第八話 完全憑依

 

 目を覚ますと目の前は暗闇。そして、体を動かすことが出来なかった。最初は意味が分からなかったがすぐに予想がつく。俺はどうしてか寝ている間に完全憑依されたんだ。


 完全憑依はこれで二回目。何が原因でこうなるのかはまだ分からない。それよりも早く元に戻る方法を見つけないと俺の人生がこの変態サムライの手によって社会的な終わりを迎える事になる。  


『おい。また完全憑依されてんだけど』


「そのようでござるな。いやはや、やはり動けるというのはいいものでござるよ。生きるって素晴らすぃッ!」 

   

『いや、喜んでるとこ悪いけどこれ俺の身体だからね? てかお前死んでるからね?』


 悲しい事に現段階ではあいつが俺の身体の主導権を握っているため、あいつが話す言葉は全て俺の声で発せられる。実に不快だ。


「お兄ちゃん朝だよー! 起きなさーい」


「おおぉ、おはようでござる」


「えっ!? 起きてるの? あのお寝坊のお兄ちゃんが? 大丈夫? ベッドから落ちて頭でも打った?」


「そんなに疑問符を並べなくても大丈夫でござる。いつも通りの拙者でござるよ。そんな事よりも朝のちゅーはどうしたでござるか? ほれほれ~ちゅーしてくれないと拙者動けないでござるよ」


『おい馬鹿ッ! お前何言って』


 さっそくやりやがったこいつ! これを恐れていたんだよ俺は!

 まあでも、沙彩はこんなの軽くあしらって来るだろう。血の繋がった兄にこんなキモイこと言われたんじゃドン引きものだ。ブラコンじゃない限りは。


「お、おおお兄ちゃん!? ななな何言ってるの!? やっぱり頭打ったんじゃないの? えっえっ、そんな真剣な目で私の事見つめちゃって……。お、兄ちゃんがそんなに、その……ちゅーがしたいんなら、私……いいよ?」


『頭打ってんのはお前だ沙彩ッ!! このっ、バカ!』


 俺の妹はこんなに易々と唇を差し出す子だったのか? いいや違う。絶対に違う。沙彩はそんな淫らなわけない。おそらく本当にどっかで頭でも打ったのだろう。

 俺は無理やりそう解釈することにする。


 さて問題はどうやってケンシローの行動を阻止するかだ。何度も止めろと声をかけてはいるが、奴は反応してくれない。

 無視されるのって、結構悲しいな……って今はそんな事言ってる場合じゃない!


『おい本当に止めろって、大事な妹にキスを強要する兄に俺はなりたくない!』


 俺が必至になって訴えてるいるのを他所に、顔を赤く紅潮させた沙彩はベッドに座っているケンシローの所まで来ると、目を瞑りゆっくりとお互いの息と息がかかる距離まで接近する。


 そして唇と唇が重なるか否やのところで——


「わぁっ! お兄ちゃん?」


 ケンシローは寸前でキスを避け、沙彩をギュッと抱きしめて頭を撫でていた。


「冗談でござるよ。大事な妹にそんな事はしないでござる。それより、拙者お腹が空いたでござるよ」


「うぅぅー」


 沙彩はさっきよりも顔を赤くして、リスのように頬をパンパンに膨らませてケンシローをジト目で見つめている。昨日見せたリス顔の強化バージョンだな。うん、可愛い。


「もう! 私本気、だっ……の……ぃ」


「え? よく聞こえないでござるよ」


「なんでもないっ! でも……まだそのままギュッてしてて。少しだけでいいから」


「お安い御用でござるよ」


 俺は驚いた。てっきりそのままキスするのかと思ったが、キスをする寸前で沙彩を抱きしめて「冗談でござる」などと言うとは思わなかった。それに俺の言うことは一応聞いてくれてるみたいだな。


 それにしても沙彩はまだまだ甘えん坊なんだな。「まだそのままギュッてしてて」なんて。普通あの年頃なら「キモい、近寄んないで」とか言ってきてもおかしくない。あれ? 俺の妹って世界一可愛いんじゃね?


「ありがと、お兄ちゃん。じゃあ下行こっか!」


 沙彩は抱擁に満足すると、満面の笑みでケンシローの手を取った。


「おい、トイレ行きたいって言え。あと沙彩の事は沙彩って呼べよ、殿とか付けんなよ』


「沙彩、拙者しばしトイレに行ってくるでござる」


「うん分かった。昨日のご飯温めて待ってるね」



 トイレにて——



『お前あんま沙彩のことからかうなよ? まだ純粋なんだから』


「愛くるしい小動物のようでついからかってしまったでござる。あれは将来有望でござるよー」


『またお前は……あと口調。現代人は「ござる」とか「拙者」とか言わないから。一部使う人はいるけどあれは特殊なだけだから。だから一人称は「俺」、妹の前では「兄ちゃん」、それと「ござる」を使わない語尾にしてくれ。あとなるべく俺っぽい感じで話せよ?』


「分かったでござ……分かった。拙者……俺に任せてくれ」


 まだどこかぎこちないが「ござる」とか「拙者」とか使われるよりか全然ましだ。


 俺はトイレであいつと話し終えるとリビングに向かった。そこには昨日の晩飯であった麻婆豆腐に水餃子、そして炒飯が用意されていた。


「おおぉ、美味しそうだな。これ本当に沙彩が作ったのか?」


「うん。そうだよ! 今中華料理の勉強してるの。本当は出来立てを食べて欲しかったんだけど、お兄ちゃん寝ちゃったんだもん。ってあれ? お兄ちゃんいつの間に忍者みたいな話し方辞めたの? 面白かったのに」


『正確には忍者じゃなくてサムライだけどな』


「兄ちゃん今日見た夢の中でサムライとして戦乱の地を駆け回っててさ。だから夢の中での口調が寝ぼけてそのまま出てただけだよ」


 ケンシローは麻婆豆腐を食べながら沙彩と楽しそうに会話している。が、ここで俺に違和感が訪れる。ケンシローは確かに口の中に麻婆豆腐を入れたはずなのに俺には食べた感触、味、匂いが感じられない。ついでに言えば尿意や便意、食欲すらもまったくない。

 あいつはずっとこんな感覚の中で木刀や俺の身体の中にいたのかと思うと、憑依する側も大変なんだなと実感する。


「美味しいよ沙彩。将来は絶対いいお嫁さんになるな! 兄ちゃんのお嫁さんにしたいくらいだ」


「ななな何言ってるの!? お嫁さんだなんて! しかもお兄ちゃんの……」


 沙彩の顔がぽっと赤くなる。


 沙彩は顔を両手で押さえながらもじもじしだし、食パンを一枚むりくりに頬張ると、せかせかと学校へ行く準備を始めた。


『おい、からかうなって言っただろ』


「今のは本心でござるよぉー」


 ピーンポーン


 突然インターホンが鳴り、時計を見ると千尋がうちへ来る待ち合わせの時間となっていた。まだ完全憑依が解ける兆しは見えないが、今日はこのまま乗り切るしかない。


「今行くでござ……行くよ!」


 玄関の戸を開けるといつもと変わらない可愛い幼馴染が待っていた。


「おはよー正汰くん。あれ? なんだか今日は雰囲気違うね」


「そう? いつも通りだよ? それより、相変わらず千尋は可愛いな。嫁にしたいよ、ほんと」


「せっ正汰くん!?」


『あああー! やめろぉぉ!』


 もう告白以外のなんでもない。俺が勇気を持って出来なかったことをこうやすやすとあの野郎。

 

 さあどうする、どうごまかす。


『おい、さっきみたいにまた冗談って言え。でも……可愛いのは本当って……言っていいぞ』


「冗談だよ、千尋。でも可愛いのは本当だぜ?」


「もー正汰くんはー。女の子をからかっちゃいけませーん! 可愛いって……言ってくれた……」


「最後の方が聞こえなかった、もう一回言って」


「いいのー! それより早く行こ」


 千尋は俺の手を掴んで強引に引っ張った。


 良かった、なんとか乗り切れた。

 今日一日こんな事が続くのかもしれないと思うと……いや、あまり深くは考えないようにしよう。要所要所で俺がケンシローを対処すればいいんだ。


 

 ——自分で自分を守る。


 

 それは、決して簡単な事ではないと知らずに。

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