第十七話 想起


【正汰くん! 大丈夫だった?】


【大丈夫だよ。ま、色々あって引き分けになったけど】


 ベッドに寝ころびながら千尋とメールを交わす。

 千尋には何から何まで話すつもりは無い。内容が内容だし。

 長谷川と決闘どころか保健室で一緒に寝ていたなんて誰が想像できただろうか。ありえないにも程がある。


【引き分けなんだー。負けるんじゃなかったの?】


【それがさ、なんか楽しくなっちゃって最後までっちゃったんだよ。それで結果は引き分け】


 嘘です。


【そっか。まあ無事に済んで良かったね!】


【そうだな。んじゃ疲れてるしそろそろ寝るわ。おやすみ】


【うん。おやすみー】


 本音はもっと千尋とメールをしていたかったけど、今日は身体に無理をさせているから早く寝た方が良いと思う。

 毛布を頭から被り、目を瞑る。

 長谷川は兄貴の仇と言っていた。兄貴というのは否応なく亮のことで、そして仇の対象は俺だ。

 亮はケンシローと打ち合った末に敗れ、千尋にした事も含め、『けじめ』としてこの学校から去った。長谷川が仇だ仇だと俺に言ってくるという事は、少なくともこの事実を兄である亮に聞いていたのだろう。

 

 亮は……俺の中では良い奴で、恩人で、たった一人の男友達だった。

 

 出会いは中学。

 俺は小学校ではそれなりの良いポジションや地位があり学生生活を謳歌していた。だが、中学に上がった途端に俺の居場所は無くなった。

 小学校の連中は中高一貫校を目指し、塾へ通い黙々と勉強し始めた。結果それぞれの中学へと進学した。俺は勉強なんて馬鹿らしいと、特に何も思う事なく近所の公立中学へと上がった。そこでは小学校の時のポジションも地位も関係なかった。俺以外で既にコミュニティが形成されていたのだ。同じ小学校の奴ら同士で形成されたグループ。俺は中々その輪の中に入ることが出来ず、俗に言うボッチになった。いじめも受けた。そのせいか、明るくて活発だった俺の性格は根暗で、無気力で、何事もめんどくさがるようになってしまった。

 中学での唯一の知り合いで、尚且つ救いと癒しであったのが幼馴染の千尋だった。

 家が近所で、年も同じ。加えて親同士も中が良く、物心つく以前からの付き合いだ。

 毎日の登下校はもちろんのこと、話し相手も、テスト勉強を手伝ってくれたのも千尋だった。

 千尋には俺がクラスで孤立し、いじめられている事は言っていない。あの過保護な千尋の事だ、何としてでもいじめを無くそうとするだろう。なんとしてもそれだけは避けたい。いじめを止めようとする奴は……『浮く』のだ。


 クラスでの俺へのいじめは止まらない。

 上履きがない、椅子がない、パシリなど多岐にわたる。パシリに至っては毎日だ。

 

 そんなある日のこと——


『なぁ月城ぉ、俺らの宿題やっといて。はい、クラス全員分。あ、それと金貸してくんない? 5000円でいいからさ』


『……嫌だ』


『ぁあん? 俺の聞き間違いかぁ?』


『聞き間違いじゃねぇよ……はぁ。何度も言わすなよ。俺は嫌だって言ってんだ』


 この時の俺は多少自暴自棄になっていた……と、思う。いくら千尋が救いで癒しと言っても、いじめのストレスというやつは着実に積み重なっていた。それ故の自暴自棄。

 いじめの大本、クラスのトップカーストのリーダー格の奴に奴隷の様に扱われる日々は日常で、最早作業ゲーのようにすらなっていた。だがその日は違った。溜まりに溜まった怒りや憎しみ、恨みが募りに募って爆発した。これだけは避けていたのに、これをしてしまうと今以上に辛い事になる。分かっていたのに――


『月城ぉ……お前調子乗ってんじゃねぇぞ? 誰に口答えしてると思ってんだ、お前如きの分際でぇッ!』


 リーダー格さんは怒涛の形相で俺の胸倉を掴み、後方にあった箒や塵取りが収納されている掃除用ロッカーに勢いよく押し付けた。

 昼休み、教室内で雑談をしながら和気あいあいと弁当を食べているクラスの奴らが、突然の怒声と大きな音で教室全体の注目が集まる。俺がどんな扱いを受けていても見て見ぬふりだったお前らはこういう時だけ注目するんだよな。「やばくね?」とか「これまずいやつだよ」とか今更のようにほざく。こちとら今までもやばかったしまずかったってのに。


『ちっ……痛ってェな、この手どけろよリーダー格さんよ。けがれるんだけど?』


『……っ!! もう許せねぇ。歯ぁ食いしばれぇぇ!』


 自棄になっていた俺はなけなしの挑発をして余裕の笑みを見せてやった。もちろんこれはハッタリで、この後の事なんかなんも考えてない。ただ、以前興味本位で呼んだ『武術の心得・初段の巻』という指南書に、「ピンチになったら余裕の笑みを浮かべるべし!」と書かれていた事をふと思い出して、実行に移したまでだ。これになんの意味があるのかは忘れた。

 加え、俺は身長体重も平均で、筋トレだってしているわけじゃない。喧嘩なんかしたって勝機などそもそも無いのだ。だけど、反抗しなきゃ……抵抗しなきゃ駄目だって思った。

 リーダー格さんの拳が俺の右頬へとうなりを上げて迫り、覚悟を決めたその時だった。俺の目の前でパンチが静止したのだ。目の前のリーダー格さんの腕は静止というより、正確には腕を掴まれ止められていた。一人の男によって。


『前から噂には聞いてたけどさ、こりゃひっでぇな。このクラスやばいわ。クラス全体が一人を集中砲火……やることがガキ過ぎて笑えねぇよ。あっ、今私は関係ないみたいな顔してるそこの女子! お前も黙認してる時点で同罪なんだからな。加担してんだよ。分かる?』


 突如教室に入ってきた男――長谷川亮。

 その整ったルックスと、運動神経やコミュニケーション能力が高いことからクラスにとどまらず学年で人気がある。野球部に所属し中一ながら球のキレの良さを見込まれピッチャーとしてレギュラー入りを果たしている。


『お前、長谷川か? ……離せ。なんでお前が止めるんだ? お前には関係ねぇだろ』


『いや、関係大ありぃ! こいつさ、俺の友達なんだよねー。だからさ……二度とこんな幼稚な真似すんな』


 おちゃらけた口調から、突如低く圧のある口調に変わった。それはぞっとしてしまう程に迫力のある威圧であった。

 教室内に沈黙が訪れ、まるで時間が止まったように感じれた。それもそうだ。あの長谷川亮が止めに来たのだ。

 みんなの憧れ。

 人気者。


『……くそッ、分かったよ。だから手ぇ離せ』


 長谷川亮はリーダー格さんの腕から手を離した。だが離した瞬間リーダー格さんは長谷川亮の顔面目掛けて拳を振りかざした。

 その時だった。


『……ッぐ!』


 俺の額にリーダー格さんの拳がクリーンヒットした。教室内は叫び声をあげる者もいれば、ぼーぜんとその光景を眺める人と様々だったが、一番驚き動揺していたのはリーダー格さんと長谷川亮だろう。長谷川亮が殴られるその瞬間、俺はどこかで助けなきゃという思いが働いた。そう思った時には長谷川亮をかばい、自らを犠牲にして身代わりとなっていた。


『……ばっ! ばかお前っ、何やってんだよ!』


 長谷川亮が崩れ落ちる俺をかかえ、必死に呼びかける。

 返事してやりたいけど、拳を額に受けた所為で脳が揺れて今にも視界が、意識が途絶えそうだ。痛いはずなのに、痛いのか痛くないのか分かんなくなってきている。要するにやばい。


『おい、てめえ俺の友達に何やってんだ。さっき言ったよな、幼稚な真似すんじゃねぇって』


『ち、違ぇよ! こいつが、か、勝手に殴られに来て』


『お前もうこれ以上しゃべんな』


 かすむ視界の中、長谷川亮がリーダー格さんの顔を片手で掴み教室の壁に叩きつけた。クラスのリーダーがこんな状況でも、クラスメイトは誰一人として助けに来ようとはしない。だだ見てるだけだ。

 傍観。

 リーダー格さんが涙を流しながら悶えている姿を見て、心底ざまぁ見ろって思った。誰にも助けてもらえない、教室内に味方がいない。この苦しさ、悲しさを身をもって体験できたのではないだろうか。


『は、はせがわ……もう……大丈夫だから……』


 俺は覚束おぼつかない足取りで立ち上がり、長谷川の肩に手を置き止めるよう促した。これ以上やったって虚しくなるだけだ。長谷川亮がここまですることはない。そもそもこれは、俺の問題なのだから。


『……分かったよ。てかお前ほんとに大丈夫か……っておいおい! 全然大丈夫じゃねーじゃんか!』




 ♢♦♢♦♢♦♢




『ん……痛っ』


 額に残る鈍い痛みが意識を覚醒させた。

 気が付くとそこは白いベッドの上だった。カーテンを開け、ここが保健室だということはすぐに分かった。そうか、俺はあの時気絶したんだな。生まれて初めて気絶したかも。


『よう。起きたか』


『長谷川……』


 長谷川亮は保健室内にあるソファーで野球雑誌を読んでいた。まさかここまで俺を運んで、しかもここで俺が起きるまで待っていてくれたのか? 


『さっきは……ありがとな。身代わりになってくれて』


『なっ、何言ってんだよ! お礼言うのはこっちだ! ありがとな。こんな俺のためにここまでしてくれて』


 これが俗に言う青春というやつなのだろうか。


『いやいいって事よ! 俺ら友達だもん』


『……さっきも気になったけど、俺ら初対面だよね。話した事もないし』


『おいおいそういう事気にすんなって。俺が友達って言ったんだ。だから俺らはもう友達なんだよ。それでいいじゃねーか』


『お、おう……』


 この人ほんとに中学一年生? 


『にしてもかっこ良かったぜ? 「聞き間違いじゃねぇよ……はぁ。何度も言わすなよ。俺は嫌だって言ってんだ」とか「ちっ……痛ってェな、この手どけろよリーダー格さんよ。けがれるんだけど?」とかマジちょー鳥肌たった』


『ちょ、ばか、止めろよ。恥ずかしわ! ……ん? てことは結構始めの方からいたのか!?』


 口笛を吹きながら俺から顔を反らし、再び野球雑誌を読み始めた長谷川亮。

 

 ドドドドドドドド——


 なんだ? 凄まじい勢いで誰かが走って来る音が聞こえる。


『正汰くぅぅぅぅぅぅん!!』


『うぉっ! どうしたんだよ千尋』


 保健室のドアを勢いよく開け現れたのは、幼馴染の黛千尋だった。


『正汰くんが……はぁはぁ……気絶して保健室に運ばれた……ような予感がして』


『こっわ! 怖いよ千尋、エスパーかお前は』


 千尋は俺を見るとにっこりと笑った。あー可愛い。これだけで飯三杯食える自信がある。


『ま、黛さん!? どうして保健室に!?』


 雑誌を投げ捨て、急に姿勢を正す長谷川亮。


『あー長谷川くんだ! えーっとね、幼馴染として正汰くんの心配をするのは当たり前のことなのです!』


 中一にしては大きめな胸を張って、どや顔で言う千尋。しかしまさか幼馴染にそんなオプションがついているとは思わなかったなぁ。それと千尋。あんま胸を張ると男子は困ってしまうぞ。現に長谷川亮は胸に釘付けになってしまっている。


『そ、そうなんだ。幼馴染か……』


『おい、何凹んでんだ』


『へ、凹んでなんかねーよ。ったく。んじゃ改めて……俺の名前は長谷川亮だ。よろしくな! えーと……』


『月城。月城正汰だ。こっちこそよろしくな……亮』


『おう! 正汰!』


 こうして俺と亮は友達となった。

 俺はこれから三年間、亮、千尋と行動を共にすることになる。なにせこの二人しか友達と呼べる人がいないからな。

 この一件以降、俺に対するいじめはきっぱりと無くなった。俺のバックにはあの長谷川亮がいるというだけで、親の七光りならぬ友の七光りの様なものをもらっている。亮さんマジぱねぇっす。

 千尋も男子からかなり人気があるため、千尋の幼馴染である俺に下手に手を出すと嫌われるという暗黙の了解が生まれ、おかげで亮以外に男友達は出来なかった。女子も言わずもがな。

 俺のことを殴ったリーダー格さんは無事チクられ、謹慎処分となった。謹慎が終わり戻ってきた頃には、リーダー格さんは下っ端と成り下がり、新しいリーダー格さんが生まれていた。学校は小さな社会なんだなと実感した瞬間だった。




 ♢♦♢♦♢♦♢




「……っは! 夢か。どうして亮と出会った時のことを……」


『拙者、は専門外でござるよー』


「……」

 


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