【種の発芽条件】⑫ 『笑男/最強の能力』

 笑い男は京一をジッと見つめた。

 そして心の底からの深い失望を感じた。


 京一の中に【レイ】はいなかった。

 中にいるのは取るに足らないばかりだった。


 レイを呼び出すつもりがないのだろうか?

 それでこの俺に勝てるとでも思っているのだろうか?

 そうだとしたらずいぶんとコケにされたものだ。


 それとも今の京一にはレイを呼び出せないのだろうか?

 だとしたら長年レイを恐れていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。


   ♦


「がっかりだよ……君には本当に、ホントウに失望した」

 笑い男はそう告げた。言葉は落ち着いていたが、内面からあふれる怒りに声が少し震えた。


 昔からそうだ。京一はいつもニコニコとして、眼前迫る絶対的な死から飄々と逃げおおせてきた。仲間たちが、それこそ死を賭して逃げてきた状況から、何事もなかったかのように生還を果たしてきた。

 変わらない。


「悪いけど俺はあんたの期待にこたえるつもりはないよ」

 京一はそう答えると、全身に風をまとった。

 どうやら京一はスピード勝負を仕掛けるつもりのようだった。


「キョウイチ、そんな力でこの俺に対抗するつもりなのか?」

 京一の能力はたいていを把握している。今呼び出しているのは【カゼ】、そして今は隠れているが【ドン】と【サキ】、それからおそらく【ドク】も呼んでいるだろう。もっとも全員を同時に呼び出しているのは、さすがに予想外だったが。


「ああ、そのつもりだけど?」

 平然と答えた京一にますます憎悪がつのった。


   ♦


「そうか。おまえ、まるで成長しなかったんだな」

 笑い男はゆっくりと京一に向き直った。そうしながら、背中に生やした白い手でハルミ/ケンの体を持ち上げ、二人の間に壁のようにぶら下げて見せた。


 笑い男はその力を京一に見せつけた。


【神の手】


 この変幻自在の白い手、自分の第三の手のことを、笑い男は『神の手』と呼んでいた。それはいわゆる超能力が目に見える形になったものだ。通常の人間にはこの手は見えない。だからこの能力は一般に【念動力】あるいは【サイコキネシス】などと呼ばれている。


「オレは成長した。オマエならコレが見えるだろ?」


 だが同じ【能力者】ならばその正体が見えるはずだった。これは超能力という正体不明のものではなく、れっきとした形を持つ能力なのだ。


 だが、京一から返ってきた答えはまるで見当違いのモノだった。


?」


 京一の言葉が笑い男の頭に怒りのガソリンを振りまいた。どこまで自分を侮辱すれば気がすむのだろう、この男は? 人質? そんなものを取るわけがない。なんでそんな必要がある? 俺が人質を取らねば戦えない人間に見えたというのか?


 まったく、どこまでも腹立たしい男だった。


   ♦


「いい加減にしろ京一。俺はそんなに弱くないし、卑怯でもない」

 笑い男はそう言って、ハルミの体を壁に向かって放り出した。


 投げ出されたハルミ/ケンは、意識を失っていたように見えたが、次の瞬間に空中で素早く回転した。そのまま素早く笑い男に向き直り、視線をピタリと貼り付けたまま、ズズズと壁まで滑っていった。


「トドメを差し損ねたな。ケン……まだ動けたのか」

 笑い男は一瞥してそう告げた。

 それは予想外ではあったが、そもそも予想の必要性もなかった。もはや優劣はハッキリしており、勝利が揺らぐことはない。


「アタシは【ハルミ】よ。【ケン】なら今寝てるけど?」

 そう言ってハルミはニッと笑った。


「……アレ? ひょっとして、分からなかった? カミサマでも分からないコトあんのねぇ」


   ♦


 正直に言えば笑い男はこの戦いには最初からたいして興味がなかった。たしかにマスクを切られ、額に傷を負ったのは予想外。だが、だからといって取り乱すほどのことではないし、そもそも負ける可能性は全くなかったのだ。

 それでもなぜかイライラとした。

 さっきからずっとそうだ。

 京一といい、あの女といい、どうも思い通りにコトが運ばないせいだ。


「お前が誰だろうと関係ないし、興味もない。俺が勝つことは何ら変わりないし、お前が今、そうして生きているのもただただオレの気まぐれにすぎないんだ」


 ハルミはニヤニヤとその言葉を聞いている。

 それは京一と同じ、とらえどころのない、小馬鹿にしたような笑みだ。

 無性にイライラする。

 それとも……笑い男は冷静に自分の心に問いかけた。


 俺は焦っているのか?

 俺は不安を感じているのか?


 そうなのかもしれない。

 笑い男は一つ息を吐いて、ざわめく自分の心を鎮めた。


 それは磨かれた殺気となって再び笑い男の周囲を取り巻いた。


 春美だけがそれを感じ取った。


「オーケー、わかってるわよ。あんたの邪魔はしない。あたしは見物させてもらう。たとえ京一が死にかけても、あたしはぜったい手出ししない」


   ♦

 

 油断はできないがひとまずはほうっておいても平気だろう。

 笑い男はそう判断すると、京一に向き直った。


「さて、キョウイチ」

「なんだよ?」


「こうなった以上、俺は是が非でも【レイ】を引っ張り出すつもりだ」

「あのさ、戦いをやめるわけにはいかないのかな? 今ならさ、まだ俺も水に流せる。春美さんも大丈夫みたいだし。オマエと友達になる事だってできるかもしれない。違うかな?」


 ずいぶんと呑気な男だ。それがまた笑い男には腹立たしかった。

 京一はずいぶんと甘い世界に生きてきたようだ。まるで危険のないぬるま湯の中にどっぷりとつかって生きてきたのだろう。


 これでは【レイ】が出てこないのも当然だ。レイという存在は、いわば戦場の死神だ。あのサイコガーデンにいたときのように、絶え間のない過酷な戦いの中でこそ最大の力を発揮する能力だ。

 こんな状況では現れるはずもなかったのだろう。


「勘違いするなよ、友達ってのはあくまで対等でなきゃならない。レイのいないお前がどうして俺と対等になれるんだ? レイがいないなら、お前は俺に殺されるか、服従するか、そのどちらかしかないんだ」


「あのさ、そんなに堅苦しく考えることないだろ。こんなに血を流さなくても、話し合えることじゃないのか? よく考えてみろよ」


「キョウイチ、お前、もう終わってるよ。特別な力を持っているのに、それを生かすことができていない、生かそうとすら考えていない。俺はね、そういう態度に我慢がならないんだ」


   ♦


 笑い男は殺意をもって京一を見つめた。


 それだけで、自動的に白い腕が京一のノドもとに伸びた。神の手の能力はその本能に忠実に動いた。殺気を感じれば無意識のうちに、つまり自動的にフルオートで攻撃に入る特徴をもっていた。


 そして神の手は一瞬にして京一のノド元を掴んだ。笑い男の予想では当然そうなるはずだった。

 が、神の手が触れる瞬間、京一の全身がノイズのようにかすみ、次の瞬間には完全に消え、神の手は空を掴んだ。


「おい、いきなり何するんだよ?」

 京一の声だけが、彼のいた空間から遅れて届いた。


   ♦


(どこに隠れた?)

 笑い男はその一瞬、京一を完全に見失った。

 だが焦りはなかった。神の手は完璧な兵器だったからだ。


(どこに隠れようと無駄だ!)

 笑い男は神の手を背中から繰り出した。その数は全部で四十を超える。その全てが背中から一気に生え出し、獲物を求めて展開した。


 と、右から京一の気配を感じた。

 それは神の手のもつもう一つの能力だ。神の手は攻撃器官であると同時に、感覚器官でもあった。視覚と聴覚、嗅覚を同時に併せ持ったような特殊な感覚だ。神の手はその感覚で敵を探り出し、追尾ミサイルのように敵を追い求めていく能力を持っていた。


「話し合いは終わりだ、京一」

「やっぱり殺し合いをはじめるわけだな?」

「そうだ! それ以外にないだろうが!」


   ♦


 笑い男は再び神の手を繰り出した。

 再び京一は残像を残して消えた。今度は左に移動したようだった。

 さらに次々と腕が伸びだし、追尾ミサイルのように京一の姿を追った。


「いつまでも逃げ回れないぞ!」


 笑い男は自分の腕が京一を捕まえようと繰り出されるのを観察した。何本もの手が緩やかなカーブを描きながら、しかし圧倒的なスピードで京一に迫っている。

 京一は全身に風をまとわりつかせ、いくつもの残像をかすませながら、確実にその全てをよけきっていた。


 それを見た笑い男の心臓に怒りの冷たい血が流れ込んだ。するとそれに呼応するように、さらに多くの手がスピードを上げて京一に迫った。

 京一もさらにスピードを上げ、右に左に細かくステップを踏み、また風のように笑い男の間合いのすぐ外を走り抜けた。走り抜けるその背中を、さらに何本もの腕が追いかけて殺到する。


「おいおい、逃げるばかりじゃ勝てないぞ!」

 笑い男は自信たっぷりにそう言った。


 もちろん笑い男は自分の勝利を確信していた。この【神の手】の能力はあの施設で開発されたあらゆる能力を上回るものだったからだ。サイコガーデンにいた特殊な能力を持つ仲間たちの中でも他を寄せ付けない絶対的な力を誇っていたのだ。

 さらに彼の能力には戦いの相性というものはなかった。攻守一体の盾と鉾。それは圧倒的で異質で完璧な能力だったのだ。負けることなどありえなかった。


   ♦


「いつまでもやられるばかりじゃないぞ!」

 京一の声はずいぶんと子供っぽい感じだった。おそらく【カゼ】の人格の影響が出ているのだろう。京一のスピードがさらに増した。それに呼応するようにさらに【神の手】の数が増え、やがていたるところに京一の残像が出現した。


(なんてやつだ……)

 笑い男もさすがにここまでは想像していなかった。

 春美のスピードも相当なものだったが、今の京一のスピードはそれを遥かに凌駕している。京一の能力もまた年齢とともに成長を続けていたということなのだろうか? だがそれでも笑い男の能力の敵ではなかった。ないはずだった。


「調子に乗るなよ……」

 笑い男は湧き上がる怒りを鎮め、精神を深く集中させた。

 神の手から伝えられる独特の感覚が脳に流れ込んできた。


 それはまさに神の感覚だった。この戦闘フィールドの空気全てに自分の意識が存在し、溶け込んでいるような感覚。

 そこでは京一の姿がはっきりと見え、彼の巻き起こす風が感じられた。そして彼の動きの全てが、眼球の動き、筋肉の動き、心臓の脈動の一つ一つがくっきりと感じ取れた。


 


   ♦


「終わりだ、京一!」

 笑い男の全ての手が一瞬、停止した。

 が、次の瞬間、全ての手が予想されたポイントに向けて全方位からふりそそいだ。その攻撃パターンは球体。死角はゼロ。完全なる全方位からの攻撃。

 この攻撃を逃れる術は皆無だった。


 にもかかわらず……

 


「いくどっ!」

 そして京一が目の前に出現した。

 自動的にいくつもの手がガードに回った。

 だが京一が繰り出した拳はそのガードをなぎ倒して、一直線に笑い男の左あごを捕らえた。

 巨大なインパクトが広がり、頭がぐらりと揺れた。眼球がひっくり返りそうになるのをかろうじてこらえる。


(馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ!)


 京一の拳は止まらない。さらにいくつもの腕がガードに回ったが、それをなぎ倒してさらに拳は突き進んだ。


「悪く思うなよ!」

 そして京一の拳が突き抜けたとき、笑い男の体は空中高く打ち上げられ、天井に激突し、受身も取れぬままに床に落下した。

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