【種の発芽条件】⑪ 『京一/目覚めた力』
京一は現実の世界に戻った。
大学の学生食堂。運動部の連中に襲撃されている最中。
最後の記憶は……
思い出そうとしたとたんに、右肩に衝撃と激痛がはしった。
思わずガクリと肩膝をつき、痛みが広がる肩を見た。
Tシャツを突き破って深々とアーチェリーの金属矢が刺さっていた。
血がじわじわと染み出している。
そうだった……この痛みで【サイコガーデン】に入り込んだのだ。
♣
(キョウイチ様、まずはカワスのです!)
京一の脳裏に【カゼ】の声が響いた。
同時にカゼのもつ能力が体の中にあふれてくるのを感じた。体がとても軽くなり、感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。
物が動く僅かな空気の揺れ、それが巻き起こす小さな風、それが空気を通して一つの感覚として伝わってくる。ものすごく鋭敏になった触覚とでも言えばいいのだろうか。
ここにいる誰がどんな動きをしているのか、それが目に見えずとも立体的に、空間的に把握できる。それはまるで、この空間にあるもの全てを完全に把握しているような、世界をまるごと支配しているような、そんな不思議な感覚だった。
♣
(ほれ、次がくるぞっ!)
今度は【サキ】の声が聞こえた。
サッと視線を上げると、矢が三本、目の前に浮かび上がっているのが見えた。
一本が先行し、少し遅れて二本の矢が接近している。止まっているわけではない。だがよけられないほどのスピードではなかった。
それで京一は思い出した。
先行の一本は左肩に、続く二本は左右それぞれの太ももに刺さったのだ。
どうやらその記憶は、サキが見せるヴィジョンの中だったようだ。まだ不確定の未来の映像。それならまだ打つ手はある。
(すまんな。最初の一本だけは、あの場所に行くのに必要だったんじゃ……)
サキがすまなそうにつぶやいた。
(大丈夫だよ、サキ。このくらいの痛みは我慢できる。それより今は……)
♣
(そうです! キョウイチ様、ゆきましょう!)
(よし、いくぞ!)
カゼの戦意が京一の戦意と重なる。
京一は再び立ち上がった。
それだけで体の周りの空気が渦を巻き、体全体をつむじ風が包み込んだ。
体中の筋肉が躍動し、戦いの興奮が全身を駆け巡る。
それから京一は後ろに飛んだ。
ぶわっ、と体から風が巻き起こり、京一の体は素早く、しかしふんわりと空に浮かび上がった。
(うわっ! なんか、すごいな、俺!)
そして、さっきまで京一が座っていた場所に、三本の矢が立て続けに次々と刺さった。床はタイル張りになっているのに、矢の先端はしっかりとタイルに突き刺さっていた。まともに当たっていたら、間違いなく致命傷になっていたはずだ。
(さぁ、ここからハンゲキです! キョウイチ様!)
カゼの無邪気な声が再び頭に響いた。
カゼのワクワクした気持ちが伝わってくる。
だがそれは京一の感情でもあった。
京一も自分が強くなったことに興奮し、ハイになっていた。
今の自分はまるで負ける気がしなかった。
♣
「よし、いくぜ!」
京一の体は、狭い通路に着地した。ガラスのコップの塔を崩した元の位置に逆戻りしていた。
(またここからスタートなわけか!)
少し体を沈め、それから一気にアーチェリー部隊に向けて走り出した。靴底にガラスを踏みしめるイヤな感覚が伝わったが、今はそれも我慢した。
右側には調理カウンター、左側には水場のカウンターが連なり通路は狭い。
そして通路にはアメフト男と野球男が折り重なるようにして倒れている。
京一はつむじ風のようにその狭い通路を駆け抜け、そのまま風をまとって低く、彼らのギリギリ上を一気に飛び越えた。
(あやつら、また撃ってきたぞ!)
サキが言った。もちろん京一も見ていた。
三人のアーチェリー部隊がほとんど同時に矢を放っていた。しかも今回は一度に二本ずつ矢を放っていた。
カゼのもつ感覚を通して、合計六本の矢が空中をうねりながら、ゆっくりと接近してくるのを立体的に把握する。
さらに京一はサキの能力を通して、その軌道を予測した。その矢がこれからどこへ向かい、自分の未来の影をどうやって刺し貫くかを見た。
それはなんとも、ひどいビジョンだった。
だが……一つだけ打つ手があった。
♣
「一気にカタをつける!」
京一は地面を蹴ってさらに加速した。
その一瞬、空気の壁が分厚く立ちはだかる感覚があったが、それを突き破ってさらに加速する。
恐怖は確かに感じていた。だが不思議な興奮が全身に満ちていた。大丈夫。仲間がいる。みんなと力を合わせれば負けるはずがない。そんなくすぐったいような確信があった。
六本の矢がうなりを上げているのが聞こえ、その鋭い先端が取り囲む罠のように空中に浮かんでいるのを見つめる。
(イマですっ!)
カゼが叫ぶ。
「分かった!」
♣
京一の眼前に矢が迫った。
それをギリギリまでひきつけ、わずかな動きでそれをかわす。
一本目の矢は京一の左頬を、二本目は耳たぶの先を、三本目は浮き上がった髪の毛を切り、残りの三本は袖やジーンズを鋭く切り裂いていった。
(おいおい、まさか突っ込むなんて……)
サキがあきれたように言った。
だが今の攻撃は突っ込んでいったからこそ、攻撃の隙間にもぐりこめたのだった。そうしなければ、どれかが必ず命中していただろう。
それはサキの見せるヴィジョンで分かっていた。
(さすがキョウイチ様!)
カゼが嬉しそうに叫ぶ。
(カゼのおかげだよ! それより喜ぶのはあと!)
♣
京一はよけた拍子にバランスを崩していた。
バンザイするような格好で、カウンターにぶつかろうとしていた。
だがここで転んでいる時間はなかった。標的になるだけだ。
(試してみるしかない!)
京一は最後の一歩でさらにカウンターに飛び込むように跳躍した。そのまま跳び箱の要領でカウンターに両手をついた。その両手をクッションに体重を受け止め、勢いのついた体が逆立ちしたように起き上がると、腕の力だけで飛び上がった。
試したのはいわゆる『ハンドスプリング』。再び全身に風がまとわりつき、ふわりと体が大きく上空へ浮かび上がった。
(すごい……すごいなカゼ!)
(いえいえ、キョウイチ様の実力です!)
体中に力があふれていた。体が羽根のように軽かった。
その圧倒的なスピード感。それは人間の能力を明らかに超えていた。
♣
だがその効果は予想以上でもあった。
あっという間に天井に足が届こうとしていた。
(キョウイチ、調子にのりすぎじゃ)
(大丈夫! 一気に行く!)
京一は天井に着地し、さらに天井を蹴った。
引力のほかにさらに加速がつき、京一は一本の矢のように地面に向かって飛んだ。眼前にぐんぐんとアーチェリー部隊三人の姿が迫る。
彼らはまだ次の攻撃を準備しているところだった。
「遅いよ」
京一は最後の瞬間にくるりと体を丸めると、しゃがんだ姿勢で地面に降り立った。そこはアーチェリー部隊のちょうど真ん中の位置。
彼らの顔に驚愕の表情が浮かんだ。
京一はそれからすっくと立ち上がると、右手でアーチェリーを構えた男の手を掴んだ。
♣
(……こっからは……)
【ドン】の声が聞こえると同時に、カゼの存在が薄まり、ドンの圧力が強まった。そしてドンの能力が噴き出すように溢れてきた。
体を取り巻いていた風が一瞬で消え、かわりに手足の筋肉が膨れ上がっていく感覚があった。それこそがドンの持つ『怪力』の能力だった。
(……おでの……番だなっ!……)
アーチェリー男の腕を掴む京一の腕に力が流れ込んだ。
実際に腕が太くなることはなかったが、筋肉の中に力があふれてくるのが分かる。その力の流れが炎のような青い奔流となって、腕をぐるぐると取り巻いているのが見えた。
♣
「いくぞっ!」
京一は右手一本だけで、反動もつけずにアーチェリー男の手を引いた。
それだけで、引っこ抜かれるように、男の体が簡単に宙に浮いた。
(……うん。いくどっ!……)
ドンの力がさらに膨れ上がり、今度は足に、そして腹筋や背筋に力が流れ込む。
京一は少し腰を落とすと、床から引き抜いたアーチェリー男の体を、となりの男に向かってふりまわすように投げつけた。
京一は何気なく投げたつもりだったが、まともに受け止めた相手は二メートルあまりも空中を吹っ飛ばされた。しかもそれだけで勢いは止まらず、二人は絡まるようにして地面を転がっていった。
あまりにも圧倒的な怪力ぶりだった。
♣
「次だ!」
京一はすぐに振り返った。すぐ後ろにはアーチェリー部隊の残りの一人と格闘家が二人固まっていた。
彼らは見るからに動揺していた。わずかだが無意識に後ずさりしていた。
これだけの力の差を見せつけられ、無意識が危険を察知したようだった。
「悪く思うなよ!」
京一はアーチェリー男の胸倉をむんずと左手で捕まえると、腕一本で頭の上に抱えあげ、格闘家の二人に向かって力いっぱい投げつけた。
アーチェリー男はすごい勢いで空中を飛び、格闘家たちをボウリングピンのようになぎ払い、彼らもまた絡まるように、そのまま食堂の一番端まで滑っていった。
♣
「これで終わった……かな?」
あまりにも豪快な勝利だった。
立ち上がっている敵はもう一人もいなかった。
♣
一つ大きく息を吐くと、ドンの圧力が少し薄れた。
と、同時に体中に激痛が襲った。
両腕が急に軋みを上げ、背中や腰が巨大な手で絞られているように痛み出した。さらに腕の出血が激しくなり、顔から血の気が引いていった。
京一は思わず膝をついた。
頭ががくがくと震え、食いしばった歯の間からうめき声が漏れ出す。
(なんなんだ……これ? ……いったいなにが……)
まずいことに目の前が幕を下ろしたように暗くなってきた。
痛みが鈍くなり、それすらも遠のいてゆく。
(まずいまずい……気絶なんかしたらアウトだ……)
♣
その時だった。
(ウィーッ……ヒック……)
そっと【ドク】が近づいてくるのが感じられた。
もちろん姿は見えない。ただ自分の心の隣に近づいてくる感覚があった。
それに酒の匂いが鼻の奥にふわりと香った。
(……そりゃ、もちろん後遺症じゃよ……ヒック……)
「後遺症?……そうなのか……」
(アレだけの力を使ったんじゃ……まともでいられるはずがなかろうが)
「力の代償ってやつか?」
(ああ。だがそんなときのためにワシがいる、便利じゃろう?)
「ハハッ、そうだね」
京一は少し笑った。そうしただけでまた気を失いそうになってくる。
(まぁ、わしに……ヒック……まかせとけ)
♣
と、ドクがじわじわと体を支配していく感覚が伝わってきた。
心臓を中心に体全体がじわじわと温まり、温まったところから痛みが嘘のように消えてゆく。
気がつくとその暖かさは太陽のような黄色い色をもち、体全体を包み込んでいた。ガチガチに固まり、悲鳴をあげていた筋肉がゆっくりと元に戻ってゆく。
(さて、次は矢を抜くんだ、大丈夫、痛みは止めてある)
京一はいわれたとおり、肩から突き出ている矢を掴むと、顔をそむけて一気に引き抜いた。
本当に痛みはなかった。さらに腕から流れていた血がぴたりと止まり、目の前であっという間にかさぶたが出来、肉が盛り上がった。
(すごいな、ドク……あんた本当に医者だったんだな……)
ちょっと疑っていたのだ。それだけについ本音が漏れてしまった。
♣
(まぁな。それより戦いが終わったら、約束を忘れるなよ)
(ああ、もちろんさ。ビールだろ)
(あの、キョウイチ様……ボクはコーラというのを飲んでみたいですっ!)
割り込むように、そっとカゼのかわいい声が聞こえてきた。
(……それならぁ、おでは……)
今度はドンの声が聞こえた。
(ワシは桃のジュースがいいのう、甘いのが好きなんじゃ)
サキまでがそんなことを言い出した。
(いや、ヒック、最初の一杯はだな、ビールだぞ!)
(じゃあ、その次にコーラを飲んでくださいっ!)
(まてまて、次は桃ジュースも忘れるでないぞ)
(……牛乳が飲みたいなぁ……)
♣
京一は微笑んだ。
また頭の中がずいぶんにぎやかになってきた。
だが悪い感じはしなかった。
むしろ兄弟のような仲間ができたことがなんだかとても嬉しかった。
「わかったよ、全部飲むよ。みんなの好きなものを全部飲む!」
するとみんなの歓声がわっと頭にこだました。
(だがその前に、春美さんを助けないと)
京一はゆっくりと立ち上がった。そして春美の姿を探した。
たぶんあっという間に敵をやっつけたに違いない。
京一は楽観的にそう思っていた。
♣
春美の姿はすぐに見つかった。
♣
(なんてことだ……)
その春美は奇妙な格好で空中に浮かび上がっていた。
両手両足を無数の真っ白い手のようなものにつかまれて、空中に浮かび上がっている。服のあちこちが破れ、手や足からは血が流れている。
(なにが起こったんだ?)
春美の前には黒い皮のマスクをかぶった、見るからに異様な男が立っていた。
無数の白い手はその男の背中から生え出したものだった。
その男がゆっくりと京一に首をめぐらせた。
かなりの距離があるのに、その男の碧い目がやけにくっきりと見えた。
(あいつが……)
考えるまでもなく、それが【笑い男】だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます