三、ラストスパート
翌日からは雨が続いて、勧誘の机を出すことが出来なかった。これはかなりの痛手だ。
傘を差した状態でのチラシ配りは配る方も受け取る方も大変だろう、という判断から、雨が降っている間は外での勧誘活動を休止し、部室での待機になってしまった。
とはいえ、その間にチラシやポスターを見てやってきた子がいたり、初日に来た二人が顔を出してくれたりしたので、部長をはじめ部員達もホッと胸を撫で下ろしている。
変わり種も一人いた。三月までは軽音部に所属していた二年生の女子で、本人いわく『音楽性の違い』で部内バンドを解散することになり、かねてから興味のあった漫研に入りたいと申し出てきたのだ。何でも、アニソンのコピーバンドがやりたくて軽音部に入ったのに、他の部員から却下され続けたらしく、「そりゃ、うちに来るわな」とは部長の談だ。漫研で部内バンドを結成しようと目論んでいるようだけど、果たしてそう都合よく、楽器が弾ける人間が集まるだろうか。
かくして、三日間のロスタイムをそれなりに楽しく過ごした我々の前に、勧誘期間最終日となる金曜日がやってきた。
ようやくすっきり晴れた空の下、ラストスパートとばかりに各部が熾烈な勧誘合戦を始める中、現時点で四人の仮入部員を確保できている我らが漫研は、チラシ配り三人、机待機二人の一時間交代制でシフトを組み、最終日に臨んでいる。
まだ私服での登校に慣れていない様子の新入生が行き交う大通りは、三日もの間、風雨に耐え忍んでいた桜達が、自棄を起こしたように花びらを撒き散らしていた。桜の季節も、もう終わりか。
「掃除が大変そうですねえ」
「風流に水を差すようなこと言わない! ほら、もうひと頑張り行ってきな!」
チラシを補充しに戻ってきた二年生の背中を叩いて送り出した中島さんは、勧誘の資料にと部室から持ってきた部誌をぱらぱらとめくりながら、そういえばさ、と声を潜めた。
「ちーちゃん、今野さんから何か聞いてない?」
「? 何かって何がですか?」
「あー、ちーちゃんも知らないか。四年の先輩から聞いた噂なんだけど、今野さん、就職活動と並行して、投稿用の漫画を描いてるらしくて」
驚いた。それと同時に、納得もした。先日部室で手伝ったあの読み切り漫画らしき原稿は、投稿用だったんだ。
「それって、漫画家デビューを目指してるってことですか?」
「多分ね。実は、これまで何度も、先輩達から勧められては、部誌の連載で手いっぱいだからって断ってたらしいんだよね。だから、どういう風の吹き回しなのかなって。ちーちゃんはよく一緒にいるから、何か聞いてるかと思ったんだけど」
「いえ、何も……」
私に相談するわけもない。私が今野さんに出来るアドバイスなんてないんだから。それでも――一言も話してくれなかったことに、少しだけ胸の奥がちくんと痛む。
「今野さんの漫画、抜群に面白いじゃない。だから、卒業したからもう描かない、なんてことにはなって欲しくないんだ」
卒業生のうち、一体どのくらいが卒業後も活動を続けられるのか。これは漫研だけでなく、どの部活でも危惧されている問題だ。金はあっても時間的・精神的余裕がない、という理由で辞めてしまう人間が多いという話は、本当にあちこちから聞こえてくる。
趣味として細々と続けていく人もいれば、思い切ってプロを目指す人もいる。卒業を期にきっぱりと縁を切ってしまう人も。それは勿論、人それぞれなのだけど。
「神原さんから聞いたんだけどさ、ずっと連載を続けてるあの漫画、一年生の時に部誌の年間発行回数を聞いて、その時点で最終回までのプロットを作ってるんだって。ちゃんと卒業する前に終わるように」
神原さんといえば、本当は部活に入るつもりのなかった今野さんを拝み倒して漫研に入部させた張本人だ。
「最初に聞いた時は、真面目な今野さんらしいなって思っただけなんだけど。もしかしたら、今野さんは『卒業後は漫画を描けないかもしれない』ことを想定して、だからこそきっちり四年間で終わるようにしたのかな、なんて思ったりもしてさ」
中島さんも真面目な人だ。編集長に任命される前から歴代の部誌すべてに目を通しており、改善策を次々と打ち出している。だからこそ、連載途中で唐突に打ち切られたり、作者が卒業して中途半端に終わってしまった作品を、嫌というほど見てきたはずだ。
あの今野さんがそんな無様な幕引きなど望むはずもないから、今年度発行の二回分で大団円に持っていこうとしているのだろうし、うっかり筆が乗って増ページになる可能性はあっても、必ず今年度中に終わらせるだろう。
「ぶっちゃけるとさ、私は今野さんの漫画、これからもずっと読み続けたいんだよね。プロだろうが同人だろうが関係なく。だから創作活動を辞められちゃ困るんだ」
珍しく熱弁を振るってから、急に照れくさくなったらしく、あはは、と頭を掻く中島さん。
「だからさ、投稿用の作品を描いてるって噂を聞いて、すごく嬉しかったんだ。てなわけで、ちーちゃん。今野さんのアシ、よろしく頼むね」
そうか、私は今野さんのアシスタントとして認識されていたのか。
なんで中島さんが私にこの話を振って来たのかが、ようやく理解できた。
「はい。頑張ります。私も今野さんの漫画、もっとたくさん読みたいですから」
「よっしゃ、頼むよ敏腕アシスタント!」
ばしばしと背中を叩かれて――これは中島さんの癖なのだ―むせそうになりながら、はあ、と曖昧な返事をする。
だって私は、ただの「お手伝い」に過ぎない。本物の『敏腕アシスタント』は、どうあがいても今年度しか腕を振るえないのだから。
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