一年の夏~003

 昼休み。クラスの連中の大半が学食へ向かう。勿論、机を並べて、弁当を突っつく連中もいる。

 俺はと言うと、購買でパンを買う連中を尻目に、弁当を持っていそいそと中庭に向かった。

 ここの所、晴れている日は中庭で弁当を広げる事が習慣となっている。

 ここの所とは、つい最近からと言う意味だ。

 つまり、美咲と付き合い始めてからと暗に言っている訳だ。

 それ以前は、ヒロと教室で弁当を突っつく日々だった。

 ヒロから女できてから付き合い悪くなった、と零されているが、気にしてはいけない。

 ムサい男と突っつく弁当なんぞよりも、可愛い可愛い自分の彼女と中庭のベンチで食べる昼食の方が遥かに美味しく、心に潤いが持てるってもんだ。

 天秤にかける必要も無い程明らかだろう?

 パンに群がっている、独り者の可哀想な連中の横にある自販機からお茶なんぞ購入し、いざ、美咲の待つ中庭へ!

 お茶を持ち、じゃあな独り者共。と心で呟きながら立ち去る俺。

 何故か学校中に知れ渡っている美咲と俺の間柄、たまにだが、独り者の不細工な野郎からサラッと嫌味を言われる事がある。聞えないように超小声で。聞こえるっつーの、と思いながも無視しているが。

 今日も去り際に、見た事も無い不細工な独り者野郎から嫌味…って言うか、陰口を叩かれた。

「あれ、楠木の新しい護衛か?」

「あれって緒方だよな?やっぱり緒方って…」

「楠木も今回は役に立ちそうな奴見つけたなぁ…やっぱ身体で釣ったのか?」

「それにしても緒方だぜ?ある意味楠木とはお似合いだ」

 糞野郎二人が俺に視線を向けながら、ひそひそとバレバレに噂している。

 つか、もう飽きた。何度目だっつー話だ。

 美咲の黒い噂は、こう言った感じで常に俺の耳に入ってくる。

 最初はついムッとして問い詰めたもんだが、今では面倒でそんな真似すらしていない。

 一例を挙げると、こんな内容だ。

 金やプレゼントを騙して巻き上げている。

 彼氏と呼んでいる男が常に3人以上いる。

 援交をしている。

 なんかヤバい薬に手を出しているらしい。

 県境に近い隣町にデブの彼氏がいる。

 返答が一律同じなら俺も勘ぐるだろうが、見事にバラバラなのでアホらしくなった訳だ。

 アホらしくなった理由がもう一つ。噂を広めたのは美咲に振られた男共だと言う事。それも所謂不良共だ。

 何でも振られた理由が金持ってないからとか、役に立ちそうも無いとか言われたとか、周りから聞こえてきたとかなんとか。

 可哀想な独り者野郎の、糞くだらない戯言と思うのは当然と言える。

 県境のデブ彼氏なんか、例え真実でも別にいいじゃねーかと思うし。彼氏がデブなのがそんなにいけない事なのかよ?

 いや、よくないか。今は俺と付き合っているんだから二股になっちゃうのか。

 まあ、そんな可哀想で残念な独り者野郎を無視し、美咲の待つ中庭に急いだ。

 中庭のベンチでは、既に美咲が可愛らしい小さいお弁当箱を持って、空を見上げてスタンバっている。

「おー、待ったか?」

 切らせた息を無理やり殺し、澄まし顔を作る俺。

「んーん。今来た所だから待ってないよ」

 キラキラっと輝く笑顔を俺に向け、自分の隣をぱしぱし叩いて、座るよう促される。

 さも当然と言わんばかりにどっかと座る俺だが、心臓がバクバク言っている事は内緒だ。 

 意外と小心者なんだよ俺は。

 そして普通に嬉しいんだよ。

 可愛い可愛い彼女と一緒に昼飯食う一時がっっっ!!!

「どしたの?ニヤニヤして?」

 不思議そうに俺の顔を覗き込む美咲。

「いやー、腹減っててさ。早く昼休み来いって授業中ずーっと思っていたんだよ」

 別に腹は減っていないが、取り敢えず言い訳に使わせて貰う事にしよう。

「ふーん、そうなんだ。てっきり私に早く逢いたいとか勝手に思い込んじゃったよ」

 意地悪な笑みを俺に向ける美咲。

 ヤバいバレてる。

 俺は顔を背けていそいそと弁当を広げ、無言でそれをかっこんだ。

 クスクス笑いながら美咲も弁当を広げた。

 中身はおからのハンバーグ、しめじとキャベツの炒め物、プチトマトとブロッコリー。それと卵焼き二切れ。

「卵焼きは必ず二切れ入っているよな」

 その他は育ち盛りの俺からすれば、全く魅力を感じないおかずばかりだ。

「だから、一切れはね」

 箸で大きい方の卵焼きを持ち、ついっと俺に向けながら唇を動かした。

 唇の動きを凝視する俺…

 あ~ん。

 ニコーっと笑いなから、再び声を出さないで唇のみ動かす。

 あ~ん。

 俺はフラフラと卵焼きの方を向き、口、いや、お口を…

  あ~ん。

 すると甘い味付けの卵焼きが、俺のお口に放り込まれる。

 モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ!!

 すんごい良く噛んで卵焼きを戴く。

「美味しい?」

 頷きながらもまだ噛んでいる。だって直ぐ飲み込んだら勿体無いだろ?

「良かった。卵焼きだけは私の手作りなんだぁ~」

 な?直ぐ飲み込んだら勿体無いのが理解できただろう。

 美咲の手作りで、しかも『あ~ん』だぞ?永久に噛んでいたいくらいだ。

 付き合い始めてから、ほぼ毎日中庭で弁当を食う事になったんだが、この卵焼きの『あ~ん』は最初から行われている。

 最初は、いや、今もかなり恥ずかしいが、かなり嬉しい。

 何でも自慢の卵焼きをこうやって食べさせるのが夢だったとか。

 俺は今でも夢の中じゃないかと思う程だがなっ!!

 かなぁり噛んで、漸く飲み込んで一言。

「やっぱり旨いっ!!」

「でしょでしょ!こればっかりは自慢だからぁ~」

 嬉しそうに自分も卵焼きを箸でぶっ刺し、パクンと。

 口が小さいのか、俺にくれた卵焼きより二回り小さい卵焼きを、半分だけ口に入れた形だ。

「これ毎日作ってくれているよな。もう10年以上食べている気がする」

「お気に召して戴き何よりです」

 わざとらしくぺこりとお辞儀し、やはりニコーっと笑った。

「この前のほうれん草を刻んだの入っていたヤツも旨かった」

 微妙な醤油の味加減が最高な一品だ。また作ってくれよと催促する。

「ほうれん草?そんなの作った事ないよ?」

 キョトンとして否定された。

「え?だってあの時…」

 いつ食べたか記憶を遡ったその時。


 ズキン


 忘れていた頭痛が再び俺を貫いた……

 頭を抱えて蹲る。

 弁当が地面に散らばる音、美咲が発している言葉、全ての音が耳鳴りに変わる。

 固く目を瞑ったせいか、全ての光が遮断され、真っ黒になる。

 頭痛による混乱からか、勝手に脳に映し出される映像……

 ほうれん草入りの卵焼き…芝海老入りの卵焼き…挽き肉入りの卵焼き…

 美咲の作った卵焼き…全て食べた事がある。

 あるけど、無い…

 少なくとも『まだ』無い…

 何だよ一体?匂いまで覚えているのに、何で『まだ』食ってないんだ?意味解んねぇ………


――ほうれん草入り卵焼きは16回、芝海老入り卵焼きは13回、挽き肉入り卵焼きは11回…


 誰だ?女?

 目を開けようとすると、痛みが走る。

 まるで目を開ける事を拒んでいるように。


 クスクス……


 笑っている?女が笑っている。

――卵焼きに何かが入っているケースは多々ある。だけど、それは毎回同じじゃないわ。レアなケースではツナ入り3回、カニカマ入り2回…ああ、ウナギ入りが1回あったわ…クスクス…

 誰だ?聞き覚えのある声…何度も繰り返し、聞いた声…

 その間にも頭痛が激しさを増していた。

――流石に私も飽きて来たからね…貴方もいい加減抜け出したいでしょ?

 何だ?何を言っている?つか、お前誰だよ?

 その時不意に香って来た匂い。…花?何の花だ?

 だが、この匂いも知っている。何時だったか、嗅いだ事のある花…

――まぁ、卵焼きに何が入っていたかなんて重要じゃないから放っても良かったんだけどね。貴方があまりにも混乱してしまったからね。これ以上の混乱を防ぐ為に 出て来た、って訳ね…クスクスクスクス…

 出て来たって言うなら姿見せろよ?

――私の姿を見たい?いいわよ…目を開けてご覧なさい…クスクス…クスクスクスクス…

 頭痛くて目が開けられねぇんだよ!お前の仕業だろ!どうにかしろよ!!

――あら?そこは解るのね?

 認めやがった女。花の匂いが増したような気がした。

――まぁでも…この段階で出て来た事を…忘れないでよね?今まで無いわよ、こんな大サービス…クスクスクスクスクスクスクスクスクスクス…

 笑い声が遠くに行く…

 待てよ!お前の目的は何だ?頭痛ぇのどうにかしてから消えろ!!おい!おいっっっ!!

 俺は女の姿を追うべく、限界まで痛む頭を気合いで制し、固く瞑った目蓋を開けた。


 光が差し込み、眩しくて顔を顰めた。

 さっきのあの場所が如何に暗いかが実感できる。

 ゆっくり目蓋を開くと、視界に飛び込んで来た天井、そして鼻孔を擽る消毒薬の匂い……

 どこだ此処…?

 ゆっくりと上体を起こす。


 ハラリ…

 掛かっていた布団が重なるように捲れた。

「良かった。気が付いた」

 直ぐ傍から安心した声。

 其方に顔を向けると、眼鏡を掛けた、大きめの目を俺に向けていた女子と目が合った。

「中庭で倒れたのよ」

 二つに分けた太めの三つ編みの片方を、指でクルクル回しながら呟くように言う。

「此処はどこだ?」

 女子はああ、と一つ頷き、微笑を零した。

「此処は保健室。私は保険委員で、同じ一年の槙原遥香まきはらはるか。君はお昼休みに、中庭で倒れたんだよ」

 そう言いながら体温計を俺に手渡す。

「倒れた?誰が運んでくれた?今何時だ?」

「そんなに一気に訊ねないでよ。取り敢えず今は放課後」

 もう放課後かよ…随分長い時間眠っていたんだな。

「熱計って」

 言われて体温計を渡された事を思い出し、慌てて熱を計った。

 終わりの音がピピッと鳴り、そのまま槙原さんに体温計を渡した。

「……熱は無いみたい」

「そうか。良かった」

 他人事のように言い、ベッドから起き上がる。

「寝てなくて大丈夫?」

「大丈夫。補習受けなきゃ。ありがとう槙原さん」

 来るべき夏休みの為、一分一秒でも無駄にはできない。

「補習って、帰らないの?」

 呆れる槙原さん。

「夏休みパーにしたく無いからね」

 鞄は…教室か。

 じゃあ取りに行こうと、そのまま保健室から出ようとした俺の腕を掴み、動きを封じる槙原さん。

「あのね、熱が無いって言っても、保険委員として補習は受けさせる訳にはいかないから」

「俺頭悪いからさ。補習受けても夏休みが五分五分なんだよ」

 槙原さんは少し考え、その儘俺の腕を取って自分の鞄を持ち歩き出した。

「ちょ、どこに連れて行くんだよ?」

「ん?緒方君の家」

 ……意味が解らん。

 俺は補習を受けなきゃならんと言っているのに。

「つか、何故俺の名を知っている!?」

 名乗った覚えが全く無いのに何故?

「緒方君さ、入学して直ぐの頃、上級生の男子に絡まられていた女子助けた事あるよね?」

 …どうだったか…あったような、無かったような……

「あの時はありがとう。お礼言いそびれちゃったの、ずっと後悔していたんだ。だから捜したの。助けてくれた、上級生も怖がっていた同級生の事をね」

 眼鏡の奥で、凄い可愛い笑顔を見せた槙原さん…

 不覚、いや、健全な男子故、心臓の鼓動が大きくなったのは、不可抗力だから許して貰いたい。

 俺の鞄をわざわざ俺のクラスに取りに行ってくれ、更にそれを持つと言う槙原さんには流石に申し訳無く、逆にお願いする形で鞄を奪取し、並んで下校する。

「気にしなくていいのに。お礼も兼ねての保険委員の仕事なんだから」

 何か不満気に零しているが、今時の保険委員は、下校も付き添う事が義務化されているのだろうか?

「それにしても、全く覚えて無い訳?」

「さっきの話?あー…恥ずかしながら…」

 実は俺は結構絡まられている人達を助けている。

 自分が昔、理不尽に絡まられていたから解るんだ。凄い怖いって事が。

 だからお節介ながらも、ついつい首を突っ込んでしまう。

 そもそも、糞を見かけたら身体が動いてぶち砕くから、首を突っ込むってよりは、まんま条件反射的な行動だが。

 要するに、結果助けているだけだが。

 そして悪い噂は此処から流れる。

 弱い者をからかってイジメていた糞共が、俺がいきなり殴り掛かって来たとか、仲間沢山連れて囲まれたとか、そんな事を仲間に話すのだ。

 仲間っつうか、友達なんかヒロしかいないって言うのに。

 そりゃ、俺一人にやられたとか流石に言えないだろうから、嘘を言うんだろうが、結果危ない奴だの、狂犬だの、身に覚えの無い噂が勝手に広がって行く。

 まあ、嘘を言いふらした糞も、付け狙って徹底的にぶち砕くから、間違いって訳じゃないけども。

 おかげで俺は高校に入ってから新しい友達が増えない。

 今では誤解が晴れてそれなりに話す奴等もできたが、入学初期はヒロくらいしか話す奴もいなかった。

 いや、今もヒロくらいしか話す奴はいないか。俺が話しかけて漸く返してくれる人が若干いるって程度か。

「ところでさ…」

 いつまでも付いて来る槙原さんに素朴な疑問をぶつけてみる。

「槙原さんって家どこ?」

 槙原さんは指を2つ伸ばして俺に掲げて見せた。意味が解らず首を捻る。

「駅2つ先」

 駅2つ先?

 めっさ寄り道じゃねーか!俺に付き添わないで早く駅行けばいいだろ!

 しかし槙原さんは、何故か胸を張って誇らし気だ。

「何故そんなに胸張っている?」

「巨乳を誇張しております」

 今後はVサインを作って俺に掲げて見せた。

 つか自分で巨乳って言うな!!見てしまうだろが!!

「胸大きいだけで目立つのよね」

 そう言いながら、両手で自分の胸を持ち上げやがった。目立たしているんだろ!?わざとだろそれ!!

 突っ込みたいが、思春期故色々な妄想が駆け巡り、意図的に視線を外す事が精一杯だ。

「……あの時もそうだったんだ」

 唐突に呟いて空を見上げた。

「……あの時って?」

 今度は俺の方をくるんと向き、笑いながらはっきり言った。

「助けて貰った時」

 ……やべー、可愛いわ…

 美咲以外にドキドキするなんて俺は酷い奴だと思いながらも、その笑顔から視線が外せなかった。

「絡んできた先輩達ね、胸でっけー、とか言って私を囲んだんだ」

 …助けた事は全く覚えて無いが、下級生の女子に絡む野郎だ。それは本当の事なんだろう。

「あの上級生達だけじゃない、昔…中学の時からそんな感じ。だから大きい胸嫌い。痴漢にも遭うしね」

 なんかしんみりして来るな…

 デカい胸は需要が多々あると慰めてやりたいが、果たして慰めになるのかが疑問だし。

 かと言って、今は貧乳も見直され、あらゆるメディアにて供給が成されていると言う。

 つまり貧乳になっても需要はあるのだ。

 いやいや、こんなしんみり状態に何考えてんだ俺?

「緒方君は上級生を追い払ってくれただけじゃない、胸の事にも触れずに早く行きな、って、たった一言だけ」

 今までも助けてくれた人は確かにいたが、その後付き纏われたり、痴漢よりも酷い痴漢行為を働いたりしてきた。何の見返りも裏も無く、ただ助けたのは俺だけだと。

 槙原さんは俯きながら頬を赤く染め、静かに、そして一息に発した。

 ……なんだこの展開は?

 人生のモテ期が到来したのか?

 ついこの前まで女っ気が全く無かったって言うのに!

 つか、沈黙はキツイ。

 何か言わなきゃ、何か言わなきゃ、何か言わなきゃ、何か言わなきゃ、何か言わなきゃ、何か言わなきゃ!!

 洪水のように押し寄せてくる『何か言わなきゃ』感。

 そんな意味不明のプレッシャーの中、、発した槙原さん。

「あ、着いたね」

 ん?着いた?何処に?

 言われて初めて辺りを見ると、そこは俺ん家の前。

 俺ん家に着いたって事かと、何故か安堵感がいっぱいになった。

「じゃ、ちゃんと休んでね。追試の勉強程度なら、後で私が教えられるから」

 眼鏡の奥の大きめな瞳を細くし、笑う。

 うぉ~…マジ可愛い…やられそうだ…

「いやいやいやいや!!悪いよ!俺の頭は末期だから!!」

 流石に勉強を教えて貰うのは心苦しい。槙原さんも用事があるだろうし。

「心配しなくても、私成績いいんだから。ちゃんと先生やってあげるから」

 いや、心配じゃなくて申し訳無いんだよ。

 そう言おうとした俺だが、槙原さんが手を振って小さくなるのを、ニヤけながら小さく手を振り返して応えていたと言う……

 美咲が居るのに何をチャンス感じているんだと自己嫌悪になるが、顔のニヤニヤは止まらなかった。

「何ニヤケてんのよ?キモいなぁ…」

 いきなり後ろから声を掛けられ振り向くと、朋美が腰に手を当てながら仁王立ちをして睨んでいた。

「なんだ朋美か」

「なんだとはご挨拶だなぁ……今のD組の槙原さんだよね?何で隆と一緒なのさ?」

「お前が槙原さんを知っているとは意外だな?」

「何が意外なのよ?彼女学年トップスリーの成績なのよ?知ってて当然じゃん」

 学年トップスリー!?

 そりゃ有名には違い無いな。俺は別の意味で有名だけど。

「意外なのは、そんな彼女が何で隆と一緒なのかって事」

 人差し指を立ててグインと俺に近付ける。

 上体を引き、人差し指から逃れながら言う俺。

「ま、槙原さんは保険委員なんだよ」

「保険委員…アンタまだ頭痛いの?」

 途端に心配そうに眉尻を下げ、人差し指じゃなく身体を寄せて来た。

 近いっ!おっぱい当たるっっっ!!いや、そこまではちょっと足りないけども。

 だけどそれでも上体じゃなく下半身を退きそうになるっつーの。

「少し休んだらマシになったから。大丈夫だから」

 そそくさと逃げるように身体を反転させ、下半身を安定させる事に成功した。

「そっか。良かった。でも不思議よね」

「何がだよ?」

「槙原さん、なんで隆の家知っていたんだろ?」

 そう言えば…

 家には表札が無い。俺の存在を匂わせる物も外には出ていない。

 それなのに、なんでピンポイントで俺の家が解った?

 なんで?

 忘れていた頭痛が、チリチリと音を立てて襲ってくる感覚を覚えた……

 朋美と別れて家に入り、ベッドに転がり込んだ。

 朋美の言う通り、何故槙原さんは俺の家を知っていたのか?

 昼休み夢に出てきた女の声と何か関連があるのか?

「……バカバカしいな」

 家を知っているのは…多分俺の鞄を取りに行ってくれた時、クラスの誰かから聞いたんだろう。

 夢の女は単なる夢だ。うん。

 ごろんと寝返りを打って思考から取り除こうとした。

 その時、別の疑問が過ぎり、思わず起き上がった。

「朋美は何故槙原さんが俺の家を知っていると思った!?」

 朋美が現れたのは、手を振りながら小さくなった槙原さんの姿の時。

 俺の家に到着した時には誰も居なかったじゃないか?

 家に着いたと言われていた時、俺は辺りを見たから間違いは無い。

 小さくなった槙原さんを見て『家を知っている』と疑問は持たないだろう?

 何だ!?何が起こっている!?何だ!?一体何だ!!

 ズキィ

「ぐっ……!!」

 訳が解らなくなり、不安感のみが支配していた俺に追い討ちを掛けるように、あの頭痛が脳を貫いた。

 グラグラと視界が歪み、耐え難い目眩に襲れて、固く目蓋を閉じた。

 頭の血管全てが脈打っている感覚…

 痛ぇ…何なんだ一体よ!?

 耳鳴りが脳の奥から湧き出て、外の音が全て掻き消えた。

 その耳鳴りに混じって再び聞こえた、あの笑い声…


――…クスクス…


 この野郎!お前一体何なんだ!?今度は絶対に顔見てやるからなあ!!

 奥歯を砕けんばかりに噛み締めて、いよいよ目を開こうと気合いを入れたその時――

――随分気が多いのねぇ…女子三人に囲まれてデレデレしているなんて、余裕ね?

 不意に話し掛けられて目を開くタイミングを失う。

 その代わりに答えた。

 囲まれて無ぇだろが!大体俺はモテないんだよ!!自慢じゃないが、中学から女っ気ゼロだ!!

 本当に自慢じゃない、つか、寧ろ気分まで落ち込みそうだが、本当の事だから仕方が無い…

――本当に?

 あ?何が?

――本当に中学から女子と親しく接して無いの?

 本当だよコンチクショウ!!恥まで晒してカミングアウトしてんだよ!!

――は?こいつ何言ってんだ?

 いつの間にか消えた耳鳴りと頭の痛みだが、それを忘れる程、女は真剣な声だった。

――何故中学時代に女の子と親しくできなかったの?

 それは、俺が何故か避けられていたからだ。

 生まれつきのキツい目つきが怖がられていたんだろう。

――……中学時代親しかった女の子が居たじゃない?

 朋美の事か?中学じゃない、小学、いや、その前から知ってんだ。数に入れる必要は無いだろが?

――……ハァ…

 何か溜め息をつきやがった。

 つか、何が言いたいか解んねぇよ。言いたい事はハッキリ言いやがれ!!

――まぁいいわ…どうせもう一度体験するんだから…

 あ?

――明日は休日ね…勉強頑張ってね。夏休み…絶対に休めるから…

 一転、何か励ましてきた。

 拍子抜けするも、素直に応えた。

 勿論頑張るよ。絶対に補習で夏休みを潰したりしない。

――ええ、絶対に休めるわ……永遠にね……クスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクス…

 冷水を浴びたように全身が冷たくなった…

 この女…一体………?

 震える身体を庇うよう、自分で自分を抱き締めた。

 そして…

 俺はそのまま気を失った………

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