6.フズイイの身体

 第三音楽室の隣にはよくわからない部屋があって、先生たちが入ったり出たりしているのをたまに見かける。

 教室移動の時に目に入ったり、放課後弾いてるときにドアの開閉音が聞こえたり。

 どんな部屋なのかは知らないし、知る必要もなさそうな気がしていたので詮索する気も起きなかった。



 とある金曜日の放課後。

 いつものように気の赴くまま弾いていたのだけれど。

 なんだか急に手足の先の感覚があやふやになった。

 ……くらくらする。

 ヴァイオリンを取り落したくなくて、一番近くにあった机にそっと置いた後、いっそうひどい眩暈に襲われて座り込む。

 苦しい。

 バラバラに点在している、ヴァイオリンを置いた隣くらいの机の脚を必死につかんで、このままこの状態が改善してくれるのを祈った。

 倒れたくない。

 倒れたくない。

 倒れたくない。

 だって、唯一ヴァイオリンだけが、『わたしにもできること』、なのに。

 いやだよ、なくしたくないよ、手放したくないよ……。

 その心の叫びもむなしく、わたしは暗闇に沈んでいった。

 つかんでいた机が引きずられて何かに当たったのか、ガシャーンなんて派手な音がした気がした。


「……サユキ……?」

 ぼやーっとただ目を開けてる気はしていた。

 でも何かを見ているわけではなくて、ただ、開いてるだけ。

 名前を呼ばれたことが切っ掛けで、それがわたしの名前だな、なんて思考が働き始める。

「おかー……さん……」

 名前を呼んでくれた人の存在を、確かめるように呼ぶ。

 ぼーっとしているせいか、わたしの声は間延びしていた。

 おかーさんは私の左手を握っていた。

 そして、私の右手を誰かが握った。

「アスカ……」

 心配そうな顔をしていた。そしてその向こうに同じく心配そうな顔をしたおとーさんがいる。

「……わたしまた……倒れたんだね……」

 ちょっとの間三人とも沈黙してなにも言わなかった。

「……音楽室で心配げな音がしたから、隣のワークスペースに居た先生がかけつけてくれたみたいよ」

 母が心配そうな顔のままそう教えてくれた。

 ワークスペース……?

 あぁ、先生たちが出入りしてたのはそういう部屋だったからなんだ。

 音楽の先生があっさり鍵を貸してくれるのも、すぐに誰かしらかけつけられる場所だったからなのかもしれない。

「……わたし……どれくらい、寝てたのかなあ……」

 やはりちょっとだけの間、皆何も言ってくれない。

「……四日くらい、だよ」

 アスカがぼそっと言った。

「……」

 わたしは絶句した。

 そんなに長く寝てたのはいつ以来だろうか?

 それよりなにより、月曜日がすでに終わっていると知って、わたしは目を見開いた。ぼーっとしていた頭が急に鮮明にはたらきはじめる。

「……きっと、ここ数か月倒れてなかった分おやすみしただけよ。起きれたなら、あと少し落ち着けたら学校には行けるから、心配しないで?」

 わたしは余程悲壮な顔をしていたのかもしれない。母が気遣うようにそう言った。

「先生方が誰かしら、いつもワークスペースにいらっしゃるそうだから、今まで通りヴァイオリンを弾いててもいいから」

 おとーさんが優しい目をしてそう言う。

 両親も、アスカも、わたしが、唯一人並みにできるヴァイオリンにどれだけ思い入れがあるのか、知っているのかもしれなかった。

「……うん。皆、ありがとう……いつも心配かけて、ごめんなさい」

 そう言うと妙に眠くなってきた。

 おかーさんが頭をなでてくれて、ますます安心したような気分になって、わたしは寝入ったらしかった。


 わたしが病院を出れたのは、それから三日後だった。

 これなら月曜日には学校に行ける。

 そう思ったら、とても温かい気持ちになった。

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