3.ゲツヨウビの安息

 質量保存の法則が、もし形無きモノにもあてはまるなら。

 幸せとか、幸運とか、そういうものも総量が決まっているのだとしたら──。



 あれ以来、たまに彼が放課後第三音楽室に来る。

 あまり気にしていなかったのだけれど、ふと、それが月曜日ばかりなことに気づいた。

 もしかしたら彼は部活動等をしていて、そちらは月曜日がお休みなのかもしれない。

 名前も学年もなにもかも分からない彼がピアノを弾いていると、わたしは静かに聞き入るのだった。

 だけど。

「春川なんでぼーっとしてんだよ。お前も弾けよ」

 何週間かそういう時が続いて、彼はぼそっとそう言った。

 今までも彼がピアノとヴァイオリンのためのソナタ等を弾いていたこともあって、それにのってみたくはあったのだけれど、最初に『ヘタクソ』と言われているのもあって、なんだか彼の演奏に雑音をいれたくなかった。

「いやぁ……わたし下手だし」

 苦笑いして正直に言うと彼は鼻で笑った。

「だからこそだろ、たくさんたくさん弾かなきゃぁ、上達なんてするわけがない」

 そんなこと言われても、なんだかやっぱり……雑音を合わせたくない。

 うつむいていると、気づいたときには彼がわたしの近くまで来ていた。

 筆箱に入れている十五センチものさしくらいしか、間が空いていない。

 急な出来事にひたすら慌ててうつむいたまま顔を上げることができない。

「まず姿勢をなんとかする。猫背気味過ぎる」

 彼はべしっと私の肩甲骨と肩甲骨の間くらいをはたいた。

 そんなことされたら背筋は伸びるけど、えっとえっと、あのあの。

「で、腕には力が入りすぎ。脇締めとけ」

 彼は私の右側にいるわけだけど、背中の方からわたしの左のひじをぽんと叩いた。

「その辺意識してヴァイオリン持ってみろ。あと、周りが何だろうと退くんじゃねえよ。お前ヴァイオリン好きでやってるわけじゃないのか?」

 最後に彼はぺしっとわたしの頭頂部をはたいて、ピアノの方に戻っていった。

 そしてまた、ピアノとヴァイオリンのための曲を弾き始める。

 あたまは真っ白だけれど、ここまでしてもらって弾かなかったらそれこそ彼に失望されるだろうから、わたしはヴァイオリンを構えて、彼の演奏に旋律を乗せていく。

(……!? なんだか、今までより弾いていて清々しい……)

 それはきっと姿勢を改善したからだけではなくて、ピアノが彼だから、な気がした。



 そうして、この月曜日のために頑張ろうって、わたしは毎日が楽しくなってきた。

 今まではどこかで、どうせ長くは生きられないんだろうな、今何か頑張っても無意味だな、なんて、思っていたのかもしれない。

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