時を弄んだマスターの末路
第1話
お茶会に参加するウサギが持つ時計は、日付はわかるのになぜか時間がわからない。それは時計というよりカレンダーなのではないかと思っているが、私はこの店を「時間の概念をなくしてしまえるような空間にしたい」と作ってきた。
アリスダイナー、というわかりやすい名前と、影絵によって不思議の国のアリスの世界を描いた赤と黒の世界。
わずか十席という、一人で切り盛りするには限界という席数。元々先祖代々喫茶店をしていた土地だから、リフォームしただけなのだけれど。
子どもの頃から憧れていたワンダーランド。
男の子なのに、と何度も言われていたけれど、表紙や翻訳が違うだけのアリスの本を何冊も買った。小説、絵本、解説本。もちろん映像作品も。
けれど、結局は自分の思うままの世界が正しいのだと思えた。それが本のいいところだ。
不思議の国に、自らを投じたら?
考えるだけで、少年の心は踊ったものだ。同世代の子が変身ヒーローやロボットに興味を持っていても、私には関係ない。
いい年をした……世間的には「アラサーのおじさん」と言われる年だが、不思議な能力のおかげで若く見られる事が多い。大学生のバイト? だという人もいる。確かに、一時期仕事で精魂尽き果てた時とは大違いだったが、それは不思議の国の女王様がくれたご褒美、という事になるだろうか。
時を操れるようになったのは、脱サラをして喫茶店を継ぐかどうかで揉めた時からだろうか。やるならば改装したい私と親で言い合いが続いた日々、ふとアリスに憧れていた少年時代に戻った。
サラリーマンの仕事は辞めたいが、ただ家業を継ぐのも嫌だった。思えば子供っぽい話なのだが、言いなりに、言われた敷かれたレールから外れたくなるのは大人になってもおっさんになっても、きっとじいさんになっても変わらないだろう。
こんなことなら、子供の頃、ただ貪るように本を読んでいた時代に戻りたい。
………………。
戻れた。
チェシャ猫のように神出鬼没な猫になりたい。
なれた。(ただし、そこらにいる本物の猫の中に入るという方法というのが気に入らなかったが)
そこで芽生えた好奇心。
自分の能力で誰かの未来を変えてしまおうなどと、大仰な事を思い付いた。神にでもなったつもりではない。単なるワンダーランドの住人を増やしてみたい、なんて思ったまでだ。
そこでターゲットにした二人が、いよいよ修羅場に突入しようとしていた。二人が知り合いだと知って、これはドラマが起きそうだと心の中でガッツポーズをした。
待ち望んでいた時間だ。ワクワクが止まりませんねぇ。
私は注文された「トランプと薔薇のケチャップライス」と「帽子屋のお茶会セット パンケーキ(クリームたっぷり)」をこしらえながら、聞き耳を立てていた。
夕食前の時間ということもあり、客は二人だけ。
私は聞いていないフリをしながら、白いチキンライスを炒めていた。ケチャップではなく、マヨネーズで味付けをしている。お客様の手でケチャップをかけて欲しい、という事だ。白薔薇を赤く塗っていたトランプの庭師のように。あんまり混ぜてしまうとピンク色のオーロラソースになってしまうのだが。
地獄耳だから、会話はよーく聞こえる。
「あなた達、付き合うの」
「はい」
おお、莉帆さんが付き合うのか。無理してスカートを履いている遥菜さんが睨みながら歯をギリギリ言わせている。いや、歯の音までは聞こえないけれどね。
「梶くんの何がいいわけ」
何がいい、って自分で言うか。「彼女いない歴=年齢」の男の人だというのは、遥菜さんから聞いていた。私は会った事がないのですが、少々冴えない人、らしい。
なのに、こうして少々見た目のいい二人から取り合いになるなんて、どんな人なんでしょうねぇ。
「わたし達の事は、仕事が始まってからだけじゃないんです。竹内さんは、いつから和航さんと親しいんですか」
「……会社に入ってから」
いまいましげに答えると、莉帆さんは勝ち誇った笑みを浮かべた。いいですねぇ。
「わたし達は、高校生の時から」
「こっ」
遥菜さんは絶句。でしょうね。まぁ私は知ってましたけれど。
たまたま、偶然、遥菜さんがこのお店を莉帆さんへ教えてくれた。おかげで私はこうして修羅場を楽しむことが出来る。偶然のいたずらというやつだ。
パセリを薔薇の茎に見立て飾り立てる。同時に調理していたパンケーキを皿に盛りつける。丸いパンケーキを懐中時計に見立て、上から型を置いてココアパウダーで時刻や針を描く。柄は日替わり。
「高校生……そう」
脱力したように、そう呟いてしばし壁紙を眺めた。天井までアリスの世界。土地は固定資産税だけだし、サラリーマン時代に貯蓄しまくっていたから、金に糸目はつけなかった。
「おまたせしました」
ことり、と丸テーブルにトマトソース付をつけた白いチキンライスと、パンケーキを置いた。もちろん、お皿にもこだわっておりますよ。こちらは白地にパステルカラーのデザインで統一し、さわやかさを。さすがに赤と黒の世界だと目がチカチカするし、食欲も失せるかと。
「おいしそう」
脱力した遥菜さんは、自分の前に置かれたチキンライスを見て、聞こえるかどうかの声でつぶやいた。そして、スプーンを手にそれを口に運ぶ。
人間、どんな時でもお腹はすく。たとえ今は食べたくなくとも、いつかは食べないと生きていけない。
もし食べ物で生きる気力が湧くのなら。その手伝いができるなら。
そう思って、この店を継いだ。改装して、常連客は来なくなった事には目をつぶるとして。両親の怒り狂う顔を昨日の事のようにハッキリクッキリ脳裏に焼き付いていますけれどね。頑張って、落ちた売り上げを元に戻した功績は認めてもらいたいところ。
子供の頃から料理は好きだった。遥菜さんが食事を楽しむ姿を見て、時間を操る事を楽しんでいた自分を、ほんの少しだけ恥じた。少しだけ。
莉帆さんも、パンケーキにそっとナイフを入れた。私は食後のコーヒーとカフェラテを淹れる為、カウンターキッチンへ戻った。
光サイフォンテーブル。サイフォンから溢れる光が、癒しの香りを立ち昇らせ、夜になって薄暗い店内に淡い希望を抱かせる。
ヘラでコーヒーの粉を混ぜながら、話が再開することを待ち望む。
「あなた……朝霞さんって、そういう見た目だけど、本当はすごく真面目なんだね。僻み根性で見ていたから……なんていうか、そう見えていただけ、だったのだと思う」
遥菜さんの言葉に、莉帆さんが少し首を傾げてから小さく頷く。
「頭のゆるい、キラキラ女子と思ってましたか」
ためらった後、遥菜さんは頷く。
「真面目……とはちょっと違いますけど。こういう方がいいんですよ。社会に歯向かって、わたしは負けないって肩肘張っていたら疲れちゃう。コイツバカっぽいなって思ってもらえたらハードルも低くなりますし。実際賢くないから、大卒で就職できなかったわけで」
一息つくために、莉帆さんはお水をゆっくり口に含む。そして、見た目にはそぐわない大人びた顔つきで少し上を見た。
「わたしは、世間と戦おうなんて思ってないんです。女らしくしてあげてる、って感じです。それは竹内さんも一緒ですよね」
「どうして一緒だと思うの」
聞き耳を立てながら、ミルクパンで温めた牛乳をかき混ぜつつ、サイフォンのフラスコにコーヒーが落ちるのを見つめていた。
まるで砂時計みたいだ、と思う。アリスの世界観とは合わないけれど、サイフォンですら時計のように感じられるのは現代人だからだろうか。
「スカート、履きなれてないと感じたので。普段は楽な恰好をしているのかなって」
莉帆さんの指摘に、遥菜さんは驚いて目をぱちぱちとした。
「ばれるんだね、そういうのって。あーやだやだ。私だって、本当はこういう恰好をする人じゃないの。いつも似たり寄ったりのパンツスタイルで出社していたんだから」
「じゃあ、どうしてそういう服装を?」
「梶くんの為。梶くんは朝霞さんみたいな可愛い恰好が好きみたいだからさ」
「そうなんですかね。聞いたことないですけど」
「そうよ、絶対。だから頑張った。お化粧だって始めた。でも、梶くんはあなたを選んだ」
言われて、莉帆さんはうつむいた。
「そこまでして、和航さんが好きだったんですね」
「どうかな、そうでもないかも」
莉帆さんが声にならない驚きの声をあげたと同時に、私もカップに注ぐコーヒーをこぼしそうでしたよ。
そうでもない、って、やる気のない返事。
あれだけ! 時間を戻してまで! 結構体力使うんですよ! アラサー……っていうか、そろそろアラフォーを名乗ったほうがいいおじさんをからかわないで!
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