救い

 白い天井が視界を覆う。

「蓮、おはよう」僕の隣には白衣を着た数名の医師と、駿さんが立っていた。

 頭が回らない。どうして僕は寝てるんだ。

 ズキッと腹部が疼き、意識が覚醒する。

「里奈は……」どうなった。

 縋るように、駿さんに尋ねる。

「先程、息を引き取られました」

 重苦しい空気の中、そう答えたのは険しい表情の医師だった。


 それ以上、僕は何かについて聞くことをやめた。

 里奈より大事なものなんて、この世に存在しないのだから。



* * *



 僕の母は親権剥奪後、父から暴力を受け、近隣住民からは非難され、精神的に病んだ。

 あの子さえ生まれてこなければ、こんなことにはならなかった。自分をこんな目に遭わせたあの子が、人生を謳歌するなんて許せなかった。だから興信所を使って居場所を突き止め、自宅に盗聴器を仕掛けて殺す計画を立てた。

 二ヵ月後、退院した僕を迎えに来た駿さんから車の中で聞いた話だ。

「死刑は免れないそうだ」冷静を装っていたが、怒りは隠しきれていない。

「アイツが死んでも、里奈は戻らない」

 そっけなく返した僕に、駿さんがそれ以上何かを言うことはなかった。

 沈黙の中、上機嫌なパーソナリィだけが空気も読まずにべらべらと喋っている。

 僕は静寂を求め、音量のつまみを限界まで左に回した。


 翌日、僕が刺された現場を横目に、里奈と僕のお気に入りだった喫茶店に入る。

「いらっしゃいませ」

 白い髭を蓄えたマスターが、カップを拭きながらいつもと変わらない接客をする。

 里奈が一番最初に連れてきてくれた時と同じ席で「いつもの」を注文した。

 この世界に救いなど、もうどこを探してもない。あるとすれば、それは里奈との思い出だけだ。


―私に未来が無いのなら、あなたに抱かれている今逝きたい―


 昔読んだ小説の一文が頭をよぎる。

 里奈は、あの瞬間満たされていたのだろうか。

 考えても埒のあかないことを、いつまでも考えた。

 僕は渇ききっているよ、里奈。

 数分後、出てきたのはメロンクリームソーダだった。男女が寄り添うように、バニラアイスとさくらんぼがくっついている。

「勝手なことをして申し訳ありません。ホットコーヒーは、あとでお持ち致します」

 マスターがそれだけ言って、またカウンターに戻って行った。


 この世で一番美味しいの、知らないの?


 里奈の声が、聞こえた気がした。

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泥中の蓮 @hiiragi_kazuya

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