9.ちょこれぇと?

 すぱーん、と、これまでいきなり開けてきた人たちの中では最大の勢いで音楽室の扉があいた。

「サユキ、サユキ、さーーーーゆーーーーきーーーーー!!!」

 顔が赤くて異様にテンションが高いアスカが立っている。

 そしてその後ろには誰かが居そうだった。

 さすがに察する。そしてわたしはなんだか体の奥底から暖かい気持ちがあふれてきて思わず笑顔で言った。

「おめでとー?」

 アスカはぶんぶんと首を縦に振ると、そばにいた誰かを手招きしながら、音楽室に二人で入ってくる。

 誰かはやっぱり村瀬くんなわけで。

 ちょっと恥ずかしそうな顔をしていた。

 部活の後なら確実に会えると言っていたから、アスカと村瀬くんはほんのついさっき付き合うことになったのだろう。

 なんだか自分のことじゃないのに、すごくシアワセな気持ちになる。

「アスカをよろしくお願いします」

 と言って頭を下げると、村瀬くんはどぎまぎするわ、アスカからは『あんたは私の親かー!』とか言われるわで、面白かった。

「そーだ、登下校二人でしたかったりしたら、アスカはわたしをほっとくんだよ? おかーさんかおとーさんの仕事が終わるまでは音楽室に居座っていいみたいだし」

 アスカが風邪とかで学校を休んだ日はそうさせてもらってたりする。

 ああいう時間まで普通に業務を続けている先生方がわんさかいらっしゃるのは、なんだか恐ろしくはあるのだが……改めて教師ってすごいよね。

「んや、俺ふたりのと全然違う方向だから気にすんなってか、二人で登下校はなんか……付き合ってますアピールすごすぎて怖い」

 世の登下校一緒にしてるカップルさんたちを全員敵に回すようなことを言う村瀬くん。

「そ、そ、そういえば、サユキは渡さないのっ?」

 話題転換したそうな雰囲気ばりばりでアスカがわたしに聞いてくる。

 首をかしげるわたし。

「どゆこと?」

「チョコレート! ピアノのひとに!」

 そう言われても何か違和感を感じてしまって。

「だって今日は月曜日じゃないから会わないし。第一、わたし好きなのかわかんないし、あのかたが甘いもの大丈夫なのかそもそも知らないし」

 それを聞いてアスカはこれだからーなんて溜息をつく。

「好きかとかは分かんなくてもさ、この日はほんとは、お世話になってる人とか家族とかになにかをあげる日なんだよ。チョコに限らず」

「そーなんだ」

 だとしても渡すようなものが思い浮かばないのでなおさらわたしは首をかしげる。

「と・に・か・く! あんたが生き生きしてるのがその人のおかげなら、私の方がなにかお礼をしたいくらいなのに」

 本当にやりかねない。

 そういう性格なのを村瀬くんも知っているからか、彼はちょっと複雑そうな顔をした。

 だって付き合うことになった相手が別の人に、バレンタインという理由で何かあげそうな様子だったらそうなろうものだし。

「っていうかさ、どこの誰だかは村瀬くんに聞いたら分かるかもしれないじゃん」

 同じ男子なんだから、とアスカは言う。

「ん?」

 村瀬くんは首をかしげている。

「この子、月曜日にここで一緒に演奏してる人の学年も名前も知らないの。名札付けてないらしくて」

 アスカにそれを聞いて村瀬くんはますます首を傾げた。

「名札なしで生活してけるようなヤワな先生がたじゃない気がするけど」

 名札の有無とか、スカートとか髪とか靴下とかの長さとか、そういったことは親の仇みたいに厳しく指導する先生がたなのですよ。

「じゃあ名札付けてないってだけで目立たない?」

「そういう目立ち方してる奴は知らないな……他になんかないの?」

「そういえば容姿とかについては聞いたことがなかったね……サユキなんかないの? 眼鏡かけてるとか髪型とか、名札つけてないくらいなら髪染めてたりしないのかな」

 そういうのが生きてける学校じゃない気しかしないけど、とアスカはぼそっと言う。

「うーん……眼鏡かけてないし黒髪だし普通のショートヘアだし、なんか言ってることが……尊大? ぽい? のに、目つき悪いわけじゃないし、とくに外見的特徴はないと思う」

 実は彼の容姿をじっと見つめたことはないから、特徴に気づいてないだけな可能性もあるけど。

「身長とか体形とかはー?」

「それはちょっとわかんない……すぐピアノの椅子に座っちゃうし、別にじーっと見つめたことも近づいたこともないし……」

 言いながらあの時の十五センチを思い出して、あんなこともあったなあ……近づいてないは嘘になってしまうんだな。

 ぽやっとしてしまいそうになるのを押しとどめながら、あやふやな記憶を伝える。

「多分でいいなら、身長は村瀬くんより……低い、と思う。体系は太ってもガリガリでもないと思うよ、ふつーな感じ」

 ……と言っても村瀬君は結構高い方なきがするから、つまり彼は普通なんだよね。

「んで、ピアノめっちゃ弾けるんだよね?」

 アスカの問いかけに頷く。そして、そういうふうに持ち上げると不機嫌になったことを思い出した。

「ピアノじゃなくてブラス系が本業って言ってたよ。吹奏楽部なのかなあ?」

 それを聞いて村瀬くんは考え込んだ。

「吹奏楽部の男子って少ないんだけど、あいつら皆なんでか背ぇたけーんだよな……」

「えっと、まあ、私はとくに特定したいわけじゃないから、二人ともそんなに深く考えないで」

 わたしは困ったような顔をしていたのかもしれない。

 二人は少し申し訳なさそうな雰囲気になった。

「うん、でも、弾く姿勢とか、弦の鳴らし方のコツとか教えてもらったし、月曜日に何かあげてみようと思う。物は浮かばないから、チョコにしよう、うん」

 それから音楽室を閉めて、鍵を返して、校門のところで村瀬くんと別れて、帰り道のあいだ中、アスカはあのお店のチョコどうかなーとか、いろいろ教えてくれたのだった。

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