【種の発芽条件】⑭ 『笑男/神【シン】』

 笑い男の心に痛みが走った。

 肉体が痛いのではない。

 心が直接痛みを感じたのだ。

 それはまさに身を裂かれるようなひどい痛みだった。


   ♦


(おおお、手、……俺の手……神の手を……アイツ、……)


 そんなことが起こるなどとは、想像もしなかった。

 神の手が、絶対的な超能力の手が、ダメージを受けるなどとは。


「京一、よくも、よくも、やってくれたな……」

 笑い男がそう口を開いたときには、京一が目の前に迫っていた。


「頼むから、死ぬなよっ!」

 京一は怒号を上げて拳を振り上げていた。


「いい加減にしろッ!」

 笑い男もまた怒号をあげた。


 その怒りに反応するかのように、槍と化した一本の神の手が、ほぼゼロ距離で京一の左肩を貫いた。瞬間にパッと血の花が開いた。


   ♦


「くっっっっ!」

 京一が苦痛の声を上げる。

 

 笑い男はその瞬間に勝機を見出した。

 京一が動きを止めたわずかな一瞬……


!)


 勝利を逃すつもりはない。

 油断もためらいも憐れみもない。


 あとはそのまま殺意を尖らせるだけでいい。

 その鋭い殺意を神の手に伝えるだけでいい。


「このまま串刺しに……」


 しかし笑い男は再び驚愕し、言葉を失った。

 


 京一はまるで攻撃など受けなかったかのように、むしろその槍に自ら飛び込むように、流れる血も意に介さず、深く突き刺さるのも構わずに、まっすぐに右手の拳を振り上げて笑い男に迫っていたのだ。


   ♦


「ううおおおおお!」

 京一の口から怒号があふれた。


 笑い男には京一の拳の先から肩までが、青い炎に包まれているのが見えた。


(アイツ、こんな芸当ができるのか……)


 その一瞬で笑い男は理解した。


 心臓を貫くはずだったあの攻撃の軌道を読んだのは【サキ】の目。

 必殺の攻撃を交わしたのは【カゼ】のスピード。

 痛みを無視できるのは【ドク】の能力。

 そしてこの瞬間、右手だけに【ドン】の怪力を宿していた。

 

 京一はどうやったのか、彼らを同時に出現させ、しかも全身に配分していたのだ。


   ♦


(なんなんだ、アイツは……?)


 目の前に迫る拳を見つめる。

 あの怪力をもう一度まともに食らえば、たとえ自分が【神の子】であったとしても命の保証はない。


(あいつの精神こころはどうなってるんだ?)


 だが同時に笑い男は不思議な興奮を感じていた。

 まったく自分にふさわしくない、あまりに人間的な感情。


「ハハ……」

 思わず作り物じゃない、本当の笑い声がこぼれた。


「ハハハ、お前はいつも笑わせてくれる!」


 笑い男は素早く一歩飛びすさり、空中で神の手を引き寄せた。さらに【槍】の形状を【手】の形態に戻してクロスさせ、それを何重にも重ねてガードを固めた。


   ♦


「…………」

 京一の口から図太い、やけにゆっくりとした声が漏れ出した。

 青い炎を右手に巻きつかせ、さらに踏み込み、渾身の一撃を繰り出してくる。


 その怪力に第一のガードが簡単にはじかれた。

 続いて第二のガード、第三のガードもあっさりと貫かれてゆく。


!」

 笑い男はかん高い笑い声をあげた。


 まだまだガードは残っている。

 神の手をさらに交差させ、次々と分厚いガードを張り巡らせてゆく。


 いずれ攻撃は止まる。

 精神を集中し続けている限り、この防御が崩れることはない。


(お前の攻撃が止まった時、それがオマエの死ぬ時だ!)


   ♦


「…………」

 京一がさらに踏み込みながら、必死の形相で拳を貫いてくる。


 次々とガードが弾かれ、青い炎に焼かれた神の手は、次々にしなびて落ちてゆく。それは笑い男の予想以上の勢いだった。だが同時に想定内でもあった。


 展開していた手を引き寄せ、新たなガードを作りだし、京一の前に幾重にも何重にも分厚いガードを築いてゆく。


「……!……」

 京一がゆっくりと言葉を結んだ。

 それと同時に拳から巨大な青い炎が一気に吹き上がった。


 その炎は腕から広がって、みるみる京一の全身を包み込んでゆく。

 京一の圧力がさらに爆発し、神の手のガードをまとめて突き破り、笑い男に迫った。


   ♦


(まだ止まらないのか? 止められないのか?)


 

 透明な水の中に一滴の青いインクが紛れ込んだように、恐怖がゆっくりと心の奥深くに沈んでゆく。


 この感覚はずいぶんとひさしぶりだった。

 それこそ【レイ】と相対したあの時以来のことだ。


(なるほどな。レイが出てくるまでもない、そういう事か……)


   ♦


 笑い男は一瞬だけ目を閉じた。

 その一瞬の間に、心の中にいる『神』の姿を求めた。


 神はそこにいた。

 いつでもそこにいた。


 まばゆい白い光に包まれて、いつものようにとても美しい姿で、笑い男の心の中にいた。そのまなざしは青く澄み、見つめているだけで、苦しみが溶けていくようだった。


 


   ♦


シンよ、わたしは死の淵にいます)

(かわいそうな子供よ、こちらにおいで……)


 神は両手を広げてそう言った。

 笑い男はその前にひざまずくと、深々と頭を下げた。


(神よ、お願いです。わたしに新たな力をお与え下さい)

(お前に新たな腕をさずけましょう。そので相手を殺しなさい。殺してあなたが生き延びるのです)


   ♦


 笑い男は神【シン】の姿を見上げた。


 神は静かに自分の右肩を左手で掴んだ。

 そしてその手をやすやすと肩から引き抜いた。

 血は流れない。ただ腕がとれただけだった。


。あなたは負けてはならない。死んではならない。そのためなら何度でもこの手を貸しましょう)

(感謝します、神よ……)

 そう言った笑い男の胸に、神は自分の手をおしつけた。


 ちょうど胸の中央、そこに肩の部分がゆっくりと溶け込んでゆく。

 そして新たな手がピクリと脈動した。

 ためしに拳を握り締めてみると、それは力強い握りこぶしを作り上げた。


(行きなさい、我が子供、フォール。それから一つだけあなたに伝えたいことがあります)

(何でしょう?)


 

 


   ♦


 笑い男は目を開いた。

 同時に心の中に痛みが走った。

 腕がなぎ倒されていくのが見えた。

 青い炎をまとった京一の拳はもはや眼の前に迫っていた。


「俺は死なない! 殺されない! 絶対に!」

 笑い男は叫ぶように言った。

 顔の切り傷が充血し、無数のひび割れとなって顔面を覆った。

 極度の精神集中で、顔中の穴、目や鼻や耳から血がとろりと流れ出した。


「おまえを殺して、俺は生き延びる!」


 そして笑い男は残っていたガードを全て解いた。


 ガードを解き、再びその先端を槍のように尖らせた。


   ♦


「あきらめろ! 

 不意に京一がその名を叫んだ。


「はっ! 今さらオレの名前を思い出したかっ!」

 笑い男/フォールは口の端に笑みを浮かべた。


 二人の間に、もはや障壁はなかった。


 京一の拳か、笑い男の槍か。

 そのどちらが先に相手に到達するかで勝負は決まる。


 二人ともがそれを理解していた。


「フォールっ!」

「京一っ!」


 二人は同時に相手の名前を叫んだ。

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