第十一話 けじめ

 

 一瞬だった。


 ケンシローのバットは宙を舞い、再び床に落ちた。

 俺が俺の身体を動かしている訳では無いから分からないが、あいつは決して油断はしていなかったはずだ。だとすれば亮はかなりの強者。いや、おそらくは亮に憑依している奴が強者なんだ。


「お主なかなかやるでござるな。もっとも貴様では無く憑依してる者の事でござるが」


「なーんか嫌な言い方だなッ!」


 亮はバットを手放したケンシローに容赦なく向かって来る。さすがにヤバイと思ったがケンシローは器用に床を転がり斬撃を回避、そしてバットを拾い素早く構えた。ケンシローは徐々に間合いを詰めて切りかかるが亮の品やかな剣裁きで軽くあしらわれる。


『隙がねぇなこいつ』


「邪蛇剣流はこれだから面倒くさいでござる。基本の構えで向かっても厳しいでござるな」


 そう言うと【中段の構え】を止め、俺の剣道知識には無い自己流の構え方をした。

 バットを右手に持ち、空いた左手を相手へ向け、姿勢は体を正面に向けるのではなく横にして中腰になっている。

 テニスのフォームに酷似している構えだ。

 普通ならばこんな構えで相手と相対するのは勝負を捨てているのと同義だ。何せ隙が多すぎる。


「本来邪蛇剣流とは、己の負の感情を糧として極めていく、いわゆる邪道の流派。嫉妬や怨み、憎悪、殺意といった負の感情が強ければ強い程剣技に磨きがかかるでござる。貴様の正汰殿に対する負の感情に邪蛇剣流の使い手の者の力が加わるとならば相手しずらいことこの上なしでござるよ。だがここからは拙者の独壇場。貴様はもう終わりでござる」


 言い切った途端、ケンシローは独特なテニスのフォームで切りかかった。それはさっきよりも桁違いに速く、バットなのに本当に切ってしまいそうな位鋭い斬撃だった。亮はこれを真っ向から迎え撃ち、金属音が響き渡った刹那、ケンシローは小さくジャンプし空中で身を翻して連撃を叩き込む。

 それには亮も対処しきれず部室の壁まで吹っ飛んだ。


「くはッ! ク、クッそぉ……」


「もうおしまいでござるか?」


「何だとぉ? うぉぉぉぉッ!!!」


 雄たけびと共に上体を軽やかに起こし、蛇の様に鋭い斬撃がケンシローの首元を狙って来る。凄まじいキレと速さだ。それはまるで、亮の投げる球の様で……。


「言ったでござろう? 貴様はもう終わりでござると」


 亮の斬撃は空を切り、その身体は地面に倒され首元にバットを突き付けられていた。亮自身あまりに一瞬の事で何が起こったのか分からず困惑した表情を浮かべており、その瞳は怯える様にケンシローを写し込んでいた。


「まだやるでござるか?」


「……参ったよ。参った参った。だからこれ……どけてくれ」


 亮は負けを認め、ケンシローにバットをどけろと要求してきた。


「自分が行った過ちを悔い改めるでござ―—」


 ケンシローが亮からバットを離した瞬間左方向からバットが迫って来た。

 亮は参ったなどとは微塵も思っていない、ただ攻撃出来るチャンスを伺っていただけだ。


 『ヤバイ!』


 そう思った時には亮の手元からバットが弾かれていた。

 


「貴様、あまり拙者を怒らせないで欲しいでござる」


 ケンシローは亮の手首を掴みそのまま身体を持ち上げ背中を蹴り飛ばした。勢いよく顔から壁に衝突する。

 壁に張り付いたまま動かない亮に、さらなる打撃を加えようとケンシローはバットを構える。


『ケンシロー。もういい』


「……」


『ケンシロー! もういいッ!』


「……承知したでござる」


 途端俺に眩暈が生じ意識が遠のく。

 意識が戻り、先ほどの声も出せない、何も感じない状態では無く、自分の意志で身体を動かす事が出来ていた。ついに完全憑依が解けたんだ。


「よっしゃー! 戻ったーって痛ェェェェェェェ!!!」


 完全憑依が解けた瞬間身体の節々に激痛が走った。運動不足な俺の身体でああも派手に動き回ってくれたもんだから当然と言っちゃ当然なのだが、シャレにならんぞこれ。


「やべぇ、痛すぎて動けねぇ……いだぁああッ! ハァ……ハァ……そ、そうだった、千尋! 千尋の拘束を解かないと」


 体は重く、痛みが走る足で千尋の所まで行き、縄を足から順に解いていった。

 縄を解く最中でも伝わる千尋の体の震えに俺は奥歯を噛み締め、もっと早く部室の事に気づいていればと悔やむ。


「正汰くぅん、怖かったよぉ……」


「もう大丈夫だよ。一緒に帰ろう、な?」


 千尋は声にならない嗚咽を漏らしながら俺に抱きついた。

 俺には優しく抱擁し返す事しか出来ない。今何を言っても気休めにもならないだろうから。

 

 千尋は本当に怖かったと思う。いきなり拉致されて野球部の部室の椅子に拘束され、あげく俺がいる前で接吻をさせられたのだ。俺が千尋だったら恐怖と不快感で頭がおかしくなる。


「千尋、ちょっと待っててな。すぐ終わるから」


「うぅん……」


 俺はこのまますぐに千尋と帰りたかったが、一つ片さないといけない問題が残っている。


「おい、亮。なんでこんな事したんだ。俺たち友達だろ?」


 亮は壁から崩れ落ち、仰向けの状態で倒れている。そしてその整った顔は赤く腫れあがっていた。

 苦しそうに呼吸をしているところを見ると、気絶はしていないようだった。もしも死んだりしてたらほんとシャレにならないから良かった。


「ただ……お前に嫉妬してたんだよ……。俺は中学の時から千尋ちゃんの事が好きだった。でも隣にはいつもお前がいた。高校に入ってもそうだ。それに唯一自信のあった野球でさえお前に完膚かんぷなきまでにやられたんだ」


「——それでも、それでも亮は、そんな事じゃここまでしない奴のはずだろ。やっぱり憑依した奴の影響か?」


 気になっていた事だ。俺とは憑依の形態が違う。精神に影響があってもおかしく無いはずだ。


「ああ。おそらくな。今までは嫉妬したって押さえ込められたしここまでしようとは思わなかった。でも一昨日から、憑依されてからはこういう嫉妬とか負の感情を抱く度に『俺の力を貸してやる』って憑依した奴が囁いてきてよ、気づいたらなんだか力が漲って心の内に秘めてた悪感情が露見していったんだ」


「そう……か。やっぱ憑依が関わってたんだな。……でもな、千尋にした事は変わらないんだぜ? そこら辺ちゃんとけじめつけろよ」


「ああ。分かってるよ。ちゃんと謝るし、許されるとも思ってない。この事は学校にも言うし、謹慎、いや退学かもしんねぇけどしょうがねぇ。けじめだ」


 妥当だと思う。亮の意志でやった事には変わり無いのだから。


「今は謝んなよ、てか話しかけるなよ? 怯えるだけだ」


「分かってるって」


 亮は腫れた顔でニカッと笑い、そのまま気絶した。

 そして、俺は千尋と部室を出た。


 未だ千尋の体の震えは止まらず、目には涙が溜まるばかりだった。こんな千尋は今まで見たことがない。

 俺は千尋の手を握り一緒に帰路に向かうが、道中一言も会話する事は無かった。今はそれでいいと思うしそっとしてやりたい。


 無事千尋を家に送り届け、俺も家に帰った。


「た……ただい……ま」


「おかえりーお兄ちゃん。今日は遅かったねーってお兄ちゃんどうしたの!?」


 俺は家に着くなり玄関に倒れこんだ。

 本来なら動けない程の痛みだが体に鞭打って千尋を送り届け、家まで帰って来たんだ。これはもうしょうがない。


「我が愛しき妹よ……後の事は頼んだぞ……」


「ちょっと、お兄ちゃん!? お兄ちゃーーーーん!!」


 

 俺は憑依うんぬん関係の無い物理的な疲労でブラックアウトを遂げた。

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