第9話「みっかめのおわり」

 ミナセは今、羞恥心でいっぱいだった。なぜ自分はこんな事になっているのか、なぜ自分は今までその事に気づかなかったのか。いや、これは気づかなくても仕様がない事だったのだ。現代の日本人にそんな知識を保有している方が珍しいのだから。だが知ってしまうともうダメだった。


 グランダーレ公爵の屋敷を出てそれはすぐに起きた。公爵が住むぐらいだから場所は中心部に最も近い高級住宅街。グランダーレ公爵の屋敷以外も自分の権力を存分に披露し、見栄の塊の様な家々が立ち並んでいた。石畳で綺麗に舗装された道を、ミナセ達は衛兵ギルドに向けて歩き出そうとしていた。

 すると、腕のいい植木職人が手がけたであろう綺麗に刈り込まれた街路樹の横から、この場所に相応しい身なりの良い男の子がでてきてミナセを見ていた。二足歩行の猫が珍しいのか街路樹に体を半分隠しながら、ひょっこり顔をだす姿はなんとも愛らしい。


 ヤバイ。公爵の屋敷から出てきた所、見られちゃったぞ。変な噂がたたなきゃいいけど。約束した手前、こんなにもすぐバレたらさすがに公爵も怒るよなぁ。


 一応、約束はしたのでグランダーレ公爵の屋敷を出る時に周りに人がいない事を確認していたのだが、街路樹の影になり子供の姿が見えなかったのだ。子供とは言えこんな目立つ一行がグランダーレ公爵の屋敷から出てきた事は印象に残るだろう。何でもない風を装いながら、ミナセは内心ハラハラしながら子供の横を通った。だが、無情にも子供が声をかけてきた。


「ねぇねぇ、何でその猫はパンツだけ履いてるの?」


 ………………。


 ………………え?


 予想していた内容と大幅に違った為、ミナセは思わず足を止めてしまった。猫と言われているからには自分に関する事なのだろうが、子供が言った内容がいまいち理解できなかった。


「あら、そうよね。下だけじゃなくて上も着ないと寂しいわね。僕、ありがとう」


 何と答えればいいのか固まっていると、すかさずコアがフォローを入れてくれた。きっと人と同じ様に歩く猫を見て上着を着ないの? と子供が言っているとコアは判断をした。


 ビックリした。そうかそうか、確かに上も着ないといくら猫でも身だしなみとしてダメだよなっ。


 ようやく声をかけられた意味を理解してホッと息をついた。だが子供はまだ不思議そうな顔をしながらミナセを眺め、そして返事をしてくれたコアに話しかけた。


「んー? そうじゃなくてそのパンツ女の子がお洋服の下に着るパンツだよ。何で女の子の下着だけ履いてるの?」



 子供の指摘によりミナセは自分が女物の下着だけを履いている猫。という事がわかった。


 体が猫になっていた為、服を着るという概念が抜けていた。だが日本にいた時は上着だけ、パンツだけなんてよく見かけたし、ミナセ自身何も違和感はなかったのだ。しかし目の前の子供は人と同じ様に歩く猫を見てペットというよりも人に近い印象を抱いたのだろう。そうなると人間の感覚で考えれば上裸で街を歩くやつなんて変態そのものだ。

 しかも唯一、ミナセの体を覆う衣類はこの世界では女性が履く下着ときたものだ。


 女の子のパンツだと……。おまわりさーん、この人です! 案件待ったなしだよ。俺だって好きでこれ履いてるわけじゃないし、この世界の常識だって下着の事まで聞かなかったよ! ……何だよ何だよっ。皆、言ってくれればいいじゃないか、言われなきゃ分かんないよ。そうだよ、言われなきゃ気づかないし、俺が何の疑問も持たなかったのはしょうがないんだ!


 一生懸命、自分に言い訳をしさっきから頭を占拠している【おパンティを履いた変態男、街中を闊歩する!】といった言葉を何とか消し去ろうとしていた。前述でも言った通りペットが上下の服を着るのは珍しい事だったし、昔の西洋の女性がどんな下着を履いていたかなんて、普通に暮らしてきたミナセには知るよしもなかったのだ。それに今まで誰も指摘してこなかった様にミナセの格好は別段不思議なものでもない。まぁしゃべる猫がどんな服装をしているかなんて想像もしなかっただろうし、女性ものの下着に似ているだけでそんなものなのだろうと皆、納得していた。相手が子供だったからこそ出た疑問なだけであったのだ。


 だがミナセの頭の中には【パンティ&半裸】の文字が抜けなかったのだ。


 これが子供と別れてから羞恥心でいっぱいだった理由である。


 ミナセはそんな姿を誰にも見られたくなかったのだが、猫達に抱っこされながらの移動はなけなしのプライドが許さなかった。なにか隠すものを探したが、猫達も最低限の布切れしか纏っていない。コアやボタンに腰巻きを使って下さいと言われたが、そうなると2人はビキニ姿で街を歩くことになる。

 ただでさえすれ違う男達に下心をふんだんに含んだ視線を向けられていたのに、それ以上いやらしい目で見られるのはミナセは非常に不快だった。

 幸いにも倉庫からグランダーレ公爵の屋敷まで歩くのに時間がかかっていた為、あたりは暗くなろうとしていた。蛍光灯や炎の明かりとは違う青白い光を灯す街灯がつきはじめたが、行き交う人々は疲れた体を早く癒そうと足早に家路に着こうとしていた。


「うぅぅ……。何かこっちを見る視線が変態を見るような目にみえる。実は皆、こんな猫が珍しかったんじゃなくて、変態だと思ったから見てたんじゃないのかな……」


「ジュン気にしすぎ。周りの人間の声聞いてたけど、魔物ってのは出てきたけど変態って言葉はでてなかったよ。それにあの子供だってテキトー言ってるだけかもしんないじゃん」


「そうだけど、それでもこのダメージは消えないんだよ。うぅぅ……」


「まぁまぁ、ご主人。自分が思っているほど周りは気にしていないものですよ。せっかくお金もあることですし、明日新しい洋服を買いにいきましょうよ。それに、今日は暗くなってきましたしどこか宿でもとらないと」


「宿か……。そうだな、とりあえず寝れる場所確保しないとだよな。すまんのぉコアさんや。頼りない飼い主で……ケホンケホン」


 すっかり落ち込んでしまったミナセを慰めながら、宿場街をウロウロしていた。その間クータローはミナセを隠す様に歩き、なるべくすれ違う人々に見えないようにしていた。そんな寡黙なクータローの気遣いに感謝の気持ちと、自分の情けなさが交わり何とも複雑な心境になったのだが、クータローはそれに気づかなかったのであった。


「じゃあさー、あそこにある宿に泊まろうよー。何かいい匂いするし、おいしいご飯がありそうだよー」


 チュータローが指差した先には【大樹の林檎亭】と書かれた宿屋があった。1階はご飯も食べれるらしく、食欲をそそる匂いがミナセの鼻にも届いてきた。人気があるのか他の宿屋に比べ、人が多く出入りし何とも活気のある宿屋だ。


「……僕もここがいい……」


 寝れればどこでもよかったのだが珍しくクータローが自分の意志を主張したので、ミナセ達は【大樹の林檎亭】に入ることにした。嗅覚が優れた元猫がすすめるのだから、おいしい食事にありつけるのだろう。


 入り口にあるウエスタンドアの下側からミナセが中を覗くと、革や鉄の鎧を軽く装備した者や、顔が隠れるぐらいの大きなフードがついたローブを着た者、顔や腕に傷が多くある者などが楽しそうに食事をとっていた。種族や人種もまちまちで、街でみかけた様なケモミミの人や冒険者ギルドにも居たような風貌の人達が多くいた。装備を付けているのはきっと冒険者なのだろう。


「おぉ、冒険者に人気の宿屋なのかな? まずは部屋が空いてるか確認しようか。ではコアさんお願いします!」


 ミナセはさっと入り口から離れると後ろにいたコアに前を譲った。コアがドアを開きかけると入り口の近くにいた店員らしき女の子がコアに気づいた。ハッと息をのんだ店員はしばらくコアを見つめると我に返った様に急いで「いらっしゃいませ!」と大きな声で挨拶をしてくれた。女性ですら見惚れてしまうコアの風貌なら仕方があるまい。

 そんな店員に微笑を浮かべながらコアはテーブルと空き部屋の有無を聞いた。店員はしばし思案する様に空中に目をやるとのんびりした口調で「テーブルはあいてますけどぉ、お泊りなら1部屋だけならぁ」と答えた。


「1部屋ですか……5人なのですが泊まれますか?」


「5人ですかぁ。んー、部屋の大きさ的には5人でキツキツって感じですかねぇ。ベッドも1人用が1つだけですしぃ。まぁ、床でもいいなら4人までなら寝れると思いますけど、どぉします?」


 俺的には別に床でもいいけど、4人までか。クータローはここのご飯が食べたいだっけぽいし、ご飯だけ食べて違う宿探すしかないか。


 コアに目配せをし断るように促すと、横からひょいっと顔をだしたボタンがにんまりと笑った。


「おっけー、それでいいよー。あたしジュンと寝れるならどこでもいいし。それに、ジュンはあたしが抱いて寝るから人数も問題なしでしょ!」


 5人で寝れる部屋を希望しているのだから、他にもいるとは思っていたがまさかまたもやこんなにかわいい女の子が出てくるとは思っていなかった店員は、口をあんぐり開けるとまじまじとボタンを眺めた。その視線はそのまま下にいき胸の辺りで止まると、自分の胸に手を当て何だか悲しそうな顔をしたのだった。

 さて何もせずとも目の前の店員の心に深い傷を与えたボタンだったが、問題はその発言だ。コアは5人とは言ったが確かにミナセはサイズ的に1人にも満たない。誰かが抱っこして寝れば広さ的な事は問題ないのだが……。


「いやいやボタンそれはダメでしょ! 違う宿探そうよ」


 ボタンの足をつつきながら店員に聞こえない様に小さな声で話しかけるが、そんな事をしなくてもどうやら店員は心ここにあらずの状態で聞こえていない様だった。ミナセの訴えをボタンは聞こえないフリをし、まだ悲しげな表情を浮かべる店員に強引に承諾を得てしまった。


「ええと……あれ、でももう1人いなくないですかぁ? 後から来る感じですかぁ?」


 ようやく元に戻った店員は外を覗く様に背伸びをすると、そこには2人の影しかなくそんな質問をしてきた。


「いえ、ここにいるご主人を含めて5人です。もしかして猫は入れませんか?」


 コアの影に隠れていたミナセを発見すると、店員は納得し「猫も問題ないです」と言って、テーブルに案内してくれた。ようやく中に入ることができたのだが、店員がまた固まってしまった。原因はチュータローとクータローである。先程は影しか見えなかった様で、明るい室内で2人の姿を初めてちゃんと確認した店員は顔を真っ赤にし、立っているのがやっとに見えた。

 やはり美女よりも美少年の方が破壊力があった様で、店員の瞳にはハートマークが見えそうな程、熱い視線を2人の美少年に向けていた。


「あ、あの……うちは獣人族の方も多くいますからねぇ。そこら辺は皆、気にしないですよぉ。冒険者の方がほとんどなんでぇ、毛とか汚れとかあってもどぉでもいいみたいですぅ。あっ、でもでも、ちゃんとうちは掃除してピカピカですからねぇ。安心してくださいねぇ。皆さんが気にしないってだけでそこら辺はちゃんとしてますよぉ。あたしぃ、結構家事とか得意なんでぇ……えへへ」


 そんな説明をしてくれたのだが、目線はチュータローにしかいっていない。年齢的にもチュータローの方が近そうだったので、店員の心はチュータローに奪われてしまったのだろう。最後の方なんて説明と言うよりはチュータローに対するアピールでしかなかった。


 店内では姿形の珍しさでチラチラ見られてはいたが、確かに猫が店に入った事を嫌がる客は誰もいなかった。店員はこの店の主人らしき人と何かを話して、メニュー表を持って戻ってきた。


「こ、これメニューですぅ。このパイはあたしが焼いてるんですよぉ。それと宿泊料金ですが、本当は1人いくらってかかるんですけどぉ、お客さん1部屋にキツキツで泊まるって言うし特別、半額でいいってマスターが言ってましたぁ。マスター猫好きなんですよぉ。あ、あたしもぉ猫って大好きなんですよぉ。猫ちゃんは料金に入ってないんで2人分って事ですぅ。えっと、明日の朝食付きで1泊、4シルバーになりますぅ。もちろん朝食は猫ちゃん含めて5人分出るんで安心してくださいねぇ。ふふふ、明日の朝食はあたしが腕によりをかけて作りますぅ」


 もうチュータローにしか話しかけてない事に呆れるが、チュータローがまったく反応をしない為、ミナセは店員が不憫でならなかった。ここまで高嶺の花に声をかけた事はないが、相手にされない姿が自分を見ている気がしたのだ。


 うーん、何とも複雑な心境……。きっと店の主人に一生懸命サービスする様に頼んだんだろうなぁ。10プラチナもあるし料金は気にしないんだけど、安くなるならそれに越した事はないか。お嬢さん、あなたの気遣いは俺がきちんと覚えておきます。


 落ち着いた所で渡されたメニューを見ると【○○シチュー】とか【△△のステーキ】とか下の名前は分かるのだが、それが何の肉なのかはさっぱり分からなかった。それでも村や屋台で食べたものを考えれば、何の肉か分からなくても味はまったく問題がなく食感ぐらいしか元の世界と差異はなかった為、ミナセ達はあれにしようこれにしようとワイワイしながら選んでいた。

 もちろんミナセ自身は周りに聞こえないように小さな声で参加していた。


 メニューも決まり、オーダーを済ませるとミナセは周りを見渡した。


 何か、こういう雰囲気に包まれるとほんと異世界にきたんだなぁって思うな。傷だらけの木のテーブルに壁に掛けられた2本の剣、酒を酌み交わす男達……。日本でも目にする事はあったけど、作り物と本物じゃこんなにも違うんだなぁ。

 ふふっ。やっぱいいなぁ、こういう世界観。俺、今大変な状況にいるはずなのに何か楽しいかも。


「……ご主人、笑ってる……」


「あぁ、ごめんごめん。何か憧れてた世界に来れたのが楽しくてさ。サチがまだ見つかってないのに楽しいとか言ってる場合じゃないんだけど、お前達がいるからかな? 恐いとか不安とかがあんまりなくて……。早く家族全員でこの雰囲気楽しめたらいいなぁ」


 普段のミナセだったら恥ずかしくてこんな事は言わないのだが、周りの愉しげな雰囲気にあてられてスラスラと話していた。自分で話しながら最後の家族サチがまだ見つかっていないのだと再認識し、笑顔は徐々に暗いものになっていった。


「ご主人、サチはすぐに見つかりますよ。サチはあばあちゃんだからきっとどこかで眠りこけてるんですよ」


 主人の心情を敏感に察知したコアは優しくミナセの手を握った。柔らかな瞳と手に伝わる感触に「まったく俺はしっかりしなくちゃな……」と心の中で思うと、ゆっくりと皆に笑顔を向けた。


「そうだな。あいつ結構、長生きだもんな。早く行って起こしてやらないとな。起きた時1人じゃ、あいつも寂しいよな……。よし! 明日は頑張って聞き込みするぞっ」


 ミナセが気を引き締め、それを見た猫達が穏やかな空気を出していると頼んでいた食事が運ばれてきた。「猫ちゃん用にお肉を切りますかぁ?」と聞かれたが、それを断りナイフとフォークを器用に持って熱々の食事を楽しんだ。

 猫がナイフとフォークを普通に使ってる事に周りのお客は「俺、飲み過ぎたかも……」と言って、目をゴシゴシ擦っていたのが少し笑えたが食事が終わる頃には、そんな事も気にせずさらにアルコールを追加して盛り上がっていた。


 食事代も宿泊料金と一緒に、帰りに支払う形式だったので、そのまま案内された部屋に入っていった。部屋は古いながらも店員が言っていた様にしっかりと清掃されていて、汚いという雰囲気はなかった。曇ったガラスの窓の下にこじんまりとしたベッドが置いてあり、確かに4人が限界だろうなと思った。残念な事にお風呂はないらしく渡された桶に水を入れて、角にある石張りのスペースで洗い流しながらタオルで拭いてくれと言われた。


「じゃあ、ちゃちゃっと拭いて寝よーよー」


 チュータローの一言で皆が脱ぎ始めようとしていたのだが、凄い剣幕でミナセが「男女が一緒に裸になるなんて、お父さん絶対許しません!!」と言ったので、皆は渋々交代で部屋を出ていき体を拭いたのだった。1人部屋なのでシャワーカーテンの様な気の利いたものはなかったので苦肉の策だ。


 寝床問題でやや揉めたが、これまたミナセの一言で収束しようやく激動の異世界2日目が終わろうとしていた。ちなみに寝床問題とは誰がミナセを抱いて寝るかで揉めたのだ。


「俺はクータローと寝ます」


 この一言でクータロー以外の3人が崩れるように床に敷かれた布団に入っていった。

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