一年の冬~005

 あの体育祭から数日が経った。

 俺と春日さんは、今や全校生徒が知る公認関係となっている。

 そりゃ、体育祭で公開告白みたいな事をしたんだ。当然と言えば当然だが。

 だけど俺はヒロにしか弄られなかったが、春日さんの方は結構な事になったらしく、見知らぬ生徒にまでからかわれたりしているそうだ。

 自分で言うのも何だが、『あの緒方隆が告った女』で脚光を浴びているみたいな。

 ヒロ曰わく「春日さんだっけ?これから大変だぜ?ちゃんと守ってやれよ」と。

 何が大変で誰から守るのか皆目見当も付かないが、春日さんに仇成す輩なら、迷い無くぶち砕くから、それは構わない事だ。

「それにしても…あ~あ…また駄目だったか…今回は完璧だしなぁ…」

「何が駄目なんだよ?そういやお前、頼まれて借り物競争に推薦したとか言っていたな?」

 ただでさえキツい目つきを更に厳しくして、横目でヒロを睨んだ。

「まぁまぁ、聞いてくれるな。言わぬが花、聞かぬが義理ってね」

「そんな諺は無い」

 本当に塾通いしてんのかこいつは?

 そう疑問せざるを得ない事を抜かしながら、ヒロはお茶を濁した。

 そんな調子で廊下を歩いていると、B組の前で珍しい2ショットを目撃した。

「春日さんと槙原さんじゃねーか」

 槙原さんは爆乳を腕を組みながら支えて笑いながら何か話して、対して春日さんはいつも通り俯いている。

「お?ほら早速だぜ?」

「何が早速なんだよ?」

「お前と付き合っている春日さんを、快く思っていない女子が虐めてんだよ」

 何故俺と付き合って快く思っていない奴が出てくるんだよ。つか、槙原さんがそんな暇な事すんのか?

 まぁ取り敢えず、俺は春日さんの傍に行く。

「おつ春日さん。槙原さんと知り合いなの?」

 いきなり登場した俺に少し驚いた二人だったが、春日さんは直ぐに俯いて口を噤む。

「ああ、私の友達が春日さんと知り合いなのよ。ねぇ春日さん?」

「……うん…」

 無理やり言わせている感も無く、それは本当だと頷く春日さん。

 つまり共通の知り合いが居て、それで話しているって事だろ?

 何だよ快く思っていないってよ~。

 俺はヒロを睨んだ。

 対するヒロは。槙原さんを厳しい目で見ている。

 そんなヒロの顔を見て、唇を噛み締めて再び春日さんの方を向いた槙原さん。

「ま、そんな訳だから一応考えといてね。じゃね緒方君、春日さん、それと大沢君…だっけ?」

「…俺はこいつ程鈍く無ぇんだからよ…あんまうろちょろすんなよなぁ…」

 何かヒロと槙原さんの間に火花が散っているような…

 つか、何でヒロがキレてんの?

 理解に苦しむ俺だが、槙原さんが返した言葉に、更に理解に苦しむ事になる。

「あはは~。大沢君も大変だね。尽力してもこんな結果でさ。もしかして責められていたりする?」

 槙原さんの笑顔での対応が、尚更混乱を招いた。

「関係無ぇな。俺は隆がいいならそれでいいんだよ」

「あはは~!そうだ、そうだったね。友達思いだねぇ大沢君。本当、『友達思い』だよ」

 只でさえ逆立っているウニ頭が、一層逆立ったように感じる…

 何なの?何この空気?

 なんで俺の預かり知らない所で険悪っぽくなってんの?

 二人を交互に見る俺。

「んーん、心配しなくていいよ緒方君。ねぇ?」

「そうだ。隆はいつも通り、呑気に過ごしてりゃいい」

 二人はそう言って互いに踵を返し、反対方向に歩いていった。

「な、何なんだ…俺が知らぬ間に一体何があったと言うんだ?」

 最早背中も小さくなった二人を、相変わらず目で追いながら呟いた。

「……槙原さんのお友達が…私のバイト先で働いていたの…」

「いや、別に構わないだろ?ウチの学校バイト禁止な訳じゃないし」

 だが、春日さんは俯いて黙ってしまう。

 思い詰めているような、そんな感じだ。

「え?何?槙原さんの友達に虐められてんの?」

「……違う…でも…そこから…」

 其処まで言って口を噤んでしまった。

 何か困っているのなら力になりたいけど、言ってくれなきゃどうしようも無い…

 だから俺はこう言うしか無かった。

「まぁ何だ。何があっても傍に居るから安心してくれ。だから困った事があったら話してくれよ」

 耳まで真っ赤にして頷く。

 やっぱり可愛いなぁ…

 そして決意したように顔を上げた。

「……私頑張るから…だから…ずっと傍に居て…」

「?うん」

 その台詞がやたらと重く感じるが、頑張る機動力になるのなら、それはそれでいい。


 いつも一緒に帰る駅までの道のり。

 今日は俺一人だ。

 何か用事があるから先に帰るとか何とか…

 一人の帰宅路がこんなに暇だったとは思っても見なかった。

 ヒロの馬鹿もとっとと居なくなっちまったし、何かつまらん。

 とは言え、だらだら帰宅しても、やっぱりちゃんと家には着く訳で。

 そして、門の前に見慣れたポニテが佇んでいる事が、直ぐに解った訳で。

「何やってんだ朋美?」

「うわっ!!ビックリしたっ!!」

 大袈裟に飛び跳ねて、俺を正面から見るポニテ。

「いきなり声掛けないでよ!ビックリするじゃんか!!」

「俺の家の前でボケッと突っ立っている方が悪いんだろが。お前は地縛霊か」

 逆ギレで返されたので、辛口で更に返してやった。

「んで、何か用事か?お前がしょげているなんて珍しい」

「しょげているってか…槙原の事でちょっとね…」

 槙原さん?

 ヒロもキレてたし、春日さんも何か言われていたようだし、やっぱり何かあるのか?

「何だ?」

 続きを促すが、朋美は何も言わずに俯いた。

 沈黙する事5分弱。

 少し苛々してきた俺は再び促した。

「槙原さんが何だ?」

「…うん…」

 また黙ってしまった。何なんだよ一体…

 ガリガリと頭を掻く。

 不意に香って来た花の匂い。

「……なぁ朋美、どこからか花の香りしないか?」

「え?花の香り?…いや、しないけど…」

 真面目な顔での否定。俺にしか感じないのか?

「あ、でも、花の香りって暫く残っている事あるよね」

 それこそ花だけに鼻に残るってか。上手いなそれ。

「ふーん…女子はそうなのか…」

「いや、女子に限らず、普通に、一般的にだよ」

 そう言われても、俺に花を愛でる美しい心がある訳でも無く。

 つまり鼻に残るような行動はしていない訳で。

「ほら、薔薇園に行った時とか」

「俺がそんな所に行く訳ねぇだろ」

 それもそっかと考え込むと、閃いたようにパンと手を叩いた。

「お葬式とか!!」


 ズキン!!


 視界がグニャリと歪み、全ての嗅覚が花に捕らわれる。

 同時にガンガンと割れるように痛む頭。耐えきれずにその場に蹲った。

「ち、ちょっと隆!大丈夫!?」

 いきなり頭を押さえてぶっ倒れた俺に流石に驚いたようで、顔を覗き込んで来る朋美だが、視界が歪んで全く見えない…

 だけど、それよりも聞きたい事があった。

 酷い耳鳴りもする為、聞き取れ無くなる前に確かめなければならない…

「だ、大丈夫だ…それより…葬式の匂いは線香じゃないのか…?」

「え?う~ん…確かに一番解りやすい匂いだろうけど…ほら、お棺に入れる花、百合とかは香り強いじゃない?」

 お棺…棺桶…

 俺は葬式なんか……


――出たでしょう?


 この耳鳴りの中、あの女の声だけがはっきりと通った。

 で…出た…けど…思い出したく無い…

 忘れたいんだよあの事は…

 きっと朋美だって忘れたいんだよ……!

 頬に冷たい感覚を感じる。

 無理やり目を開けると、あの女が俺の頬に手のひらで触っていて、正に目の前で悲しい表情を向けていた。

 冷たいのは女の手のひら…

 体温なんか感じない…

 死人…幽霊…死神…

 だけど、その顔はそのいずれにも該当しないような…

 漫画キャラを模したその顔は、慈悲を含んだ…悲しく、そして少し怒っているような…

 そう感じた…

 慈しみ、愛しみ、俺の頬を優しく撫でる…

 その冷たさを心地良く感じる。

 気のせいか、頭痛も多少和らいだような…

 だが、女は裏腹に厳しく返す。

――死ぬわ貴方。お棺に入って、その香りの花に包まれて…

 死ぬ…

 俺は死ぬ…のか…?

――今からでも引き返せる…いえ、『別の道』が見つかるかも知れない…

 別の道…って…?

――…規制が…掛かって…これ以上は…だけど助言までは出来る…死にたく無ければ私を受け入れて…あの頃の…

 いきなり頬から冷たい感覚が消え去る。

 あの女、居なくなったんだ…

 思い出して…受け入れて…俺が好きだと言った漫画キャラの事を?

 意味解んねぇ…

 解んねぇけど…

 ぶっちゃけ…


 死んでもいいけど…


「…かし!…たかし!!」

 完全に気を失う前に、揺すられる身体によって『現実』に引き戻された。

朋美…

 なんで泣いている…?

 誰かに虐められたのか?

 俺は…もう二度と…誰も『死なせない』と誓ったから…

 お前も虐められて泣いているんなら俺に言えよ…

 ぶち砕いてやるから…

 だから…泣くな…


 小さく呟き、俺は今度こそ本当に気を失った…


 ………


 朝…か…

 あそこで気を失った俺はどうしたんだっけ…

 いや、失ってない、確かギリギリ意識が残っていて、自力で部屋に転がり込んでそのままベッドに倒れたんだっけな…

 証拠に制服の儘だ。

 シャツを替えようとしてボタンを外しながら思った。

 俺は川にでも入ったのか?

 あまりにびしょ濡れで、これが寝汗だと気付くまで結構な時間が掛かった。

 ベッドのシーツまで湿っている。

 シャワーを…いや、面倒だ。

 上から下まで着替えてロードワークをサボった事すら気にする余裕も無く、朝飯も食う気持ちも無く、文字通り生気の無い顔で家を出た。

 時間はゆっくりだが、いつもよりも遥かに足が重い。

 結果、学校にはいつもよりもやや遅めで登校する羽目になった。

 上履きに履き替えて、やはり重い足を引き摺りながら教室を目指すが、何故かB組の前の人集りによって阻まれる。

 B組は春日さんの教室だが、この人集りは一体……?

 まぁいいと、邪魔臭い同級生を掻き分けながら進むと、春日さんの席に見慣れない女子が座っていた。

 カチューシャで髪を上げて、大きな瞳を人集りに向けていた女子は、俺と目が合うと凄い可愛らしい笑顔で席を立ち、駆け寄って来た。

「……っお、緒方君!!」

 俺?

 こんな美少女が何故俺に用事があるんだ?つか、どこかで見たような…

 只でさえキツい目つきを女子に向けて凝視した。

「……おはよう緒方君…」

 耳まで真っ赤にして、気持ち俯きながら、もじもじと身を捩る。

 つか、声と仕草で漸く気付いた。

「…………春日さん?」

「……眼鏡外した所はバイト先で見た事あるでしょ?」

 重い身体が一気に吹っ飛んだ。

 いや、文字通り身体を直立させて仰け反った。

「おおおお~!え?何で?イメチェン?」

 声がひっくり返ったのが自分でも解る。

 つまり、かなり驚いたのだ。

 目立ちたく無いとの理由で、前髪を下ろして瓶底眼鏡を掛けて俯いていた春日さんが、俺だけに顔を上げて話していた春日さんが…

 堂々と素顔を晒し、背筋を伸ばして、俺の手をみんなの前で握っている!!

「……おかしいかな?」

「おかしくないおかしくない!!全く全然問題無い!!」

 慌ててブンブン首を振る。

「……そっか、良かった…」

 凄い真っ直ぐに可愛い笑顔を向けられた俺は、アホみたいに心臓の鼓動が早くなった。

「隆…」

 やはり人集りを掻き分けながらやってきたのは朋美。

 少し安心したような、残念そうな、腹立たしそうな。

 そんな複雑な顔で無理やり笑顔を作る。

「頭痛…大丈夫そうだね」

 言いながらも気になるのか、俺の手にチラチラと時々視線を投げている。

 朋美と話している最中でも全く手を離さない春日さんが何か怖いぞ。いきなりキャラ変えるなよ。

 嬉しいけどさ。

「ん。何とかな」

「そう。良かったね。ねぇ春日さんだっけ?隆と本気で付き合っているの?」

「……うん」

「へ、へ~…はっきり言う子だったとは思わなかった…」

 険しい顔の朋美だが、俺は逆に腰砕けになる。

 朋美の言った通り、はっきり言う女子じゃなかった筈だ。

 いや、嬉しいけどさ。

「でもねぇ、朝から手を握るなんて少し大胆じゃない?」

「……いい…よね?隆君…」

 いきなりの名前呼び!!

 真っ赤になりながら、顔を上げてじっと俺の顔を見ながら!

「う、うん」

 思わずそう返事をしたが、これは動揺の方が大きかったからだ。

 いや、まぁ、嬉しいけどさ。

 何か知らんが朋美は拳を握り締めてプルプル震え出す。

「そっかあ!うん!お幸せにねっ!!」

 大袈裟に足音を立てながらドガドガと、やはり人集りを掻き分け、いや、勝手に朋美を避けているな。

 兎に角ズンズンと自分の教室に入って行った。

「何怒ってんだあいつ?」

「……いいの…他の子は気にしないで…」

 握る手を更に強めながら言った。

 こんなに自己主張するとは…一体何が春日さんを変えた?

「あ、あの、春日さん?」

「……だめ」

「ん?おおお?」

 春日さんが手をぎりぎりと握り締めて来た。

 いや、痛く無いけど、多分春日握力MAXまで握り締めていると思う。

「……名前がぃぃ…」

 固く目を閉じながら、最後はちっさくなったが、本当に初めてじゃないかと思った程、本気のお願いをしてきた。

 それに応えない程、非情無情な男じゃない。

 だから逆にはっきり大きく言った。

「響子!!」

「…………はい!」

 それは果てしない可愛い笑顔での返事。

 オーディエンスのざわめきが更に大きくなり、それはやがて歓声となった。


 予鈴が鳴り、名残惜しくも教室へ戻ると、ヒロが引き締まった顔をして俺の席に座っていた。

「何だよ?どけよ?」

 鞄で小突くとじろりと睨み付けやがる。

「春日さん…イメチェンし過ぎだろ」

「何だお前、羨ましいのかよ?」

 やれやれと肩を竦める。

「羨ましいっちゃ羨ましいがよ。いやあ、素顔があんなに可愛いとは…じゃなくてよ!!」

 無理やり俺の腕を引っ張り、廊下を出たかと思ったら屋上の階段を駆け上がる。

「おい、予鈴鳴っただろが!!」

「うるせぇ!黙ってろ!!」

 ノブを回すも鍵が掛かって開かないようだ。

 ヒロはそれでもイライラしながら回して最後に扉を蹴る。

「ちくしょうが!開かねぇ!!」

「何だか解らんが八つ当たりじゃねーかそれ」

 それを無視して再三蹴ったが、相手は鉄製の扉だ。

 多少へこます程度が限界だったようだ。いや、へこますんじゃねーよ。学校壊すなよ。

「何か知らんが、内緒話なら此処でもできるだろが」

 肩で息を切らせて、漸く諦めたヒロ。

 そして振り向くなり、俺の肩をがっしりと握った。微妙に痛いんだが。

「槙原…だっけか?あの女はヤベェぞ!!春日ちゃんをしっかり守れ!!」

 ……春日『ちゃん』?

 一気に馴れ馴れしくなったな、おい。

 外見が見違えた程度で、何をフレンドリーな呼び方してんだこいつ?

「槙原さんがヤバい?何でだよ?」

「……言えねぇ!!」

 寧ろ誇らしげに胸を張りながらの拒否。何なんだこいつは。

「言えねぇって、言えない訳?」

「言ったらバラす事になるからな。だから言えねぇ!!」

 理解不能だ。

 そんなフワフワな状態でヤバいとか言われても、説得力皆無である。

「守るのは当たり前だ。俺の…その…恋人だぞ…」

 ゴニョゴニョと。ああみっともねえな!我ながら!!ハッキリ言えよ俺!!

「はあ?最後聞こえねぇぞ?」

「うっせーこの野郎!どうせチキンだバカ野郎!!」

 ムカついて殴った。

「なっ!何しやがるんだ!人が心配して忠告してやったのに!!」

「何が忠告だ!意味不明だろが!俺の女は俺が守るから余計な心配すんじゃねぇ!!」

「………俺の女?」

 途端にニヤニヤし出すヒロ。対して顔が熱い俺。

 俺は逃げ出すように階段を駆け下りた。いや、ハズいので逃げ出したのだ。


 春日さん…いや、響子が激しくイメチェンをして吹っ飛んだ頭痛だが、それでも鈍く、ずっと続いた。

 昼休みになっても治る事は無く、俺は気だるい身体を引き摺って購買にカスタード&生クリームDXを買いに出掛ける。

 購買には既に春日さん…いや、響子の姿があった。

 だが、いつもと全く違う光景を目撃して唖然とした。

 春日さん…いや、響子の前に道が出来ていたのだ。

 今まではパンに群がり、奪い合う事しか脳に無かったムサい野郎共が、『どうぞ響子さん』と言った感じで、まるでモーゼの十戒が如く!!

 春日さん…いや、響子は恐縮しながらペコペコお辞儀をして、まっさらピカピカのカスタード&生クリームDXを難なくゲットし、やはりペコペコお辞儀をして購買から少し離れた。

 途端に購買は修羅場と化し、荒れ狂う野郎共のパンの奪い合いが始まった。

「おおお…なんか凄ぇ光景を見た…」

 素直に感心して唸る俺に気付いて、響子がパタパタと近寄って来る。

 途端に野郎共の殺気の籠もった視線が俺を貫いた。

「……あの…たっ…たたた…隆君…今日は何だかすんなり買えちゃったから…」

 もじもじと、真っ赤になりながらも笑顔を向けて話している…響子。


 ちっ


 購買群がりむさ苦しい野郎共の舌打ちが沢山聞こえた。

 だが、お前等今まで響子をド無視ドスルーしていただろが。

 イメチェンした途端に手のひら返すって、どんだけ解りやすいんだよ。

 多少の優越感を感じて、馴れ馴れしく肩にポンと手を置くと、再び『ちっ』と沢山聞こえた。

「飲み物買った?」

「……ううん…まだ…」

 んじゃあと、いつもの練乳黒糖はちみつミルクを買おうと自販機に寄った所、やはり響子の前の道が開けて、自販機に群がるムサい野郎共の『どうぞ響子さん』との心の声がハッキリと聞こえる。

 再びペコペコお辞儀をし、無事購入して俺の傍に寄れば、『ちっ』とあからさまに舌打ちが聞こえる。

「……何だか今日はみんな親切だね…」

「違うと思うが…まぁいいや。じゃあ図書館行くか?」

 因みに響子と付き合い出してから、俺達は一緒に昼飯を図書館で食べている。基本的に図書館は飲食禁止だが、邪魔にならない、本を汚さないスペースにイスと机を置いて寛いでいるのだ。

「……うん…」

 ニコッと笑って俺の手を引く響子。

 今度は『ちっ!!』と、今まで以上の大きな舌打ちが聞こえた。


 響子がイメチェンしてから何かが変わった。

 野郎共は率先してカスタード&生クリームDXを確保しようとしやがるし、女子は女子でそれとなぁく俺との事を聞いているしで。

 B組は、今や春日フィーバー状態となっていると言っても過言では無い。

 当の響子は頑張って対応しているが、如何せん根が目立ちたくないからそっとしておいて女子なので、イマイチコミュニケーションが取れていないようだ。

 素直に接客マニュアルを駆使すりゃいいのにと思う。

 そんな響子たが、俺と話す時だけは真っ直ぐに顔を向けて話すし、積極的に手を繋いで来るし、何故か朋美や槙原さんと廊下などですれ違う時には俺の腕にしがみついて来るしで、やはり最初の頃と比べると変わったと印象しか受けない。

 いや、嬉しいけどさ。

 あれからずっと鈍い頭痛が続く日々だが、腕にしがみつかれた時の小ぶりの胸の感触によって、時々は頭痛も吹っ飛ぶからそれはそれでいい。

 と言うか、有り難い。

 と言うか、もっとしがみついてくれ。

 まぁ、そんなこんなでもう12月…

 俺達は今日もお互いに暖を取るように、手を繋いで下校しているのだった。

「……寒くなったね」

 頬が赤いのは寒いからか、俺と手を繋いでいるからか。

 冷たい空気も何のそので、身体が火照っているのは何故だろう。

「俺はあったかいけどなぁ。特に手が」

 言った瞬間、繋いだ手の温もりが更に増したような気がした。

「……あの…あのね…最初に会った時…」

「うん?」

「……なんで参考書取ってくれたの?」

「なんでって、届かないから取っただけだろ?」

「……でも眼鏡している時は誰も私を助けてくれなかったんだよ?」

「そうなのか?」

「……うん…バイト先じゃ沢山声かけられるけど…眼鏡している私を助けてくれたのは…隆君が初めて…」

 響子は人間の裏表を知っている。

 眼鏡を掛けている自分は、地味で陰気で可愛く無いから無視される。

 敢えて無視される事を望んでいたようだが。

 しかし、こうなると逆に何故素顔を晒す決意が生まれたかって事だ。

 俺は眼鏡を掛けている響子も可愛いと思っていたから、普通に体育祭で公開告白したし、響子もそれを納得している筈だ。

 自惚れだが、俺に良く見られたいから。と考える必要は無い。

 だから敢えて素顔を晒す必要は無いと言える。

「……私頑張るから…」

 また頑張る、か…

 一体何を頑張ると言うんだろう。

 バイトか?多分そうだろう。

「頑張るのはいいけど、身体には気をつけろよ?」

「……うん?」

 一瞬キョトンとし、そして笑い出す響子。

「な、何か変な事言ったか?」

「……ううん…そうだね…言わなきゃ解らないよね…隆君の傍に居られるように、頑張るから…可愛くなるから…」

 やはり赤くなるも、笑いながら俺の顔を見て言い切った。

 ……もう充分可愛い!!

「じ、じゃあ…もしかしてイメチェンも俺の為?」

「……うん…ううん、自分の為…隆君の傍に居たいから、自分の為に頑張るの」

 ……だから充分最強に可愛い!!

「離れたりしないよ?つか、告ったの俺からだろ?」

「……知らない…よね…隆君…結構人気あるよ?格好いいし優しいし…隆君を好きな子も結構いるんだよ?」

 そうなのか!!

 いやいや、鋭い目つきで喧嘩っ早く、上級生にも喰って掛かる俺だよ?怖がられている筈じゃないの?

 証拠に中学から今まで誰からも告られた事は無いんだが。そんな噂すら聞いた事無いんだが。

「……私も少なくとも二人知っている…隆君を大好きな子の事を…」

 途端に暗い表情になる響子。そして続けた。

「……二人はずっとチャンスを窺っていたの…夏あたりからかな?だけど…私が途中で割り込んだ形になっちゃって…でも…私嬉しいの…眼鏡の私も、今の私も、同じように扱ってくれた事…」

 もしかして、過去に容姿の事で散々な目に遭ったのだろうか?

「……嬉しかったの…俯いている私に普通に話し掛けてくれた事…」

 人を避けなければならない、後ろめたい何かがあったのだろうか?

「……嬉しかったの…眼鏡の私に親切にしてくれた事…」

 逆に容姿を隠して、散々な目に遭った事があるのだろうか?

「……あの二人は積極的で…でも意地っ張りで…ちゃんと告白したら隆君もOKしちゃったかも知れないのに…でも、まだ諦めてくれていないの…」

 遠くを見るように顔を上げ、そして再び俺の顔を見てニコッと笑った。

「……だから私、頑張る…負けられないから…大好きだから…」

 ……もう…充分史上最強に!可愛いっつってんだろがあああ!!

 俺は心の中で絶叫した。表面上では真顔でウンウン頷きながら。

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