一年の冬~003

 新学期。補習と自習の成果か否か、俺の学力は飛躍的向上した。

 それは定かでは無いが、少なくとも休みを学校で潰す事は無くなっただろう。

と自負する。

 結局夏休み中は勉強漬けだったし。

 そんな訳で、机に鞄を置いて、椅子の背もたれを限界まで使って、伸びをしてみたりもする。

「オス、隆」

「おーヒロ、オス」

 いつもなら遅刻ギリギリに飛び込んでくる親友だが、流石に新学期初日にそんな事は無く、比較的に余裕がある時間に登校してきた。

 そして自分の机に鞄を放り投げて、俺の正面に座った。

「聞いたか?楠木の事」

「楠木さん?いや、何も聞いていないけど」

 つか、聞くも何もだ。

 あの奇跡を自分から捨てた俺には、楠木さんの今後を知る権利すら無いように思う。

「楠木さ、学校クビになったらしいぜ」

「そっか。クビになぁ。そりゃ災難だなぁ。って何で!?」

 文字通り目ん玉が飛び出そうな程見開き、椅子から飛び起きた。

「お、おお…何か薬やっているのがバレたらしいぞ…」

 薬?薬って風邪薬やら傷薬やらの薬の事…じゃないよな、やっぱり…

 だが、俄かに信じ難い。あの楠木さんが薬に手を付けていたなんて…

「薬を買う為に、仲介者紛いの事もやっていたらしい。マージンバックの代わりに薬を貰う、みたいな。西高の木村って知ってっか?奴にヤバい客とかぶん殴らせて身を守っていたらしいぜ。報酬は身体だってよ」

 まぁ噂だけどな。と肩を竦める。

 西高の木村か…噂には聞いている。

 肩が触れた、目が合った程度で相手をボッコにする様な狂犬だと。

 しかも報酬が身体って…

「……まぁ、真偽の程は定かじゃないが、少なくとも薬関係で学校をクビになったのは事実らしい」

 あからさまにショックを受けた表情が表れていたんだろう。

 噂だし、真偽は解らないと気遣いを見せるヒロ。

 いずれにしても、楠木さんとは二度と会う事は無いんだなぁ。と、漠然ながらそう思った。

 俺に告ってくれた事は本当に嬉しかったし、今でも惜しい事をしたと嘘偽り無く思っている事も本心。

 噂だろうが何だろうが、庇ってやりたい気持ちもあるが、もう居ないんじゃ仕方が無い…

「まぁ気にすんなよ。お前を思ってくれている女子は多分他にもいるからさ」

 そう言って自分の席に戻るヒロ。

 まるで一歩間違えば俺が酷い目にあっていたと暗に言っているような、気休めみたいな気遣いを見せながら。

 

 HRも終わり、徘徊しながらC組をチラ見する。

 楠木さんの席にやはり姿は無い。

「はぁ…」

 項垂れながらそこを後にした。

 やっぱり本当なのかなぁ…何か…くるものがあるなぁ…

 しょんぼりしながら歩く俺だが、呼び止められて足を止めた。

「楠木さん、売人紛いの事やってたんだって」

 眼鏡を掛けた、二つに分けた髪を三つ編みにしている女子。

 残念そうに眉尻を下げて、わざとらしく溜め息を付きながら俺に近寄って来る。

「緒方君、楠木さんに告白されたんだよね。残念な事になっちゃったね」

「楠木さんの友達か?」

 言われてキョトンとし、慌てて首を振って否定する。

「違うよ。ただ一方的に知っているだけ。私はD組の槙原遥香。知っているよね?」

 ……誰だ?記憶にあるような無いような…

「あはは~。覚えてないか。入学したての頃、男子の先輩に絡まられていた所を、通りすがりのナイト様に助けて戴いた、単なる美少女でございます」

 おどけるように言われた。

 つか、ナイト様って。

「俺が助けたの?」

「そうだよ」

 槙原さんは首を微かに傾げて、凄い可愛い笑顔を俺に向けた。

「あの時はありがとうございました」

 勢い良く深々と頭を下げられた。

「いや、いやいやいや、俺って結構そんな事に首突っ込むからさ。気にしないでよ」

 俺は所謂不良が大嫌いなので、絡まられている人間を見たら、後先考えずに首を突っ込んでしまう悪い癖がある。

 それは中学の時に目つきが気に入らないと言う、理不尽かつ難癖つけられて、暇つぶしに遊びで殴られていた事が原因だ。

 そんな暇つぶし程度で他人を虐めて笑っているような連中を、今は単純な暴力で報復しているだけ。

 つまり槙原さんを助けたのでは無く、自分の報復の建て前を見つけたから、ついでに助けたに過ぎない。

「でも嬉しかったんだ。周りの同級生は勿論、同じ学年の先輩方も見て見ぬ振りをしていたから尚更ね」

 そりゃ普通の奴なら『触らぬ神に祟り無し』だからな。

 それが悪い事だとは思っていないから、責める気にはならないけど。

「とにかく、俺にとっては日常茶飯事だから」

「日常茶飯事だからって、お礼しなくてもいい理由にはならないよね」

 ニコーとしてズイッと顔を近付けてくる槙原さん。

 近い!おっぱい当たる!つかおっぱいデカい!!

 俺は制服から垣間見える槙原さんの谷間を凝視してしまった。

 俺の視線を察知したか、そのままの体勢で半歩下がって笑う。

「見ての通り、胸が大きいだけで絡まられたり痴漢に遭ったりするんだよね」

 そうだろうそうだろう。素晴らしく立派な胸だし。

「今みたいに視姦にもよく合うし」

 ………まさしくぐうの音も出ねえ。

「ごめんなさい」

 素直に非を認めて謝罪する。

「ん~ん。男子ってそんなもんでしょ?流石に謝られたのは初めてだけど」

 そんなもんかも知れないが、謝るのはおかしいのか?

「見てないとか、そんな胸を持ったお前が悪いとかは言われた事あるけど」

「見ていません」

「さっき謝ったよね?」

「そうでした」

 何とか場を打開しようと模索するが、全ておかしな方向に空回りしてしまった。

「あははは。緒方君結構面白いよね」

 マジで笑われる俺。ちょっとハズい。

「格好いいし面白いし言う事無し!!」

 ………格好いい?

 それを言われるとは意外だった。

 あ、助けた云々で格好いいのか。

 一人納得する俺だが、槙原さんの続く言葉にそれは打ち砕かれた。

「楠木さんもただ腕っ節が強いだけの男子に告白しないよね。あの子強欲だなぁ」

 一瞬だが、巧みに隠された邪気が垣間見えたような気がした。

「…どう言う事?」

 聞けと命令する脳と、聞くなと命令する心が、矛盾しながらも存在した。

 知っている。俺は何故か知っている……

 楠木さんが何故俺に告白してきたのかを、誰に言われずとも、本人がひた隠しにしていても、俺はどこかで、こんな風に聞いた記憶があるからだ……

 槙原さんが笑い、邪気を帯びた笑みを作る。

「あの子、ボディガードが欲しかったんだよ。ええと…西高の木村君だっけ?彼もボディガードだけど、ルックスが不良だからね。顔も良く有名で、尚且つ対価を求めないボディガードが欲しかったんだよ……連れて歩くにしても優越感に浸れるしね……」

 ………俺が以前どこかで聞いた事にそっくりだ…

 何故か木村とやり合った記憶もどこかにある。顔も知らない相手なのに…

「要するに緒方君を利用しようとしていたって事」

 利用…

 本当なら槙原さんに怒鳴って否定したい。

 だが、俺はそれが何故か真実だと知っている。

 だから俺は何も言えなかった。


 その後は正直言って覚えていない。

 槙原さんとたわいのない雑談も全く耳に届かず、気付いたら学校から帰って来て、気付いたら夜になっていた。

 ベッドに仰向けで寝そべり、俺は遂に考える事をやめる。

「真実はどうあれ、楠木さんとは二度と会う事は無いからな…」

 そう、もう学校で擦れ違う事も無い。全く接点が無くなったのだから。

 若干の寂しさを感じて、少し早いが電気を消してその儘眠った。

 どこから来たのか、部屋に漂う花の香りを嗅ぎながら眠った。


「……早く寝たおかげで随分早起きしてしまったな…」

 いつものロードワークの時間にセットした目覚ましが鳴るより早く目を覚ました。

 特に問題は無いが、昨日勉強しておけば良かったかなぁ。と反省はした。尤も、頭に入る事は無かっただろうが。

 別に早起きしても問題なんかある筈も無く、俺はいつも通りにロードワークに出掛けて飯を食い、学校に行った。

 学校に到着した時間は、やはりいつもよりも遥かに早い時間だった。

 欠伸をしながらクラスに向かう。

 A組の疎らな人数の中、朋美は入ってなかった。

 あいつより早いのかと少し優越感に浸ろう。つってもいつも俺の方が若干早いけども。

 B組の前を通る。

「ん?」

 見覚えがある女子が目に入って、一旦は通り過ぎだが、身体を仰け反らせて開いているドアから教室を見た。

 真ん中あたりの席、牛乳瓶の底みたいな分厚いレンズの眼鏡を掛けている、前髪がやたらと長い女子が、俯きながら座っていた。

「あれ、確か参考書の…」

 夏休み中の補習の時、少し話した女子。

 何か嬉しくなって、思わず声を掛けてしまった。

「おはよう。B組だったんだなぁ」

 早朝故にあまり登校している生徒が居ないとは言え、やはり多少は来ている。B組にもその女子以外、当然生徒が登校していた。

 その全員が驚きながら俺を見て、俺の視線の先を追い、更に驚いたようだった。

「……あ、おはよう緒方君…」

 元々俯いていた女子だが、微かに頭を下げたのは解った。

「うん。あ、そう言えば名前知らなかった」

 言われて女子は低い声を更に低くして名乗った。

「……春日…春日響子かすがきょうこ…」

「春日さんか。改めておはよう」

「……改めて…おはよう…」

 B組の連中が呆気に取られている中、俺はここで漸く春日響子と言う女子を認識できた。

 微かに笑ったように見えた春日さんは、思いの外可愛いかったからだ。


 昼休み、ヒロが弁当を広げて俺を促す。

「隆、飯食おうぜ飯。学校なんか昼休みくらいしか楽しみが無いんだから」

「そんな事は無いと思うが…社会に出たら学生時代は良かったと絶対思うぜ?」

「なんで知ったような事言うんだよ」

「天の声…かな?」

 そう言って席を立つ。

「ん?お前弁当は?」

「今日はパンだ。お袋が寝坊してさ。直ぐ戻るから先食ってて」

 少し駆け足で教室を出て購買に向かう。

 人気のパンは直ぐに売り切れてしまうから、なるべく早い所購買に行かなければならない。

 しかし…

「うわぁ……」

 購買で俺は明らかに怯んだ。

 パンに群がる男子は、さながら悪鬼の、いや、餓鬼の如く我先にとパンに手を伸ばしては奪われ、奪い返しを繰り返している。

「半額シールのおばさんかよ…」

 夕方以降のスーパーでよく見る光景を、昼間の学校で見ると言う、有り得ない状況だ。

 尤も、スーパーでそんなおばさんを見た事がないから、単なる偏見だが。

 まぁ、俺は欲しいパンは無いので、手に入ったパンで良しとしよう。

 そう思って群れの中に突っ込もうとした。

 その時、群れから離れた所にビクビクしながら佇んでいる女子が目に映る。

「あれ?春日さん?」

 春日さんは腕を伸ばしては引っ込め、軽い溜め息を付きながら諦めた様子で群れを見ていた。

 そんな春日さんに近寄る。

「春日さん、何パン欲しいの?」

 いきなり声を掛けられて飛び跳ねて驚く春日さん。

「……あ、緒方君…」

 胸に握った拳を当て腰を引かせて俺を見る春日さん。

 ……なんか保護欲を掻き立てられるなぁ…ビクビクしている小動物のようで可愛い。

「何のパン欲しいの?ついでに買って来てやるよ」

「……え?でも……悪いから……」

「おかしな遠慮すんなよ。俺もパン買いに来たからついでさ。で、何パン?」

 暫く困ったように考えてから、やがて意を決したように口を開いた。

「……あの…カスタード&生クリームDX…」

「……なんかお菓子みたいなパンだが、了解」

 甘ったるそうだが、それが欲しいのなら買うまでだ。

 俺は群れの中に身体を潜らせるよう突っ込む。

「うお!!カスタード&生クリームDXとやらを探す暇あんのか!?」

 ムサい男子生徒に揉みくちゃにされながら、パンを物色してお金を払って、俺は脱出を成功させた。

「はい、カスタード&生クリームDXお待ち」

 俺が買った焼きそばパンとツナマヨパンは揉みくちゃにされた際に激しく損傷したが、カスタード&生クリームDXは完全な状態の儘確保出来た。

 これは結構凄い事だ。

 ある種の満足感を感じ、未だに受け取るのを躊躇っている春日さんに押し付ける。

「……あ、ありがとう…綺麗な状態のカスタード&生クリームDXは初めて…」

 あ、笑った。

 やべえ可愛い。

 眼鏡外してくんねーかなぁ…もっと可愛くなるだろうに。

「……はい、お金…」

 そう言って俺の手のひらに300円を乗せる春日さん。

「え?そのパン300円もすんの?」

 俺の焼きそばパンとツナマヨパンを合わせても、まだお釣りが来るぞ?

 そういや1000円札で払って、お釣りを確認してなかった事に今更気が付いた。

「……お昼は甘いパン食べたいから…」

 微かに頬を染めて、恥ずかしそうに俯く。

「そっか。毎日パンなの?」

「……うん…」

 まぁ、昼は甘いパン食いたい訳だから、毎日パンでもいいんだろうな。

「……飲み物…」

「ん?」

「……飲み物…買う?」

「ああ、うん」

 俺は春日さんと仲良く飲み物を買い(春日さんは練乳黒糖はちみつミルクと言う、訳の解らない飲み物をチョイスした。目茶苦茶甘そうだ)教室に戻った。

 教室に戻ると、ヒロが既に弁当を食い終わる寸前だった。

「おせーよ隆」

「お前が早いんだろが」

 椅子に座り、焼きそばパンを開ける。

「あーあ、9月ってのはやる気出ねぇよなぁ。昼休みくらいしか楽しみが無い」

 お茶で残りの弁当を流し込んでから、気だるそうに言うヒロ。

 確かに9月はイベントが無いから気持ちは解る。

 しかし、俺は学力向上に忙しいのだ。無駄に塾通いしている無駄なヒロとは訳が違う。

 だが一応気遣って言った。

「来月は体育祭があるだろ。それまで耐えろ」

「体育祭かぁ…女子にキャーキャー言われる野郎と、そうでない野郎との明暗が別れる日だな…」

 いちいちネガティブな奴だな。

「お前もまたジムに通って体力つけりゃいいじゃん。キャーキャー言われるかもだぜ」

「お前なんかジム通いしている最中なのに、むしろビビられて敬遠されてんだろが」

 ………

 それを言われると返す言葉が無いんだが。

「まぁ、体育祭でも、何も無いよりはマシかな」

「正直果てしなくどうでもいいけどな」

 毎日ロードワークをしている俺だが、体育祭には興味が無い。

 適当に流せばいいかな、と思っている。


 授業が終わり、帰ろうとする俺を、朋美が目ざとく呼び止めた。

「隆、今帰り?」

「あー。着替えてからジムには行くけど」

「そっか、一緒に帰ろうと言いたい所だけど、ちょっと厄介な奴と揉めそうだからなぁ…」

 朋美は珍しく弱った表情を見せた。いつも勝気なのに。

「手を貸そうか?」

 相手が所謂不良なら、俺は男女の区別はしない。普通にどっちもぶち砕く。そうは言っても女子を殴った事は無いけれど。

「隆に手を借りる相手じゃないよ」

 慌てて止める。俺が腕捲りしたのに第六感が働いたようだ。

「そうだね…うん、これは私とあの子の問題」

 あの子…女子か。

 まぁ、所謂不良が相手じゃないなら、俺の出る幕は無いな。

 腕っ節担当、緒方隆である。

「あ、その代わり日曜日遊んでよ。観たい映画があるんだ」

「恋愛物じゃないなら…」

「恋愛物じゃないし割り勘でもある」

「威張って言うな。割り勘は当たり前だ。なんでお前から誘われて俺が奢らなきゃならないんだよ」

 何故譲歩してやったと言わんばかりに胸を張る?

 つか、うむ…

 なかなかデカい胸だ。

 だが槙原さんよりは遥かに下だな。

 槙原さんのアレは明らかに高校一年生の胸を凌駕しているからな。

「何だよそのエッチな目は?」

 露骨に胸を隠すように身を背ける朋美。

 つか、お前が胸を張ったから、出っ張りが強調されたんだろうが。

「まぁいいや。じゃ、メールで時間指定してくれ。むしろ起こしに来てくれ」

「いや、隆の方が早起きじゃんか。毎朝走っているんだし…」

 そうだった。

 それよりも、朝起こしに来ない幼馴染ってのは、有難味が全く無いな。単なる女子の友達だろそれ。幼馴染の技とか使えよ。

「とにかく解ったよ。メールで時間と待ち合わせ場所指定するから。あんまり隆と話し込んでいると面倒な事になりそうだから、続きはメールでね」

「…それ、さり気なく傷付くぞ」

 俺と話し込んでいると面倒な事になるって。

 確かに俺は怖がられてはいるが、その理由を一番良く知ってんのは他ならないお前だろうに…

「いやいや、そんな意味じゃなく…うーん…牽制されているって言うか、脅されているって言うか…」

 慌てて否定するも、物騒なワードが出て来た。

 牽制?脅し?

「あー!あー!!兎に角夜メールするから!!」

 明らかにしくじったとの表情をして、逃げるように場を離れて行く朋美。

 何だろう…

 何かヤバい事に巻き込まれて無いだろうな…

 ……俺が

 ボケでも無く、純粋にそう思った。

 何か裏がある。それを俺は知っている。

 ただ、思い出せないだけ。

 そんな気がした。

 不穏な空気を感じながら、漸く靴を変えた。

 そして校門まで歩いて行く途中、図書室の方角から、一人の女子が此方に向かって歩いて来る。

「あれ?春日さん?」

 瓶底眼鏡で俯き加減で歩いている女子はそうは居ない。つか、春日さんだけだ。

「……あ、緒方君…」

 若干の微笑を浮かべ、すこぉし足早に俺の所へ来た。

「そういや夏休み中も此処で会ったね」

「……うん…」

 ……

 何故頬を染める?可愛いじゃねーかコンチクショウ。

「……夏休み中は、図書室で勉強していたから…」

 俺のコンチクショウを知る由も無いだろう春日さんは、あの日学校に居た理由を教えてくれた。

「そうなの?あ、でも駅五つくらい行った先に結構デカい図書館あったよ。そっちなら空調も…」

「……あそこはダメなの…万が一にも知られたく無いから…」

 意味解らん。何が知られたく無いのか、何故図書館がダメなのかさっぱり解らん。

「……嬉しかった…」

 俺の疑問を置き去りにして、春日さんは更に頬を赤く染めた。

「……本屋さんで参考書取ってくれた時…本当に嬉しかった…『この状態の私』に親切にしてくれる人は今まで居なかったから…」

「ああ、別に大した事をした訳じゃないよ。あれくらい普通じゃね?…『この状態』?」

 俺の疑問を華麗にスルーして続ける。

「……今日カスタード&生クリームDX買って来てくれた時…緒方君は本当に優しい人だなぁって確信したの…」

 目つきで怖がられているけどな。

 と言う自虐は置いといてだ。

「あれくらい、やっぱ普通だろ?あのムサい野郎の群れの中を掻き分けて行けるとは思えなかったし」

「……うん…いつも弾き飛ばされるの…私ちっちゃいから…」

 だからいつもゲットしたカスタード&生クリームDXは潰れてしまったと言って笑う。

 綺麗なカスタード&生クリームDXは初めてで、これも嬉しかったと。

 随分と喜びポイントが低いんだなぁ。と、逆に感心した。

「そんなんで良かったらいつでも頼ってよ」

「……うん…ありがとう…」

 今度は顔全部真っ赤にして俯いてしまった春日さん。

 やっぱり可愛いじゃねーかコンチクショウ。


 春日さんと別れて、そのままジムで汗を流し、帰宅した。

 晩飯を食ってベッドに横になると同時に、朋美からメールが。

 そういや、夜にメールすると言っていたのをすっかり忘れていたな。

 内容は日曜日の朝家に迎えに来るから待ってて。だった。

 業務連絡だ。絵文字も一切使ってねーし。

 仕返しとばかりに業務連絡メールで返した。

 

 Sub【Re:】

   【了解】


 二文字だぜ、ざまぁみやがれ。

 ……果たして仕返しになっているのかは果てしなく微妙だが、しかも普通に返信してもこんな感じになるだろうし。

 俺はメールが苦手だから、朋美が俺に付き合って素っ気ないメールを送ってくるのも、実は何となく解っていた。

 詰まるところ、俺は普段から誰が相手だろうと、こんなメールしか送っていないのだ。

 そういや牽制とか脅しとかの話の続きは聞いていない。

 日曜日に朋美からじっくり聞く事にしようか。

 あの様子じゃ切羽詰まった感じでも無かったし、そんなに気にする事でも無いかも知れない。


 そして日曜日――

 いつも通りにロードワークに行き、いつも通りにシャワーを浴び、いつも通りに朝飯を食い、朋美が家に来るのを暇を持て余しつつ待っていた時、朋美からメールが入った。

 Sub【 】

  【ゴメン、行けなくなった。埋め合わせはきっとするからゴメン】

 所謂ドタキャン。用事が入ったんだろう。

 返信っと…


 Sub【Re:】

  【解った】


 ……もう少し何か入れた方がいいかな?見ようによっちゃ責めているように見える気がする…


 Sub【Re:】

  【そうか、仕方ないから気にすんな】


 すこぉしマシになったかな?

 取り敢えず送信して気が付く。

 牽制とか脅しの事を聞くの忘れていた。

 かと言って、一度解ったと送った手前、直ぐ様メールするのは俺の性格上憚れる。

 いいや、明日絶対聞こう。

 だが、予定が消えて暇になったな…

 図書館に勉強しに行こうか。

 これでも学力向上に努める男だ。たまに変わった所で勉強するのも悪く無い。

 善は急げとばかりに、俺は鞄に参考書や教科書を入れて家を出た。

 電車に乗って五つ先の駅に着き、図書館目指して歩き出す。

 以前来た時はさとちゃんこと里中さんに付き合った形になっるので、利用する為に来たのは初めての事。むしろ図書館に来る事なんか、生まれてこの方経験した事は無い。

 一応気合いを入れて図書館に足を踏み入れる。

 事は無かった。

 何故ならば…

「本日閉館とか!!」

 図書館は鍵を掛けられ、ご丁寧に閉館中の立て札まで立てられ、俺は虚しく一人突っ込みする他する事が無かったのである。

 案内板に休館日に日曜日と、ちゃあんと明記されていた。

 ちくしょう!あの時ちゃんと確認しておけば!!無駄足中の無駄足とは正にこの事だ!!

 周りに人が居なければ涙を流して地に伏していたに違いない程ダメージを受けた。

「はぁ~…仕方ない、帰るか…」

 マジで何しに来たか解んねぇ。

 肩を下ろしてトボトボと駅に向かって歩く。

 その時、誰かの肩に接触して相手が転んだ。

「わっ!ゴメン!前向いて歩いて無かった!!」

 倒れた人に慌てて謝罪する。

「……いえ…私もコンタクトはめて無かったから…あ…」

 倒れた人は小柄の女子。

 カチューシャで前髪を止め、長い睫毛をパチクリさせながら俺を驚いたように見上げていた。

 つか、小柄な身体…その声…

「……緒方君…」

 そしてそのちっさい呟くような声…

「春日さん!?」

 その女子は間違い無く春日さんだった。

 いつもの瓶底眼鏡を外しておでこを見せるだけで、全然違う人みたいに変わってしまっていた!!

「春日さん、普段は眼鏡外しているんだ?」

 手を伸ばして起き上がる手助けをする。

 少し躊躇しながらも、俺の手を取り起き上がる春日さんは、いつも通りに俯いて答えた。

「……これからバイトなの…だから…」

 逆に違和感バリバリだった。

 バイト?この恥ずかしそうに俯いている春日さんが?

 高校生に出来るバイトは限られている。その多くは接客業。俺が違和感を覚えるのは仕方がないと言えよう。

「……うん…私一人暮らしだから…」

「一人暮らし?」

「……うん…なるべくお母さんの負担を無くそうって思って…」

 お母さんと言う限りは、父親は居ないのか。

 母親は仕事で単身赴任か何かで一人暮らしになったって所か?

 いやいや、人様の家庭の事情を分析するなど失礼過ぎる。

「そっか。頑張っているんだなぁ。バイト先は接客業だろ?売り上げに協力するよ」

 これは多分どこかの食べ物屋さんでバイトしているのだろうとの考えで言った。

昼飯の時間には少し早いが、まぁ誤差内だし。

 バイト先がホームセンターとかペットショップならお手上げだが、俺は何故か確信があったのだ。

 春日さんは困った顔をし、俯きながらしきりに首を傾げ、遂には地面に視線を落として固まってしまった。

「あ、あの、別に無理とは言わないから」

 そりゃ同級生が仕事先に来るってのは、それなりに緊張するものだろう。春日さんみたいに大人しい人なら尚更だ。

 もしかしたら凄い迷惑かも知れない。

「……うん…緒方君になら…」

「ん?」

「……その代わり…誰にも内緒にして?」

 潤んだ瞳を真正面に向けられて、生唾を飲んで頷いた。

 すげー可愛い…

 いや、あの瓶底眼鏡と長過ぎな前髪の時も思っていたけど、やっぱり素顔は別格と言うか何と言うか…

「……緒方君?」

 見蕩れていて呆けていた俺は我に返り、うんと頷いた。

「……じゃ…こっち…」

「あ、ああ…」

 並んで歩くのも憚れる程可愛いかったので、はっきり言って怖じ気づき、春日さんの後ろに付いて行く形を取る。

 春日さんはたまに振り向いては不可思議そうに首を傾げていたが、その仕種も反則的に可愛かった。

 立ち止まる春日さん。視線だけその店に向けて、呟くように言った。

「……ここ…」

 その店を見て更に固まった。

「ここって…」

「……うん…緒方君が絡まられている従業員を助けた場所だよ…」

 笑って答えた春日さん。

 いや、いやいやいやいや!

 助けた訳じゃなく、ぶち殺したい先輩を目の前にして理性が切れただけだ!!

 そう、この店は、あのコスチュームが可愛らしいファミリーレストラン!!

 ほんの少し前に俺はここで暴れた。いや、厳密には外に連れ出してから暴れたのだが、最初の一発はこの店でぶち喰らわしたのだ。

 故にもう二度と立ち入る事は出来ないなぁ、とか思っていたが、まさかここが春日さんのバイト先だったとは!!

 ん?

 俺は超高速で首だけを春日さんに向ける。

 春日さんはびっくりした表情をした。それに構わずに春日さんの顔を正に凝視する。

「……もしかして…あのゴスロリメイドさん!?」

 クスッと笑って頷く。

「……やっと気付いてくれた…」

 もう最高に驚いた!!

 俺にだけ微妙に対応が違った訳だ!!

 この店に来る前に、俺は春日さんと少しだけ話をしている。

 春日さんは俺に気付かれないか、不安で営業スマイルが出来なかったのだ!!

「お…おおおおお~…」

 正に腰砕け状態。

「……驚いた?」

「驚いた…」

 ふふ、と笑って俺を店の入り口に置き去りにし、裏口に回る春日さん。

 その途中で振り返る。

「……10分後に入って…私が接客したいから…ね?」

 そのすげー可愛い笑顔を前に、俺はただウンウン頷いた。

 去り際、やはりニコニコ笑って手を軽く振る。

 俺はアホみたいにぼけーっとし、その姿が完全に見えなくなるまで手を振り続けた。

 て、通行人の目が気になるわ。

 10分後か。それまで取り敢えずはここから離れよう。

 と言う訳で駅に向かって5分歩き、踵を返して戻る。

 ほら、丁度10分後だ。

 しっかし、一人でこの店に入るのは緊張するなぁ…

 震える手でドアを押す。

 カランカランと乾いた音がしたと同時に「いらっしゃいませぇ~」と、黄色い声でお出迎えしてくれた春日さん!!

 10分やそこらで着替えてメイクまでしたのか。

 すげーよ女子。普通にすげー。

 微かに息切れしているのはご愛嬌だ。

「お一人様ですか?」

 マニュアルだな。解っているだろうに、と悪戯に笑って頷く。

「喫煙席と禁煙席がございますが、どちらになさいますか?」

「喫煙席」

 ギョッとした春日さん。

「と、言うのは嘘で」

「禁煙席ですね。こちらへどうぞ」

 おお…この手の客のあしらいも慣れている感が…

 いつもは俯いて歩いている春日さんだが、ゴスロリメイドさんにチェンジした今、胸を張って堂々と俺を席まで案内してくれる。

 変わるもんだなぁ。まぁ、仕事だから切り替えは必要だ。

 席に座るなり水が入っているコップを目の前に置き、メニューを開いてお勧めを教えてくれる。

 今日はみぞれハンバーグがお勧めだと。

 だが、小声でボソッと。

「……あんまり美味しく無いからやめた方がいいよ…」

 いいのかそれは?だが働いている従業員さんがそう言うんだから、間違いじゃないだろう。

「え、えーっと、じゃあ…エビフライの…」

「カツカレーですね。お飲み物は如何なさいますか?」

 ……カツカレーがお勧めなのか…

「……カレーにはサラダバーとスープが付いてくるからお得だから…」

 そうなのか。お得な方がいいしな。とんかつ好きだし。そうなるとドリンクバーは必要ないが…

「じゃあドリンクバーは…」

 要らないと言おうとした所、春日さんはすんごい可愛く首を傾げながら笑った。

「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 そう言ってメニューを閉じる。それと同時に俺に一枚の紙切れを握らせた。

 ドリンクバーは要らんのにと思いながらも、握らされた紙を見る。

 メモ帳の切れ端だ。どこにでもあるような普通のヤツ。

 だが、そこに書かれていたのは普通では無かった。少なくとも俺には、そして春日さんには。

 メアドとケー番!!

 勢い良く首を春日さんに向ける。

 春日さんはみるみるうちに真っ赤になり、俯いてしまった。

「……あの…お友達に…なって…くれますか…?」

 凄い頑張って言ったのだろう。微かだが、ぷるぷる震えている。

 俺は脊髄反射の如く、首を上下に高速で動かした。

 春日さんはやはり真っ赤になりながら、それでも顔を上げた。

「只今お持ち致します」

 とびっきりの笑顔を見せて、厨房に足早に向かって行った。

 俺はと言うと、貰ったメアドとケー番を、それはそれは固く握り締めて、去って行く春日さんの後ろ姿を、文字通り目を見開いて追っていた。

 この、まさかの展開を信じられないのは、他ならぬ俺。

 そしてその相手が、あの大人しい、こんな事をするとはとても思えなかった春日さんだからだ。

 それからは普通に飯食って、普通に会計して、普通に帰って、普通にジム行って、普通に帰宅した。

 あの後春日さんは厨房から出て来なかったからだ。

 まぁ、仕事だから俺にばかり構っていられないのだろう。これも普通の事だ。

 そして現在、スマホに移したメアドとケー番を凝視中である。

 メール送った方がいいのか電話した方がいいのか…どちらが迷惑じゃ無いのか。

 いや、一人暮らしと言っていたし、いいのかな?いやいや、まだ仕事中かも知れないし…

 ならばメールにした方がいいのか?

 スマホを触りながら考えていると、春日さんのケー番が画面に出た!!

 めっさビックリしたが何の事は無い。

 間違って通信ボタンを押した画面が出ただけだった。

 こうなれば電話にしよう。俺メール得意じゃないし。

 超緊張して電話をする……春日さんは2コールで出た。

「あ、緒方ですけど」

『……うん…』

「今大丈夫?」

『……うん…』

「え、えーっと、これが俺のケー番だから。アドレスも直ぐに送るから」

『……うん…』

 ………

『うん』だけの返事でも会話は成り立つ事を、初めて知った瞬間だった。

「それじゃ」

『……あ…待って…』

「うん」

『うん』返しである。狙った訳では無いが。

 春日さんは電話向こうで、消え入る程小さい声で言った。

『……お友達になってくれて…ありがとう…』

 この日…俺に新しい女子の友達ができた。

 この快挙に、俺は感動で打ち震えたのだ。

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