五、学園祭

 後期が始まると同時に、学園祭の準備も始まった。

 十月末の学園祭ではイラスト展示を行うと同時に、屋台を出すのが伝統なのだという。六月祭で作った立て看板を再利用して作った屋台で売り出すのはチョコバナナだ。原価率が高く、しかも甘味を出す屋台が少ないため、子どもや女性に人気でボロもうけなのだそうだ。

 更に二日目の夜には、OBを招いて飲み会を行うのが恒例になっているそうで、増え続けるOBの数に、開催場所を押さえるのが年々大変になっているらしい。

「そう言えば、OBって何人くらいいるんですか?」

「そうだな、ざっと五十人くらいかね」

 思わずのけぞる数だけれど、考えてみたら、一年に五人が入部して、それが十年続けば五十人なのだから、地道に活動を続けているうちに大所帯になるのは当たり前だ。

「五十人も入る会場なんてあるんですか?」

「いやいや、OB全員が来るわけじゃないから。遠方に住んでる人もいるし、連絡が取れない人もいるしね」

 このOB会の席で部長交代が行われるため、現部長にとってはOB会の仕切りが現役最後の大仕事という訳だ。

「そうそう、今日の部会で次期部長を発表するからな」

 にやりと笑う部長に、はいと頷く。次期部長の予想はついているのだけれど、これで全然違う人が指名されたりしたら、それはそれで面白い。

「今日はようやく部員全員集まるからなー」

 何気なく呟かれたその言葉に、胸がドキッと鳴る。

「じゃあ、コンノさんも来るんですか?」

「うん。今日の部会は絶対顔を出せよってメールしたら、分かったって返事来たから。最後までいられるか分からない、とは書いてあったけど」

 ホントつき合い悪いんだからよお、とぼやきつつも、部長はどこか嬉しそうだ。

「まあ、バイト忙しいから部活は難しいって言ってたのを、無理言って頼み込んで入部してもらったんで、あまり強くも言えないんだよなあ。締め切りはきっちり守るし、いいマンガ描くし。本人もすげえ良いヤツだしさ。やる気のない連中よりよっぽどマシだわ」

 そうですね、と曖昧に相槌を打ちながらも、気持ちはすでに放課後へ飛んでいる。

 今日こそ、コンノさんに会える。会えるんだ。



「つーわけで、次期部長は前田! ってことで、よろしく!」

 万雷の、とまでは言わないけれど、惜しみない拍手と歓声が部室に響き渡る。漫研部員、総勢十五名――には一名足りないけれど、全員が集まった部室はぎゅうぎゅうで、これ以上部員が増えるようなら部会のたびに会議室を借りなきゃならなくなる、と部長が零していたのも頷ける。

 ちょっと遅れる、という連絡が入っていたコンノさんは、新部長任命の瞬間には間に合わなかった。

 また今日も会えないのかな。そんな思いが頭を過って、つい俯きそうになったところに、バシバシと派手な音が響いてきて、はっと顔を上げる。見れば、新部長に任命された前田さんが、現部長に容赦なく背中を叩かれているところだった。

 ほら挨拶! とけしかけられて、よろよろと立ち上がった前田さんは、照れくさそうに頭を掻きながら、いやあほんと、と恐縮してみせる。

「俺なんかが務まるのか分からないけど、一年間頑張りますんで、よろしくお願いします」

 そう謙遜してみせるけれど、前田さんは五人いる二年生の中で一番真面目で、何より面倒見がいい。まさに、みんなが予想していた通りの人選だったわけだ。

「で、副部長と会計、あと編集長も交替になるわけだけど。副部長は大岡。会計は水沢。よろしく頼むわ」

 これはすでに内定していたものなので、驚きの声も反論も上がらずに拍手で迎えられる。

「んでもって編集長が――」

 最後の一人を読み上げようとしたその瞬間、勢いよく扉が開いて、にゅっと現れたその人物は――。


「すいません、遅くなりました」


 見上げるような長身。がっちりとした体躯。癖のある短髪に、バイト先の制服なのかもしれない、上下真っ黒の出で立ち。小脇に抱えた原稿入れがなければ、とても漫研部員とは思えないその人に、現部長がけたたましく声を上げる。

「おっせーよ、今野! もう新部長、発表しちゃったぞ」

「悪い。踏切に引っ掛かった。ごめんな前田。おめでとう」

 厳つい風貌が、そうやって笑うと一気に優しくなる。

「わー、初めて見たよ、コンノさん」

「これが噂のレアキャラ……」

 周りの一年生がざわざわと失礼なことを囁く中、新旧の部長と何やかやと話をしていた今野さんは、不意にこちらを振り返り――そしてバッチリ目が合った。

 口を開いたら支離滅裂なことを叫んでしまいそうで、さっきから口を押えていた私に、今野さんは表情を変えることなく呟く。

「後でな」

 囁くような声は、それでもはっきりと聞き取れた。そして「ん? 何か言ったか?」と尋ねる部長に、平然と切り返す。

「編集長の発表がまだなんじゃないか」

「そうだったそうだった! 編集長は中島!」

 これまた二年生の名前が告げられて、呼ばれた先輩が立ち上がり、ぺこりとお辞儀をする。

「里中さんのような鬼編集になれるかどうかは分かりませんが、お引受けしたからにはビシバシ行きますよ!」

「俺よりおっかねえよ、お前」

 どっと笑いが巻き起こり、全ての役職が発表になったところで、部会はひとまずお開きとなって、部員達が三々五々と散っていく。

 いっちょ飲みながら引継ぎすっか、という部長の提案で、新部長をはじめとする役職付きの面子が駅前の居酒屋に引っ張られていき、気づけば部室には私と今野さんだけになっていた。



「バイトを抜けて来たんで、あまり時間がない。手短に話すぞ」

 一気に静まり返った部室で、パイプ椅子にどっかりと座り込んだ今野さんは、腕組みをしてそうのたまった。

「一年の吉川、だよな」

「は、はい!」

「商学部商学科、ゼミは小森ゼミ。他の一年より一週間遅れで入部。あだ名はヨッシー。ニューカレの舞台上で派手にすっ転んでMVP賞を受賞……で合ってるか」

「はい、合ってます……」

 MVP賞のところで顔が赤くなったけれど、今野さんは表情を変えずに続けた。

「ロクに部活に出てない俺が、なんでそこまで知ってるかっていうとだな。――答えは簡単。アイツに散々聞かされたからだ」

 そこまで言って腕時計に目をやり、すっくと立ち上がる。

「時間切れだ。あとは本人に聞いてくれ」

「え?」

「ああ、一つだけ。名前が被ったのは単なる偶然だ。早く訂正したかったんだがタイミングが合わなくてな。それだけはすまなかった」

「えっ、あの、ちょっと……!」

 訳が分からず、慌てふためく私を尻目に、今野さんはスタスタと部室を出ていってしまい。

「今野さんってばー!」

 思わず叫んでしまったら、背後から消え入るような声で「ハイ」という声がした。

「えっ?」

 ばっと振り返ったそこには、パイプ椅子に座って膝を抱え、ちんまりとなってこちらを窺っている、男性の姿。

「コンノさん!?」

「やあ、吉川さん」

 はにかむように笑って、ひょいと片手を挙げてみせるコンノさんに、思わずつかつかと歩み寄ってその手をがしっと掴む。

「うわ、ちょっと吉川さん」

「コンノさん! 今日という今日は、ちゃんと説明してくれるまで、逃がしませんからね!」

「わわわ、分かったから落ち着いて? ね?」

 どうどう、と馬のようにいなされて、まあ座りなよ、と椅子を勧められる。それはまるで、初めて出会った時のようで。

「今野さんが、えっと、コンノさんじゃない方の今野さんが、ああもうややこしい!」

「彼は今野吉隆クンだよ。ヨシくんって呼んであげて。嫌がるから」

 さらりと酷いことを言いながら、まったくもうと肩をすくめるコンノさん。

「ヨシくんもひどいなあ。時間がないからって丸投げしないでもいいのに」

「それは否定しませんけど、コンノさんも色々ひどいです!」

 ごめんね、と頭を掻き、困ったように笑うコンノさん。

「あの日、ちょうどみんな出払ってるところに吉川さんが来たからさ」


 一大決心をしてやってきたのだろう、新入生の女の子。

 ただでさえ入りづらい雰囲気のクラブハウス、更にその最奥という立地は、それだけで入部希望者の気勢を削ぐ。

 そうやって、入る前から諦めてしまった新入生を、これまで何人も見てきた。

 繰り返されるノックは、段々と勢いが弱まっていき。続いて聞こえたのは落胆の溜息。

 また、逃してしまうのか。折角、共に語り合える仲間がここにいるというのに。

 繋がるはずだった絆が、目の前で立ち消えてしまうのは、あまりにも忍びなくて。


 ――扉を、開けた。


「――いつからかな、よくは覚えてないんだけど。気付いたらボクはここにいて、ずっと見ていたんだ。君達のこと。いつだって楽しそうで、見ているだけで幸せだった」

 部室に集い、和気藹々と趣味の話題で盛り上がる学生達。そんな彼らの会話に耳を傾けているうちに、色々なことを知った。

 ビッグサイトも、セミナーハウスも。スキー場の絶景コースから、駅前の居酒屋の看板メニューまで。行ったこともない、見たこともない場所についても、気づけば地図が描けるくらいに詳しくなってしまった。

「最初は見てるだけのつもりだったんだけど、ここって色々と楽しいものがあるじゃない? 誰もいない時なら使わせてもらっていいかなって思って、こっそり本を読んだりゲームをしたりしてたわけ」

 そのうち、うっかり部員と鉢合わせしてしまったのが、一つの転機だった。

「その鉢合わせした子が、まだ新入生だったから、部員全員の顔をちゃんと覚えてなかったらしいんだよね」

 ――初めまして、先輩。自分は新入部員の大野です!

 そう、元気よく挨拶してくれた彼に、『本当のこと』を言えるわけもなく。咄嗟に、「コンノです」と名乗った。


 それが、始まり。


「ちょうど、初めてここに来た時の吉川さんに話したみたいに、部のことを色々と話しているうちに、何か楽しくなっちゃってさ」

 大勢に認識されてしまえば、この幸せな嘘がばれてしまうから。

 彼が部に馴染むまで、それまでだと自分に言い聞かせて。

「実際、大野君と話したのは二、三回位かな。きっと彼に聞いても、もう覚えてないんじゃない? そういう子が何人かいたんだよ」

 一人で部室にやってくる部員にだけ、そっと声を掛けて。

 時には助言をし、時には原稿を手伝い。一緒にゲームをしたり、テレビを見たり。

 そんな日々を過ごしていくうち、出会ったのが――同じ名前を持つ彼だ。

「今野さん――えっと、ヨシくん、ですか」

 先輩に対してその呼び方もどうかと思うが、この場だけは許してもらうとして。

 そう尋ねると、コンノさんはご名答、と頷いてみせた。

「うん。彼は肝が座ってる上に勘がいいからさ。もう最初っから『アンタ、うちの部員じゃないな。不法侵入者か』ってこうだよ。もう怖い怖い」

 ぶるぶると震えてみせるコンノさん。確かにあの感じなら、初対面でそのくらい言ってのけてもおかしくない。

「そのままだと容赦なく通報されそうだったから、素直に話したら、今度は『そうか。それならいい』って、あっさり納得されてさ。それからはもう、暇なんだから原稿手伝えだの、掃除手伝えだの、そりゃもう人使いが荒くて」

 大げさに肩をすくめてみせるコンノさんは、そうしていると本当に、どこにでもいそうな大学生でしかない。

「吉川さんの反応もある意味驚いたけどね。さっきの剣幕はホント、すごかったなぁ」

 くすくすと思い出し笑いを浮かべるコンノさんに、思わず顔が赤くなるのが自分でも分かった。

「だって! コンノさん、肝心な時はいつもいないから!」

「そんなことないさ。ボクはここにいるよ。ずっと、ずっとね」

 柔和な微笑みは、どこか淋しそうで。

「吉川さんがボクのことをヨシくんと勘違いしてるのは分かってたんだけど、何となく話の辻褄も合っちゃってたしさ、言い出せないまま、今日までずるずる来ちゃったんだ。本当にごめんね」

 手を合わせ、深々と頭を下げるコンノさん。そして、恐る恐るこちらを窺ってくるので、思わず吹き出してしまったら、コンノさんも小さく笑って、でもさあ、とどこか楽しそうに切り出してきた。

「吉川さんは、今日ヨシくんに会う前から、何となく気づいてたでしょ。いつから?」

 穏やかな問いかけに、ええと、と記憶を辿り出す。

「ニューカレの出し物を決める時に、アルバムをお借りしましたよね。あの時、どれだけ遡っても、コンノさんが写ってる写真が一枚もなかったから、あれっ? て思ったのが最初です」

 そこからは、些細なことがパズルのピースのように、少しずつ少しずつ嵌っていって。

「夏休み中にお会いした時、バイトの時間に遅れそうになって、慌てて出ていったこと、覚えてます?」

「うん。部誌を取りに来た時だよね。あの後、ヨシくんに漫画の感想を伝えたら、えらく照れてたんだよ」

 あの時、ふと時計を見上げて、バイトの時間に遅れそうなことに気づいた。

 それだけじゃない。ある違和感に気づいた。気付いてしまった。

「あの時、そこにあるはずのものが、なかったんですよ」

「うん。そうだね」

 うんうん、と何度も頷いて、コンノさんは静かに笑みを浮かべる。

「それでも、こうして今まで通りに話してくれるんだ。嬉しいなあ」

「当たり前です。コンノさんは……コンノさんじゃないですか」

 困っている時、そっと手を差し伸べてくれた。一人で心細い時、必ずそこにいてくれた。

 誰かが待っていてくれる部室は、たまらなく居心地が良くて。

「だから……だから」

 溢れる思いが喉に閊えて、言葉が出てこない。それでも、今伝えなければ。でないと――この心優しい「先輩」と、二度と会えなくなってしまう気がして。

「だから、お願いです。いなくなったりしないでください」

 ようやっと絞り出した言葉に、コンノさんは呆気にとられたように目を大きく見開いて――そして、照れくさそうに笑った。

「ありがとう。大丈夫。ボクはいなくなったりしないよ。君達がボクを必要としなくなるその日まで。ずっと、ずっとここにいるから」

 ――だから、また明日ね。

 静かに微笑む姿が、虚空に溶ける。

 そして、一人取り残された部室には、時計の音だけが響き渡り。

 そっと窓辺を見上げれば、ファンシーな時計の左隣には、取り澄ました顔の白い狐面。

「また明日ですよ。約束ですよ!」

 己に言い聞かせるようにそう告げて、踵を返せば、

 ――ハイハイ。また明日!――

 苦笑混じりのそんな声を、背中に聞いた気がした。

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