第2話 ヒーローの誕生

『――そんなことはありません!』

 何処からか聞いた事の無い声が響いた。だが、その声に反応しているのは俺だけのようだった。女生徒は変わらず暴力を続けているし、クラスメート達は俺を離さないように抑えている。

 呆気に取られる俺の視界は光に包まれ真っ白になっていた。

 真っ白な視界が回復し、目に映ったのは目の前で起きている理不尽だった。突然の光に思考が停止していたが、俺がすべきことはこの悪を止めること。だから俺はとっとと拘束を解いて友介を助けなくては、ならな、い?

 ――拘束されていない?

 身体を揺さぶった時、五体が自由なことに気付く。拘束していたクラスメート達はいつの間にか消えていて、ここにいるのは女生徒と友介、そして俺自身の三人だけだった。

 身体が自由になったのだから急いで女生徒の悪行を止めようとしたが、既に女生徒は止まっていた。いや、正確には物理的に停止している。

 「お、おい、あんた」

 悪は許せないが、この状況は尋常ではない。女生徒の肩に軽く触れてみるが、まるで石になってしまったようにビクともしない。女生徒は今まさに友介を踏みつけようと足を上げたまま停止してしまっていた。

 理由は分からないが、ここから離脱する好機である。状況の理解より、この異常な現場から友介を連れて離れるべきだ。

 「おい、友介。ここから逃げるぞ!」

 友介の両肩に手を掛けて揺すってみるが、女生徒と同じく石のように微動だにしなかった。

 「時間が止まってる訳じゃねえよなあ……」

 二人から視線を外し、辺りを見渡すことにした。二人だけが異常な事態に巻き込まれたのか、それとも世界自体に異変が起きたのか。

 こんな異常事態に冷静でいられるのはヒーローであろうと意識し続けた恩恵だろうか。冷静に状況を確認しようとしている自分を客観的に見てそう分析する。

 だが、後方を確認した時、俺の思考は停止した。

 ――俺がいる?

 後方には、今もなおクラスメートに拘束され怒りを叫ぶ自分自身の姿があった。

 恐る恐る自分自身に触れてみる。やはり友介や女生徒と同じようにビクともしなかった。

 「意味も訳も分からん。俺はどうなっているんだ?」

 あまりにも意味不明な状況に脳がギブアップ寸前だった。

 ――俺自身に手が負えない状況ならヒーロー的思考で考えてみるか……。

 思考を切り替えて、この状況をもう一度確認してみる。

 まず、俺の周りにいる人間が全て石のように固まってしまって動かない。この状況から俺が推測出来るのは二種類。本当に石化してしまったか、時間が停止しているか。時間が停止する理由や方法は思いつかないが……。

 そしてどちらかというと、こちらの方が問題であり理解出来ない状況である。俺が二人存在していること。こちらに関しても俺が導き出せるのは二種類の推測である。俺が幽体離脱しているか、今認識している自分が一心正義ではない。

 石化していることと俺が二人存在していることを関連付けて考えるとしたら、何も浮かんで来ない。原因も理屈にも心当たりが無い。

 ――いや、待て。本当に心当たりは無いのか?

 俺がこの異常な現象に見舞われる前兆があった。視界が無くなる程の眩い光に襲われた。この異常事態に忘れ掛けていたが、あの光だって尋常では無い。というか十中八九あの光が原因だ。

 この俺自身に問題が無いか身体を確認することにした。そして視線を手に向けた瞬間異常に気が付いた。

 真っ白の皮手袋を着け、全身はライダースーツに覆われていた。

 「は? なんだこれ?」

 そうなると気になるのは顔だ。鏡が無いから確認するには触れるしかない。そう思い顔に触れようとしたが、何かによって阻まれた。顔を球体のような物で覆われている。だが、呼吸は全く苦しくないし、視界も悪くない。

 ポンポンと顔を覆う球体に触れて正体を確認する。

 「フルフェイスのヘルメットか?」

 皮手袋にライダースーツ、そして顔を隠す為のフルフェイスのヘルメット。これはまるで……。

 「ヒーロー?」

 「その通りです!」

 何処からか聞き覚えのない声が響く。いや、光に包まれる寸前に俺は一度この声を聞いたか?

 声の主を探して辺りに視線をやるが、姿形は確認出来ない。

 「誰だ?」

 この異常な状況で普通に声を発せる存在が普通な訳がない。まあ、俺も異常側の人間かもしれないが……。

 「ここです!」

 その声は凄く近くから発せられているように感じた。身体の周りをキョロキョロと見るが、声の主を発見出来なかった。

 身構えてこれから起きるであろう異常に備える。

 すると首元から先程と同じ光が溢れて来た。そこはクラス章が付いている箇所だった。

 その光が目の前の一点に収束し、人の形を作り始めた。そして、光が人を形成し終えると飛び散るように発光して、光は消えた。

 光の跡のように一人の少女が立っていた。

 「初めまして正義さん。私は天使です」

 急に人が現れて自己紹介をし出した。しかも自称天使。

 「あーえっと、初めまして。天使ってのは名前ってか本名? それともあの天使?」

 俺自身が読み方は違うが、正義という名前なのだから天使という名前の人間が居ても変ではない。だが、その少女の背中に生える純白の翼が本物の天使であると誇示していた。だけど念の為、天使と名乗る少女に問いかける。

 「あのというのが何をさすのか分かりませんが、名前ではなく本物の天使です」

 やはり見た目通り、目の前の少女は天使だった。


 こんな状況に陥って一番に浮かんだのは白昼夢を見ているんだろうという感想だった。周りは固まっていて、自分は二人いる。しかも俺はヒーローの格好をして目の前には天使。これを現実だと認識する方が難しい。

 目の前で起きている悪事、理不尽に俺の心が耐えられなくなり、気を失って夢を見ていたという方がまだ現実味がある。

 俺は夢でしかヒーローになれないのかと絶望しそうになっていた。

 「……正義さん聞いていますか?」

「あ、えっと?」

一人考え込んでいると天使に声を掛けられた。正確には声を掛けられ続けていたようだが、自己嫌悪に陥っていて気付かなったようだ。

 「しっかりして下さい! あなたは正義の味方、ヒーローなのですよ」

「ヒーロー? 俺が?」

「そうです。あなたの姿はまさにヒーローではありませんか!」

 天使の言う通り、俺の想像するヒーロー像と今の自分の姿は一致している。だけども俺が憧れているのはヒーローのコスプレなんかじゃなくて正しくあるという精神だ。見た目だけヒーローになっても、身近なクラスメート一人救えない俺はヒーローを名乗る資格は無い。

「俺がヒーローなんておこがましい。現実の俺はこんな状況になっても、ただ見ていることしか出来ない……!」

これを見ろと、後ろで怒り狂う俺自身を指さす。強い言葉や正しい事を主張しても、結局口先だけで何も出来ない俺を……。

「いいえ。あなたは戦えます! 間違いを間違いであると糾弾し、正しくあろうとするあなたの心はヒーロー以外の何物でもありません。だからこそあなたはヒーローに変身し、これから現れる悪と戦えるのです!」

「悪が現れる……? 悪は既にいるじゃないか! 暴力を振るう悪魔のような女が!」

「確かに彼女の心には誰かを見下す傲慢さの種が潜んでいたかもしれません。それに花が咲くように仕向けたのは他ならぬ悪の仕業です」

「さっきから何を言って……」

 説明を求めようと天使に詰め寄るつもりだったが、異変を感じて動けなくなった。

 女生徒の影が膨らみ、形を作り始めていた。それは先程見た天使が現れる瞬間に似ていた。

 影は膨らむように大きくなり、そして弾けるように影は霧散した。

 影の中心には新たな人影は色づき、そして形を成して存在していた。

 真っ黒なドレスを来た女性が真っ黒な日傘をさして、そこに佇むようにして現れた。

 最初は真っ黒なウェディングドレスかと思ったが、今の印象は喪服のようだった。そして、女性の背中には真っ黒な翼が生えていた。

「悪魔みたいだ……」

 気付けばそんな言葉をこぼしていた。

 それに反応してか、女性は口元を隠して静かに笑った。

「ふふ、悪魔のようではなく、私は悪魔ですのよ。まあ背中の翼は悪魔の翼ではなく蝙蝠の翼なんですけどね」

そう言って女性は翼を見せるように、その場で一回転してみせた。

 確かに天使の翼は羽が何枚もある翼だが、女性の翼は一枚羽と呼ぶべきなのか、傘のように骨のような筋に皮が張られているような翼だった。

「悪は現れました。さあ、正義さん! あなたの正義を示すのです!」

 目の前に現れた悪魔が悪なのか? 悪魔は天使と比べたら悪かもしれないが、この状況だけで悪と戦えと言われても俺の正義の心は震えない。悪魔だからという理由だけで正義をかざすのは行き過ぎた正義で、それはただの独善だ。

「ちょっと待ってくれ。俺はこの状況を理解出来ていない。目の前の女性は確かに悪魔かもしれないが、それだけで悪と決めつけてしまうのは横暴じゃないか?」

そんな事を言われるとは微塵も思っていなかったのだろう。天使は目を大きく開き、両手を振って抗議し出した。

「な、何を言っているのですか! 悪魔は悪です! この世に存在してはいけない存在です!」

「いくらなんでも、それは言い過ぎだ。悪魔っていうのは確かに悪い事をすると聞いているが、俺はそれを見た訳じゃない。自分で確認もしていない事で他者を責めるのは俺の正義に反する」

俺と天使の言い合いを見て悪魔は再び声を抑えて静かに笑った。

「そうですわ。ただ悪魔だってだけで私を責めるのは止して下さる? 私は何もしていないのだから」

悪魔の言葉を聞き、天使は厳しい視線を悪魔へ送る。

「何もしていないですって? あなたがその子に取り憑いたりしなければ、ここまで傲慢さにはならなかったでしょう! その子だってあなたの被害者なんですから!」

天使の言葉には悪魔に対する真っ直ぐな怒りが込められていた。

「だから私は何もしていないと言っているでしょう? この子が傲慢に暴力を振るっているのは、この子自身の意志ですのよ? ただ話をしていただけ。毎日この子の辛さを聞いて同情して、そして提案をしてあげただけですのよ? そんなに辛いのなら下の立場の人間に当たってしまえば良いのではないかしら? とね」

「それが悪魔のやり方じゃないですか! 本当であれば表に出てこないような負の感情に栄養を与えて大きくさせる。そんな悪魔の囁きから逃れられる人なんていないです!」

 二人の会話を聞いて、何故天使がここまで悪魔を毛嫌いしているのかが見えて来た。そしてそれは俺にとっても同じことだった。

「天使。少し悪魔と話をさせてくれ」

「正義さん! 駄目です! あなたの正義といえど悪魔に取り込まれる危険があります」

「大丈夫だ。話しというか問いを投げるだけだ」

真っ直ぐに天使を見据えて答える。俺の意志を視線から汲み取ったのか、天使はゆっくりと頷いた。

「何個か俺の質問に答えてくれ」

「ふふ、強引な方ね。いいわ、内容によっては答えてあげないこともないわ」

「あなたがその女生徒を唆して、俺のクラスメートをイジメるように仕向けたのか?」

「いいえ。それは勘違いよ? 先程も言いましたが、私は上からのプレッシャーが辛いなら、下に逃げたらどうかしら? と提案しただけよ」

「下に逃げるというのは具体的にどういうことだ?」

「さあ、どうだったかしらね。上のクラスの方々に怯えて頭を下げることでプライド傷つけられるなら、同じことを下のクラスの方々してみてはどう? とは言ったかしら。具体的に何をしたら良いとは言っていないわ」

「同じことってことは、その女生徒も上位の生徒からイジメを受けていたのか?」

「それもいいえと答えるわ。彼女は別にイジメに遭っていた訳ではないわ。皆と同じく上の方々に頭を下げていただけ。それに少しだけ不満を持っていたってだけよ」

「それをあなたが刺激したと?」

「それもいいえ。私はそんなことはしていないわ。ただ機会があった時に一言助言して差し上げただけですわ」

「……何を?」

「下のクラスの方々であれば何をしてもお咎めはありませんよ? と」

「……」

「こういう話を聞きませんか? 何かの選択を迫られた時、自分の中に天使と悪魔が現れると。それは悪魔である私達がその方の良心を試しているだけなのですよ? そう悪魔は私達で、天使は自身の良心なのですわ」

 今の問答から悪魔を悪と決め裁いていいのか判断が難しかった。確かに人道(悪魔なので人道と呼べるのか分からないが)に反するが、それだけでこの世に存在してはいけないという天使の主張はやはり行き過ぎた正義のような気がする。

 それだけなら自身のモラルで跳ねのける事が出来るのではないかと思ってしまう。そうなると、この状況においての悪は、やはり女生徒自身ではないか?

 腕を組み一人考えていると、天使が怒ったように声を上げた。

「そんな甘い誘惑ではないのです! この悪魔は取り憑いた相手に対して四六時中ずっと悪魔の囁きを繰り返すのです。機会があればとこの悪魔は言っていましたが、機会があればずっと悪を堕ちる提案を言い続けるのです」

「ふふ、そこのヒーローは回数や頻度は聞いていませんからね。聞かれたことにはちゃんと答えましたわ」

日傘を回し、静かに笑っていた悪魔の隠していた口元が偶然だが少しだけ見えた。

 ――口角が不気味なほど上がっていた。

 ニヤリという擬音が似合う不吉な笑い方をしていた。

 この悪魔は俺を手玉に取って楽しんでいるのだ。何もしらない正義正義と口にする愚かなヒーローを……。

「分かりましたか、正義さん! 悪魔というのはこういう存在なのです! 取り憑いた相手を堕落させ悪へと導く諸悪の根源。一度悪魔に取り憑かれたら、悪魔を倒すまで宿主である女生徒は会心出来ません! 彼女を救うためにも悪魔を倒すのです!」

 俺の心が折れそうになった時、天使の声が響いた。

 そうだ、俺は悪にだけは屈してはいけない。ヒーローを志す俺が最も負けてはいけない相手が悪なのだから!

「すまん、天使。目が覚めたわ。俺は確かにあいつを悪として認識した! 俺の心にある正義は悪魔を許そうとは思わない!」

 そう口にして決意を固めた時、右手に暖かくて力強い何かが宿るのを感じた。そして俺の右手は眩く輝き始めた。

「その輝きがあなたの正義です! その拳に宿る正義を悪魔に解き放つのです!」

天使に言われるがまま両手を握り構える。それを見た悪魔に動揺が走しったようで、日傘を放り出して両手の平をこちらに向けた。

「お、お待ちください。確かに私も悪い事をしたかもしれません。反省致します。ですので、どうかご勘弁願えないでしょうか。この子も直ぐに開放致しますので!」

高飛車のような喋りから一転して、俺に媚びを売るような口調に変わり命乞いをし始めた。その姿には傲慢さは感じられない。

「いいえ、悪を許してはいけません! 同情もしてはいけません! 一度人間に取り憑いたら、悪魔が消えるまで宿主である人間の悪意は決して消えません! 女生徒を救うには悪魔を倒すしか道はありません」

 悪魔を許してはいけない。天使はそう言って怒っていた。

 女生徒を唆し、友介に暴力を振るわせたのは許されることではない。だが、反省し許しを請う相手に制裁を加えることが本当に正義なのか。ヒーローと呼べるのだろうか。

 そんな疑問が俺の中で浮かんだせいか、右手の拳から光が失われ始めた。

「正義さん? 駄目です! 悪を憎む正義の気持ちを強く持って下さい!」

天使は俺の様子を見て迷いを感じ取ったのか慌てて俺に声を掛けて来た。迷いのある正義は振るえない。それは俺の大事なルールだ。

 俺の様子を見て苦しげに悪魔は頭を下げた。悪魔だって言えば分かってくれるのだ。

 ――歪んだ口元が見えた気がした。

 それは俺の幻覚だったのか。一瞬の戸惑いが判断を鈍らせた。

 悪魔はそのままこちらに向かって大きく飛躍して襲い掛かって来たのだ!

 何処から取り出したのか大きな鎌を今にも横薙ぎに振り抜こうとする悪魔が目に映った。

 俺は何かに強く押され、後ろに倒れてしまった。

 そして目に映ったのは俺の代わりに鎌の餌食となった天使の姿だった。

 一瞬にして怒りが頂点に達し、右手は俺でも見えない程光り輝いていた。

「てめええ!」

怒りに任せて拳を悪魔に向けると光の筋が悪魔へ向かって解き放たれた。

 悪魔はそのまま光に飲まれていった。そして目が眩むほどの光が辺りに満ちて俺は目を開けていられなくなった。

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