第十二話 赤裸々


「ん? ここは……」


 気が付くと俺は自室のベッドの上で横たわっていた。

 部屋の中はやけに暗く、窓へ視線を向けると太陽はすでに沈み暗闇だけが窺えた。


 玄関で体中の激痛と疲労のピークを迎えぶっ倒れたとこまでは覚えているが後の事はさっぱりだ。沙彩が俺のことを部屋まで連れていってくれたのだろうか。なんだか俺って迷惑かけっぱなしだよな本当。

 

 取り敢えず上体を起こそうとしたが全身がこわばって無理に動かそうとすると痛みが走る。これはしばらく痛みが続くだろう。明日は金曜日だし学校を休んで三日間大人しく安静にしているとするか。


 突如思い出した様に眠気が襲い、俺はゆっくりと瞼を閉じた。


「千尋……」




 ♢♦♢♦♢♦♢




「お兄ちゃん朝だよー! 学校遅れちゃうよー!」


 沙彩が部屋のドアを勢いよく開けると、いつものように俺を起こしに来た。毎日起こしに来てくれるのはありがたい、ありがたいのだが、今日はまだ寝ていたかった。体の疲労が半端ないのだ。

 目を半開きにして様子を窺ってみると、沙彩は腰に手を当てて中々起きない俺に不満そうな顔をしていた。


「沙彩悪いな。兄ちゃん体中痛くて動かすのも大変なんだ。だから今日は学校を休むよ」


 沙彩は心配そうな顔をすると、俺のもとへ駆けよって来た。


「大丈夫なのお兄ちゃん!? 私も学校休んで一緒にいてあげようか? お母さんお仕事だし……あっ、もしかして昨日みたいにちゅーしたら起きるみたいな? それだったら私……」


「いやいや違うよ沙彩。本当に痛いんだよ。それと学校にはちゃんと行け」


 思ったよりあの変態サムライの影響が沙彩に出ていた。例え昨日の朝の様なことがあったとしても、ちゅーして起きるなんて発想普通しないぞ妹よ。それでも心配してくれるのは素直に嬉しい。俺は出来た妹を持ったもんだ。

 未だ沙彩は心配そうな顔をして俺に体の具合を聞いてくる。俺の事はほっといて早く学校に行って欲しい。俺ではなくお前が学校に遅れてしまう。


「ほら早く飯食って学校行けよ、遅れるぞ」


「……うん。分かった。でも何かあったり困った事があったらすぐに私の中学校に電話してね? すぐ駆けつけるから」


 俺の妹がだんだん過保護化してきたのは気のせいだろうか。まあ確かに沙彩は小さい頃から千尋に憧れていて、仕草や口調を真似たりしていたが、性格まで真似る必要はないんだぞ? 過保護キャラは一人で十分なんですよ。

 俺は苦笑しながら痛みが残る手で退室を促し、千尋は不満そうに部屋を出ていった。


 さて、今日一日どうしようか。特にする事と言っても寝ることぐらいしか無いな。そう言えばもう千尋が家に来る時間だ。……来るわけ無いよな、あんな事があった後じゃ——


 ――ピンポーン


 え? 嘘でしょ!? 


「お兄ちゃん! 千尋お姉ちゃん来たよー!」


 おいおい待て待て待て。普通来るかあんな事があった後で。昨日の帰りだってあんなにやつれてて、なのにどうして……。

 俺が困惑してるさなか階段を上ってくる音が聞こえて来た。一段一段、ゆっくりと——


 ドアが開き俺の目には幼馴染が映り込んだ。

 千尋はいつもと変わらない様子で――笑顔だった。いつもと違う所があるとすれば目の下にくまが出来ており、加えて目の周辺が赤くなっていることだった。おそらく泣きじゃくって夜もまともに寝れなかったのだろう。


「ち、千尋! 大丈夫なのか?」


「うん……大丈夫。心配かけてごめんね」


 大丈夫なものか。絶対に無理してるに決まってる。なんで笑顔なんて出来るんだ、なんで平静を装えられるんだ。


「沙彩ちゃんに聞いたけど、正汰くん体中痛くて学校を休むんでしょ? 私も学校休むから今日一日お世話してあげる。沙彩ちゃんに許可は貰ったし拒否権は無いからね!」


「ええ!? いいよ別に! ちゃんと学校行けって。俺は大丈夫だから」


 千尋も沙彩と同じことを言う。でもいつもの過保護な千尋で安心した。性格まで変わっていたら俺も対応に困るし凹む。


「お兄ちゃん! 千尋お姉ちゃん! 行ってきまーす」


「行ってらっしゃーい!」


 階下から元気な沙彩の声が聞こえた。千尋は大きな声で沙彩に返答しどこか楽しげで、とても拉致された後の女の子には見えなかった。

 思えば千尋は子どもの頃から小さい事は気にしないとても芯の強い子だった。だが昨日千尋の身にお起きた事は決して小さい事なんかではない、大き過ぎる事だ。千尋は大き過ぎる事でさえ気にしないというのか……。


「ほら、千尋も早く行かないと遅刻するぞ」


「行かないもん。今日は正汰くんのお世話するって決めたんだもん! よーし今から朝ごはん作って来るからお台所借りるね?」


「あ、ちょっと待——」


 俺が言い切るより先に千尋はせかせかと部屋を出て下へ降りていった。


 なんだ、思ったより元気じゃないか。見る物に元気と癒しを与える笑顔に、強引に押し切るこの過保護ぶり。いつもの千尋以外の何だと言うのか。

 まあせっかくお世話を買って出てくれたんだから今日は目一杯お世話されようかな。そもそも俺にデメリットなんか無いし、寧ろメリット。それに幼馴染と家の中で1日中一緒というシチュエーションは男なら誰しもが憧れることだろう。悪いな、可愛い幼馴染がいない男ども。


 

 そういえば朝からあいつの声が聞こえないな。沙彩と千尋が居たというのに声一つ上げないなんて珍しい。


「おい、起きてるか?」


 数秒待ったがあいつからの返答は無かった。まだ寝ているのか、それとも意図的に無視をしているのか分からないが、憑依される前の平凡な生活が一時的にでも送れると思うと嬉しさがこみ上げてくる。

 こいつに憑依されてからまだ4日だがそれは大変な毎日だった。俺に迷惑をかける面が多いが、頼りになる面もある。こいつがいなかったらヤバイ場面を乗り越えることは出来なかっただろう。だから一概にあいつを忌避することは出来ない。

 持ちつ持たれずの関係。それもいいだろう。


 階段を登る音が聞こえ、それと同時に食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。そう言えば昨日晩飯食ってなかったもんな。


 ドアが開き、そこには制服にピンクのエプロンを着たポニーテールの可愛い女の子が立っていた。てか俺の幼馴染だった。

 いつものロングヘアーではなくポニーテールだったもんで一瞬誰か分かんなかった。このヘアスタイルは初めて見たが、中々に破壊力があるな。

 それになんといっても制服エプロン。なんだよそれ、最高かよ。

 

 メニューは味噌汁に主食のご飯、主菜にベーコンエッグ、副菜には綺麗に盛り付けがされたサラダだった。一般的な朝食である。

 俺がパンより米派なのを分かってるところは、さすが幼馴染といったところだろう。


「食べるの大変だと思うから私が食べさせてあげるね」


「いやいいよ。自分で食べる」


 正直なところ手が痛くて自分で食べれる自信はない。


「昨日はあーんしてとか言ってたじゃない。ほら、食べさせてあげるから口を開けなさい。はい、あーん」


 それ言ったのあいつだから。俺じゃないから。


「……しょうがねーな。あ、あーん」


 しかたなしに口を開けて待機。すると一口サイズに箸で切られたベーコンが口の中に入った。続けて目玉焼き、ご飯、味噌汁、サラダとローテーションしながら胃袋に収まっていく。

 介護されるってこんな気分なのかな。照れくさいけど相手が千尋だから嫌な気はしない。


「ふぅー。美味かったよ。やっぱ千尋は料理上手だな」


 ここであいつみたいにお嫁さんにしたいだなんて言わないし、そもそも軽く言うものではない。


「良かったー! 美味しくなかったらどうしようかと思ってたの」


 千尋は嬉しそうに笑う。そして俺はまたも元気と癒しを頂いた。ありがたやありがたや。


「なあ千尋。なんでこんな料理上手いの? 弁当もそうだったけど。あ、いや、本当に美味しかったから気になってさ」


 千尋の弁当を食べたのはあいつなのだが、きっと美味しかったのだろう。くそ! 俺も食べたかった!


「え!? そ、それは、将来結婚した時のためにたくさん練習したから……かな?」


「そっか」


 おい、なんで千尋は顔を赤らめている。俺はなんか変な質問でもしてしまったのか? いやもしかして千尋に好きな人がいて、そいつのこと考えてたら顔が赤くなったとか……。もしそうならそいつは幸せ者だよちくしょう! はぁ……俺だと良いなぁ。いや、それは無いか。


「そう言えばお世話するって言ってたけど、実際結構暇だろ。俺はこの通りベッドの上だし」


 千尋は首を振って否定した。相変わらずの優しい笑みで。


「全然そんなことないよ。側にいるのも立派なお世話です。なんだったらお話しすればいいでしょ?」


「そうだな」


 さすが過保護、平気で嬉しい事を言ってきやがる。

 それにしても話すって何を話せば良いのだろうか。学校のこととか……いや、それは今はタブーだ。そっちの話しに行かない様にする必要があるな。

 取り敢えず昔の話でもするか。


「じゃあさ、子どもの時の話なんだけど、千尋が公園でガキ大将みたいな奴らに意地悪されてたのを俺が助けたの覚えてるか?」


 よしこれは中々に無難な入りだ。

 あの時は母ちゃんに軽く合気道習ってたからな。今じゃもうなんも出来ないけど。


「うん! 勿論覚えてるよ。正汰くんがぽんぽんぽんって簡単に転ばしちゃうんだもん。すごくカッコよかった。なにより、正汰くんが助けてくれたことが本当に嬉しかったの私。昨日のことだって……」


 あれ、地雷踏んだ。全然無難じゃない、寧ろ昨日の事と関連し過ぎだろ何やってんだ俺は。あーまずいまずいまずい、急いで話題転換だ!


「えーっとさ、二人でおつかいに行った時のこと覚えてる?  あの時俺が財布忘れちゃって往復したんだよな」

 

 ちょっと強引過ぎたか? 千尋の反応は……


「……っえ? あーおつかいね。あの時は大変だったよねー。八百屋さんに着いてから気づいた事だったから、幼いながら絶望したよ。あっ、昨日も絶望……だったな……」


 なんでそっちに方向転換するんだよぉ! 今のは至って普通の話しだっただろう! 寧ろ笑い話だよ!?

 なに話しても昨日の出来事に方向転換させられる気がする。沙彩助けてくれ。兄ちゃんさっそく困ったぞ!


『正汰殿、昨日の事を話すべきでござる。案外話すことで楽になるものでござるよ?』


 うわっ、びっくりした。てか起きてたのかよお前。

 話すって言っても思いださせるのは辛いだろうよ。無神経な事はしたくないしなぁ。


『早く話すでござる。千尋殿が話を昨日の事へと持っていくということは、どこか話したい気持ちがあるからでござる。殿話したいのでござる』


 ……そう考えると、話した方がいいのかもしれない。いつまでも嫌な記憶を内にしまい込むのも良くないし、俺に話す事で少しでも楽になるのならば話すべきだ。


「千尋、昨日の事なんだけどさ……」


「……」


 あれ? 黙っちゃったぞ? おいおい話しが違うぞ。


「いや、えーとなんでもない。あはは」


「正汰くん……。気を使わせちゃって……ごめんね? やっぱりどうしてもまだ怖くて、嫌で嫌でたまらなくて、平静を装ってもどうしても思い出しちゃって……」


「そうか……辛かったな」


 やっぱり平静を装ってたか。そりゃそうだ、あんな事一日や二日で忘れる訳がない。

 千尋はうつむきながら、震える両腕で自身の体を抱きしめている。


「暗い部室の中で手足を縛られて、すごく、すごく怖かった。私のスマホを長谷川くんが取り上げていじりだしたと思ったら正汰くんが数分後に来てくれて本当に嬉しかった。でも……正汰くんの前で長谷川くんにキスされて……気持ち悪くて、不快で、悔しくて、おかしくなりそうだった。何より正汰くんの前で……私……私は……!」


 千尋は目から大粒の涙を流し声を荒げた。すると、千尋が俺に抱き着いてきた。そして俺の胸に顔を埋め、泣きじゃくった。

 俺は痛い腕を持ち上げ抱きしめ返し、優しく背中をさする。


「本当に……本当に嫌だったの……。正汰くん……お願い……。正汰くんで塗り替えて……。私の唇を正汰くんで塗り替えて! 私もう嫌なのーーッ!!」


「お、落ち着けって千尋! 今は気が動転してるだけだ! 深呼吸しよう。な?」


 千尋の緊迫した表情から心に植えられた傷の深さを思い知った。

 俺は千尋をさらに強く抱きしめ落ち着くまで待った。


「なあ千尋? 俺は千尋がキスされたぐらいで嫌いになったり、嫌悪したりしないよ。勿論千尋自身は嫌で嫌でしょうがないと思う。でもな、そんな簡単に俺で塗り替えるなんて言うなよ。俺は千尋の事は誰よりも分かってるつもりだ。千尋の優しい心とか一生懸命なところとか、自慢じゃないけど千尋の親より知ってるね俺は。そんな千尋は簡単には汚れないし全然潔白だよ。もうほんと透き通る様な真っ白だね。昨日の事を気にするな、忘れろなんて無責任な事は言わない。だからさ、そんなに自分を追い込み過ぎないでくれ。頼りになんないかもしれないけど俺が側にいる。悩みがあればいつでも相談に乗るし、ピンチだったらすぐに助けに行く。だって……俺は千尋が大好きだから。当たり前だ」


 今俺が言った言葉で千尋の心の傷を絶ったとは思ってない。でも言いたい事は全部言った、言い切った。綺麗事と思われてもいい、でたらめ言うなと思ってくれてもいい。だってこれは俺の本心で言った事なんだから。……あれ、最後告白じゃね?


「正汰くん……ありがとう。私嬉しい、本当に嬉しい。おかげで少し楽になったよ……正汰くん大好き!」


「おう。それは良かった」


 果たしてそれは恋愛的に好きなのか幼馴染として好きなのかは今は問題じゃない。千尋が少しでも楽になれたのならば良かった。


 千尋は涙を制服の袖で拭ってから満面の笑みを俺に見せてくれた。

 そうだ、その笑顔だ。いつまでもその笑顔を忘れないでくれ。そして俺に見せて欲しい。


「そろそろお昼の時間だね、準備してくるから待ってて!」


「ああ。ありがとう」


 千尋は部屋出て一度俺に笑いかけると、階下へ行った。


『正汰殿……思ったよりやるでござるな。まさかここまでとは……感服したでござる。千尋殿を元気づけるだけでなく落としてしまうとは』


「いやいやいやちょっと待て。別に千尋のことを落としたくて言った訳じゃないからね!? ていうか落ちてないからね!?」


 相変わらずだなこいつも。


 

 まだ昼だ。あと半日千尋と過ごす事になる。

 さっきまでのやりとりを思い出すとなんか気まずいな。取り敢えず今思う事は——


「沙彩……早く帰って来い……」

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