第3話 ヒーロー生活
瞼越しに光が収まって行くのを感じた。そっと目を開けてみると、俺はクラスメートに拘束されていて、友介は女生徒に踏みつけられそうになっていた。
やっぱりさっきの出来事は夢だったのだろう。こんな現実から逃げたくて見た夢。なんて弱いヒーローなんだろうか。何も出来ない人間が悪を倒すなんて妄想をして現実逃避をしていただけ。そんなことをしている間にも友介は酷い目に遭っていたはずなのだ。
現実から逃げるな、戦え!
心がそう言っているのを感じ、どうにか現状を打破出来る術を考えないと。
そう思った時、異変は起きた。
今にも踏みつけようとしていた女生徒は自分が今からやろうとしていることを理解したのか、驚いて腰を抜かしてしまった。
地面に座り込み両手を口に当て、友介の姿を確認する。
土や足跡で汚れた制服に顔や手に出来た擦り傷。
目を見開き、そしてゆっくりと辺りを見渡した。俺の姿も確認して大きく喉を鳴らしていた。
さっきまでの態度が嘘のように感じる程、この状況に驚き、そして自分のした事に恐怖しているようだった。
口元を押さえる手が微かに震えていた。そして目の前の現実を受け入れられなくなったのか、
「ごめんなさい!」
と一言口にして駆け足でこの場から逃げ出した。
女生徒の命令で俺を拘束していたクラスメート達も戸惑っていたようだったが、逃げるようにこの場を後にした。
俺も戸惑いはあったが、それよりも友介が心配だった。
「おい! 大丈夫か!」
「へへ、まあな。あの子軽いから、あんまり痛くなかったわ」
そう言って友介は苦笑いを浮かべた。
「すまん、何も出来なかった」
自分の無力さを友介に詫びる。
「何を言ってるんだよ。お前は俺にとってヒーローだったぜ」
今度は本当に笑みを浮かべ、俺の肩を軽く叩き一人この場を後にした。
追いかけようとしたが、イジメられた相手になんて声を掛けていいのか分からず、ゆっくりと歩く友介の背中を黙って見守る事しか出来なかった。
登校途中に昨日のことを思い返す。
不思議な体験をしたが、あれは本当に夢だったのだろうか。光に包まれて、ヒーローに変身し、また光に包まれて現実に戻って来た。そんな体験を現実だと思う方が難しい。だけど、実際にFクラスの生徒は改心というよりは正気に戻っていた。それは夢のような出来事内で起きた悪魔との闘いが原因だとしか思えない。それについて詳しく聞きたいのだが、天使は悪魔によってやられてしまった。変質者上等でクラス章に声を掛けてみたが、当然のように反応は無かった。
夢のような出来事が本当にあったと証明出来るのは俺の記憶だけになってしまった。本人が現実だか夢だか分かっていないのに、そんな記憶は当てにならない。
でも、それが現実であれ夢であれ、友介が救われた事に変わり無い。
自分の正義が示せたかどうかより、その方が重要だ。これでもFクラスの女生徒によるイジメが無くなればいいのだが……。
そんな事を考えていると教室の扉を開ける手に力が入る。イジメが続いているなら、友介がこの時間に登校来ない可能性が高い。逆を言えば、教室に友介がいれば、今日のイジメは無いと言えるだろう。昨日より早い時間からイジメが起きて、もう戻っている可能性も捨てきれないが、経験上それは無い。イジメの加害者はいつだって自分勝手で、イジメの為に朝早く来るのなら、ギリギリまでイジメを楽しむ筈だからだ。
大きく息を吐いて、ゆっくり扉を開ける。
視線を自分の席の隣へと向ける。そこには友介が既に登校して来ていて、勉強しているようだった。
再び大きな溜め息を吐く。今度は安堵からの溜め息だった。
自席に向かう途中の生徒全員と挨拶を交わしていると、昨日の俺を拘束していたクラスメート達が目に付いた。
だが、昨日のクラスメート達は悪びれる事もなく、友好的な挨拶をして来た。それには少し面を食らったが、一応挨拶をして自席へと向かった。
俺が席に着いたのに気付いて友介もクラスメート達と同じように「おはよう」と言って来た。
それに答えると友介は勉強を中断し、俺に話しかけて来た。
「正義、昇格試験は大丈夫なのか?」
友介から昨日の事に触れて来ないのなら俺からも触れるのは止めておこう。
ええと昇格試験というのは期末試験の事だったな。
「まあまあって感じだな。授業も真面目に受けているし、帰ってから復習を三十分程度やっている。これなら昇級するかもしれないな」
「……正義は上位のクラスに行きたいのか?」
そう口にする友介の顔に影がさした気がした。上位クラスの生徒からイジメを受けていたのだから、上位クラスに昇級したいという気持ちは下位クラスに対して好き勝手したいのか? と聞かれているように友介の表情から感じた。
「いや、特に上位クラスに上がりたいとかって願望は無いな。ただヒーローが上を目指さないってもの変だろう?」
いつものようにヒーローならという考えを口にしたが、昨日の事が頭過って少し後ろめたい気持ちになった。例え夢のような出来事が本当にあった事でも、現実世界の俺は無力で友介を救えなかったのだから。
だが、友介は俺の答えを聞いて表情を和らげて笑っていた。
「そうかそうか。確かに最底辺のヒーローなんて格好がつかないからな」
軽く笑い、そして指を俺に向けてさして言葉を続けた。
「だけど甘い。昇格試験の内容を知らないから当たり前かもしれないが、授業の内容を理解しているだけではGからは絶対に上がれないぜ?」
「教科書の復習程度じゃ足りないって事か。なら問題集とかを」
「いや、それでも上がれてFクラスが限界だろうな。いいか? クラス分けは貢献度制って言ったよな。授業に付いていけているだけで小学校に貢献出来ていると思うか? 学力による貢献度の査定は模試によって行われる。つまり、大学受験を視野に入れないと上位クラスには上がれない。Sクラスなんて一年なのに三年の内容を理解していないと上がれないようなクラスだぞ?」
「は? 一年なのに三年の内容を理解するって時間的に無理じゃないか?」
「無理じゃないからSクラスに生徒が居るんだろ? 大まかに分けてSからBクラスまでが三年の内容を理解しているクラス。CからEクラスまでが二年。そしてFとGが一年の内容って感じだな。もちろん理解しているだけじゃダメで、点数を取らないといけない訳だ」
「それを期末までの一週間で網羅するっていうのか? それは無理だろ」
「だからこうして朝から勉強してたって訳だ。俺は一応一年の内容ではあれば理解しているって感じだな。後は二年の内容をどこまで解けるかって感じだな」
「うわ、本当だ。気付かなかったけど、今勉強してたの数学二か」
「そういうことだ。まあ俺も上位クラスへの昇格狙いって事だ」
「なるほどな。確かに今のままじゃGクラスから上がれないな」
「まあ、Fクラスならまだ上がれる可能性はあるかもしれないな」
一年から三年までの範囲の問題が出題されるというのは進学校ならあり得るのかもしれないが、一学期の期末試験とは思えない。
それなら授業は何の為に行われているんだ、という疑問にぶち当たる。
授業が始まって、友介を横目で見ると、やはり授業を真面目に聞いていた。
その様子から答えは導かされた。
授業自体が復習に使われているのだ。自分達で勉強して、その復習を授業で行う。
確かに合理的といえば合理的なのかもしれないが、それは歪んでいると思う。ただ、勉強が進んでいる生徒が授業を聞かないで一人勉強するというのは良くあることなので、そうなることを予め見越しているというのは、やはり合理的だと感心するべきなのだろうか。
内申点の制度が無く、上位クラスを優遇し学校の学力を高める。全ての制度が学校の評判を上げ、生徒はその為にも努力し、良い大学へ行ける。全てが無駄の無い合理的な制度。そこに人情は無く、ただ機械的な制度に寂しさを感じる。
内申点という教師の主観による判定を学校自体が否定している。
完全なる実力社会。生徒達もそれを求めてこの高校に集まったのだろうか。
俺を拘束したクラスメート達が昨日の事を気にも留めていないのは、この機械的な学校が原因なのだろうか。
やはり転入初日に感じた無関心さは間違いでは無かった。間違いといえば俺だけに無関心だと思った点だろうか。
この学校の生徒達の人間関係はクラスメートという関係から進まない。
俺が前の学校で築いてしまった関係をこの学校の生徒達は自分の意志で進んで築いている。
やはり、上位と下位のクラスに別れた時、酷い目に遭わないようにと、生徒達が生み出した防衛手段なのかもしれない。
次の期末でクラスメートが上位に上がったら、同じような事を元クラスメートに行うのだろうか。
いや、やはり下位クラスに対する身勝手は起きにくいはず。何故なら自分が上位の時に働いた理不尽は下位の生徒が自分より上位のクラスに上がった時に返って来るからだ。
クラスメート達が異常に感じる程友好的なのは、やはり防衛手段なのだろう。いつか下位の生徒が上位にあがるかもしれないからと、恐怖心から来る防衛。
俺はやっぱりクラスメート達とは友人にはなれなそうだな……。
昼休みになり、食堂へ向かおうと席を立った時、友介に声を掛けられた。
「えっと、正義は食堂か?」
転入してから昼休みにクラスメートから声を掛けられたのは初めてのことだった。
「ああ、そうだけど?」
「俺も今日は食堂なんだ。一緒に食わないか?」
友介の言っている言葉の意味は分かったが、何を言っているのか一瞬頭が理解出来ていなかった。
「え、一緒に食べるのか?」
経験の無いことなので思わず聞き返してしまった。
「ああ、いや。一人で食べたいならいいんだ」
言い方が悪かったのか、俺が一人で昼を取るのが好きな人間のように思わせてしまった。違うんだ、人見知りなだけなんだ。
両手を広げて見せ、ちょっと待てと友介に伝える。誤解だと。
「そういう訳じゃない。転入してから初めてのことだったから、ビックリしただけだ」
「そうか。皆は弁当だもんな。食堂は上位クラスが多いから気を使うんだろうな」
なるほど、と友介は一人納得していた。
「別に嫌じゃないなら一緒に行こうぜ」
「あ、ああ。もちろん構わない」
改めて真っ直ぐに誘われたので戸惑いながらも、今度はちゃんと答えられた。
二人で教室から出ようとした時だった。
『悪魔が近くにいます!』
何処からか聞き覚えのある声が聞こえて来た。ビックリして立ち止まり、辺りを見渡す。
「うん? どうかしたか?」
不思議そうに友介が俺を見ていた。やっぱり、この声は俺にしか聞こえていないようだ。
それより天使の声がするということは、昨日出来事は夢ではなくて現実だったのだ。
悪魔にやられて死んでしまったと思っていたが、無事だったのだろうか。
天使には色々と聞きたいことがあった。ここでは天使と会話は出来ない。友介の目だけでなく、クラスメート達も近くに居るのだ。天使の声は周りには聞こえないから、傍から見ると俺は独り言を喋っていることになってしまう。
既に浮いてしまっている気もするが、自分から進んで変人になろうとは思えない。
「ちょっと、腹が痛くなって来た。すまんが、トイレに行かせてくれ」
「なんだ、大丈夫か? 待ってるから行って来いよ」
「ああ、悪いな」
手刀を切り、急いでトイレへ向かう。
個室に入ってクラス章に向かって小声で話し掛けてみた。
「おい、天使。そこにいるのか?」
『はい! 私はここにいますよ』
クラス章から声が出ている感じはしないが、確かに声は聞こえる。
そうか天使は無事だったか。
「昨日、悪魔にやられたように見えたから心配してたんだが、大丈夫か?」
『大丈夫じゃないですよ! 正義さんが悪魔に対して情けを掛けるから今まで眠ってしまっていたんですからね!』
天使は昨日の行動に対して怒っているようだった。俺の所為で怪我を負ったのだから怒っていて当然だ。
「悪かった。俺は謝って来る人間は許すと決めているんだ。だから悪魔もと思って――」
『悪魔は人間じゃないです! 悪魔が素直に謝るなんて有り得ません。私の言葉よりも悪魔の言葉を信じるなんて酷いです!』
どうやら天使は怪我した事よりも、悪魔の言葉を聞いた事に対して怒っているようだ。
「いや、天使がちゃんと説明しないで悪魔は滅ぼせ、この世に存在してはいけない、なんて言うからだろう? それよりは悪魔の方がちゃんと会話してくれていたからさ」
『むう。それは私が悪いかもしれないですが、悪魔が目の前に居たんですから説明している余裕が無かったんですよ。まさか正義さんが理屈屋だとは思わなくて。悪は全て倒す! みたいな考えの持ち主だと思っていました』
「いやいや、そんな独裁的な正義は持ってない。何が悪で正義を振りかざす必要があるかどうかは慎重に判断したいんだ」
『悪魔なんて見た目から悪なんですから、見た瞬間から滅ぼして良いんですよ!』
「そんな横暴な……」
『それより正義さん! 悪魔が近くにいます! 早く変身して下さい』
そういえば最初に声が聞こえたと時も天使は悪魔が近くにいると言っていたな。
「悪魔は昨日倒したんじゃなかったのか? え、もしかして悪魔は無数に存在しているとか?」
『その通りです。昨日の悪魔はこの学校に巣くう悪魔の一匹にすぎません』
……悪魔の数え方は「匹」なんだな。そんなどうでもいい知識を得た。
「悪魔が複数いて他の悪魔が近くにいることは分かった。だけど変身ってなんだ。あのヒーローの姿に変身しろって言っているなら、俺には無理だ。昨日はいつの間にか変身していただけだし。というかあれは天使がやったことじゃないのか?」
『いいえ、私ではありません。私はヒーローにとってのベルトやウォッチのような存在です。あくまで変身するのは正義さんの意志によって行われます』
天使が意外と一般的なヒーローについて知っていることには驚いたが、言いたいことは伝わった。悪魔を見付けたからと言って天使が俺を変身させることは出来ない。俺が進んで変身しなければヒーローにはなれないようだ。
天使の話しを聞いて、一つ気になることがあった。
「だけど昨日は勝手に変身したぞ? 俺はヒーローになったのだって昨日が初めてだったし、そもそも俺がヒーローになれることだっていまだに信じられないんだ」
『変身にポーズや合言葉は必要ありません。悪を倒したいという意志や、ヒーローをイメージさえすれば変身は可能です』
「じゃあ昨日変身したのはクラスメートが酷い目に遭わされ、許せないと思ったから変身したってことか」
『そういうことです。では変身を! 早くしなければ誰かがまた被害に遭ってしまいます』
やたらと急かして来る天使だったが、悪魔がいるということは宿主の悪意を増加させ、昨日のような出来事が起きる可能性があるということだ。クラスメートじゃなくともそんな目には誰にも遭わせたくない。
ポーズや合言葉はいらないと天使は言っていたが、それはヒーローのお約束だ。
「正義の時間だ。変身!」
右手で拳を作り、それを左肩へと当ててヒーローのお約束を口にする。
――その瞬間、視界が光に包まれて行った。
光が収まり、視界が開けてくるとそこには天使がいた。
自分の姿を鏡で確認するとフルフェイスのヘルメットにライダースーツ。昨日見たヒーローの姿同じだった。
「さあ、悪魔はこちらです! 急いで下さい!」
天使は無事に変身出来たことを見届けると、トイレから慌てて飛び出して行った。
ここは男子トイレなのだが、天使は女の子じゃないのか? と思いつつも飛び出して行った天使を追いかけることにした。
廊下を進み、昇降口を出て行く天使。天使は翼を使って飛んでいるからいいが、俺は地に足を付けているのだ。下駄箱から土足を取り出し履き替えようとしたが、既にブーツを履いていた。
「しまった! 土足で校舎内を走り回ってしまった!」
上履きで外に出たことは避難訓練等であったが、逆はなかった。
「何をしているんですか! 早くしないと悪魔を見失ってしまいますよ!」
土足を持って固まっている俺を天使は見付けて声を掛けて来た。
「いや、校舎内で変身してしまったから土足のまま」
「大丈夫ですから! 正義さんはヒーローの姿をされていますが、今は精神体です。校舎を汚したりすることはありません!」
だから早く来いと天使は両手を振って呼んでいた。
言われてみれば昨日も俺自身が二人になって慌てていたが、今の姿は俺の心の具現化だったか。
それならこのまま外に出ても問題ない。
一つ頷きを天使にしてから、俺も急いで昇降口から飛び出した。
天使はそのまま校舎裏へと一直線へと向かっていた。校舎裏という人気の無い場所。既に嫌な予感がしていた。
いや、そもそも悪魔がいるということは悪事は既に起こっているのだろうか。
被害に遭っているであろう生徒の無事を祈りつつ、止まっている時の中を走って進んだ。
天使に導かれるまま校舎裏へと辿り着くと両手を大きく広げ、男子生徒を踏みつけたまま高笑いしている生徒が目に映った。もちろん、その状態のまま二人の生徒は静止していた。
やはりヒーローとしての存在になっている時、現実世界の時間は止まっているようだった。
目の前の光景から既に悪魔は生徒に宿っていることが推測出来る。いくら人気の無い校舎裏だからといって、昼休みに生徒を踏みつけて高笑い出来るというのは人間味が無い。
俺達の存在に気付いたのか、昨日と同様に踏みつけている生徒の影に変化が現れた。影は一点に集まり出し、そして何かの形を作り出そうとしていた。
固唾を飲んで見守っている中、ある考えが浮かんだ。
「なあ、この状態で悪魔を倒したらどうなるんだ?」
「……なかなか酷いことを考えますね」
あんなに悪魔を毛嫌いしている天使にすら引かれてしまう発想だったらしい。いや、確かにヒーローが変身している間、怪人は攻撃してこないというお約束はある。でもそれは演出だったり、フィクションだからだ。こんな無防備な状態なら、安全に確実に倒せるのではないか、と思っただけである。
「もちろんですお約束で攻撃しないということではありません。影になっている間、悪魔は悪魔として存在しているのではなく、宿主の悪意と一体になっています。悪魔の姿になってから、初めて悪意はこの精神世界に具現化します。つまり悪魔が宿主から独立した存在として姿を現すのです」
「じゃあこの影の状態の悪魔を攻撃しても、宿主の悪意が減るだけで、完全には消滅させられないのか」
「そういうことになります。そして悪意の一部になっている悪魔もまた消滅させることは出来ません」
宿主の悪意の具現化が悪魔ということか。それなら俺の正義感の具現化がこのヒーローとしての姿ということになる。それなら一つの疑問が浮かんで来る。
――俺の正義感の強さは天使が宿ったことで強くさせられたのではないか?
悪魔が宿った人間の悪意が増加させられるのであれば、天使が宿った俺も正義感が増加させられていても不思議ではない。
幼い頃から正義感が強かったのは俺から生まれたものではなく、天使の力によるものなのか。
そんな疑問や不信感が心の中で生まれていた頃、目の前の影は悪魔へと姿を変えていた。
目の前の影はタキシードのような服を着た猿へと変化した。
「お前が悪魔か?」
「悪魔だあ? 見ての通りの悪魔様ヨ」
語尾のイントネーションが変なのが少し気になったが、猿の姿をした悪魔らしい。
言葉を話して服を着る猿なんて悪魔しかないか。
「お前がその生徒に取り憑いて、そんな酷いことをさせていたのか?」
踏みつけて高笑いをしている生徒を指さして悪魔に問う。そんな俺の言葉を理解しているのかいないのか、悪魔は顎を擦りながら黙っている。そして俺ではなく隣にいる天使を見て、ようやく口を開いた。
「お前達、何様ダ? 俺が何をしていようがお前達にとやかく言われる筋合いじゃあねえだロ?」
「それはこちらの台詞です。そんな酷いことを誰が許してやっているのですか! 正義さん、もういいです。悪魔なんかと会話していても意味はありません。さっさと滅してしまいましょう」
悪魔の言葉を聞き、天使は一気に沸騰した水の様に怒り出していた。よほど悪魔が嫌いなのだろう。
ただ悪魔の言葉を聞く限り、生徒に酷いことをさせている口にしていたので、目の前の猿はやはり悪魔で悪なのは間違いない。
天使のように悪魔を憎んでいる訳ではないが、俺としても目の前の悪魔を許すつもりはない。
俺が構えを取ると悪魔は足を叩いて笑い出した。
「天使にヒーローって訳ネ。いきなり滅するなんて物騒なことを言い出すなア。まあ、そこの天使よりは兄ちゃんの方が話しが通じそうだな。ちょっと話をしようヤ」
「話し?」
話しをしようと言われ無視して殴り掛かるようなヒーローではない。一度握った拳を解いて腕を組む。
その様子を見た天使は慌てて怒り出した。
「何をしているのですか正義さん! 昨日もそれで悪魔に不意を突かれたのでしょう?」
天使の言うことはもっともだったが、目の前の悪魔から敵意のようなものを感じない。それでこちらだけ敵意を剥き出しにするというのもヒーローらしくない。話をしようと言われれば応えるのが俺の正義である。何も力だけで正義を示す必要なんて無いのだから。
「不意を突かれたってのカ? まあ話をしようって言われて構えを解いちゃうってのも人が好過ぎると悪魔の俺からも思うけどナ。でも俺にはそんな気はねえサ。話しというか一つ不思議に思ってナ。質問に答えて欲しいわけヨ」
「質問? いいだろう、何でも答えるぞ」
「正義さん、駄目です! 悪魔の言葉に耳を傾けてはいけません!」
俺に聞かれて困るようなことは何もない。昔に犯した小さな罪は何と問われても一切無いと答えられる。小学生の頃、万引きをしようと提案して来たクラスメートをそのまま店員に通報したり、弱い子や生き物をイジメたことも一切無い。むしろ進んで助けて来た俺に後ろ暗い過去など無い。……友達はいなかったが。
「そう構えるなヨ。さっきの会話から察するに、俺以外の悪魔を殺しているんだロ?」
「ああ。昨日一人の悪魔を滅ぼした」
「そうそう、そこなんだヨ。滅ぼすと滅するって言い方をしてるけど、結局は俺達悪魔を殺したんだロ? まあ俺達は人ではないから人殺しじゃないかもしれないが、悪魔殺しはヤったってことだよナ?」
そう言われ、俺の中に動揺が広がった。確かに昨日、悪魔を倒した。「倒した」と意図的に思っていたが、それはあの蝙蝠の悪魔を殺したことになるのではないか?
「ただ、それでも悪は許されないことだ!」
「そうかもしれないナ。でも人間達だって法を犯せば罰せられはするけど、即死刑なんてことはないだロ? 俺達悪魔を見つけ次第皆殺しってのはヒーローのすることなのかイ?」
「そんなのは悪魔の戯言です。耳を貸す必要はありません。悪を滅ぼすのがヒーローですよ!」
天使の言うことは正しい。悪は許せないし、滅ぼすべきだと心の底から思う。
――だけど、悪魔の言うことも理解出来てしまう。
正義というのは一か零じゃない。悪を正せるのなら戦う必要は無いし、説得出来るのならその方が良い。
行き過ぎた正義にならないように、正義をひけらかさないようにするには自制が大事なのだ。
感情ではなく理性で正義を行う必要があるのだ。
「正義さん! 悪魔は滅ぼさない限り宿主から消えることはありません! これは殺しではなく制裁であり正義の行いです。悪魔に掛ける情けも躊躇いも必要ありません。あの生徒達を救うには悪魔を殺すしか方法は無いのです!」
俺の戸惑いを感じたのか、天使は俺に説得するようにそう告げた。
生徒を救うには悪魔を殺すしかないと。悪魔は宿主の悪意と同化しているのだから、独立して存在している今、悪魔を殺すしか助ける術はない。
「俺達悪魔はちゃんと自分のしていることを理解してヤってんのさ。だからこうして自分がヤられる時が来るってのも覚悟してるしナ。それが兄ちゃんにはあるのかイ? 俺が質問したかったことはそういうことヨ」
正義を行う覚悟とそれを背負う覚悟。そして悪を殺す覚悟。
俺にヒーローになる覚悟があるのかと悪魔は問いているのだろう。
それは俺が向き合って来なかったヒーローとしての責任。ただ偶像としてヒーローを崇拝していた時と違い、本物のヒーローになった俺に必要な問いなのかもしれない。
悪魔の言葉に答えるように拳を握り構えを取る。
「へへ、そうかイ。覚悟は出来てるって訳カ。無粋なことを聞いちまったナ」
「いや、俺の甘さを見つめ直させてくれる良い問いだった。ヒーローが悪に感謝していいのか分からないが、正義として感謝を」
「天使の使いが悪魔に感謝ってカ? ほら、隣の天使が怒っているゼ?」
そう言って悪魔は天使を指さして笑っていた。
「好きにやるにはそれ相応の覚悟と責任をって訳ヨ。俺達悪魔は契約にはうるさいから、そういうことには大事にしてんのヨ。じゃあ、さっさと俺を殺しナ」
「抵抗はしないのか?」
「まあ俺くらいになると実力ってのが分かるのヨ。どんなに抵抗したって兄ちゃんの輝きには敵わねえヨ。というかそんなに長い間輝き続けられるのかイ? その正義ってのは」
「もちろん、正義が輝きを失うことはないからな」
「そういうことじゃなくて、兄ちゃんの自身のことだったんだがナ。まあいいヤ。さア、来ナ」
悪魔は俺を歓迎するように両手を広げて、その時は待っていた。
俺は悪魔に応えるように頷くと、右手が光に放ち始めた。
「気を付けて下さい! 相手は悪魔ですから油断させて、ということも考えられます!」
そう天使は忠告するが、きっと目の前の悪魔は大丈夫だろうと思えた。
会話が出来るのなら話は通じる。それが悪魔だろうと。
光輝く拳をそのまま悪魔へと解き放つ。それを悪魔は避けることなく受け止め、そして光包まれ消えて行った。
光の強さに一瞬目を閉じ再び目を開くと、そこはトイレの個室の中だった。
正義の時間は終わり、現実世界へと戻って来たようだった。
先程の悪魔の言葉が頭から離れなかったが、宿主となった生徒達のことが心配だった。
慌ててトイレから飛び出し、校舎裏の様子を陰から覗うと、宿主となった生徒がイジメていた生徒に頭を下げ謝罪していた。
どうやら無事にあの生徒の心を浄化することに成功したようだった。
「よかった……」
二人の様子を確認して安堵の溜め息が漏れた。
『正義さんは人が好過ぎます。悪魔と会話しても良いことなんて一つもありません。しかもその悪魔に感謝なんて!』
クラス章に戻った天使から非難の言葉を浴びせられる。
「俺は間違ったことはしていない。天使も悪魔だからといって決めつけるのは良くないぞ」
『なっ! もう正義さんなんて知りませんからね。お腹弱い男の子って思われれば良いんです』
お腹? 天使が何を言っているのか一瞬分からなかったが、トイレに向かう前のことを思い出した。
「そういえば友介にはトイレに行くって言ってたな」
今頃友介は俺がトイレに籠り続けていると思っているのだろう。
嘘を吐いた報いなのかもしれない、と反省しながら教室へと戻った。
――案の定、友介には腹の心配をされたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます