一年の冬~002

 日曜日――

 ロードワークから帰って来て直ぐに雨具を脱ぎ、シャワーを浴びに風呂場へと駆け込んだ。

 熱いシャワーを浴びながら、やっぱり雨降ったな、と呟いた。

 確かに昨日まではカラッカラの晴天。天気予報も晴れだったが、『知っていた』とおり雨だった。

「何で知っていたんだろうな…」

 熱いシャワーを浴びながらも、背筋に冷たい物を感じて身震いする。

 何か怖くなったから風呂から出て、バスタオルで身体を拭き、その儘腰に巻き部屋へ行った。

 別にお化けや幽霊云々じゃない、何となく怖かったから密室に居たく無かった。

 密室…そう、密室。

 本当に心当たりがまるで無いが、『密閉』にトラウマがあるような気がするのだ。

 密閉で死ぬ様を知っているようで、怖い。

 自分でも意味が解らないが、怖いもんは怖いのだ。

 部屋で着替えている最中、スマホに目を向ける。

 メールが受信されていたらしく、スマホが赤く点滅していた。

「……やっぱり朋美か」

 開いて確認するまでも無かったが、一応チェックをすると、朋美が早朝にも拘らず俺にメールを送っていたのだ。

 メールの内容は…

 Sub【 】

【今日雨降っちゃったからプール中止。代わりに11時駅に集合】

 …実に用件のみの業務用メールだった。件名も無いとか。

 まぁ、朋美の友達の女子にヒロを紹介するのが目的で、俺は完璧付き添いだしな。

 返信…

 Sub【Re:】

【了解】

 俺も無表情を装って返した。色気も素っ気もねぇ。

 ジムに顔出すのは夕方にすっか。

 そんな訳で朝飯を食い、待ち合わせ時間まで参考書を開いて、勉強などをして過ごした。

 あの子から教えて貰った参考書は実に解り易く、俺の末期な頭にも優しい、優れた参考書だったので、なかなか捗った。

 ふと時間を気にしてみると、今から出れば丁度待ち合わせ時間に到着する時間。

 名残惜しいが勉強は帰って来てからだな。

 勿論名残惜しいと言うのは誇大だが。

 参考書や教科書を片付けて、部屋着から外出着に着替え、家から出て行った。

 まだ雨は降っていたが、小降りとなっている。

 根性出せばプールに行けるかも知れない。

 女子の水着が少し惜しかったかな、とか思いつつ、傘をさして足早で駅を目指した。


「お、隆、来たなぁ」

 朋美がニカニカ笑いながら俺に手を上げた。

 その隣には朋美とよく一緒にいる、なかなか可愛らしい女子。

 この子がヒロにねぇ…

 少し殺意を抱きつつ自己紹介をする。

「こんにちは。緒方です」

「知ってるよ」

「お前に名乗った訳じゃねぇよ」

 突っ込みながらヒロの姿を捜す。

「…ヒロはまだ来ないのか?」

 朋美は明らかに不満そうに腰に手を当て、恩着せがましく憤った。

「そうなんだよ!まったくせっかく可愛い可愛い女子紹介してやろうってのに!!」

 いや、紹介して貰うのはお前の友達の方だろ。

 言わないけどな。俺は女子の味方だし。怖がられているけどさ。

「あの、はじめまして。里中美緒さとなかみおといいます」

 友達の友達が、隙を見て俺に自己紹介をする。

「そう!さとちゃん!どうだ、可愛いだろ!?」

 さとちゃんこと里中さんの肩を抱き、自分に寄せてニカニカ笑う朋美。

 確かに可愛いので俺は素直に頷いた。

「おーわりー。待たせたか?」

 ウニ頭を崩さないように掻きながら、ヒロが到着した。

「うんにゃ。時間通り」

 確かに待ち合わせ時間ぴったりに到着したから責める筋合いは無い。無いが、敢えて果敢に責めよう。

「待たせたかじゃねぇよ。待ったよ。時間通りに来やがって」

「だったら文句言うな末期頭。パンチ喰らいすぎてパンチドランカーにでもなったかよ」

 言いながらショートアッパーを軽く俺の顎に当てる。

「オッチャン怒ってたぜ。ジムに顔出さねえってよ」

 笑いながらパンチを引っ込める。

 実は俺の通っているジムの会長はヒロのおじさんなのだ。その関係で親友になったようなものなのだ。

「今日の夕方にでも行こうと思ってたよ」

 テストやら補習やらでサボっていたので、夕方行こうと思っていたのは本当だ。

「え?夕方に用事あるの?」

 朋美が心なしかガッカリしたような表情を見せた。

「別に構わないだろ?俺が来た理由はヒロの付き添いだし」

「そうなんだけどさ…はぁ…」

 溜め息までつかれた。

 夕方に用事があるのがそんなに悪い事なのか?つか、何故悲しそうな目をして俯く?

 俺が悪いみたいで心苦しいじゃないか。

「ま、まぁまぁ。取り敢えず行こうぜ?つかどこ行くんだよ?」

 ヒロが繕うように話題を変えてくれた。

「あ、私図書館から借りた本返したいんだけど、先に図書館行っていいかな?」

 さとちゃんこと里中さんも、慌てながら次なる場所を定めてくれる。

「おー!そうだな!図書館行こうぜ隆!!」

「ね?朋美ちゃん、図書館付き合ってよ」

 何か息がぴったりだが、お前ら初対面な筈だよな?何らかの意図を感じるのは気のせいか?

「そっか、図書館、うん。取り敢えず図書館行こう」

 吹っ切った感じで顔を上げる朋美。

「おい、お前ヒロに里中さんを紹介しなくていいのかよ?」

 元々そう言う予定だっただろうに、何をすっ飛ばして図書館行こうって話に同意してんだよ。

「あ、ああ…そうだね。大沢、こちら里中さん。さとちゃん、はい、大沢だよ」

 何だよその適当な紹介はよ?

 幾ら何でも里中さんもヒロも気分悪くなるだろうが。

「ああ、うん。ども」

「里中です。よろしく」

 二人同時に、示し合わせたように、事務的に頭を下げやがった!

 え?さとちゃんヒロと仲良くなりたいから朋美にセッティング頼んだんじゃねぇの?

 こんな適当で良い訳?

 つか俺がおかしいのか?

 こう言うのは、もっと、こう…

 と思ったが、二人が良いなら俺が口を挟む必要もあるまいと思い、黙った。

 俺は単なる付き添い。でしゃばる筋も苦言を呈する立場にもいないのだから。


 最寄りの駅から五つ先の駅。

 図書館は結構遠い所にあった。

 生まれて初めて図書館に行ったが、里中さんが借りた本の返却に付き合っただけなので、滞在時間は5分と。電車賃使って何しに来たんだ?と思わざるを得ない程の非生産的行動に、深い遺憾の意を感じた。

 つか、ヒロと里中さん普通に喋ってるし。

「なぁヒロ、お前もうすっかり打ち解けてんじゃん?俺もう帰っていいよな?」

 ヘタレなヒロが一人じゃ嫌だからと言う理由で呼ばれたんだ。打ち解けて仲良く喋れるなら、俺の役目はもう終わった筈だ。

「あ、あー…うーん…」

 何か動揺して朋美を横目で見るヒロ。

「え?えーっと…さとちゃんはどうする?」

 何故か里中さんに振る朋美。

「え!?ちょ、ちょっと!何で私!?」

 当然ながら里中さんが非常に困った表情を作った。

 俺が帰る事がそんなに困る事でもあるまいに、当事者二人と仲介人が引き留めようと画策している雰囲気を作るんだよ。

 マジ何なの?何か企んでんの?

 少し苛ついた俺は恐らくは顔にそれが出ていたのだろう。

 三人はしどろもどろになりながら、俺から目を逸らす。

「そ、そうだ。腹減ってねぇか?いや、俺は腹減った!だからみんなで飯食いに行こう!!」

 はぁ?飯?んなもん帰ってゆっくり食ったらいいだろ?少なくとも俺はな。

「それいいね!うん、確かファミレスが駅の近くにあったからそこ行かない?いや、実はそこ行きたかったんだ!!」

 ヒロに乗っかる里中さんだが、だから二人で行けばいい話だろ?

「そっか、もうお昼だもんね……いい?隆…」

 朋美がお願いするような瞳を向けながら俺に聞いてくる。

「つか、だから二人で…」

「だから!!さとちゃん緊張してんのよ!大沢と二人だけじゃご飯も喉を通らないでしょ!それくらい察してあげなさいっての!!」

 俺の反論を逆ギレで返しやがった朋美。

「だったらお前一人で…」

「よし、じゃ、行こう!!今すぐ行こう!!」

 ヒロが俺の手を掴み、力強く進む。

「お、おい…」

「もう少し付き合え隆。な?」

 何かおかしな迫力を発しながら頼んで来るヒロ…何なんだよ一体…

「…飯食ったら帰るからな」

 俺だけ知らない、俺だけ蚊帳の外のような雰囲気だが、ヒロが頼むのなら仕方ない。

 取り敢えず昼飯だけ付き合う事にし、掴まれた腕を強引に振り払った。


「……おお…すげえ……」

 俺とヒロが、同時に感嘆の声を上げた。

「……ファミリーレストラン…だよね、ここ…」

 朋美の足が店内に入る事を拒絶しているように、膝のみがカクンカクンと揺れている。

「いらっしゃいませぇ。四名様ですか?」

 無言で頷く俺とヒロ。多分顔がだらしない事になっていたと思う。

「……はい…」

 観念したように頷いて返答する朋美。

「え?朋美ちゃん、本当にここでいいの?」

 里中さんが小声で考え直したら?と促している。

 つか考え直さなくていい。考え直す前にご案内に素直に従う俺とヒロ。

「……はぁ…」

 落胆しながらも後に続く女子二人。

「ご注文がお決まりになりましたら、此方のボタンでお呼び下さい」

 接客対応の笑顔だろうが、釣られて笑う男二人。

「……凄いねここ…」

 店内を改めて見ると、そこはメイドパラダイス。

 ウェイトレスさん全員がメイド服に身を包み、接客しているのだ。

「メイド喫茶じゃないようだけど…」

 里中さんがメニューを見ながら呟いた。

 メニューはリーズナブルな価格のハンバーグが名を連ね、ソフトドリンクも飲み放題を謳っている。間違い無い、普通のファミレスのようだ。

 ただ、コスチュームがメイド服なだけだが、それは多分集客を目論んでの戦略なんだろう。実際店内のお客は『その手の方々』が八割を占めていた。

「迂闊だったわ…まさかこんな邪魔が入るとは…」

 眉根を寄せて、頭痛を発症したように首を振る朋美。

「もう諦めろよ…やっぱり無理があんだよ」

 ヒロがメニューを見ながら独り言のように言う。

「うん。私もそう思うなぁ」

 里中さんが同意しながらドリアとドリンクバーを指した。

「諦めろ?無理?何だそりゃ?」

「隆には関係無いっ!!」

 何故かキレてオムライスとドリンクバーを指す朋美。

「まぁまぁ。取り敢えず注文しようぜ。隆は?」

「あーっと…カツカレーとドリンクバー…」

 よく解らんが、取り敢えず食い物屋に来たからには、何か注文しなければならない。

「んじゃ…」

 ヒロがボタンを押してウェイトレスさんを呼んだ。

「やっぱり萌え萌えジャンケンとかすんのかなぁ?」

 早くウェイトレスさん来いと言わんばかりに、だらしない笑顔になるヒロ。

「萌え萌えジャンケンは無いだろ。ただの制服みたいだし」

 それにしても、ウェイトレスさん全員が全員色違いのメイド服なのが圧巻だ。

 中にはゴスロリチックなウェイトレスさんも居る。

 と言うか、そのゴスロリメイドのウェイトレスさんが注文を取りに来た。

「お決まりですか…ぁ…」

 ゴスロリメイドさんは俺の顔を見た途端、接客スマイルを崩して垂れ気味の目を見開いた。

 驚いた、との感じで。

 つか…聞いた事のある声のような…

 怪訝に思い、目を細めてゴスロリメイドさんを『観察』する。

 途端、俺から露骨に視線を外して顔を背けた。

 しくじったかな…俺は目つきが悪いから、よく見ようと目を細めると、それは究極な悪人顔になる。

 らしい。

 怖がらせてしまって申し訳無い気持ちでいっぱいになる。

 場所やオーディエンス次第では、土下座をして謝罪していただろう。

 大袈裟だが、勿論しないが、それくらい申し訳無いと思ったって事だ。

「あ、あの…カツカレーとドリンクバーを…」

 繕うように注文をする。

「……はぃ…」

 ん?んんん?

 つい最近聞いたような低い声だな?

 どこでだっけ…

「俺は和風ハンバーグのセット」

「はい!」

 あれ?ヒロが注文した途端、所謂『営業スマイル』に戻ったな。

 つまりアレか。本気で怖がらせたって事か…

 朋美と里中さんが注文する中、俺は普通に落ち込んで項垂れていた。

 全員が注文を終え、ゴスロリメイドさんは厨房にオーダーを持って行く。

 その後ろ姿をチラチラ見る。

 ……小柄だな…この後ろ姿も見た事あるような…

「隆、飲み物取ってくるぞ。つか、ついでにみんなの分も取って来てやるよ」

 ヒロがありがた迷惑にも提案してくれたおかげで、疑問がどっかに散って行く。

 考え纏まる前に話し掛けんなっつーの。

「オレンジジュース!!」

「じゃあ烏龍茶をお願いです」

 女子二人が普通に(里中さんも普通なのがおかしい)頼んだので、俺もアイスコーヒーを頼んだ。

 ヒロは笑いながら本当に一人で飲み物を取りに行った。いつもはそんなことしないのに、一体どうしたと言うんだ?

「ごめん、ちょっと失礼」

 朋美も席を立ち、歩き出す。先はトイレだった。

 と言う事は、俺と里中さんが取り残された形になる。

 俺は女子に対して免疫が乏しいので、このような場面に話題を振るスキルなど持っておらず、非常に困った。

「……緒方くんさ、薄々気付いているんだろうけど…」

 いきなり話題を振って来た里中さん。

 何か暗い表情だが、話題を提供してくれるならありがたい。

「気付いているとは何を?」

 俺は男子としてみっともないとも思ったが、その話題に乗っかる事にした。

 凄い言い難そうに、ドリンクバーのヒロをしきりに気にしながら言う。

「実は大沢とは前から友達だったんだよね」

 何と無くだが、解っていた。

 別に緊張している素振りも見えなかったし。

「うん…でも何でわざわざ?」

「……あのさ、緒方くんは結構イケてるのに、何で女子から話し掛けられないと思う?」

 イケてる?俺が?んな事言われたのは初めてだが…

 もしかしたら、里中さんこそが俺の救世主になり得るのか!!

 だが、俺のそんな希望は簡単に打ち砕かれる。

「実は私、既に彼氏がいるから」

 ……消えましたよ。ええ。

「だけど自分の彼氏を否定するようで何だけど、緒方くんは私の彼氏よりも格好いいと思うんだよ。顔とかも」

 ちょっと目つきが怖いけど。と、特に必要無いフォローも交えられた。

「……俺がイケてるのかは兎も角、今里中さんが言った通りじゃねぇの?目つきが怖いからだろ」

 里中さんは首を横に振り、否定する。

「実はね、この茶番にも通ずるんだけど…」

 そこまで言ったが慌てて口を閉ざした。

 ヒロがソフトドリンクをお盆に乗せて帰ってきたからた。

「お待ち。って須藤が居ねぇ。拗ねて帰ったのか?」

 帰って来るなりいきなり意味不明な事を抜かした。

「なんで朋美が拗ねんだよ?」

 ヒロは口が滑ったとばかりに苦い表情をする。里中さんが続いて返した。

「…ごめん大沢。大沢とは前から友達だってバラしちゃった」

「あー…まぁ…無理があったからなぁ…」

 俺の隣に座り、ドリンクを真ん中に置いて勝手に取るよう促しながら言う。

「要するにお前、嵌められたんだよ」

「嵌められた?誰に?」

「勿論須藤に」

「嵌められたって、ちょっと言葉悪いよ」

 たしなめられて訂正する。

「要するに、普通に遊びたかったっつう事」

「はぁ…遊ぶ、ねぇ…だが、それがお前等の猿芝居と何の関係があるんだよ?」

「……例えばお前、実はお前と仲良くなりたい女子が結構居るって言ったら信じるか?」

 当然ながら否定の首振り。未だかつて、そのようなアクションが皆無だからだ。

「中学時代、俺が頼まれたのだけで5人は居るんだよ」

「なんだ今更のカミングアウトは!?その時言えよウニ頭!!」

 とても信じられないが悪口だけは言わせて貰う。俗に言う憂さ晴らし的な意味合いで。

「だけどさ、ある事情でみんな断ってんのさ」

「ある事情って何だよ?」

 俺の投げた疑問に対し、肩を竦めて呆れ顔だ。

「そのうち解るだろうよ」

「そのうちって…」

 その時朋美がトイレから帰って来て俺の正面に座り直した。同時に口を噤むヒロと里中さん。

「…ん?何この微妙な空気?何か『喋った?』」

 怖いニコニコ笑顔で、ヒロと里中さんを交互に見比べる朋美。

「ごめんバレた。最初から友達だっつう事が」

 ヒロの言葉を受けて、朋美の眉尻が微かに吊り上がる。

「…それから?」

「それだけ!本当にそれだけ!!」

 何故か必死な里中さん。

 そんな里中さんの顔を、朋美はじーっと見て、そして溜め息をつきテーブルに伏した。

「あーあ…良かったような悪かったような…」

「おい!わざわざこんな猿芝居を繰り広げた理由は何だ?」

「べっつにぃ~…ただプール券四つゲットしたからさぁ…勿体無いから使わなきゃってさ」

 …確かにプール券は勿体無いから使うべきだ。朋美と里中さんの水着を凝視できるチャンスだったのだからな。

「つか、普通にプールに誘えばいいだろが」

「誘えば来る訳?」

 言われて考える。

 しばらく考える。

 かなぁり考える。

 そして応えた。

「多分行く」

「多分、ね…」

 再び溜め息をつき、伏した朋美。

 何だ?何がマズかったのだろう?果てしなく首を捻る。

「良かったな須藤。誘えば来るってよ」

「うっさい!!」

 そう言って一気にオレンジジュースを飲み干した。

「おかわり!」

 空のグラスを俺に向ける朋美。

「自分で行け」

「…冷たい…」

「オレンジジュースが温かいのはおかしいだろ」

「隆が冷たいって言ってんだよ!!」 

 キレて勢い良く立ち上がり、オレンジジュースをおかわりしに行く。

「なんなんだ一体…」

 呆けていると、さっきのゴスロリメイドさんが注文した物を持って来た。

「お待たせしました」

 見ると俺のカツカレーが無い。

「……カツカレーは今お持ちします…」

 …なんで俺には三点リーダーがつくんだよ?

 つか、やっぱり聞いた事のある声だな。

 俺はゴスロリメイドさんの顔をよく見ようと身を乗り出す。

 ふとゴスロリメイドさんが顔を上げる。

 俺と完璧に目が合った。

 営業スマイルを打ち消し、直ぐに顔を背けてボソッと一言。

「……直ぐお持ちします……」

 そう言って速攻で振り返り、早足で行ってしまった。

「……別に遅いとか思っていた訳じゃないんだが…」

「隆が怖そうだから逃げたんだよ、きっと」

「……」

 無言で朋美を睨み付ける。

 朋美は俺の睨みなどどこ吹く風で、なぁんにもプレッシャーを感じていないように、運ばれてきた料理を食べ始めた。

「うん…味は…普通だな」

 つか、気付いたら隣のヒロも既に料理を食べている。

 いや、別にいいんだが、少し待つとか何か無い?

 拗ねてアイスコーヒーを煽る。丁度その時、俺の後ろからけたたましい音、物を落とした音が聞こえた。

 何だろうと振り向くと、俺の料理を運んでいた途中のゴスロリメイドさんが、所謂不良と呼ばれる人種に絡まれて、半泣きしていた。

「……困り…ます…お料理…まだお出ししていなかったのに…」

 …半泣きしている理由は、俺のカツカレーを落とした事か…

 脊髄反射のように立ち上がる。ほぼ同時にヒロと朋美も真っ青になって立ち上がる。

「待て隆!!」

 言われて待つ事などできる筈も無い。

「ここは店内だよ!!」

 そうだな。俺達は飯食いに入ったんだから。

 俺は無言で財布から千円札を取り、それをテーブルに置いた。

「待てって!!」

 肩を掴まれるも、それを払い退けて一言。

「無理だ。あいつのツラ見てみろ」

 俺の弁を受けて朋美が絶句し、座り直した。

「あいつ…安田先輩?」

 そう。安田だ。

 西高に行った筈だが、俺の前をウロウロすんなと言った筈…


 チリッ


 頭が痛んだ。

 安田のツラを見ると、中学二年のあの時を思い出す。

 そしてその事で安田を殺してもおかしくは無い程、あの野郎を憎んでいる。

「須藤、里中、出るぞ」

 ヒロが伝票を持つと、無言でそれに従う朋美と、何が何だか理解不可能と里中さん。

「え?喧嘩?え?え?」

 狼狽える里中さんに朋美が囁くように、呟くように言ったのが耳に届く。

「他の奴なら兎も角…安田を含めた五人を見たら、隆は絶対止まらないから…」

 安田、神尾、武蔵野、阿部、佐伯…

 この五人、俺の一つ上の同じ中学のクズ野郎共が目に入ったら、俺はどんな場所でもどんな状態でも止まれない。

 俺はゴスロリメイドさんにいやらしく纏わりつく安田のツラを、何の躊躇いも無く思い切りぶん殴った。

 いきなりぶん殴られて吹っ飛ぶ安田の襟を後ろから掴み、力任せに引き摺って店外へ出る。

 仲間と思しき二人の西高生が、まっ青になって追ってくるのを視界の端で確認した。

「さとちゃん送ってく!」

「おう」

 ヒロと朋美のやり取りが微かに耳に届いた。

「待て隆!俺も行くから!!」

 精算中のヒロが俺を呼び止めたので其方を向くと、絡まれていたゴスロリメイドさんが膝を震えさせながら俺を見ていた。

「……店外でやるから。怖がんなくていいから」

 未だ精算途中のヒロを置き去りにする形で、安田を強引に引き摺った。

「お、緒方…これは、あの、ちょっとふざけて…ぶっ!!」

 煩い安田の口に左を入れると静かになった。

「お、おい…お前…安田をどうするつもり…う…」

 二人の仲間を睨み付けると言葉を続けるのをやめた。素直になってくれて運ぶ手間が軽減されて楽だ。

 俺は暫く安田を引き摺って、人気の無い裏路地に入って行った。

 仲間がスマホで何かやっていたが気にしない。

 仲間が増えた所で、転がる怪我人が増える程度だから。

 少し広い仮設駐車場みたいな場所。そこの壁に安田をぶん投げる。

「うっっ!!」

 何を痛がってんだ?ムカつくなぁ…

 壁にもたれ掛かっている安田の身体、視界に入る箇所に全ての拳を叩き込む。

「た!!助け!!お、俺が悪か!!」

 最後まで言えてないから何を言いたいのか解らない。尤も、聞くつもりもないが。

「おいテメェ!!安田から手を離せ…ごはあ!!」

 後ろから掴み掛かって来た仲間にボディを入れると、呼吸も出来ないように腹を押さえて蹲った。

「噂通りに問答無用かよ!!」

 もう一人は騒いでいるのみで、近寄って来る素振りも見せない。

 そうだな、所詮そう言う人種だ。

 俺は構わずに安田を再び殴りつける。

「がっ!!待て待てって!だからあれはふざけて…」

「ふざけて?知るかよ安田。あの時も言い訳がふざけてだったよな?」

 ふざけて『あんな真似』をする連中だ。別に殺しても問題無いだろ。

「言った筈だよな?二度とツラ見せんなってさ。あの四人の先輩方は約束を守ってくれているぜ…」

「守ってって…あれはお前に追い込まれて地元から逃げた…げはっっ!!!」

 ベラベラうるせぇ。だったら自分も地元から逃げりゃいい話だ。呑気に地元にいるからそうなるんだよ。

 黙らせる為に鳩尾にショートアッパーを放った。

「うげぇぇぇえ…」

 嘔吐し、蹲る安田。

 高さが足りなくなって殴り難いったらありゃしない。打ち下ろししか出来ないじゃねぇか。

 丁度いい高さは頭部だな。

 何度も何度も殴りつける。

 安田の仲間が割って入るも、仲間諸共殴りつける。

 気付いたら二人程増えていたが、さっき呼んだ奴等だな、と普通に殴りつける。


――死ぬわよ?

 構わない。

――構わないの?

 こいつ等は人を一人殺した。だからこいつ等はどうなってもいいんだよ。

――貴方が殺すの?

 結果そうなるのか?まぁ、人殺しを放置している警察や法律なんか頼りにしない。俺がやってやる。

――ふぅん…じゃあ……殺された人は無駄死だった訳ね…可哀想ねぇ…

 拳が止まる。

 無駄死…無駄死?

 俺は振り返って声の主…『女』を捜した。

「どこに居るんだ!!」

 取り乱したと言っても過言では無かった。

 今は声のみしか確認できていない。

 だが、それは夢に出て来た髪がすげぇ長い、あのマンガのヒロインに酷使した女だと、何故か確信した。

 俺の拳が止まった事に安堵する西高生だが、同時に呆然とした。

 いきなり振り返ったと思ったら、意味不明な事を叫んだんだから当然だ。

 俺はそんな西高生の胸座を掴み上げる。

「今の女、どこに行った!?」

「お、女?女なんか居なかった…ごほっ!?」

 苛々してボディを叩いた。

「居ない訳が無ぇだろ!!隠さないで言え!!」

 蹲っている西高生の顔面を爪先で蹴り上げる。

 ぶっ倒れた西高生。鼻血が地面を濡らし、土埃が舞う。

「安田あ!!お前また何かやったのか!?また誰か殺したのか!!?」

 激情に駆られて、殆ど屍と化していた安田を蹴り捲る。

「やめろ!!本当に死んじまうぞ!!」

 そんな状態の俺の腕を取る奴がいる。

「邪魔すんなあ!!」

 振り向き様の右フック。

 それがガードされた手応えを感じて我に返った。

「ヒロ…」

「いって…」

 ヒロがガードした腕をさすりながら苦痛を漏らした。

「隆、もうやめだ。お前まで人殺しになる必要は無いよ」

 懇願するようなヒロの表情…

「……っ!!」

 俺はやり場の無い感情を、意識を失って転がっている安田を一度踏みつけて晴らした。

「安田あ!絶対にツラ見せんな!!俺を人殺しにすんな!!」

 そしてオタオタしている西高生を一発つづぶん殴りながら、駐車場みたいな場所から早足で抜け出した。

 イライラする。ムカムカする。壁やゴミ箱、自販機に当たりながら歩く俺を追い掛けて来るヒロ。

「…安田も半分ぶっ壊れちまったな…」

「全部ぶっ壊してぇよ!!」

 叫んで返した。

「……忘れろとは言わねぇよ。とても忘れる事なんか出来ないしな」

 正確には安田のツラを見た瞬間思い出した。

 中学二年の事を。

 俺の目つきが悪くて絡まれてばっかりだった為に起こった、あの悪夢を。

 忘れたかった。だがそれは許して貰えそうもない。あいつは…あいつは俺が殺したようなものだから…!!

 気付くと、涙で視界がぼやけて定まっていない。

 俺は今、どんな顔をしているのだろう?

「……あれからお前は強く『なりすぎた』。報復も簡単にできる、どころか、今まで絡んで遊んでいた所謂『不良』と言う人種を逆に恐れさせる程にまでな」

 代償に頭が悪くなったようだけどな。と、敢えて茶化して言うヒロ。

「俺はその時は別のクラスでお前とは認識があんま無かったが、それでも自分の学校で同級生が転落事故をした事にはやっぱり驚いたよ」

「事故じゃない…あれは安田達が…そして俺が殺したんだよ!!」

 グワンと視界が揺れ、同時に有り得ない程の頭痛が起こり、俺は目を見開いた儘、頭を抱えて地面に膝をついた。


――殺されたんじゃないわ。あれは『彼女』が弱かったから勝手に死んだだけ…


 地に向いている視線を少しだけ前方に向けると、女の脚が見えた…

 真っ白い、透き通るような、死人のような脚…

 だけど俺のせいで死んだんだよ…安田達に殺されたんだよ…

 心の中で呟く。いや、叫ぶ。

――そう思うのは勝手だけど…『彼女』は自分が勝手に落ちて死んだと思っている事実は確定…よ

 なんでそう思う?何故勝手に確定すんだよ!?

 少し顔を上げると、女の腰の辺りまで見える。黒い真っ直ぐな髪がもう既にそこにある。

――ああ、これ?貴方が好きだと言ったマンガのヒロインの姿を借りているのよ。誰に聞かれたんだっけ?好みのタイプを?

 そりゃ…あいつだよ…

 上を向くように顔を上げると、綺麗な黒い、しかし真っ直ぐな瞳を俺に向けて見下ろしながら微笑を零している。

 見れば見る程マンガのヒロインによく似ている。

 尤も、この死神女の方が遥かに綺麗で…

 死神女?

――クスクスクスクスクスクス…そう…貴方曰わく『死神女』よ…

 そして死神女は意地悪そうに笑いながら発した。

――今回も死んでみる?

 今回もって何だ……?俺は前に死んでいたのか?

 あの中学二年の時に死んでいたと言われたら、確かにその通りかも知れないが……

 そんな俺の思考を読み取ったように、あの不愉快な笑い声を出す。

――クスクスクスクスクスクスクスクス…まぁ…『まだ』大丈夫よ。『まだ』ね。だけどこのまま行けば貴方は…

 言葉を詰まらせる、いや、声が出ていないのか、口だけパクパクと動かして苦々しい顔を作った。

――これ以上は規制が掛かって言えないようね…そりゃそうか。まだ入り口も入り口…

 規制?入り口?一体何の事だ?

 だが、その続きが非常に重要なような気がする…

――まぁ、何にしても…貴方はこんな所で自責の念に駆られて自暴自棄になっている場合じゃないと言う事。尤も――

 冷笑を止めて眉尻を釣り上げ、怒ったような表情を作りながら続けた。

――貴方の責任みたいな言い方は不愉快極まりない…!!

 反論しようと口を開くが…

――自分の生すら満足に全う出来ない貴方如きが、自惚れて悲劇を演じるなど本当に不愉快…

 語る事すら気分が悪いと寄せた眉根にシワを刻み、目を閉じる死神女。

 全う出来ない…意味が…解らない…

 だが、何となくだが、俺はその意味を知っているような気がした。

 相変わらずの表情で続ける死神女。

――貴方は私を助けなければならない。それが責任。私と貴方の責任。ごう、と言ってもいい。せっかく一年の夏を久々に越えられたのだから

 夏は今も夏だろう…俺は夏休み中、補習で学校に通っているんだから…

――かなりの確率で終わってしまう一年の夏を越えたのは本当に久し振り…と言っても解らないでしょうけど

 そして暗闇に溶け込むように、死神女の姿が薄れて行く……

 おい、意味不明な事ばかり一方的に述べて勝手に消えんなよ!!

――私は常に傍に居る…望む望まないに関わらず…

 だから何の事かさっぱりだよ…

 さっぱり解らない…

 責めているのか

 それとも……


「おい隆!!」

 肩を激しく揺さぶられて、俺は文字通り目を覚ました。

「ヒロ……」

 顔を上げてヒロを見ると、途端に安堵したように地べたに尻をつく。

「焦ったぜ…いきなり蹲って動かなくなるんだからよぉ……」

「そ、そうか?」

 夢?夢を見た?

「何にせよ、ここに居続けるのはマズい。安田の件もそうだが、西高生がワラワラ集まって来そうだし」

 そういや応援呼んだ節があるな。俺一人なら兎も角、ヒロを巻き添えにするのはごめんだ。

「立てるだろ?ズラかろうぜ隆」

 尻についた土を叩きながら起き上がるヒロ。

 俺も無言で頷いて、痛む頭を押さえながら立ち上がり、そのまま逃げ出すようにその場を去った。

 本当ならば今日はジムに顔を出すつもりだった

 だが、あんな事があった後だ。すっかりそんな気は失せてしまった。

 ヒロも「オッチャンには言っておくから今日は休め」と言ってくれたので、その言葉に甘える事にした。

 家に着くなりベッドになだれ込む。

 微妙に痛む頭を押さえて、俺は一体何してんだ?何がしたいんだ?と自問自答をする。

 そんな時着信音が鳴った。見ると朋美からだった。

 ああ、丁度いい。今日の事謝らなきゃな。

『隆っ!安田を殺してないよなっ!』

  開口一番に物騒な、とも思ったが、朋美も俺が負ける、もしくは酷いダメージを受けるとは微塵も思っていない筈なので、この台詞なのだろう。

「うん。ヒロが止めてくれなきゃヤバかったかもだが」

 実際俺は殺してもいいと思っているので、手加減はしていない。

 そのつもりだったが、拳が思ったよりも痛んで居ないので『拳を庇って』殴っていたのだろう。

 拳に傷をつけるなと教え込まれていた事が、結果手加減に繋がったのかも知れない。

『そっか…それだけが気がかりだったよ…』

 電話向こうで明らかに安堵した様子が窺えた。

「悪いな。里中さんも怖がっていただろ?」

『ん~ん。見せてないから。だけどあのファミレスには二度と行けないと言ってた』

 そりゃそうだな。それについても悪い事をした。

『あの制服とあのルックスの店員さん達は反則だって』

 そっちかよ。

 だけどまぁ、確かにそうだ。

 黒いゴスロリメイドさんの、あの可愛らしさったらなかったし。

 つか、見た事あるような気がするんだよなぁ…

 まぁ、もう二度と会う事は無いだろうけども。

『プール、どうする?遊んでくれるって言っていたけど…』

 少し考えて返す。

「やめとくよ。万が一あの糞共と会っちまったら、考えただけで怖い」

『だよね…今は夏休みだから、あの時の奴等も、もしかしたら地元に帰って来ているかもだし…』

 少し簡単に考えていたと反省する朋美だが、悪いのは俺の方だ。

 夏休み明けにみんなでどっか行こうと約束し、電話を終えた。

 夏休み明けか…夏休み中は大人しく補習だけ受けよう。

 ヒロにも朋美にも、余計な心配を掛けたく無い。

 まぁ、ジムには行かなきゃだけど。

 俺はそう心に決めて、取り敢えず今日の出来事を振り払うように机に向かって参考書を開いた。

 そして…

 俺はその通りに、勉強とジム通いに費やして夏休みを終えた……

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