の歩調に合わせて隣を歩く。

 その歩きながらニコッて笑いかけてくるの止めてくれませんかね。

 キュン死にしてしまう!


「二人で商店街に行くの久しぶりだね! 子どもの頃一緒におつかいに行った時以来じゃない?」


「そう言えばそうだな。あの時は俺が財布忘れて往復したんだっけか」


 千尋は手を後ろで組んでニヤニヤと笑った。

 いやほんとごめん。今でも申し訳ないと思ってる。

 あの日見た千尋の愕然とした顔は一生忘れないだろう。

 二人で思い出話にふけっていると、いつの間にか俺の家の前にまで来ていた。


「なあ千尋、ちょっとここで待っててくれないか? すぐ戻るから」


「うん。分かった」


 早足で家の門を通りドアを開ける。

 多分もう帰ってきてると思うんだけど……。


「沙彩ー、いるかー?」


 直後、二階から勢いよくドアを開く音が響き猛スピードで沙彩が階段を降りてきた。

 いつも思うんだがそんな急がなくてもいいぞ? たかが兄の帰還くらいで。


「お兄ちゃんお帰り!」


「おう、ただいま」


 部屋着姿の沙彩がはぁはぁと息を上げている。

 さっきからツインテールがパタパタと犬の尻尾の様に動いているのは気のせいだろうか。


「それで、どうしたのお兄ちゃん」


「今から千尋と商店街に行くんだけどさ、なんか欲しい物とか食いたい物ある? ついでだから兄ちゃん買ってきてやるよ」


 沙彩には千尋に負けずとも劣らない看病をしてもらったしな。お礼を込めてここは何でも買ってやろう。


「…………」


「ん? どうした千尋? なんでもいいぞ! でも高すぎるのはちょっと、」


「お兄ちゃん」


「ん?」


 沙彩がほっぺを膨らませて俺に詰め寄ってくる。


「……千尋お姉ちゃんと行くの?」


「そ、そうだけど」


 何故だかしらんが、沙彩の機嫌がよろしくない。ほっぺを膨らます時は怒ってる時か拗ねている時のどちらかだ。

 原因はなんだ。もしかして今日学校で嫌な事でもあったのか?


「どうしたんだよ沙彩。何かあったなら兄ちゃん相談に乗るぞ?」


「……お兄ちゃんのバカ」


 そう言って、沙彩は走って階段を駆け上がり自室へ戻っていった。

 扉を閉める音は、最初に開いた時よりも心なしか大きかった。


「沙彩……」


『正汰殿は女心が分かってないでござるなぁ。沙彩殿が不憫でござる』


「どういう事だよ! 意味分かんねぇよ……」


 沙彩に声を掛けたいが今は千尋を待たせている。帰ってからにしよう。

 俺は重い足取りで玄関の扉を開けた。


「正汰くんおっそーい!」


「ごめんごめん」


 俺は心にシコリを残したまま、千尋と商店街へ向かった。

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