【種の発芽条件】⑮ 『京一/勝負の一瞬』
京一はすでに限界まで追い詰められていた。
【ドン】の能力と【カゼ】の能力が同時に出現し、京一の肉体はその能力についていけなくなっていた。
それでもここまで戦えたのは【ドク】がその能力をフルに発揮し、体を守っていてくれたからだ。だがドクの治癒能力もまた限界をむかえつつあった。
そして【サキ】はとうとう限界を超えてしまったのか、その存在がひどく遠くに感じられた。
♣
(みんな、あと少しだ!)
京一は心の中の四人に声をかけた。
それでも不思議と心の中に恐怖はなかった。
それはみんながいてくれたから。
子供の時の自分を守ってくれたみんなが、今こうして一緒に戦ってくれている。
それがなによりも心強かった。
(わかってますっ! キョウイチ様! 行きましょう!)
カゼの声は弱々しくかすれていたが、まだ折れていなかった。
(……か、勝つ、ぞ、う……)
ドンの声はさらにゆっくりになったが、まだ力を失っていなかった。
(ああ、あと少しでビールじゃっ! みなで乾杯するぞ!)
そう言ったのはドク。今ではすっかり酔いも醒めているようだった。
(……キョウ……イチ……)
サキの声も微かだが聞こえてきた。
(たのむぞ、みんな!)
♣
そして京一は思い出していた。
確かに目の前の敵を知っていたことを。
彼には小さな頃に出会っている。
具体的な記憶は厚いヴェールの向こう側だが、その名前だけは鈴の音が空気を揺らすように、京一の心にそっと響いてきた。
【フォール】
それが彼『笑い男』の本当の名前だった。
それは京一だけが知る、彼の本当の名前だった。
「フォールっ!」
だから京一は残された力の全てを、勝利への意志を、その拳に込めてフォールの名を呼んだ。
♣
「京一っ!」
笑い男/フォールはそう叫ぶと同時に、一瞬ガードを解いた。
そして残っていたすべての【神の手】を再び【槍】の形状へと変化させ、その鋭い先端をズラリと京一に向けた。
京一はその意図を一瞬で理解した。
それはフォールが覚悟を決めたことを意味する。
殺すか殺されるか、攻撃のスピード勝負に全てを賭けたのだ。
♣
京一はドンの怪力を右手に宿したまま、さらにカゼのスピードを右手に巻き付かせた。それが出来るかどうかは知らないし考えなかった。出来ることは、ただ仲間を信じることだけだった。彼らが応えてくれると信じるだけだった。
さらに京一は両足にカゼの能力をまとわせ、フォールよりも素早く一歩を踏み込んだ。足の腱がイヤな音を立てたが、次の瞬間にはドクが痛みも感覚も消し去ってくれた。
両側からは、先を鋭く尖らせた【槍】が包み込むように迫ってきた。
おそらく双方の攻撃はほとんど同時に当たることになる。
だが今の高速の一歩でわずかに勝利が近づいた。
一瞬でも早く攻撃が当たれば、フォールは体ごと吹き飛ばされ、その攻撃はまともに当たらないはずだからだ。
ただし勝利の条件はフォールも同じ。
全身に【槍】の同時攻撃を喰らえば、京一の攻撃は無効になり、いかにドクの能力があっても即死は避けられない事態になる。
一瞬、それもほんの一瞬のスピードの差が勝負を分ける……
♣
――ザクッ――
不意に、京一の右足に痛みが突き抜けた。
それはまったく予想外の痛みだった。
京一の動きは強制的に停止させられた。
――ザクッ――
繰り出した右手、その肘と拳の間に【槍】が下から突き刺さった。
京一には何が起こったのかわからなかった。
ただ拳はそこで縫い留められたようにぴたりと止まり、見下ろすと足の甲からも【槍】が突き出していた。
(まさか……地面から?)
地面の下に攻撃の手を隠しているなどとは、考えもしなかった。
一瞬の動揺。
だが、それがすべてを決した。
ザク、ザク、ザクッ
動きが止まった京一の体に一斉に槍が突き刺さった。
太ももを貫かれ、肩を貫かれ、わき腹、そして全身へと、次々と槍が突き刺さってゆく。
「くそっ! ここまでかよ!」
京一は叫んだ。その口にまともに槍が突き刺さった。
ザクッ!
さらに心臓に一本が突き刺さり、ゴボリと血を吐いた。
♣
それでも京一はまだあきらめていなかった。
「まだだ、勝つんだ……」
それは声にならなかった。
右の拳を見つめる。
拳に燃え上がっていた青い炎がゆっくりと消えていった。
「これがおまえの避けられない死だ……」
笑い男/フォールが告げる。
そして唇の端を吊り上げると、最初は含むようにクックッと、それから大きく口を開いて笑い出した。
♣
(……そう、これが避けられない死のヴィジョンじゃ……)
そっとサキの声が脳裏に聞こえた。
♣
同時に時がさかのぼりだした。
京一の口は、自分の吐きだした血を吸い込むように飲み込み、心臓に刺さった神の手が抜けて、心臓はゆっくりと鼓動を再開した。
続いて全身をハリネズミのように貫いていた【槍】が一本また一本と抜け、血が傷口の中に吸い込まれ、破れた生地が再生しその上を塞いでいった。
拳には再び青い炎が燃え上がり、腕に刺さった神の手が抜けて地面に潜り込んだ。最初に足に刺さった槍は、傷口の中に吸い込まれ、床の中に消えていった。
最後に京一はそのまま、一歩下がった。
♣
(サキ! これはキミの、)
(まぁな。ずっと未来を予測していたんじゃ、あいつの最後の手段をな。……とにかく……間に合って……よかったよ……)
サキはそう言って再び沈黙した。
心の中でサキが扉の奥に入ってしまうのが感じられた。
もう疲れきってしまったのだろう。
だがもう十分だ。
まだやり直せる。
それだけで充分だ。
♣
(……ありがとう、サキ)
京一はそう言った。そして目の前の現実に戻った。
(この現実を突き破らないとな)
京一は右足に力をこめた。
自分の体がすでにスピードの限界にあるのは知っていた。
それでも、それ以上に早く動かねば、死はまぬがれない。
京一は足にカゼの能力と合わせて、ドンの能力をも流し込んだ。さらに筋肉が膨れ上がり、スピードの限界を超えて肉体が動き出す。
だがその代償に筋肉の筋の何本かがブチブチと千切れ、血が流れ出した。ドクがそれを治療しようと、能力を限界まで高めたのが分かる。
もう少し。もう少しだ。
(そして、このタイミングだったな……)
京一はその瞬間に体を真横に移動させた。肉体と精神の限界点。それを超えて体を移動させる。同時に一瞬前まで立っていたところに、一本の槍が床から鋭く突き出し、空を貫いた。
(よし、間に合った!)
京一はさらに左足を踏ん張り、さらに一歩前へと踏み出した。
そのまま粘りつく時間の中をもう一歩右足を踏み出し、彫像のように立ちつくすフォールの横をすれ違った。
(このまま背後に回る!)
京一は最後に左足で自分のスピードを止めた。
だが左足の関節がそこで限界を超えた。骨が細かくひび割れる感触があり、同時に刺すような激痛が背中から脳髄に次々と突き刺さった。
(すまん京一! これ以上は痛みを止められん!)
そういうドクの声もずいぶんと苦しそうだった。
(だいじょうぶだ!)
京一はくるりと振り返った。
だがそれだけの動きで、ねじった首から血が流れ出し、背中の筋肉がはじけ、腕の筋肉までがゴムが切れるような音を立てて切れてしまった。
だがここまでくればあと少しだった。
フォールはこのスピードに完全に取り残されていた。
今は無防備な背中だけが見える。
♣
「死ぬなよ、フォール!」
自分の叫ぶ声が、ゆっくりと流れる時間の中で無限に引き延ばされていく。
右の拳を振り上げ、さらにドンの怪力を右の拳に流し込んだ。
握り締めた指の隙間から、最後の青い炎が吹き上がった。
そして京一は最後の一撃を繰り出した。
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