一年の夏~004

 何ちゅう夢だよ…

 あれから気を失い、目覚めると朝だったし。ついでに凄んごい目覚めが悪いしで。

 つか、時間も時間だから、またロードワークをサボらきゃならなくなっただろうが…

 これと言うのも、あの女が全て悪い!!

 あの女のせいで寝汗凄いわ、喉カラカラだわ、練習はできないわ…

 ベッドから飛び起きて、喉を潤す為に台所に向かう。


 ファッ…


 その時、俺の直ぐ後ろから花の匂いが漂った。

 この香り…あの女の香りだ…

 目を見開いて一気に振り向く。

「……いない…」

 そこは開けっ放しの窓から、微風がカーテンを揺らしていただけ。

 だが俺は確信した。

 居たんだ。

 俺が気を失っている間…ずっとこの部屋に居たんだ!!

 悪寒が背中を貫き、震えた。

「……居たんだろ?いや、まだ居るのか?姿を現したらどうだ…」

 だが、俺の問い掛けには応える事も無く、ただ微風がカーテンを揺らしているのみ。

 あれはやはり幽霊なのか…?

 何の目的があるんだ……

 薄気味悪くなり、逃げるように部屋から出て台所へ向かった。

 冷蔵庫から牛乳を取り、コップに移さずに煽った。

 ほぼ満タンだった1リットルの牛乳を一息で飲み干す。

 やはり、凄い渇いていたんだ。

 漸く一息付き、そのまま座ってスマホを開いた。

 受信メール無し。着信履歴無し。

 心配した美咲が連絡をくれたのでは?と思ったが肩透かしだ。

 いや、美咲の事だから俺を休ませる為に気を遣って、敢えて連絡をよこさなかったんだ。

 多分……

 そんな訳で、安心させる為に俺からメールを送った。


 Sub【おはよう】

【昨日はいきなり倒れたそうで、迷惑かけたね。もう大丈夫になったよ】


 送信…と。

 さて、返事が来る前に着替えでもするかな。

 スマホを台所にそのまま置き、着替えて汗で濡れた下着等を洗濯機にぶっ込む。

 シャワーも浴びたかったが、風邪かも知れないので諦めた。

 寝る時暖かい風呂に入ろう。うん。その前に今朝サボった分のランニングしなきゃだな。

 再び台所に戻ると、スマホが光っている。美咲からの返事が来たんだ。

 いそいそと開くと…


 Sub 【Re:おはよう】

【大丈夫になったんだ。良かったね。今日は大事を取って家でゆっくり休んでね?ぜっっったいに外に出ない事!わかった?】


 心配してくれている…よな?

 何か違和感があるが一体何だろう…

 解らないままスマホを閉じ、ボーっとしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。

 生憎と家には俺しかいない。

 仕方無しに玄関を開けると…

「おはよう緒方君」

 眼鏡の奥から覗く瞳を細くし、笑顔全開の槙原さんが何故か立っていた。

「……おはようございます槙原さん…?」

 何をしに来たのか解らないが、取り敢えず挨拶はした。疑問を後ろに匂わせて。

「おっ?ちゃんと着替えているね?感心感心」

 満足そうに頷く槙原さんだが、寝汗でぐっしょり濡れたから着替えただけだが…

「あの…本日はどんなご用件で…?」

 やはり解らないので聞いてみる。

「昨日約束したじゃない?勉強教えてあげるって」

 逆に目をまん丸にして驚かれた。

 約束…したっけ…?

 記憶を遡るも、はて?したようなしないような……

「じゃ、どうする?緒方君の部屋でやる?図書館なんか静かだし涼しいから、お勧めだけど」

 はぁ…決定なんですか…

 いや、ありがたいっちゃありがたいんだけど。

 だが、家には俺一人のみ。理性を保つ為には二人っきりはよろしく無い。

「じゃ、あの、図書館で…」

 イマイチ納得できないが、せっかくわざわざ来てくれたんだ。

 断るのも逆に申し訳無く思い、素直に言葉に甘える事にした。

 図書館なんかに行った事の無い俺は、槙原さんのエスコートに従う。

 因みにその図書館の位置は、槙原さんが通学に使う駅の真逆だそうで…

「ついでに迎えに来てくれた、って事でいいのか……な?」

「うん。そうなっちゃったかな?気にしない気にしない。メアド、ケー番どっちか知っていれば、事前に決めても良かったんだけどね。家か図書館か」

 あ、そうか。番号もメアドも交換して無かったから呼び出す事ができなかったのか。

「別に緒方君の家でもいいかな、って思ったら、ついつい家に行っちゃった」

 先走りゴメンと舌をペロッと出しはにかむ槙原さんだが…

「今日は家に俺しか居ないからなぁ」

 幾ら何でも二人っきりはマズい。

 俺には美咲が居るし、つまらん噂を立てられた日には、槙原さんの善意を仇で返す事になってしまう。

「知ってるよ?」

「知っているって何を?」

「緒方君が今日家に一人だって事」

 ギョッとして槙原さんを見る。

 槙原さんは相変わらずニコニコし、続けた。

「私、緒方君の事は何でも知っているの。実はケー番、メアドも知っている。ボクシングを始めた理由もね」

 ニコニコ、ニコニコと平然と言い放つ槙原さんだが…

「……何でもって……」

 ある種の恐怖を感じて、膝が微かに揺れた。

 その微笑みの奥に、悪気の無い邪気を感じたのだ。

「なぁんて、冗談だよ冗談。本気にした?」

 乗客全てが此方に視線を注ぐ程の、デカい声を上げた。

 だが、恥ずかしさよりも安心感を得た方が俺的には助かった。

 それ程までに、さっきの槙原さんには寒気を感じたからだ。

「本気にしたよ。保険委員より演劇部に入った方が良くね?」

「いやー。私ブラックジョークしか出来ないからなぁ。無理だよ」

 ブラック過ぎるわ。何か色々とシャレにならんわ。

「俺って監禁された時あったからさ。焦ったよ」

「え?監禁?嘘でしょ!?」

 今後は槙原さんが逆に焦った声を上げた。

「ホントだよ。同じ一年の女子に…あれ?」

 自分で言って何だが、全然信憑性が無い。

 高校入学してからまだ半年、話した女子は美咲と朋美くらいだ。そんな俺が監禁される理由などある訳が無い。勿論そんな事実も無い。

 少なくとも現在までは……

 だが…俺の記憶には、薄暗い寒い部屋で縛られている記憶がある…

 寒い…秋か冬?

「また物騒な冗談だね」

 槙原さんが発した言葉によって、おかしな記憶が断ち切られた。

「は…はは…やっぱりつまんなかったか」

 俺は多分生気のない顔で、無理やり冗談に仕立てたのだろう。

 見えない自分の顔色が見えているようだった。

 なんだ今の記憶…違和感無く入り込んでいる、矛盾だらけの記憶は…

 考えて考えて、すごく考えていると、いつの間にかお目当ての図書館のある町に到着していた。

 全く記憶がない。スゲエな我ながら。

「あれ?もうこんな時間…」

 駅に設置してある時計に目を向ける槙原さんに釣られる。

 昼には少し早いが、図書館に到着したら腹が鳴りそうな時間だ。半端な時間ってヤツだ。

「ちょっと早いけど、お昼にしてから行こっか?」

「だな…半端だしな」

「決まり。じゃあファミレス行こ。緒方君の目の保養になるし」

 なんでも制服が可愛いファミレスがこの近くにあるとの事。

 ならば行くしか無い。

 幸いに財布は潤っている。だから胸を張ってこう言おう。

「奢らせてよ。勉強教えて貰うお礼を兼ねてさ」

「緒方君お小遣い貰ったばかりだから余裕なんだよね~」

「そうそう。月に一度の潤う日……って、何故知っている!?」

 再び寒気が俺を襲う。

「勘と推理だよ。奢らせてと言うからには、お小遣い貰ったばかりだから余裕がある、と思っただけ」

 大した事じゃないと歩き出す槙原さん。

 俺はその背中を、ある種の恐れを持って見ながらついて行った…

 

 そのファミレスは、知っている大手チェーン店では無かった。

 多少店舗はあるが、本当に数える程の店舗だそうで、集客戦略の一環で制服を可愛くしているらしい事を槙原さんが言っていた。

 期待に胸を膨らませて入り口に立つと、自動ドアが開く。

 同時に黄色い声で「いらっしゃいませ~」と出迎えてくれたウェイトレスさん。

「おお~……」

「萌えるでしょ?」

「萌えるな」

 短めなスカートのメイド服。ちゃんとカチューシャを装備している。

 そしてメイド服のカラーヴァリエーションが、ざっと見ただけでも赤、ピンク、オレンジ゙、水色と、まさしく色々だった。

 店員一人にイメージカラーを付けてんのかと思いたくなる程。事実同じ色のウェイトレスは一人も居ない。

 少なくとも目に映る範囲では。

「二人、禁煙席で」

 槙原さんがテキパキと希望を述べるが、見る限り二人の高校生だ。言われ無くとも禁煙席に案内されるだろう。

 ピンクのメイドウェイトレスが案内してくれた席に座って、改めて周りを見る。

「やはりその手の方々が多数居られるな」

「萌え萌えジャンケンもしないし、ケチャップでハートも描かないけどね」

 かような制服なれど、カテゴリーは『ファミリーレストラン』だ。

 そこまで行くと、ただのメイド喫茶になってしまう。

 だから確かに笑顔だが、あくまでもマニュアルは普通のようで、メニューと水を出し、お決まりになったらお呼び下さいと、ごく普通の接客をして見せた。

「このお店ね、味は普通だし、無難にハンバーグなんてどう?」

 味が普通って。

 カテゴリー『ファミリーレストラン』なら味で勝負しろよと突っ込みたい所だが、敢えて言わない。

 値段も安いし。

 学生の懐に優しい設計となっている優良店認定を授けよう。

「じゃ、俺カツカレー」

「だから無難にハンバーグにすれば…まぁカレーもいいけどさ」

 お決まりになった所で呼び鈴を押すと、黒いレースのフリルのメイド服と、これまた黒いレースのリボンを装備したウェイトレスさんが激スマイルで現れる。

 すんげぇ可愛いぞ!ゴスロリチックなメイドさんとは、人気がありそうだ。

 小っちゃい身長に良く似合っていらっしゃる。

 肩で揃えた髪が清潔感あり、薄いピンクのリップを塗った唇が美味しそうだ。

 まばたきをする度微風を発生させられるんじゃねーかって程の長い睫毛も、よく見ると天然物だ。美咲や槙原さんよりは少し目が垂れているが、それもまた良い。

「カツカレーとハンバーグカレーと、ドリンクバー二つ」

「はいかしこまりました」

 すんごい丁寧なお辞儀をし、足音を立てずに厨房へ向かったウェイトレスさん。

 萌える!そして萌える!!

 つか…

「ハンバーグカレー?」

「うん。カツカレーって聞いてカレー食べたくなっちゃって」

「えー?目玉焼き貰おうと思ったのに」

 ハンバーグヴァリエーションの写真には全て目玉焼きが備え付けられていたが、ハンバーグカレーには目玉焼きは乗っかっていない。

「目玉焼き好きなの?」

「いや、そう言う訳じゃないけど」

「なんだそれ」

 突っ込みながら笑う槙原さん。さっきのウェイトレスさんに比べても、遜色のない可愛らしいだ。

 さて、折角ドリンクバーも注文した事だし、ガブガブ飲んでカツカレーの料金を相殺しようじゃないか。

「あ、ちょっとゴメン」

 バッグを持って腰を浮かした。

 トイレかな?女子は色々あるだろうからな。

「あ、うん。何飲む?ついでに持ってくるよ」

 烏龍茶をお願いと、槙原さんが席を立つ。

 そんな訳で、自らパシリとなり、ドリンクバーへといそいそと向かった。

 槙原さんの烏龍茶に氷を三つ程入れて、俺は渋くアイスコーヒーを。

 ドリンクバーで渋く決められるのかは定かでは無いが、女子と二人っきりで飯食うなんて、美咲と(中庭の弁当だけだが)朋美としか行った事が無いイベントだ。

 だから間違った知識かも知れないが、取り敢えず俺の中ではアイスコーヒーは渋い物のカテゴリーに入れる。つか、普通にコーヒーが好きなだけだが。

 そうなんだよ。俺は『こんな事に』慣れていない筈なのに、何でこんなにスムーズに進める?

 普通、不慣れな女子と二人っきりの御食事なんか、テンパるだろうに。

 もう何十回も二人っきりでの御食事をした感覚が、どこかに残っている。

 不思議で不思議で仕方無いが、再び頭痛がしそうな予感があったので、これ以上考えるのをやめてドリンクを二つ持ちながら席に戻った。

「ね、君、もしかしたら緒方隆君?」

 紫メイドのウエイトレスさんに声を掛けられ、座り途中ながらも頷いた。

 まぁ頷きながら座ったけど。

「やっぱり!うわー!テンション上がるー!!」

 紫メイドさんは一人でキャッキャ言いながらフリフリと腰を振った。

 そのあまりのテンションの高さに若干だが引く。腰をフリフリはなんかエロいから問題にしないけど。

「あ、ごめんなさい。私、遥香と同じ中学でさぁ。友達なのよ」

 遥香…槙原さんの友達か。つか、何故俺の名前を知っている?

 激しく首を傾げ捲る俺。

「聞いていた通りカッコイイねぇ君。ボクシング習っているから身体も程良く引き締まっているし」

 格好いい?

「何かの間違いじゃねーか?俺は果てしなくモテないんだけど…」

「えー!モテないの?カッコイイのに?ちょっと目つきが鋭いけど、そんなのマイナス要素にならないよ!?」

 殆ど驚愕に近い紫メイドさんには申し訳無いが、俺はつい最近漸く彼女ができたばかりの童貞野郎なんだけど…

 中学時代から女子に避けられていたし。

 ……何か悲しくなってきたわ…

 紫メイドさんのテンションとは対称的に、俺のテンションはがた落ちになった。

「あ、仕事戻らなきゃ。遥香をよろしくね緒方君」

 高いテンションを維持しながら去って行く紫メイドさん。

 つか、よろしくお願いされるのは俺の方だっつーの。これから勉強教えて貰うんだから。

 しかし、よく考えてみれば、こんなモテない、ぶっさいくな俺に、よく勉強教えてくれる気になったなぁ。天使か?

 それを言うなら、こんな俺と付き合っている美咲は神か。

 だが、お世辞とは言え、カッコイイと言われたのはすげぇ嬉しかったな。俺なんて腕っ節くらいしか取り柄が無いからなぁ。

 そんな事を考えながら窓を見る。

 流石は休日。外を歩いている殆どがカップルだ。

 勿論友達同士なだけの人も居るのだろうが、あのようにあからさまに腕を組んで笑いながら歩いている様子を見ると、間違い無く恋人同士なんだろうなと思う。

 

 !!!!!


 必要以上に高い音を立てて立ち上がったのだろう。

 客も店員も、何事かと俺に視線を注いだ。

 だが、そんな視線など全く気にならず、俺は外を歩いているカップルに釘付けになった。

「……美咲…」

 軽くウエーブの掛かった髪。学校よりも可愛らしく見せる、いや、魅せるメイク。脚を強調させるミニスカート…

 その隣には見た事も無い男…

 いつも見せている嘘臭い笑顔で、その男の腕に絡まって歩いていた……

 なんで美咲が他の男と?

 いや、俺も美咲の事は言えない。勉強を教えて貰うと言う名目があろうが、槙原さんと飯食いに此処に来ているんだから。

 だけど、何故………

「どうしたの?」

 声を掛けられ、一人きりだった自分の空間が解けた。

 同時に美咲は知らない男と共に、俺の視界から外れて行った。

「どうしたの緒方君」

 呼んだ女子は勿論槙原さんだ。

 笑っている…嘲笑っている?

「何か嫌な物でも見たの?真っ青だよ」

 言いながら俺の向かいに座り、俺が持ってきた烏龍茶にストローを刺す。

「嫌な物……って言うか、見間違いって言うか……」

 見間違いであってくれとの希望のみで呟いた。

「そう。見間違い――ね」

 一口、ストローで烏龍茶を口に運んでから笑いながら言った。

「見間違いなら良かったね緒方君――」

 その烏龍茶を背中から掛けられたのか?と思う程に背筋が冷たくなった。

 なんだこいつ?

 何を知っている?

 何を笑っている?

 俺は知らず知らずに拳を握り締めていた。

 槙原さんはテーブルから乗り出して、俺の握った儘の右拳を包むように握る。

「座ったら?みんな見ているから恥ずかしいし」

 そう、まるで天使の如くの笑顔で囁くように言う。

 それを振り離そうとせずに、俺はゆっくりと腰を降ろした。

「そうそう。折角食事に来たんだから楽しくいきましょう」

 そんな怖い顔しないで、と。

「なんなら目玉焼きあげるから」

「……ハンバーグカレーには目玉焼きは付かない」

「トッピングで選べるよ?」

 漸く手を離してメニューに移動させ、トッピングの項目を指差した。

「ね?」

 ……なんでこんなに嬉しそうに笑えるんだ?

「どうする?トッピングで追加する?」

「……いや、いい」

 断ると、ちょっと不貞腐れた仕草をする。

「じゃ、せめて食べさせてあげるよ。お昼休みに彼女にやって貰っているように」

「……美咲と違うだろ。槙原さんは…」

 美咲は彼女だ。だから昼休みの『あーん』は、そりゃ恥ずかしいけど、俺と美咲だけの特権みたいなもんだ。

 例えからかう目的だろうとも、他人がおいそれと踏み入れていいもんじゃない。

 今度はテーブルに肘を立て、じっと俺を見つめる。

「私なら…」

 唇がゆっくりと、まるで言葉に重石を乗せるように動く。

「私なら他の男子と遊びにも行かない。お金目当てに抱かれたりしない。服が欲しいからって騙したりしないよ?」

 美咲の噂か。つまらない噂を信じる子だったのか。

「そうか。じゃあ槙原さんと付き合える男は幸せだな」

 棒読み。

「緒方君は普通にカッコイイよ。お世辞じゃなく。正義感もあるし、優しいしね」

 それはありがとうと再び棒読み。

「なんでそんな男子に女子が話し掛けても来ないのか解る?」

「さぁ?別に興味ないから」

 これは本当に興味がない。原因は何となく知っているから。目つきが怖くて避けられているんだろう。あと単純に不細工とか。過去にさんざん言われたしな。

 少し溜め、再び重石を乗せるように唇が動いた。

「それは…」

「お待せ致しました。カツカレーとハンバーグカレーです」

 ゴスロリメイドさんが料理を持ってきたおかげで、あの重苦しい空気が消えた。

 代わりに槙原さんが、軽く舌打ちをしたのが耳に入る。

「ご注文は以上で宜しいですか?」

「うん。以上で」

 ゴスロリメイドさんに感謝の気持ちを乗せ、ありがとうと追加オーダーを拒否する。

 ゴスロリメイドさんは一礼し、テーブルを後にした。

「さって食おうか。冷めたらマズくなる」

「そうだね。食べよう食べよう」

 料理にがっつく俺に話の続きをする事を諦めたのか、槙原さんもハンバーグカレーを口に運んだ。

 食べている間、色々と話し掛けてくる槙原さんに対し、俺はただ相槌のみで対応した。

 顔を上げる事も無く。目を見る事も無く。

 理由は単純に怖いからだ。

 何故怖いと思うのかは解らない。いや、モヤモヤではあるが解る。

 知っている事が怖い。知られている事が怖い。

 それは別に、聞かれれば素直に答える…例えばボクシングを始めた理由とか、のだが、何故か彼女は『誰にも聞かずに』知っているように見受けられた。

 ヒロか朋美に聞いたとすれば、二人は俺に報告するだろう。

 そうなると調べた事になるが、何故わざわざ調べるのかが解らない。

 そして、紫メイドさんに教えていた理由も解らない。

 俺の何を調べて、何を話したのか。目的は一体何なのか。

 聞けば教えてくれそうな気がしたが、警戒心が強い俺は、一度疑えば一定以上の距離を置いてしまう。

 そんな事を考えていると、遂に食事は終わり、本来の目的の図書館に行く為に店を出る事になった。

 何か言いたそうだった槙原さんだが、図書館で勉強が基本コンセプトなので意を挟む事はせず、しかしやはり俺に奢られて、素直にそれに従った。

 そして多少歩いて図書館に辿り着いた。

 のだが……

「……そう言えば休日はお休みだったわ。図書館…」

「……流石に見れば解るよ…」

 図書館には『本日閉館』の看板が扉の前に、これ見よがしに置かれており。

 全く来館を歓迎する素振りも無く、ただ無機質に、しかし『わざわざなんで来たの?馬鹿なの?ああ、馬鹿だから図書館に来たのか』と言われているようにすら見えた。

 いや、そう思ったのは単なる自虐だけど。

「ごめん!!」

 両手を合わせて申し訳無さそうに頭を下げる。

「迂闊だったわ!本当にごめん!!」

「いや、いいよ別に」

 とは言え安堵とした。槙原さんとこれ以上一緒に居たくなかったからだ。怖いからだ。

「私の家来る?図書館程じゃないけど勉強しやすいと思うし…緒方君の家でもいいけど…」

 なんて怖い事を……

 それは丁重にお断りする。本当に言葉を選んだつもりだ。

「だって…」

 槙原さんが溜めて溜めて、溜ながら発した。

「これじゃただデートを楽しんだだけになるよ?」

 俺は右手をズボンのポケットに入れた。

 握った拳を見せたくなかったからだ。

 この時槙原さんは表面上申し訳なさそうにしていたけど…

 一瞬だったけど…笑った…のだから。

「じゃあ途中まで一緒に帰ろ…あ…寄る所あったんだ…どうしようかな…」

 俺も空気を読む事ができるから、それは暗に付き合って、と誘われている事は解ったが、適当な言い訳をしてそれとなく断った。

「じゃあ仕方ないね」

 しょんぼりして、名残惜しそうに手を振った槙原さんの姿が見えなくなってから、俺はダッシュで駅に駆け込む。

 何を知っているのか、何を企んでいるのかは不明だが、マジに怖かった。

 槙原さんが夢のあの女なのか?

 とは思ったが、あの女とは雰囲気がまるで違う。

 どっちも怖いが種類が違う。

 それを言葉で説明しろと言われても、漠然と『違う怖さ』としか説明できない。

 何はともあれ、電車に乗ってここから離れるに越した事は無い。

 そんな訳で、丁度止まった電車に飛び乗る。

 これまた丁度良く空いていたので、余裕で座れた事はありがたい。何か疲れたから非常に助かった。

 着席し、マナーだからとスマホの電源を切ろうと取り出した。

 ……着信があったのか。

 マナーモードに切り替えていたから気付かなかったぜ。

 つか、だったら電源落とす必要無いじゃんとか思いつつ、開いて確認すると……

 ……非通知着信116件……

 なんだこれ…気持ち悪ぃ…

 自分でも解る程蒼白になり、震えた。

 槙原さんか?いや、さっきまで一緒に居たからそれは無い…

 目を見開きながらスマホを見ていたその時、チカチカと光って再び着信を知らせる。

 また非通知着信…

 無言で閉じてポケットにねじ入れる。

 何だ?一体何なんだ?

 俺の膝が有り得ない程震えた……

 家に着くまで一切スマホを開く事をしなかった。

 充電をしようと取り出した時にチカチカと光っていた事から、また着信があったのだろう。

 開いて見ると、非通知着信125件受信メール1件…

 メールはほんの1、2分前に届いたようだ。

 最後の非通知着信もだいたいその時間くらい。

 メールは朋美からか…

 取り敢えず気持ち悪い非通知を全て削除してメールを見る。


 Sub【おっす】

【勉強頑張ってるかい?本家の婆ちゃんから小遣い貰ったから差し入れできるよ。ちゃんと勉強していたらだけど(笑)】


 臨時収入があったから何か奢ってくれるってか。

 有り難いが動きたく無いな…

 返信は、明日昼飯奢ってくれと打った。

 その少し後、再びメール。

 Sub【え?】

【隆いつも楠木さんとお昼食べてるじゃん?いいのそれ?】


 直ぐに明日よろしくと返した。

 美咲にもどう言う顔で会ったらいいか解らない。

 あれは俺の見間違いであってくれとしか願えない。

 俺はスマホを放り投げ、その儘ベッドに寝ころんだ。


 ……クスクスクスクスクスクスクスクスクスクス…


 ……出たな…

 存在を確認したと同時に頭痛が走る。

 脳が脈打つ感覚…慣れって怖い。なんとも思わなくなったんだからな。既に受け入れているっつうか。

――そうよ…それでいいの…先ずは理解する事…

 何を理解しろってんだ?お前の存在か?この頭痛か?

――今の状況を…

 香る花の香り、あの女の香り…

 直ぐそこに居る……

――貴方…今日は楽しかったかしら?

 はっきりと耳元で聞こえた声。

 首や頬に触れる髪の感触…

 取り敢えず解った事は、お前の髪は長いって事だな。

――あら。嬉しいわ…見えずとも、それは解ったのね

 クスクスと耳障りに笑う女。

 解った事がもう一つ。

 この女の声が聞こえているうちは耳鳴りがしない。

 いや、耳鳴りが気にならない、と言うべきか。

――話を戻すわ…今日、楽しかったの?貴方?

 楽しい訳ねーだろ。美咲は知らない男と腕を組んで歩いているわ、槙原さんは怖いわ、非通知着信が沢山来るわでよぉ…

 全く最悪の休日だったぜ、と付け加える。

 女は僅かに俺から離れ、恐らくは無表情で俺を見下ろしている。

――そう。楽しく無かった訳ね

 当たり前だろが。はっきり言って不愉快だったわ。

――そこまで感じても思い出さない?

 ……何をだよ?

――それとも…今回も駄目?

 だから何を思い出せっつんだよ!!

 声を荒げた俺。イライラが凄い。そうじゃなくても今日一日で色々あったんだ。

――今ならまだ間に合うわよ…

 だから何をだ!!

――パーツが…

 あ?

――まだパーツが足りないか…

 明らかに落胆している女…

 何だ?この女、確かに怖いが、槙原さんの怖さとは全く違う…

 寧ろ俺の方に非があり、それを叱られて怖がっているような…?

――本当は時間がとても足りなくて…私自身もそれ程の権限は持っていないのだけれど…貴方も頑張りなさい。私も頑張るから…

 は?何を言ってんだお前?何を頑張れっつー話だ?

――いいわね?頑張るのよ?今回はとても良い所まで来ているんだから…

 だから何を……

――クスクスクスクス…らしく無いわね私とした事が…こう言うべきだったわ…せいぜい頑張りなさい…クスクスクスクスクスクスクスクス…

 何だよ…お前一体何をしたいんだよ…解んねぇよ………

 そう思いながら、俺の意識が沈んで行った……


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