一年の夏~002
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン……
ん~…うるせぇなぁ…
半ば覚醒していない目で、ぼんやりと辺りを見る…
真っ暗な中、赤い光がひっきりなしに点滅を繰り返している中、俺はそこにいた。
俺はこの風景を知っている…
いや、日常で見る風景だが、この暗闇と点滅する赤い光を、身を持って知っている。と言うべきか。
更に言うと、何度も経験したから知っている。となるか…?
「……何考えてんだ俺?」
自分でも意味が解らずに頭を掻くと、ズキッと痛みが走る。
頭痛くて寝ちゃったんだっけ…
勉強しなきゃ。夏休みは美咲と一緒に過ごすんだから。
いつの間にか座り込んでいた俺は、地面に右手を突っ張って上体を起こした。
視界が広がる。
「………ん?」
真っ暗でよく解らないが、遠くから誰かが此方に向かって走ってくる。
目を凝らすと、どうやら女だ。
その後ろから…此方は男か。男が追っている形を取っている。
「何だぁ?女子に乱暴しようとしてんのかぁ?」
そう思ったのは、女子が追われているように、必死に走って逃げているように見えたからだ。
のっそりと立ち上がり、逃げる女子にこっちだと手招きをした。
女子は俺に気付いたか、気付いてないか解らないが、やはり此方に向かって逃げている。
やがて肉眼で女子の顔がハッキリと見える距離に接近すると、俺は愕然として膝が震えた……
「美咲………」
少しウェーブの掛かった天然な髪質…肩で揃えていた髪が、走る度に右に左にと激しく揺れている。
大きな瞳を更に見開いて、怯えた表情で走っていた…
美咲…何でこんな時間に…
こんな時間?そうか、周りが暗いから夜なんだ。
今更ながら、現時刻が夜と認識される。
そんな事はどうでもいい事だが、何故か夜だと脳が騒いだ。
美咲を助ける為の一歩を漸く踏み出した俺だが、再び驚いて止まった。
後ろから追い掛けていた男…
ウニみたいに逆立てた髪と右耳に金のピアス…俺よりも鋭い瞳は…
「ヒロ…」
そいつは俺と同じクラスで俺の親友、
なんでヒロが美咲を追っている?
歯を食いしばり逃げる美咲…怒りの瞳をその美咲に向けて追うヒロ…
何が何だか解らず、震える膝を踏ん張って立つのが精一杯だった…
美咲…ヒロ…お前等一体何をやってんだ…?
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン
うるせーな!今はそれどころじゃ無いんだよ!!
二人に向かって駆け出そうとしても、足が、一歩が踏み出せない…
金縛り?解らないが動かない…
美咲!ヒロ!
叫ぼうとしても声が出せない。
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン
うるせー!どうでもいいから動けよ!声出させろよ!
誰かに訴える俺だが、一体誰に訴えているのか。
赤いランプの点滅が見てもいないのに脳に飛び込む。
これじゃない!美咲を、ヒロを見せろよ!!
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン!!
だからうるせーって言ってんだろ!!
目を固く瞑りながら頭を振り、再び開けたその先に…
「美咲………」
本当に目の前にいる美咲の姿…
漸く声が出せた安堵感を得たが、美咲が目を見開いて俺を見ている。
その後ろには、ヒロが肩で息を切らしながら、やはり俺を見て目を見開いていた。
「お前等なんで『こんな所』に?」
こんな所?そう言えばどこだ此処は?
美咲が両手を口元に当て、ペタンと地べたに膝を付いた。
「美咲?」
傍に行きたいが、身体が動かせない。何でだ?
ヒロが美咲を押し退け、俺に右腕を伸ばしてくる。
「ヒロ!なんでそんなに必死なんだよ!!」
必死?ヒロは必死な顔で俺を呼んでいる。いや、叫んでいる?
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン!!
プワーッ!!!!!
だから!なんだよさっきから!!
ギャキャギャギャキャギャギー!!
騒音に言葉が掻き消されているが、俺は発する事をやめなかった。
「おい、お前等一体こんな時間にこんな所でなに」
いきなり真っ黒になったと思ったら、二人の姿だけくっきりと見えた。
美咲は 目が零れ落ちそうな程見開いて、何か叫んでいた。
ヒロは今まで見た事が無い程身体が血に染まっていた。
俺はそれを二人の上から見下ろす視点になっていた………
……………
朝、か……
結局あのまま朝まで寝てしまったな……
起き上がると、汗でシャツが身体に貼り付いて、ぐっしょり濡れていた。
凄い寝汗だな…あんな夢を見たせいだろうけど…
「なんつー夢だよ…」
頭を抱え、溜め息を一つ付く。
ズキン
「……っ!また頭痛治ってねーのかよ…」
ロードワークもサボってしまったし…時間も時間だし、学校に行かなきゃ…
汗で貼り付いたシャツを脱ぎ捨て、新しいシャツに変えて下に降りる。
台所には、俺の朝飯が湯気を立てて、香りが漂っている。
……ダメだ。食う気になれない…
冷蔵庫から牛乳パックを取り、その儘煽るように飲み込んだ。
「あら、朝ご飯は?」
いきなり後ろから声を掛けられてドキッとする。
お袋じゃないか…何を怯えているんだよ…
「ああ、今日日直だからさ。早く行かなきゃ。朝飯食っている暇ないなぁ…」
…何を言い訳しているんだろう?別にやましい事は…練習サボったか…
「行ってきます」
逃げるように家から飛び出し、自問自答した。
俺は一体どうしたんだ?
夢を見た程度で、頭が痛いくらいで、何を不安になっている?
だが、いくら考えても答えなんか出る筈は無かった。
重い足取りで向かっていた俺の肩が、誰かに叩かれる。
「隆、後ろ姿さ、凄い暗い…な、何その顔色?」
振り向くと、朋美が驚いたように仰け反って、俺から距離を開けた。
自分で呼び止めて離れるってさぁ…
つか……
「そんなに酷い顔か?」
いや、確かに二枚目とは呼べないが、仰け反られる程酷いとは…
「なに馬鹿な事言ってんの!そんなに具合悪そうな顔で学校行こうって言う訳!?」
マジギレされた。ほんの冗談だったのに。
「いや冗談だよ。心配してくれてサンキュー」
無理やり笑顔を作り、それを朋美に向けると、呆れたように溜め息をつかれた。
「隆は昔っからやせ我慢すると作り笑いするよね…ボクシング始めた時だって……」
朋美は視線を外して俯いた。
「ボクシングは俺がよく不良とかに絡まられるから…」
「違うでしょ」
……違わないよ。俺が絡まられたから、だから…
「…ごめん…」
申し訳無さそうに、悔しそうに顔をしかめて謝罪する朋美…
「朋美は悪く無いから謝る事なんか無い。早起きしてまだ目が覚めて無いだけだから心配すんな」
俺は先程言われた作り笑いを浮かべながら、朋美と肩を並べて歩き出した。
いつもより早い登校。いつもは隣に居ない朋美。
だけど、この光景も以前経験した事があるような…
今はただ歩くだけでも不快な暑さの夏だが、もっと涼しい頃、春か秋…肌寒さを感じたから秋かも知れない。
ズキッ
また頭が痛んだ。
「……頭痛いの?薬あるよ?飲む?」
朋美が心配そうに、気を利かせて錠剤を俺にくれた。
「んー、風邪引いたかもな。ありがとう」
素直に受け取り、ズボンのポケットに押し込む。
「学校行ったら、ちゃんと水で飲みなよ?」
「うん。あのさ、昔こうやって二人で並んで登校した時あったよな?」
多分秋に。本当に何気無しに、ただ聞いただけ。
「中学に入ってからは無いなぁ…小学生の頃は毎日だった筈だけど…」
朋美は首を傾げての否定。
そしてよく考えてみると、一番距離が近く、一番距離が遠かった。あのボクシングを習い始めた頃も、朋美と二人で並んで登校した事は……無い…
中学の頃も朋美と登校した時は勿論あったが、それは二人でじゃなく、共通の友達とだった事を思い出した。
……おかしい…
間違い無く、こうやって二人並んで登校した記憶がどこかにある。しかも高校の制服を着て。
上着を羽織っていたから、やはり春か秋。
ズキズキッ
「いって…」
再び頭を押さえ、今度は蹲った。
「隆、本当に大丈夫?帰って休んだ方がいいよ?」
本当に心配してくれて、俺の目線に合わせて屈んでくれた。
「大丈夫大丈夫。夏休みをパーにする訳にはいかないからな」
俺の行動の全ては夏休みの為、美咲と過ごす夏の為。だから頭が痛い程度で休んでいる暇は無い。
無理やり立ち上がり、朋美に笑いかける。
「…隆は他人の嘘笑いは見抜けるのに、自分の嘘笑いは見抜かれないと思っているんだね…」
朋美が寂しそうに眉根を寄せ、俺から視線を外した。
「嘘笑いって!これは痩せ我慢ってヤツだ!!」
実際痩せ我慢だが、カミングアウトをしてみると、意外と格好悪いなコレ。
朋美は俺に背中を向けながら、無言で立ち上がる。
「……先行ってる…あんまり酷いなら帰って寝てなよ。そんな体調で勉強しても身に付かないと思うし」
そう言って一人で足早に学校に向かって行った。
結局遅刻ギリギリ、滑り込むように校舎に入った。
俺のクラスはE。
A組の教室の前を通ると、朋美が安心したように顔を弛ませ、手を振った。
俺は応えるように手を上げて通り過ぎる。
C組の前を通ると、俺を発見した美咲が、大袈裟に立ち上がって両手を振り始めた。
恥ずかしいので、顔を背けて、見ない振りをして通り過ぎる。
同級生にニヤニヤされながら、もしくは妬まれながら教室に滑り込み、机に鞄を放り投げた。
椅子に腰掛け、漸く一息付く。
「おう隆、今日も遅刻ギリギリだな」
そう言って俺の机に座る同級生。
「なんだヒロか」
親友の大沢博仁。ヒロ。夢で見た顔と同じ顔。
ただ、こっちのヒロはニヤニヤと、からかうような笑みを浮かべている。
夢で怒り狂って美咲を追い掛けていたヒロとは全く表情が違う。
怒り狂っていた?
あの暗闇、あの距離で、怒り狂っていたと何故解る?
確かにヒロは喧嘩っ早いが、怒って女子を追い掛けるような真似はしない。
ヒロが怒り狂って女子を追い掛ける筈は無い。
「どうした?顔色悪いぞ?大丈夫かよ?」
俺の顔を覗き込んでくるヒロに、夢の事を掻き消されて我に返った。
「あー、勉強疲れだな。風邪引いたかも知れないし」
取り繕うように返事をする。
「楠木に告られて舞い上がっているからだろ」
「うるせーよ。お前も彼女作って舞い上がれば解るだろーよ」
鞄から教科書を取り、机に無理やり押し込みながら返す俺。
「だってお前、俺は夏休み犠牲にする程壊滅的な成績じゃないしよ。お前みたいに無理する必要無いんだよ」
勝ち誇ったようにイヤ~な笑みを口元に浮かべるヒロ。
このウニ頭は、外見に似合わず塾通いをしている。
塾通いをして俺と同じ壊滅的成績なら救いようが無いだろうに、何を自慢しているんだか。
「その塾にいいなって女子いねーのかよ?そんで夢中になって成績落ちればいいのに」
本心でそう思う。
「なんて酷い奴なんだ!それでも親友かっ!」
ギャーギャー喚くヒロを無視して、さっき朋美から貰った頭痛薬をポケットから取り出した。
「ん?薬?やっぱり具合悪いのか?」
「んー。さっき朋美から貰ったんだよ。頭痛いから有り難い」
本当は水と一緒に飲まなければいけないのだが、面倒だからこのまま飲み込んだ。
「胃、悪くするぞ…」
「じゃあ今度は胃薬貰うよ」
頭痛薬を持っていたんだ。胃薬も持っているだろう。
「ほら、予鈴鳴るから早く席に戻れ」
追い払う仕草をする。
「須藤にちゃんと礼言っとけよな?あいつくらいだぞ。お前みたいな馬鹿と昔からつるんでるのはよ」
「お前みたいな馬鹿って…」
軽くヘコむも、その通りだ。
ヒロは中二の時にとある事情からツルむようになったが、朋美は本当にガキの頃から一緒で…まぁ、思春期に入ってからは疎遠になったけど。
「あ、予鈴だ。後でな隆」
漸く机からケツを降ろし、自分の席に着くヒロ。
今日も夏休みの為に勉学に勤しまなきゃ。
俺は頬をパンパンと叩き、自らに気合いを入れた。
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