【種の発芽条件】⑨ 『京一/四人の仲間』

 廊下の暗闇の向こうからフラフラとやってきたのは、白衣を着た老人だった。ふらつく足で何度も転びそうになりながら、京一の前まで歩いてきた。


(これが、このが、【ドク】?)


 京一はさすがに怪訝に思った。ふさふさに逆立った髪の毛は綿毛のように真っ白、顔は酒のせいで真っ赤だった。

 際立った特徴はそれぐらいで、それ以外はごく普通の人間の姿だった。


 だがこれまで会ったサイコガーデンの住人の特徴を考えれば、姿


   ♣


「わたしにぃ、ヒック、なにかぁ、ウィー……用かね?」

 老人は酒くさい息と一緒に言葉をはきだした。背は低い。だからちょっと背伸びするようにして京一の顔を覗き込んできた。


「んー? おまいさん、誰じゃな?」 

 ドクはトロンとした目でしばらく見つめていたが、不意にハッと目を見開いた。だが京一はこのドクにはまるで覚えがなかった。


「あ、あんたは! ひょっとして……」

 どうやらドクは京一を一方的に覚えているらしかった。

 だから京一は失礼のないように自分から名乗ることにした。


「桜井京一といいます、あなたがドクですね?」

「ん? きょーいち? 誰だっけ?」

 なんともトボけた声でドクは聞き返してきた。

 どうも本格的に酔っぱらっているようだ。


 京一の背中でサキが大きくタメ息をついたのが聞こえた。


   ♣


「飲みすぎじゃ、ドク! この非常時に!」

 ついたタメ息を再び吸い込み、サキが大声で怒鳴った。


 ドクはキョトンとして、それからサキ、カゼ、ドンを順番に見つめた。


「なんじゃ? おまえらも牢屋から出たのか? それとも脱獄したかな?」


 そう言って何がおかしいのか、豪快に笑った。そうしてしばらく笑った後に、右手にぶらさげたヒョウタンから、ごくりと酒を飲んだ。

 それから最後に京一に目を戻し、白衣の袖で目をゴシゴシとこすった。


「んん? そういえばお前さん、誰かと思えばキョウイチじゃないか! いやぁ、すっかり成長しとるなぁ、いやぁ、立派になって。ということはあれじゃな、もう酒が飲める歳になったな!」


(このじいさん、完璧に酔っ払ってるな……)

 正直なところ京一は先行き不安な気持ちになった。こんなことで本当に大丈夫なのだろうか? 現実の世界で待っている戦いに耐えられるのだろうか?


   ♣


 するとそんな気持ちを察したのか、カゼがすっと前に出た。


「キサマ、キョウイチ様にブレーだぞ!」

「ん? なんじゃ、このチビッコは?」

「チビッコじゃない! ボクはキョウイチ様の第一のシモベ【カゼ】だ!」

 カゼがそう言うなり、周囲で空気が激しく渦を巻き、一瞬にしてカゼの姿が消えた。そして次の瞬間には、ドクの背後に立ち、ドクの背中を指でトントンと突っついた。


「キサマ、キョウイチ様は困ってるんだぞ!」

 ドクはいきなり背後から声が聞こえたものだから、びくりと驚いて振り返った。が、その時にはすでにカゼの姿はなく、カゼはさらにドクの背後に回りこんでいた。

 まさにイタズラ好きの妖精そのものなのだが、本人は騎士か何かのように自信たっぷりにふるまっている。


「……わざわざボクたちに助けを求めてきたんだ。だからキサマもちゃんと協力するんだ!」


   ♣


「……お、おでも……」

 その場の雰囲気にのまれたのか、ドンも一緒になって言葉をはさんでくる。だがその言葉は周りの速いペースに巻き込まれてあえなく消えてしまった。


「なんともぉ、ヒック、すばしっこい……チビッコじゃな」

 ドクはヨタヨタとターンして、なんとかカゼの姿を捕らえようとするが、カゼは素早くドクの背後に回り込んでしまう。


「チビッコ、って言うな! それより、ちゃんとキョウイチ様の話を聞くんだ! このヨッパライ!」

「誰がぁ、酔っ払ってるってぇ? ……ヒック」

「ほら、やっぱり酔っぱらってるじゃないかっ!」


   ♣


「カゼ、ドクには俺から話すよ」

 京一がそういうと、カゼはふわりと京一の横に戻った。それから京一の横にぴたりとくっつき、自然と京一の手をぎゅっと握り締めてドクをにらみつけた。


「ドク、あなたの力を貸してほしいんです」

「わたしの力かぁ、なるほどねぇ、ヒック……」

 ドクは京一に向き直った。それからふらふらとした足どりで、京一の前に立つと、京一の顔に震える指を突きつけた。


「やってやらんでもないが……ヒック……ひとぉつ、じょーけんがある!」


「……きょーりょく、してるんだなぁ……」

 その時になって、ドンが話し終えた。が、誰も聞いていなかったのを知ると、恥ずかしそうにうつむいてしまった。


   ♣


「まったく厄介な酔っ払いじゃな……」

 京一の頭の上でサキが呟いた。ドクはジロリとサキをにらみつけ、それから京一にプハーっと酒臭い息を吹きかけた。


「ドク。その条件というのはなんですか?」

「じょーけん、というのはだな……」

 京一はごくりとつばを飲み込んだ。ドクは少し体を斜めに傾け、ちょっとうつむいた。いったいどんな条件を突きつけてくるつもりだろう?


 今さらになってドクがヤバい人格かもしれないと思った。

 それこそ牢獄の奥にとらわれている【レイ】のような。


 だがドクの赤ら顔を見ていると、そんな危険な人格には思えなかった。それどころか、京一はドクにすら感じていた。知っている誰かに似ているというわけでもなく、その理由はさっぱりわからないのだが、その顔を見ているとなにかすごく安心するのだ。


「……スー……」

「ん?」


(まさか、寝てるんじゃないだろうな?)


「……ぐぅぅ……すぴー……」


 ドクは立ったまま眠っていた。


   ♣


「おい、キョウイチや……」サキが頭の上からささやいた。

「なんだい? サキ」

「こいつはまともに相手ができんぞ?」

「みたいだな、でもまかせとけ」


 京一はにっこりと微笑むと、ドクの体をそっと揺すった。

 だが起きないので、体ががくがくと揺れるくらい強くゆさぶった。


「……ん? ……あぁ、眠っておった……」

 ドクは瞼をこすり、大きなあくびをした。


「ところで……どこまで話したっけ?」

「もう、全部話したよ」

 京一はケロリとした調子で答えた。


 


「……わしは……ヒック……そんなことを、いったか?」

 ドクは記憶を探るようにこめかみに指を当てながら、疑り深そうに京一を見た。京一がうん、と首を縦に振った。その横でカゼもうなずき、京一の頭上ではサキもうんうんとうなずいた。ちらりとドンを見ると、ドンもやはり大きくうなずいていた。


 すでにチームワークはバッチリなのだった。


   ♣


「……ほんとに……そんなこと……いったか?」

「ああ、ここにいるみんなが証人だよ、なぁ?」

 京一がそういうと、みんながうんうんと嬉しそうにうなずいた。


「まぁ、そういうことならそうなんじゃろ……なんか、すっきりとせんが……まぁ、いいか……」

 ドクは右手を白衣で拭くと、握手をするために京一に手を伸ばした。


「あらためて、わしの名は【ドク】。まぁ名前の通り、ドクターじゃ」

「よろしく、ドク」

 京一がドクの手を握り締めると、仲間から歓声が上がった。


   ♣


 サキが京一の頭の上で言った。

 

 そう、これでサキが言っていた四人全員が揃った。

 なんとも個性的な面々だが、心でつながっている仲間だった。

 それにみんながすごい力を秘めている。

 それが分かっていた。


「みんなよろしく頼むよ」


「うん。まかせてくで……」

 ドンがゆっくりと言った。


「がんばりますっ! キョウイチ様!」

 カゼは京一の手をしっかりと握り締めた。


「まぁ……わしも、がんばってみるかの!」

 ドクはひょうたんをちょっと振ってみせた。


「ではまいろうか! 運命をひっくりかえしてやるんじゃ!」


 最後にサキがそう言って、ひょこりと京一の肩から下りた。


   ♣


「キョウイチ、覚悟はいいか?」

 サキの言葉に京一はにっこりとうなずいた。


「ああ、覚悟はできてる。それに俺にはみんながいる」

「では、背中を向けるんじゃ」


 京一はゆっくりとひざまずき、それからみんなに背中を向けた。


 その背中に仲間たちの手がそっと伸び、【サキ】の、【カゼ】の、【ドン】の、【ドク】の、四つの異なる手が、京一の背中に同時に触れた。


 その瞬間、京一の視界が白く爆発した。

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